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2014/09/26

クロアチア、ボスニア旅行記(モスタル、サラエヴォ)最終回

旅行記、ずいぶんと間が開いてしまいましたが、これが最終回です。

旅も終盤となりました。今日はドブロヴニクから出発し、最後の目的地、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに向けて出発します。

再び、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの海沿いの飛び地ネウムで休憩してから、一旦クロアチアに出国し、再度ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入国。今までの陸路の入国の中では一番入国手続きに時間がかかりました。手続き所に何台もバスや車が止まっており、30分ほど停止。バスを降りていたら、中に戻るように促されました。それでも、手続きはすべて運転手のマリオが代行してくれて私たちは係官には会う必要はありませんでした。

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ネウム。ここにはドライブインとスーパーがあり、クロアチアと比較して物価が安いため、クロアチアから買い出しに来る人も多いとか。お土産物もいろいろと売っており、皆さん結構買い物をされます。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入国すると、外の風景が変わってきています。ほぼ内陸の国なのですが、なだらかな坂や山、川や湖、翠の中に点在する家々や家畜。のどかで自然がとても美しいところです。

到着したのは、モスタルというボスニア・ヘルツェゴヴィナ南部の中心都市。バスターミナルですでに無料Wi-Fiが使用できた。ここで、大勢の子供たちのグループに出会います。揃いのTシャツを着ている、小学校高学年か中学生くらいの子供たちです。日本人を見るのがよほど珍しいのか、一緒に写真に写りたがっていたし、英語で話しかけてきたりして人懐っこいし、とっても元気が良く明るい子供たちでした。ここでもみんなスマホを持っていて、それで写真を撮っています。それから、近くの教会からは、若い修道士たちがたくさん出てきました。

若い女性のガイドさんは英語が流暢で、子供時代にはアメリカのシカゴに住んでいたという。そのため、実際には戦争は体験していないそうです。ところが、この街にはいたるところに戦争の傷跡がある。弾痕が無数に開いた廃屋、実際に使われている建物にも弾痕があったり、崩れかかった建物も。また、明らかにクロアチアより貧しい国に入ったというのがわかるのは、子供の物乞いを何人か見かけたこと。さっきのスマホを持ってはしゃいでいる子たちとの違いは何なんだろう、と考えてしまいました。

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弾痕の残る建物

モスタルのシンボルは、世界遺産に登録されている橋、スターリ・モスト。モスタルは古くから交易で栄え、15世紀からオスマントルコの支配下に入りました。1566年に作られたこの橋はネレトヴァ川にかかり、橋脚が一本もなく、中央に向かって急こう配となっている、すっきりとした造形の美しい石橋。中央部に立っている若い男性がいましたが、25ユーロ払えば、この20メートルの高さから下に飛び込んでくれるという。水の色は深い緑で、橋の上から見る風景は異国情緒が漂い、周辺の緑と相まってとても美しい。ボスニア・ヘルツェゴヴィナは人口の70%がイスラム教徒だそうですが、モスタルではキリスト教徒と半々だそうです。実際、髪をスカーフで覆ったイスラム系の美しい女性をたくさん見かけたし、コーランを路上で売る人たちもいました。

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ところが、この橋は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争で1993年に破壊されてしまいました。橋の西側はクロアチア系カトリック教徒、東側はボシュニャク人イスラム勢力が支配していて攻防を繰り広げたそうです。橋の近くの土産物店で、橋が破壊された時の記録映像を流していました。この映像は衝撃的で思わず言葉を失ってしまいます。美しい橋が完全に崩壊するまでの様子が克明に記録されていました。橋のたもとには、DON'T FORGET '93と書いた石碑が置いてあります。今ではこの橋は復元されて、復元されたのちに世界遺産に登録されたということです。

モスタルの街自体は、観光客で大変にぎわっています。特に東側のイスラム側にはたくさんの商店が並んでおり、イスラムの影響を受けたエキゾチックで色とりどりの小物やアクセサリー、スカーフなどが売っていました。ボスニア・ヘルツェゴヴィナは銅製品の産地ということで、銅でできたアクセサリーには独特のオリエンタルなデザインが施されていて、スタイリッシュで素敵です。銅を細工しての皿などを制作している工房の様子なども見学させてもらいました。4代にわたってここで仕事をしているとのこと。値段もとても手ごろだし、デザインもすぐれているので、お土産にすると喜ばれるものだと思います。トルコ的な陶器のお皿、銅のブレスレットやピアスなどなど。観光地なので、大体の店でユーロが使えます。

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川沿いにはコスキ・メフメッド。パシナ・ジャーミヤという大き目のモスクもあります。橋を撮影する絶好のポイントですが、モスクには入場料が必要です。


昼食は、ボスニア名物のチェヴァプチチを頂きました。皮なしのソーセージですが、これはとてもおいしいです。

そこから、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都、サラエヴォへと移動します。相変わらず窓の外の風景は美しいのですが、時々無残に崩落した建物を見かけます。3軒並んでいて1軒だけ廃墟になっていて、ほかの2軒はきれいに整えられているのでいったい何が起こったのか、と胸騒ぎがします。緑豊かな山肌に抱かれているのに、戦争の傷跡が残っているのを見るのは、自然が美しいだけにとても痛ましく感じられました。時には、道端に墓銘碑がぽつんと立っているのを見かけます。戦争で亡くなった人たちだそうです。

サラエヴォは、高い山々の中の盆地にある街。やはり山肌に転々とオレンジ色の屋根の家々が並んでいる風景はのどかです。宿泊したホテルは中心地から少し離れていますが、高層でモダンな建物。路面電車がたくさん走っていますが、この路面電車の走るスピードが、私たちの乗っているバスよりも早いという不思議な状態です。ヨーロッパで初めて、そして全世界で2番目に早く終日(朝から夜まで)運行の路面電車が運行された町だそうです。

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前日までサラエヴォは大雨だったそうで、街の中心部を流れる川は濁っており、水位は非常に高かったです。ニュースでもちらっとは目にしていたのですが、バルカン半島で大雨が続いており、その時点でもボスニア・ヘルツェゴヴィナでは10数人の方が亡くなっていたとのこと。サラエヴォ市内はそこまでの被害はなかったようですが、この大雨と洪水はこの国にとてつもないダメージを与えたことを、帰国してからのニュースでもみかけて、とても胸を痛めました。しかも、洪水で地雷が流出してしまい爆発する騒ぎが発生しており、国民の4分の1にあたる95万人が避難しているといいます。

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ここでの現地ガイドさんは若い男性で、オペラ座のエトワール、マチアス・エイマンによく似ています。まずはボスニア・ヘルツェゴビナの国立図書館へ。ここは、ボスニア紛争で1992年に破壊されたそうですが、22年の時を経て5月9日に復元されて再オープンしたばかりだそうです。この復元については、日本からの資金援助もたくさんあったとはガイドさんの話。破壊された際には、200万冊近くの蔵書が焼失したそうです。

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新装されたばかりの図書館

そこから旧市街バチュシャルシャの方へと歩きます。銅製品などエキゾチックなものを販売している商店が並びます。ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、東と西が出会う文明の合流地点なので、街の雰囲気もやはりオリエンタルなオスマン・トルコ帝国由来のものと、ハプスブルグ帝国の影響、スラブの影響とあって興味深いものでした。バチュシャルシャの広場には、木製の六角形の水飲み場があり、そこが待ち合わせ場所として機能しています。ここも、ロマ系などの子連れ物乞いがたくさんいます。スリなども多いそうなので気を付けるようにとのことでした。

ガジ・フスレヴ=ベグ・モスクは1531年に建てられた、とても大きく美しいオスマン建築です。白い建物で、ここでは祈りを捧げている人たちがたくさんいました。、サラエヴォ包囲ではガジ・フスレヴ=ベグ・モスクも大きく損傷を受けたそうです。サラエヴォは1992年4月5日から1996年2月29日までセルビア人勢力の包囲下にあり、この間12,000人が死亡し、50,000人が負傷。このうち85%が市民だったという悲劇が起きたのでした。

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そしてこのモスクのほど近くには、第一次世界大戦の引き金となった、かのサラエヴォ事件の舞台となったラティン橋がありました。1914年にオーストリアの皇太子フランツ・ヨーゼフ夫妻が暗殺された事件です。橋のすぐそばに博物館がありますが時間が遅いため閉まっていました。でも博物館の窓には、暗殺犯たちの写真や裁判の様子などの写真が掲示されているので外から見ることができます。 ちょうど第一次世界大戦開戦から100年という節目の年でしたね。

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そこから少し歩くと、フランツ・ヨーゼフ夫妻が宿泊する予定だったというホテル・ヨーロッパの前を通りました。中にも入りましたが、ここのティールームはクラシックでウィーン風の重厚さと華麗さがあります。そしてカトリック教会の大聖堂「イエスの聖心大聖堂」へと歩きました。サラエヴォで最も大きな、壮麗な教会でステンドグラスが見事です。聖堂内の椅子に白いリボンが結び付けられていましたが、先ほどまで結婚式が執り行われていたようでした。聖堂の前には、弾痕のある地面に赤いペンキがぶちまけられていたようなモニュメントがありました。ここで流血事件があった痕跡だそうです。これは「サラエヴォのバラ」と呼ばれ、町中にいくつも残っているとか。

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簡単な市内観光が終わり、マリオのバスが到着する間に少しガイドさんと話しました。ボスニア・ヘルツェゴヴィナはサッカーが盛んで、このたび初めてワールドカップに出場します。ガイドさんは、子供のころ「キャプテン翼」がテレビで放映されていたので、日本に親しみを持ったそうです。84年生まれだったので、子供のころは戦争の記憶もあったそうで、「本当につらかった」そうです。ホテル・ヨーロッパの前でバスを待っていたのですが、ホテルの前の建物、ヨーロッパ風のクラシックで美しい建物なのですが1階は商店となっており、保存状態はあまりよくなく、そして弾痕がたくさん残っていました。

旧市街の方へ向かった時に通った通りでは、黄色いホテル・ホリデイインがありました。そういえば、このホリデイインは昔ニュースで見覚えがあったのです。ボスニア紛争の時に各国のジャーナリストがここに宿泊して戦況をここから伝えていました。電気も水道も止まってガラスは銃弾によって破壊されていたりしていたのですが、今ではきちんと修復されていました。このあたりには、悪名高い「スナイパー通り」です。「動くものは全て砲撃の対象」となっていたそうで、高層マンションなどにも銃弾の跡が残っています。

ボスニア内戦 民族紛争の真実 前編(ボスニア紛争のドキュメンタリー)
http://youtu.be/ydUA7w8XGAs

帰りは商業の中心街をバスで通りましたが、こちらの方はごく普通のヨーロッパの都市の繁華街という感じで現代的な雰囲気で活気がありました。着実に戦争からは復興している感じです。

ホテルに戻っての夕食。ホテルの最上階が回転レストランとなっていて、サラエヴォ市内を一望できます。ところが、不思議なことに、夜景らしきものは全然見当たりません。夜がとても暗いのです。ホテルの近くには高層団地などもあるのですが、どうやらここでは遮光カーテンを使うことが多いので明かりが漏れないのですね。サラエヴォ空港がかなり近くにあるので、空港の光を見ることができました。明日、この空港から帰国することになります。

サラエヴォでの短い観光では、本当にいろんなことを考えさせられました。わずか20年前にここで起こった戦争のこと。東西の文明が出会い美しいこの街で、人々が殺し合ってしまったのはどうしてだったのだろうか。ずいぶん前に観たマイケル・ウィンターボトム監督の映画「ウェルカム・トゥ・サラエヴォ」を見直したくなりました。

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翌朝、帰国の途に就く前に、ホテルのすぐ横にある廃墟群を見てきました。破壊されたアパートメント、弾痕が残る崩れかかった壁などたくさんありました。真っ青に晴れた美しい空の下、雑草が生い茂るなかでこれらを見ると、もう言葉を失います。20年以上経っても生々しいです。すぐ隣にある、宿泊ホテルが近代的で豪華なのに対して、手つかずのままでこんなに廃墟が残っているとは。

すぐ近くにショッピングセンターがあったのでそこまで歩きましたが、外観はきれいなのに中は薄暗く、商品の数も少ないのです。しかし、これまであまり縁がないところに来て、そして実際に戦争があった場所に足を運ぶことは、とても意義深いことだと思いました。行ってみないと、伝わってこない重みがあり、打ちのめされました。同じ国の人たち同士が殺し合うというのはどういうことなのか、それは、現在もウクライナやイスラエル/パレスチナ、シリアなどで行われていることですが、とにかく戦いが終わり平和が訪れることを望んでやみません。


サラエボ空港からミュンヘン空港を経て帰国し、ビジネスクラスでの快適な帰国の途でしたが、いろいろと考えさせられたこと、感動したこと、いろいろとありました。ベテランのツアコンの方も、とても知識・経験が豊富で感じがよくて、楽しく過ごすことができました。高齢で足も弱くなっていた父との旅は大変なところもありましたが、とても充実したものでした。そして、これが父との最後の旅となってしまいました。今月、元気で現役で仕事もしていた父が突然倒れ、病院の集中治療室に運ばれ、意識を取り戻さないまま、帰らぬ人となってしまったのでした。商社マンとして海外で長く活躍し、旅が好きで、クラシック音楽、映画、美術、歌舞伎にも造詣が深く、また最近までテニスを楽しみ阪神タイガースを愛した父。とても知識欲が旺盛で、社交的で友達もたくさんいたようです。父親との旅というのはちょっと照れくさいもので、ありがとうの言葉も言えないままの別れとなってしまいました。この旅は、父からの最後の贈り物となりました。お父さん、ありがとう。

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クロアチア、クルカ国立公園にて父。この笑顔が遺影となりました。

2014/07/02

クロアチア、ボスニア他旅行記(その6)ドブロヴニク

クロアチアで一番の人気観光地といえば、ドブロヴニク。「アドリア海の真珠」と評され、旧市街は1979年に世界遺産に登録されました。歴史的に海洋貿易によって栄えた都市で、中世のヴェネチア主権下のラグーサ共和国はアマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどと共に5つの海洋共和国に数えられていたそうです。19世紀初頭までは、このラグーザ共和国は隆盛を極めており、その後ナポレオンの支配を経てオーストリア=ハンガリー帝国の一部となり、そして第一次世界大戦後はユーゴスラビアの一部となるものの、独立心旺盛で誇り高い都市だったとのことです。しかし、戦争の傷跡は少しですが残っている場所でもあります。

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旧市街をぐるっと取り巻く城壁は1900mの長さがあり、高さは20メートルですが階段でのアップダウンもかなりあります。城壁の上は一方通行ながら歩けるようになっていて、山側からスタートし、海沿いまで回って一周。旧市街の中、そしてアドリア海やそこに浮かぶロクルム島、ヨットハーバーそして海岸にある要塞などを見下ろすことができる絶景を堪能できます。

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途中にはカフェ、土産物店などもあります。一周してだいたい1時間半くらいでしょうか。ドブロヴニクに行ったら、まずはこの城壁歩きは絶対に欠かせません。晴天率の高いドブロヴニクですが、たまたまあまり天気は良くなかったものの、雨に降られることはなく、青い海とオレンジ色の屋根と素晴らしい風景を楽しみました。また、城壁の上から、この旧市街に住んでいる人々の営みも垣間見ることができたのも楽しかったです。

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ピレ門近くのフランシスコ会修道院。ロマネスク様式の回廊が美しい。いろんな国の旗をデザインしたポスターが張ってあって、日本の旗があるところを見てみたら「清子」というサインが。各国の要人のサインが並べてあって、清子とは、黒田清子さんのことだった。教会は様々な宝物が展示してあったのだけど、驚いたのは、壁の二か所にわたって大きな穴があって、91年からの戦争でミサイルが貫通していたとのこと。

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さて、このフランシスコ会修道院の回廊の脇には、「マラ・ブラチャ」という薬局があります。14世紀に創設された、ヨーロッパでも3番目に古い薬局とのこと。この薬局が有名なのは、700年前から伝わるレシピに基づいた化粧品やハーブティーなどを売っているから。特にラヴェンダーやローズ、ローズマリーなどを使ったクリームや化粧水は人気があって、日本のテレビ、雑誌やガイドブックにも必ず取り上げられています。(日本の雑誌の切り抜きも言えば見せてくれるし、試供品もある)とても香りがよく、天然成分しか使っていない上に値段も手ごろなので、もちろん買って帰りました。

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プラツァ通りという大通りがメーンストリートとなっていて、そこから路地がたくさん分かれ、土産物、食べ物などいろいろなお店があります。観光客に交じって修道女なども歩いていて、中世と現代が混じった風景は不思議だけど素敵。そしてドブロヴニクといえば、猫もたくさんいます。野良猫でも人馴れしていて可愛いコがたくさんいました。そして教会もいくつもあります。聖母被昇天の大聖堂の主祭壇には、ティッツィアーノが15世紀に描いたゴージャスな「聖母被昇天」があります。

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オルランド像と聖ヴラホ教会
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プラツァ通りの行き止まりあたりには、ルジャ広場、ドブロヴニクの守護聖人、聖ヴラホを祀った聖ヴラホ教会があります。この教会は憧れの結婚式場だそうで、ちょうど訪れたのが金曜日ということもあって、夕方には新郎新婦の姿や、結婚式に参列する着飾った若者たちを見ることができました。聖ヴラホ教会の前には、オルランド像があります。ドブロヴニクでは自由の象徴として1418年に制作された、美しい騎士の像です。

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そしてこのルジャ広場にあるスポンザ宮殿、アーチの美しい建物ですが、そこで小さな展覧会をやっていました。ドブロヴニクはユーゴ紛争で1991年にユーゴスラビア人民軍によって攻撃され包囲され、114人が死亡しました。その亡くなった人たちの顔写真、遺品、そして攻撃された時の映像などが上映されていました。亡くなった人たちがみな若い人ばかりだったのがとても痛ましかったです。城壁なども甚大な被害を受けたそうです。そのため一度は危機にさらされた世界遺産リストにも挙げられましたが、見事に復旧したというわけです。

また昼頃まではマーケットも開かれていて、ラヴェンダーのグッズ、クロアチア名物の刺繍、野菜や果物、様々なモノが売られていました。添乗員さんに教えてもらったのですが、塩、干しイチジクのアーモンド詰めをサラミ状にしたもの、ハーブなどを売っているお店では、日本語が流暢な女性が商品を売っていて、思わずハーブとオレンジで香りづけされた塩を買い求めました。このお店です。http://www.opg-sardi.com/en/index.html

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昼食を食べたら、とても騒がしくて何事か、と思ったらこの日は高校生が終業式の日ということでした。学校が終わるということで、卒業したり夏休みに入る子供たちが、音楽を大音量でかけたり、羽目を外して街中で踊ったりしているのです。Tシャツに思い思いに落書きをしたり、盛り上がっていました。

午後は、ケーブルカーに乗ってスルジ山を上ります。スルジ山から旧市街を見下ろすと、目の前には絶景が広がっているのです。シーズンオフの今でもかなり人気があって結構並びます。運よく、海側の場所に立つことができ、見下ろすと、旧市街の全貌が徐々に広がっていきます。頂上には、ナポレオンが贈ったという大きな十字架があり、展望台で旧市街を一望できます。お天気はそれほどよくなかったものの、それでも視界は良く開けていました。できれば戦争資料館も観に行きたかったけど時間が無くなってしまい。

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旧市街に戻り、食事の時間までお買い物。ザグレブに本店がある、アロマティカというアロマやバスグッズのお店。日本人観光客にも人気があるようです。私はバスソルトとハーブティを買ったのですが、エッセンシャルオイルやマッサージオイルなども人気があるそう。ここのパッケージのデザインも可愛いです。

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レストランがある旧港付近も、観光船などが発着するところで雰囲気があります。ラグーサ共和国時代には各国の商船でにぎわったそう。

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多くの人が歩いて磨かれ光に反射する石畳が美しい夜も、ドブロヴニクは美しいそうですが、ホテルに戻らなくてはならないのでバスに乗り込みました。途中、橋があるところがドブロヴニクを遠くから見渡せるということで、運転手のマリオさんが止めてくれました。夕刻の淡い光の中の旧市街や、海を進んでいくクルーザーの姿も、また違った感じで素敵でした。ドブロヴニク、またいつか訪れたい。今度は晴れるといいな。


2014/06/11

クロアチア、ボスニア他旅行記(その5)クルカ国立公園、スプリット

しばらく間が空いてしまいましたが、クロアチア旅行記の続きです。

プリトヴィッツェから移動した街は、クロアチア第二の都市、スプリット。泊まったホテルが旧市街から相当遠いうえ、ここは旧ソ連ですか、って感じのうらぶれた雰囲気で、ホテルの周りはスーパーが一軒ある以外は、工場とかしかない場所でした。

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午前中は、クルカ国立公園へ。ここはあまり知名度はないところだけど、プリトヴィッツェに勝るとも劣らない、澄んだ湖と多くの滝に囲まれた美しい公園なのでした。広大な面積に、エメラルドグリーンの湖と滝が連なり、ウッドデッキの遊歩道が整備されていて、緑深い公園で水が流れる横を散歩することができます。

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17段もの滝が連なるスクラディンの滝が見事。ここでも、湖を渡る橋があって、まるで印象派の絵画のような、澄み切った水の色に様々な光が乱舞してキラキラ光る様子、水の中を魚や小動物が泳ぐさまを観察できます。やはりここでも遠足の子供たちの姿がたくさんありました。世界遺産にはなっていないので、公園の中では、クロアチア名物の乾燥イチジクなどを売る売店もたくさんあります。

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森の中にウッドデッキが張り巡らされ、水が流れる上を歩くとマイナスイオンを胸いっぱいに吸い込んで、心から癒されます。

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昼食は近くの街スクラディンで。ガイドブックにも載っていない人口500人という小さな港町だけど、ヨットハーバーもありちょっと古い建物群が可愛くて、オープンエアのレストランはとてもおしゃれで、素敵でした。

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このあたりの地方は「ダルマチア地方」と呼ばれているのですが、ダルメシアン犬の産地で、名前もこの地方から取られているということです。ワンコなどはたくさん見かけたけど、残念ながらダルメシアンには一匹も会えませんでした。

そして午後に向かった海沿いのスプリットの街は美しかった。

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ここは、3世紀から4世紀にかけて、ローマ帝国の皇帝デイオクレティアヌスが引退後の余生を過ごす宮殿を建てたことに始まりました。ローマ帝国が衰退して宮殿が廃墟となったのちにも、廃墟はスラヴ民族に襲撃された人々の避難場所となって、廃墟を建材に人々は家を建てて街を再生させたのです。宮殿の地下は、ディオクレティアヌス時代そのままに残っていて見学することができるのですが、地上部分は、遺跡のような状態の建物の上にそのまま普通に人々が住んでいるって感じで、洗濯物が干してあったりします。ここは2000年に世界遺産に登録されたのですが、世界遺産の真っただ中に普通に生活している人たちがいるというのが面白い。

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宮殿の地下は、海からの涼しい風を送り込む天然の冷房装置となっていたり、当時は倉庫や汚物を収納する機能が果たされていたそうです。この3世紀から残っている建物では、60年代にはクラブとして機能して若者が踊っていたりしたというからすごいですね。現地ガイドさんのお母さんも若いころここで踊ったそうです。

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宮殿の前庭(ディオクレティアヌスの宮殿の玄関)は、煉瓦におおわれているものの円形の天井はぽっかり空いています。音響がとても良いので、ここではよく、アカペラの合唱隊が歌っています。私が行ったときも、たまたまアカペラの男性グループが素晴らしい歌声を披露してくれていて、とてもよく響き渡っていました。これはクロアチア伝統のアカペラでクラパと呼ばれています。CDも売っていたので買い求めました。最後には、「サヨ~ナラ」と日本語で美しいハーモニーを聴かせてくれました。

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スプリット旧市街は、この古代の迷路のような町並みに瀟洒なカフェやレストラン、アクセサリーやステーショナリーなどを売っているお店、ホテルなどが点在していて、とてもいい感じです。「金の門」「銀の門」「銅の門」という門があり、特に広場に面した銀の門は、いい感じに遺跡らしさがあって素敵。

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また、金の門の近くのグルグール司教という人の大きな銅像は、足の指に触るとご利益があるということで、その親指だけが触られてピカピカに輝いています(もちろん私も触った!)

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旧市街の中心にそびえる鐘楼と大聖堂。大聖堂はもともとはディオクレティアヌスの霊廟として作られたものの、8世紀にはキリスト教の聖堂として改築されたそうです。ディオクレティアヌスはキリスト教を迫害していたため、後世のキリスト教徒はその痕跡を破壊し、ディオクレティアヌスの棺も今はどこにあるのかわからないそうですが、聖堂自体はとても荘厳で美しく、4つの祭壇はどれも見事。特にメーンの祭壇の上のバロックな装飾画や、祭壇の精密な石細工などは素晴らしいです。聖堂の入り口の扉に施された彫刻も見ごたえがあります。

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海に面した通りには、旧市街の遺跡の中に作り付けられたカフェが立ち並び、さわやかな海風が吹いてくる。この街が欧州の観光客に大人気なのもよくわかりました。夕食を頂いた、旧市街のレストランもとてもスタイリッシュでした。クロアチアは、オリーブオイルとワインの産地だし、海に面しているのでシーフードにも定評があります。白トリュフの産地でもあるし、食通にとってもとてもいい街だと思いました。

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2014/05/29

クロアチア、ボスニア他旅行記(その4)プリトヴィッツェ湖群国立公園

この日向かうプリトヴィッツェ国立公園は、メジャーもメジャー、ドブロヴニクと並んで2大人気旅行先なのでした。

バスで走ること3時間半、まずは公園の近くのレストランでます料理のランチ。動物のはく製がいくつもあって不思議なレストランだったけど、どうも子供たちの遠足と重なったようで、レストランの中は小学生の団体でいっぱいに。クロアチアでも、子供たちはみんなスマホで遊んでいるんだけど、iPhoneはちょっとぜいたく品のようで、私がiPhoneを取り出したら羨望のまなざしに囲まれました。

プリトヴィッツェ湖群国立公園は、16の湖が連なり92もの滝があるという圧倒的なスケールの国立公園。石灰分が沈殿したことにより生まれたエメラルドグリーンの水は、驚くほど透明度が高くて悠々と泳ぐマスの姿を見ることもできる。実はお天気がここ数日悪くて、大丈夫かなと思っていたのですが、ツアーの中に最強晴れ女の方がいて、無事晴れました。その代わり、水かさが増して、通れなくなってしまった場所もあります。足元まで水があふれそうになっているところもありました。1979年に世界遺産に登録されました。クロアチア唯一の自然遺産です。

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現地ガイドは若い女性で、金髪ですらりとしていてバレリーナのような、驚くほどの美人でした。クロアチアは美男美女が多いです。

写真などで目にしていたので、プリトヴィッツェのイメージはあったのですが、実際に目にしてみるとやはり圧倒的なスケールと澄んだ空気、自然が織りなす造形の美しさに心身とも癒されます。また、路傍に咲く可憐な草花にもふと心がなごみます。湖まで歩いて下りて行き、一番大きな滝(高さ78m)のふもとまで歩くことができます。また、湖をわたる細い橋を歩いていくと、その橋の真下からも滝になっていて水が落ちていくのを見ることができます。晴れていたので、滝にかかる虹も見られました。

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このエメラルドグリーンの水の色が、刻一刻と変化して、印象派の絵のように微妙な色彩の変化や光の反射をしていくのが言葉にもできない美しさです。前日までの雨で水かさが増していて、滝の勢いもありました。一番大きな滝から水が落ちていく様子を見て、父が、観音様が滝に打たれているように見えると言ってましたが、確かに言われてみれば観音様が見える気がします。

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植物だけでなく、様々な小動物もいました。蛇、今まで見たことがないくらい緑色のトカゲなど。これだけ水も空気もきれいだと、動物にとっては天国のようです。ただ、最近外来種の魚がマスを駆除してしまっているということがあり、世界遺産なので外来種を駆除することができないのが悩みなのだそうです。

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滝の一つには、ミルカ・トルニナ滝という滝があります。この名前は、クロアチア出身の有名なオペラ歌手から取られたものです。彼女は世界的に活躍したソプラノだったのですが、突然顔面麻痺を発症して引退を余儀なくされたとのこと。階段のように段々と流れ落ちる美しい滝で、彼女がこよなく愛したそうです。1897年ザグレブ歌劇場に出演した時の出演料をそっくりプリトヴィッツェ湖保護整備に寄付したとのこと。

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コースの最後を歩くと、湖を渡る遊覧船があり、そこでさわやかな風に吹かれながら30分ほど最後の絶景を楽しむことができます。この大きな湖にも、いくつかの滝があります。

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今回は、下湖群だけでしたが、実際には上湖群もあるので、ぜひ次回はそちらの方も行ってみたいと思いました。先ほどの校外学習の生徒さんたちにも遭遇しました。

この自然が生み出した奇跡ともいえるプリトヴィッツェ湖群国立公園も、ユーゴ紛争に巻き込まれ、ここで軍事衝突が起き「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録されたこともあったのですが、地雷の撤去も進んで除外されたそうです。

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ここまで圧倒的で、元の自然がそのまま保全されている自然美は世界的に見ても稀だと思いました。死ぬまでに一度は観たい、そんな場所でした。

観光を終え、バスはスプリットへと向かいます。4時間ものバスの旅。途中、いくつかのドライブインにトイレ休憩のために立ち寄ります。クロアチアのドライブインは、みな、お手洗いがとても清潔に保たれているのに感心しました。手を乾かす乾燥機も整備されています。コンビニエンスストアと小さなカフェも併設されていました。たまに日本語のガイドブックまで置いてあります。プリトヴィッツェはバスでないと行けない場所なので、やはりドライブインの役割は大きいということですね。

2014/05/28

クロアチア、ボスニア他旅行記(その3)クロアチア、プーラとポレチュ

宿泊したのは、イストラ半島のロヴランという小さな町。隣の町がオパティヤという街で、こちらは、クロアチアのリヴィエラとも呼ばれている、まるでコート・ダジュールのような雰囲気のある高級リゾートタウンで、素敵なホテルやビーチ、ヨットハーバー、レストランなどが立ち並ぶ。ロヴランはそこよりは小さいけど、やはり同じような雰囲気。ホテルの目の前も海だし、眺めはなかなか良いです。

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さて、今日はまずはイストラ半島の先端にあるプーラという海沿いの街へと向かいます。プーラはかつてはローマ帝国に征服され、街のシンボルとなっているのは紀元1世紀に建造されたという大きな円形劇場。かつては、剣闘士とライオンが死闘を繰り広げたというまさに「グラディエーター」の世界。世界で6番目に大きな円形劇場で、ローマのコロッセオのおよそ半分のサイズですが5000人収容と十分大きいですし、2000年近く前の建物にしては(そして第二次世界大戦で爆撃されて被害を受けたにしては)保存状態も良い。ライオンたちが飛び出す出口なども保存されています。現在も、コンサートや映画祭などのイベントなどに活用されているとのこと。余談ですが、現地で朝NHKワールドを観ていたら、偶然、このプーラのアリーナで、イル・ディーヴォがコンサートを行っている映像が流れていました。

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小さな凱旋門があったり、紀元前2年に建てられたアウグストゥス神殿があったりと、ローマ帝国の名残が街の中にたくさん残っています。12世紀~18世紀にはヴェネチア共和国の支配下となり、その後はハプスブルグ帝国、さらには第一次世界大戦からは枢軸国の支配下ともなり、各国ににより支配権が争奪されたということで、様々な文化が溶け合っていますが、やはりイタリアの影響が強く、イタリア語を話す人が多いそうです。また、半島の先端なので、クルーズ船も立ち寄り、造船業なども栄えているとのこと。

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いかにもヨーロッパの海沿いの街のたたずまいを残す素敵な旧市街を歩きました。休日ということもあり、町の広場ではブラスバンドの演奏があり、その演奏に合わせて小さな子供が二人踊っていたのがとてもほほえましかったです。また、マーケットも開催されていて、新鮮な果物、野菜やオリーブオイルなどが売られていました。クロアチアははちみつも美味しいということではちみつを買いました。

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昼食は、アンフィテアターという円形劇場の近くの小さなホテルのレストラン。ここのイカのグリルがとてもおいしかったです。このレストランのシェフはクロアチアでもトップの人らしいです。現地のガイドさんも一緒に食事したのですが、よく話す人でクロアチアのいろいろな事情が聞けて面白かった。クロアチアは、サッカーがとても盛んですが、地元のチームはあまり高いギャラが払えないので、優秀な選手はやはり海外に流出してしまうそうです。サッカーに限らず良い選手もなかなかお金を払ってくれるスポンサーが見つからずみな苦労しているそう。あと、クロアチアは、消費税は20%ですが、観光に力を入れているために、観光にかかわる部分は税金がかからない、たとえば外食費などは消費税無しだそうです。確かに、食費も飲み物代も安い気がしました。

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この旅行の良いところは、ほとんどの場所で現地ガイドと合流し、そのガイドさんが英語で説明をしているのを添乗員さんが通訳してくれて伝えてくれることです。直接ガイドさんとお話もできるので、現地に住んでいる人の実態が少し伝わってきたり、質問もできたりして面白かったです。

次に向かったのは、ポレチュ。ここも海沿いのリゾートの街で、ハプスブルグ時代からの瀟洒なホテルやクルーザーが立ち並びます。ここも紀元前2世紀に作られた古代ローマ都市。19世紀のハプスブルグ帝国時代にはイストラ半島の県都として行政を担っていました。

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なんといってもここで有名なのは、エウフラシウス聖堂です。聖堂は4~5世紀に建てられました。6世紀のビザンツ帝国時代に描かれた黄金色のモザイク画「キリストと12使徒」「受胎告知」は現存する初期ビザンツ芸術の最高峰と呼ばれる荘厳で圧倒的に美しいものです。世界遺産に登録されています。 祭壇の天蓋も美しい。

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この街も、ローマ時代に遡るような遺跡を生かした瀟洒なカフェやバーとなっていたり、可愛いアクセサリーや雑貨を売るお店がたくさんあったり、イタリアっぽい雰囲気があってゆっくり過ごすのも楽しそうでした。海風に吹かれるのも気持ちよかったです。

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帰りは途中、トリュフの森に囲まれたモトヴンという街の全景を観てきました。こんもりとした丘の上に町が空に浮かぶようで、「天空の城ラピュタ」にもインスピレーションを与えたそうです。残念ながらトリュフは食べられませんでした。

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2014/05/25

クロアチア、ボスニア他旅行記(その1)ミュンヘン、ザルツブルグ

5月8日より19日まで12日間、ミュンヘン~ザルツブルグ~スロヴェニア~クロアチア~ボスニア・ヘルツェゴヴィナを回るツアーに父親と参加してきました。大体父親と二人きりでなんか旅行に行ったことがあるわけないし、父は75歳と高齢のうえ足があまりよくないし。二人きりと言っても、添乗員付きのツアーに参加するわけなので、二人旅ではないのだけど。 私にしては珍しく、バレエとは関係のない旅行でした。

ミュンヘン行きのルフトハンザのCクラスでは、機内エンターテインメントで、チューリッヒ・バレエがザルツブルグ音楽祭で踊った「ダンス&カルテット」を観ることができたのでこれを観ていました。ハインツ・シュペルリの振付で、筋のない作品だけどなかなか面白かったです。

ミュンヘンといっても、ホテルのある場所は郊外で、市内からは電車で30分以上かかるのでこの時間から市内に出るのは難しかった。この日はホテルのプールで泳ぎ、サウナに入った。ところが、これが必殺ドイツのサウナ、全裸で入ることになっているわけです。様々な温度のサウナやミストサウナなども用意されている。結局夫婦で入っている方もいるので、恥ずかしながら私も入りました!プールでも1kmくらいは泳ぐ元気が残っていました。

到着翌日は、まずはミュンヘン観光。といってもごくごく短い時間で、中心街へ。白アスパラガスが旬を迎えていて、そこらじゅうにマーケットのように白アスパラガスと苺などが売られている。とても大ぶりでおいしそうで、ミュンヘンにいるのになんで白アスパラガスが食べられないんだろう、とちょっと恨めしく思いました。(でも、結局帰りのルフトハンザの機内食で白アスパラガス、食べられたんだけど)

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ミュンヘンは実はすでに3回行っているんだけど、どれもバイエルン州立劇場でバレエを観るために来ていて、あとはレジデンツとノイエ・ピナコテークくらいしか行ったことがない。今回は、かのビアホール、ホフブロイハウスの中を見学しました。朝9時だというのに、すでに店内でビールを飲んでいる人がいるのにはびっくり。内装はかなり凝っていて美しい。

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市役所前の広場を通り、聖ミヒャエル教会へ。この教会の前は何回も通っていたけど知らずに通過してしまったほどの目立たない外観だけど、中は壮麗。アルプス以北では最大の丸天井をもつルネッサンス様式の教会だそうです。左側には、日本で殉教したキリシタンを描いた絵画も飾ってあります。そして、右側の階段を降りると、かのルートヴィヒ2世のお墓があります。ここだけ有料。彼だけでなくほかの王家の人たちも眠っているのですが、やはり彼は圧倒的な知名度があるのでお花もたくさん捧げられていました。彼がいなければワーグナーの作品も、ヴィスコンティの映画も、ノイマイヤーの「幻想 白鳥の湖のように」もなかったので、お祈りしてきました。

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さて、短い観光を終えてバスでザルツブルグへ。ザルツブルグへ向かう窓の外には、菜の花畑が広がっていました。まずはウィーナーシュニッツェルとザッハトルテのランチを頂いた後、市内観光。ザルツブルグは音楽の街だけあって、音楽院からはピアノやヴァイオリンを練習する音が聞こえてきます。モーツァルトの生家やカラヤンの家などを通り抜け、小さな看板が美しい旧市街を散歩し、「サウンド・オブ・ミュージック」に登場した噴水を見たり。本家モーツァルトチョコレート(このチョコレートを発明した)「Fuerst/フュルスト」でチョコレートも買いました。あまりゆっくりはできなかったけど、お天気も良くて、ヨーロッパに来たんだと実感しました。さすがにザルツブルグは観光客がとても多いです。音楽祭の時に行ってみたいなと思いました。

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そしてバスは、一路スロヴェニアに向けて走ります。窓から見える壮大なオーストリアアルプスの眺めがとても美しいです。日が傾いたころ、なんだか複雑な田舎道をたくさん通り、田園風景の中のスロベニア、リブノのホテルに到着しました。

車窓からのオーストリアアルプスの眺め

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2013/09/23

ロシア旅行の記録 その3(トレチャコフ美術館)

2日目は、一番行きたかったトレチャコフ美術館へ。

地下鉄のトレチャコフスカヤ駅を降りる。行き方の表示はロシア語しかなかったけど、人の波について行ったら到着した。

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ここは、入場料の他に追加料金を払うと、写真撮影も可能だ。追加料金を払うと、カメラの絵が描かれたシールをもらうので、これを胸に貼って目印にする。午前中に行ったのでそれほど混雑していなかったけど、観終わった頃にはかなり混んできた。地下のカッサ(切符売り場)でチケットを買ったあと、英語の地図をもらい、2階まで上がって、2階から1階の順で見学する。絵の個別の説明はロシア語のみだけど、日本語のガイドブックは地下の売店で売っている。

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ここは18世紀から20世紀のロシア絵画の殿堂。以前、トレチャコフ美術館展、そしてレーピン展が日本で開かれたのでお馴染みの作品も多い。何しろ、キリル文字による絵の説明が読めないので、誰の作品なのか、知っているえじゃないとわからないのが辛いんだけど、でも壁を埋め尽くす作品の数々には思わず見入ってしまう。

有名な作品の第一弾は、オレスト・キプレンスキー作の「詩人アレクサンドル・プーシキンの肖像」。もちろん、「エフゲニー・オネーギン」「スペードの女王」でお馴染みの作家。画家の名前は知らなくても、プーシキンの肖像画ではいちばん有名な絵です。

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そして、ウラジーミル・ボロヴィコスキーの「ロブヒナの肖像」。このあたりは、肖像画が多い。

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うまく撮れなかったけど、ドラマティックな「公爵令嬢タラカノワ」コンスタンティン・フラヴィツキー

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この美術館でもっとも人気があるコーナー、移動派、特にクラムスコイの作品が一堂に集まっている。観光客の人だかりも多い。特に中国人の観光客が目立つ。

「忘れえぬ女」(見知らぬ女)イワン・クラムスコイ。この女性のまなざしに惹きつけられない人はいないだろう。

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クラムスコイの作品はほかにも傑作が。
「荒野のキリスト」クラムスコイ
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「月光」クラムスコイ
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あまりにも美しいので、思わず立ち尽くしてしまった。

ロシアの移動派後期、19世紀のミハイル・ヴルーベリの部屋も圧倒的だった。怪奇と幻想が織り成す象徴主義的な世界。

幅14メートルもある大作「幻の王女」ヴルーベリ
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「座るデーモン」ブルーベリ
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2階最後は、去年日本でも素晴らしい展覧会が行われたイリヤ・レーピン。
「皇女ソフィア」Bunkamuraで観たときにはとても大きな絵に感じたのだけど、広いトレチャコフではそこまでのサイズは感じず、でもやっぱり圧倒的な迫力。
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「眠るヴェーラ・レーピナ」。レーピンの妻に寄せる愛情が伝わってくる。
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2階は19世紀末から20世紀絵画が集まっていて、それほど有名な作品はないのだけど、それでも素晴らしい作品が多い。

「桃を持った少女」ヴァレンチン・セローフ
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「セルフ・ポートレート」ジナイーダ・セレブリャコーワ

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この他にイコン画のコレクションも素晴らしい。

シャガールやゴンチャロワ、マレーヴィチ、カンディンスキーなどの20世紀作品は、新館の方にあるということで、今回は観ることができなくて残念だった。しかし、圧倒的なクオリティのロシア美術を一身に浴びることができて、本当に幸せだった。

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地下には売店があるのだけど、日本の美術館と違うところは、ミュージアムグッズが少ないこと。特にポストカードはまったく売っていない。マグネットなどはあるのだけど。なので、ポストカードは日本で展覧会が開催される時に購入するのが良いと思う。日本語、英語のガイドブックなどは売っていた。

美術館正面にある、パーヴェル・トレチャコフの銅像。モスクワの豪商だった彼は、弟のセルゲイとともにロシア美術を専門に収集したコレクターだった。レーピンの描いた彼の肖像画も、この美術館に飾られている。
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大好きなレーピンやクラムスコイの作品を、本場トレチャコフ美術館で観ることのできた喜びは大きく、感動で震えっぱなしだった。

2013/09/11

ロシア旅行記その2 (到着)

アエロフロートのフライトは、なかなか快適でした。機体も新しく、エンターテインメントも充実。機内食も悪くなかったし、キャビンアテンダントは皆美人。ソチオリンピックのオフィシャルスポンサーということで、ブランケットなどにもソチのロゴが使われていました。

シェレメーチエヴォ国際空港の入国審査も思ったより簡単に通ることができました。(念の為にバウチャーのコピーも用意したけど見せろとは言われなかった)。空港からの足、心配だったので最初は送迎を手配しようとしたのだけど、ギリギリに動く悪い癖でタイミングが悪く、手配できませんでした。空港では白タクの人がたくさん声をかけてくるし、タクシーに乗るとぼられるともっぱらの噂だったしロシア語ができないので、結局アエロエクスプレスを利用。45分くらいで市内まで運んでくれる高速鉄道です。
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アエロエクスプレスの終着駅はベラルースキー駅。空色の美しい駅舎で、キリル文字で駅名が書いてあってロシアに来た、と実感します。ところが、ここからメトロの駅に行くまでが一苦労。メトロの駅がどこにあるのか、皆目見当がつかないので、荷物を持ってウロウロしてしまいました。ようやく見つけたけど、ここが駅だよという標識もわかりにくいし、英語の表記は一切なし。Mというメトロのロゴで、これが地下鉄なんだとわかった次第。ベラルースカヤ駅はメトロは2路線走っていて、どちらを使ってもホテルの最寄駅には行けるのですが、どっちの線のホームにたどり着いたのかもわからず、遠回りの環状線の方に乗ってしまいました。行き先も、駅名表示もすべてキリル文字なので、ガイドブックに載っている路線図のキリル文字表記と照らし合わせて、どっちの方向へ行く電車なのかも判断しました。

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モスクワのメトロの駅は立派です。非常に深いところにあり、高速エスカレーターで降りていきます。内装は実に重厚で荘厳で、天井や柱には色々な彫刻が施されています。共産主義を感じさせるモチーフも多数だし、建築としても魅力的です。ホームの壁に書いてある駅名の書体ひとつとっても、かっこいい。地球の歩き方に、地下鉄駅は撮影禁止、と書いてありましたが、トリップアドバイザーを読むと今は写真を撮ってもいいということで、実際、赤の広場の最寄駅などでは、観光客がいっぱい写真を撮っていました。メトロの切符は自動販売機で買えて、英語表記に替えて買うことができるのでまあまあ便利です。1回券が20ルーブルと安い。

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最寄駅のパヴェレツカヤ駅は、メトロのパヴェレツカヤ駅と、もうひとつのドモジェドヴォ空港からの電車が到着するパヴェレツキー駅が離れていて、地下道で結ばれており、ホテルに行くにはこの地下道を通らなければいけません。寂れた感じのお店が並んでいますが、地下道の入口には物乞いなどもいます。なんとこの日、若い妊婦の物乞いを二人も見かけました。駅前はとても雑然としていて、ちょっと緊張しました。

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一方で、駅前の瀟洒な(いかにもロシア的な表現主義的なデザイン)の高層ビルの一階には、スターバックスやル・パン・コティディアンなども入っています。モスクワは、マクドナルドやサブウェイなどのファストフードはかなり見かけました。

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ホテルまでは10分ほど歩きました。道はガタガタです。駅からホテル近くまでの路面電車もあるのですが、乗り方がわからなくて使いませんでした。途中には、ロシア正教のイコンを壁面に描いた教会もありました。でも中心部から2駅と割と近いところなのに、緑も比較的多くて、悪くない環境です。ホテルはモダンで清潔で、部屋も無料Wi-Fi、セーフティボックス、液晶テレビなどが揃っていました。ちょっと部屋が寒かったですが禁煙ルーム。フロントの人はちゃんと英語を話して感じよかったです。ロシアに到着すると、ホテルはビザの届け出をする必要があるので、一回手続きのためにパスポートを渡します。

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ただ、ロシアって、分煙があまり進んでいなくて、ホテルのロビーにあるバーでもタバコが吸えてしまうのですよね。ホテル内のレストランも高いので結局一回も使いませんでした。

ロシア旅行の記録 その1 準備編

7月にボリショイ劇場でバレエを見るためにモスクワに行ってきました。ロシアはなかなか行くのに決心がいるところなので、そのへんの記録を書いてみようと思います。

準備編

ビザ申請

ロシア旅行にはビザが必要です。このビザ取得が結構面倒なのです。必要なアイテムとしては、申請書(ロシア大使館のサイトにオンライン査証申請フォームがあるので、これに記入してプリントアウトして持参)、顔写真、パスポート、そして招待状(バウチャー)です。バウチャーですが、ツアーなどの場合には旅行会社が発行しますが、個人旅行の場合は自分で入手しなければなりません。滞在先のホテルに発行を依頼するか、Get Russianなどの空バウチャーを発行してくれる会社に頼むか(30ドルくらいでやってくれます)。私は、結局予約していたホテルに英語でメールを送って発行してもらいました。ところが、このバウチャーは書式がロシア語のため、Reference numberとかConfirmation numberなどがどこに書いてあるのかなかなかわからず、けっこう難儀です。また、ビザ申請の時点でいつまでの滞在かを決めておかなければなりません。

http://visa-russia.jp/ex-ol/http://visa-russia.jp/ex-ol/
などに記入例があるのでご参考までに。

そして、ロシア大使館(東京以外にも領事館があるので、サイトでご確認ください)に申請に行くわけですが、まずこのロシア大使館のビザ申請は、月曜日から金曜日までの9時30分から12時30分までしか空いていません(別にロシアの祝日などで休みになることも)
詳しくはこちら ロシア大使館のサイトでご確認ください。
http://www.rusconsul.jp/hp/jp/visa/visa.html

麻布のロシア大使館に書類を提出しに行くと、なんと30人くらい人が待っています。夏はロシアの観光シーズンですからね。窓口は3つあるのですが、1つはお金を払ったりビザを受け取るための専用窓口なので実質的には2つしかありません。結局1時間半らい並んで、やっと受け付けてくれました。

費用ですが、ビザをいつ受け取るかによって値段が違ってきます。2週間後なら無料、1週間後なら3000円、翌々日が8000円、翌日なら24000円!です。私は、申請した日の週末に韓国に行く予定があってパスポートが必要だったので、翌日ピックアップにせざるを得ず、結局大きな出費になってしまいました。翌日そういうわけでもう一度出向いて行って、無事ビザを入手しました。

大使館にビザを申請したり取りに行く手間などを考えると、旅行会社等にお願いして代行で取ってもらった方がずっと便利かと思いますが、面倒さえ厭わなければ難しくはないです。


ボリショイ劇場のチケット

ボリショイ劇場では「オネーギン」を観ました。キャストが出てからチケットを買ったのですが、ヴィシニョーワとゴメスの回はソールドアウト。シュツットガルト・バレエ組の日と、オブラスツォーワとホールバーグの日のチケットを取りました。ボリショイ劇場のオフィシャルサイトから買いましたが、席は選べるし購入ページは英語なのでそんなに難しくはなかったです。ただ、一番高いカテゴリのチケットしか残っていなくて(そしてセンターブロックは売り切れ)、7000ルーブルでした。(1ルーブルが3円なので、21000円)演目によってチケットの値段が違うそうで、「白鳥の湖」は12000ルーブルだそうです。PDFでチケットが買えましたというメールが送られてくるので、それをプリントアウトして、当日窓口で引換えます。(ちなみに10月にも「オネーギン」はありますが、チケットは全公演ソールドアウトのようです)

航空券とホテル

航空券は、値段と乗り継ぎ時間などを考えて、SkyScannerで出てきたフライトから、Expedia経由で行きは大韓航空の仁川乗り継ぎアエロフロート、帰りは大韓航空でやはり仁川乗り継ぎ。アエロフロートやJALの直行便もありますが、値段は高いです。週1でトランスアエロ航空の直行便もありますが、安いのですが日程が合いませんでした。

ホテルは、Booking.comで検索して値段が安めでクチコミも良かったIbis Moscow Paveletskayaに。欧州系のチェーンホテルで、ボリショイ劇場や赤の広場がある地下鉄駅から2駅のパヴェレツカヤ駅が最寄りです。ボリショイ劇場近くのマリオットが劇場関係者の皆様が泊まるようなのですが、モスクワ中心部のホテルは猛烈にお高いのです。今回のホテルは、バウチャー発行などは快く無料でやってくれましたが、宿泊の保証のために、クレジットカードの画像をスキャンして送らなくてはなりませんでした。(裏面のコードは付箋で塞いで隠すようにとの指示)

ロシアのガイドブックは、地球の歩き方くらいしかないのですが、けっこう記述に嘘が多いのでご注意。ビザを個人で取るのはほとんど無理とか、地下鉄の撮影は禁止されているとか、そういうのは間違いなので…。ただ現実問題、日本語のガイドブックはこれくらいしか出ていないので(あとるるぶロシアも出ていますが)、一応目を通しておいて、トリップアドバイザーやフォートラベルなどで情報収集するのが良いかと思います。

ただ、「地球の歩き方 ロシア編は、新装となったボリショイ劇場の内部について詳しく書いてあったり、ロシア・バレエについて、元ボリショイ・バレエの岩田守弘さんによる詳しい解説があるので、バレエファンにとっては、読み応えのある記事もたくさん載っています。

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2010/11/25

テディベアのふるさとギーンゲンへ

観に行ったバレエの感想を書く余裕がなかなかない(というか時間が経ちすぎてもはや記憶が怪しい)ので、まずは旅行記でお茶を濁しているこのごろです。

10月始めにシュツットガルトに行ったときに、半日を使ってギーンゲンという小さな町に行ってきました。ギーンゲンには、テディベアで有名なシュタイフ社の本社があり、本社にちょっとしたミュージアムがあるのです。場所的にはシュツットガルトとミュンヘンのちょうど中間くらいですが、アーレンもしくはウルムで乗り換えて片道1時間半~2時間くらいかかるちょっと不便なところです。前日にシュツットガルト中央駅に行って切符を先に買って来ました。DB(ドイツ鉄道)の窓口の人はとても親切で、希望の時間帯の電車時刻表と乗り換えホームを印刷した紙を渡してくれます。

乗り換え駅のアーレンで、乗り換える電車が来る予定の線路に別の目的地に向かう前の電車が遅れて到着した関係で、到着するプラットフォームが替わってしまい(ドイツ語のアナウンスを聞きそびれ)、乗換えそびれて1時間何もない駅で次の電車を待つ羽目になりました。

ギーンゲンはこんな可愛い町
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さて、ギーンゲンの駅は無人駅ですが、駅舎からすでにクマちゃんの絵が描いてあります。駅前にはシュタイフ本社までの案内板があり、ドイツ語、英語、そして日本語でも案内が書いてあります。しかもシュタイフまでの行き方は、クマの足跡マークで表示されているので誰でも簡単にたどり着けます。

シュタイフの本社
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ミュージアムでは8ユーロの入館料を払って、ちょっとしたアトラクションを見ることができます。たまたま私たちが来たときは空いていたので、なんと日本語の音声で貸切でやってくれました。シュタイフ社の生みの親マルガリーテ・シュタイフの部屋から始まって、テディベアがどうやって生まれてきたか、そして世界中に広がって行ったかを見せてくれます。一生の中でこんなにたくさんのクマちゃんを見たことがないってほどたくさん見られます。どれもとーっても可愛い!
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アトラクションの後には、すべてシュタイフのぬいぐるみでできた動物園のようなところになります。シュタイフではテディベアだけでなく、ほかのぬいぐるみもいろいろと作っています。これらの動物はとても大きくて、小さな子供は自由にその動物によじ登って遊ぶこともできます。

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シュタイフ社の歴史と、年代ごとに生産されたテディベアやぬいぐるみたちも年代順に見ることができます。
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それから実際にテディベアを作ってるところも見せてくれます。


最後にはもちろんショップがあり、市価より若干安く取り扱っていますが、もともとシュタイフのテディベアは高価です。
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その中でも一番安い部類のクマちゃんを一匹連れて帰りました。
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館内全体で、もう悶絶しそうなくらい可愛いディスプレイがされています。
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町の中もクマだらけ
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他にコレクターズアイテムを集めたお店やアウトレットショップもあるのですが、これ以上散財してはたまらないので、見ないで帰りました。ちょうど私たちが帰るくらいの時間に、観光バスが何台も乗り付けて館内は混雑して来ました。

帰りの電車に乗ると、途中の駅から次々と、民族衣装を着用した酔っ払った男女が乗り込んできます。そんな人たちが車両の多数派を占めるくらいに。ちょうどオクトーバーフェストの時期であり、本場ミュンヘンの近くまで来ていたことを忘れていました。女性が着るドイツの民族衣装は可愛いんですけど、男性のはとっても微妙・・・。

なお、シュタイフのミュージアムが2011年6月新千歳空港にできるそうです。いつかそちらにも行ってみたい!
http://www.tokyo.diplo.de/Vertretung/tokyo/ja/03__Bo_20Aktivitaet/Aktivit_C3_A4ten/2010/SteiffPK.html

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