書籍・雑誌

2009/09/06

『薔薇族』編集長 伊藤文学

日経ビジネスオンラインに書かれていた書評「ノンケな『「薔薇族」編集長』がゲイ雑誌を創った理由」を読んで、興味を持った一冊。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090706/199450/

「薔薇族」という同性愛者向けの雑誌がかつて存在していたことは知っていたものの、手に取ったこともなければ、読んだこともなかった。だが、この本を読むと、一度は読んでみるべき雑誌だったのだろうと思わされる。実はゲイの友達も多いので、この分野には関心が強かったのだ。で、読んでみて、いかに自分が彼らについて理解していなかったというのがわかってしまった。

1971年に「薔薇族」を創刊した伊藤文学氏は、ノンケ(ヘテロセクシャル)の男性で、父親が細々と営んでいた出版社を生き残らせるためにさまざまな本を出版する。「ひとりぼっちの性生活」という真面目なオナニーの本がヒットし、その本に質問や悩み事を受け付けると奥付に書いたところ、数々の反響の中で、男性を想ってオナニーをしているという手紙があった。それを読んで、伊藤氏は、同性愛者という人々がこの世に存在し、彼らも自分と同じような悩みを抱えていることに気がつく。オナニーが罪深いものであると思って悩んでいた若き日の自分と、相談者を重ね合わせたのだ。そこで、彼は、同性愛者向けの雑誌を出せば彼らの気持ちもすっきりするのではないかと思いつく。

同性愛者の協力者を得て、さらに紆余曲折を経て創刊した「薔薇族」の反響は大きく、初版1万部を売り切るほどだった。最初はグラビアのモデルになってくれる男性を探すのも難しく、女性を撮影しているカメラマンを使ったりして苦労したとのこと。
自分は精神異常なのではないかと悩んでいたが、「薔薇族」を読んで、世の中には同性愛者がたくさんあることを知って安心した、という手紙も来た。

創刊号には「きみとぼくとの友愛のマガジン」と表紙に書いてあるように、読者との交流に大きな意味を持たせた雑誌ということでも画期的だった。発売されてからは次の号を待ちわびる読者からの電話が毎日のようにかかってきたし、読者を編集部に読んでのパーティ、高校生の座談会、電話相談室、愛読者旅行などさまざまな企画が行われた。文通欄には多くの掲載希望者からの手紙が舞い込んだ。一時期は「祭」という店を新宿に開き、多くの読者でごった返した。とにかく伊藤氏は、読者との交流をこの上なく大事にしていたというのが、伝わってくる。

本の中では、多くの読者からの手紙が紹介されており、愛のかたち、結婚のかたち、そして悩みも本当にさまざまであることがわかる。少年愛、百合族、中年専門の人など。読者の職業で最も多いのは教師だったそうだ。「薔薇族」を書店で万引きしたところ、見つかってしまい飛び降り自殺した高校生の痛ましい話などもある。また、薔薇族の青年にあこがれる女性たちも登場する。(今で言う腐女子に近いものだろうか)

また、多くの才能が「薔薇族」の中でひっそりと才能を咲かせた。男性の写真を撮っては売り生計を立てていた、誰も本名を知らない「オッチャン」、表紙を飾った絵を描いたアーティストたち、小説家たち。メーンストリームの世界では有名にならずとも、この本で紹介されている彼らの作品(特に、いわゆる「男絵」というカテゴリのイラスト)はどれも美しい。何回も警察に呼び出されては発禁処分を受けながらも、腹をくくった伊藤氏は屈することはなかった。

『薔薇族』を取り巻く世界も、時代の流れを必然的に受けてきた。オウム真理教信者で逮捕された青年が売り専をしていて、彼に恋をした男性の投稿があった。日航機墜落事故に恋人が乗っていたという男性からの痛ましい手紙。そして、この雑誌が創刊されてからのもっとも大きなトピックスは、AIDSの上陸だった。「薔薇族」は、この病気についていち早く医師らのインタビューを掲載したり、読者に検査を受けてもらう企画を立てたり。後に伝説的な名作とされるホモビデオの製作もした。

80年代になると、伝言ダイヤルなどの新しいサービスが始まったり、93年ごろにはゲイビジネスが花盛りとなった。この本「『薔薇族』編集長」は2001年に単行本として発行されたのだが、インターネットなどで手軽に同じ嗜好の人たちに出会えるようになる時代となり「薔薇族」は2004年には休刊する。復刊を遂げたものの、再び休刊し、現在は伊藤文学氏が個人で発行をしている。(伊藤文学氏は、現在はブログを開設してこまめに更新を続けており、「ご感想・ご相談はこちらへ」とメールでの相談を受け付けているなど、今でも積極的に交流を行っている)http://bungaku.cocolog-nifty.com/

同性愛者ではないにもかかわらず、彼らの気持ちに寄り添い、全力で雑誌を支え続けた伊藤文学の記録、読み終わった後にはなんともいえない感動がある。と同時に、日本における同性愛カルチャーの記録にもなっている本である。「自分は一人ではない」という思いを共有させ、勇気付けてきたということはすごいことだと思う。

松岡正剛の千夜千冊での紹介も(当時の誌面やグラビア、イラストなどの紹介もあり)ぜひご覧いただければ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1208.html

『薔薇族』編集長 (幻冬舎アウトロー文庫)『薔薇族』編集長 (幻冬舎アウトロー文庫)

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2009/04/14

ファッションから名画を読む 深井晃子

人物画を観るというときに、私たちは何を観ているのだろうか。もちろん、その人が何を着ているのか、意識はするけれども、どれほど注意深く観ているのか。ときどき、ちゃんと観なくてはならないものを見落としている、と感じることがある。

裸体画でない限り、人物は何かしらの服を身に着けている。そして、それらの服装こそが、その人物がどのような社会的な地位を持った人間で、どの時代にどのように生きていて、その時代とはどんなものだったのかというのを語るものだ。

というわけで、服飾史の専門家である筆者が、ファッションを通して、ルネッサンスから19世紀初頭までの美術史について語ったのが、この本だ。ファッションと言うと軽く聞こえるけど、服装には、その時代の社会情勢や政治までもが見えてくるところがある、とこの本の前書にはある。

もっとも有名な絵画の一つであるレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」が、黒いドレスを着て、ヴェールをかぶっているのはなぜか。そして、モナリザ・スマイルを浮かべているのはなぜか。そんな永遠の疑問から始まる。

フィレンツェのウフィッツィ美術館にある、ブロンズィーノの「エレオノーラ・ディ・トレドと子息ジョヴァンニ」では、コジモ一世の美しい妻エレオノーラが、大胆で凝った唐草文様のビロード織りのドレスをまとっている。この精緻で華やかな絵画は、メディチ家の権勢を誇示すると共に、フィレンツェの優れた繊維・織物産業と芸術文化を内外にアピールするために描かれたものだという。

マリー・アントワネットが好んだという木綿の白いドレス。イギリスで綿モスリンが流行したのがフランスに入ってきたのだ。しかし、モスリン・ドレスは寒いフランスの冬には薄すぎて、スペイン風邪を引いて死ぬ婦人が続出。すると、今度は高価なカシミアのショールが流行する。カシミアのショールを流行させたのは、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ。彼女がカシミアショールを肩にかけたり、膝にかけたりドレスのように着ている肖像画がいくつも残されている。

面白いのが、色と染料の話。ティツィアーノの「改悛するマグダラのマリア」のマリアは、なぜ縞模様の服を着ているのか。それは、彼女が娼婦であるということを示しているから。中世ヨーロッパにおいては、2色以上を使った縞柄は、社会からのはみ出し者のしるしだった。囚人服が縞模様なのも、そのような意味があったわけだ。

かつて、染料というのは高価なもので、フェルメールの「ターバンを巻いた少女(真珠の耳飾りの少女)のターバンに使われているブルーは、高価なウルトラマリンだった。アフガニスタンで採れるラピスラズリを砕いて作ったという。ブルーの染料は、大航海時代を経て、もう少し安いインディゴが入ってくる。だが、色を手に入れるためにその時代、人々は命すらも賭けた。そこまでして、色というのは魅惑的な存在だったのだ。そして、19世紀に合成染料が誕生したことで、服装史も美術史も大きく変わっていく。19世紀後半から、黒がファッショナブルな色としてもてはやされるようになるのも、合成染料の発達で、美しい黒を作り出すことができるようになったからということだ。

19世紀半ばには、パリの都市計画の発達に伴い、モードが出現する。ルノワールが描いたその名も「パリジェンヌ」という作品があるが、街を闊歩し劇場や舞踏会に現れるファッショナブルなパリジェンヌたちの姿を、ドガやマネ、モネ、モリゾらが描いた。そして、社交界とは別の、裏社交界=ドミ・モンドの女性たち=高級娼婦も登場する。美貌と才知で社交界を渡り歩いた彼女たちは、流行の先端を走っていた。まさに、「椿姫」の世界だ。印象派の時代の絵画は、女性たちの華やかな服装に目を奪われる。庶民の女性たちも、生き生きとしていて精一杯のおしゃれをしているのが感じられる。

この本の中でひときわ目を奪われたのが、ジョルジュ・クレランによる、伝説的な女優、サラ・ベルナールの肖像。ほっそりとした長身を優雅にくねらせてソファに腰掛けている彼女のなんとゴージャスなこと。細身を際立たせる白い絹のドレスがまた美しい。19世紀には、拷問器具のようなコルセットも登場し、細いウェストがもてはやされる。コルセットや下着姿の女性の絵画も見られるようになるが、これらのモデルの多くは高級娼婦であった。

20世紀初頭は、バレエ・リュスが一世を風靡する。もちろん、バレエ・リュスのことは知っているわけだし、ピカソやシャネル、ローランサン、ルオー、コクトーといった名だたる芸術家やデザイナーが関わっていることも知っている。だけど、バレエ・リュスがこれほどまでの一大センセーションをモードにもたらしたとまでは思っていなかった。レオン・バクストの独創的な舞台装置と衣装、そしてニジンスキーの超人的な踊り。

「バクストは、バレエ・リュスという舞台を絵筆だけでなく、色彩をまとわせた素晴らしい踊り手たちの躍動する身体という絵筆も使って立体的に描き出した。彼は、いわば動く絵とでもいうパフォーマンスとして、より現代的な作品を作り上げた」

バレエ・リュスが現代美術のアートでパフォーマンスと呼ばれるものの先駆けであった、それはもしかして常識なのかもしれないのだけど、個人的にはちょっと新しい視点で、面白かった。

写真が登場し、服が大量生産のものになってきて、モードを描いた美術作品は激減する。だけど、過去の美術作品に描かれた服装が、今も様々な芸術のインスピレーションの源になっているのはいうまでもない。服装は今も、時代や社会を映す鏡だ。絵画だけでなく、舞台芸術を観る際にも、もっと衣装に注目しようと思った次第である。豊富な図版はすべてカラーで、数々の名画に登場する女性たちの服装を見ているだけでも楽しい。

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2009/04/12

デュマ・フィス 「椿姫」 Alexandre Dumas, fils La Dame aux camélias 

椿姫 (新潮文庫) (文庫)
デュマ・フィス (著), 新庄 嘉章 (翻訳)

このとても有名な小説を未だ読んでいなかったので、ハンブルク・バレエの来日公演が終わってすぐ、新潮文庫版を買った。とても読みやすくて、あっというまに読み終えた。単なるメロドラマではなく、若書きの情熱がほとばしっていると共に、どんな人間も持つ暗い側面も描いていて深い作品だ。

ノイマイヤーは、ストーリーそのものは原作にかなり忠実にバレエ化している。マルグリットは、唯一最期を看取ったたった一人の友人ジュリー(バレエでは、侍女ナニーヌ)の他には誰に知られることもなく、窮乏した上に寂しく死んでいった。マルグリットの遺品のオークションから始まり、そして彼女が遺した手記をアルマンが読んでいく、というところまで同じ。

主人公二人のキャラクター設定はだいぶ違うところがあると感じた。一言で言うと、ノイマイヤーは優しい人なのだろう。原作のシビアで人間の本質を抉り出すようなところは省かれ、より主人公たちに感情移入できるように、そして彼ら二人にフォーカスできるようにキャラクターを作りあげたと感じた。

設定上、マルグリットは原作では20歳そこそこの若い女性だ。アルマンのことを一途に愛し、そしてその愛ゆえに苦しみ、孤独の中で死んでいくというところは同じだが、彼女が日記に綴った言葉を読むと、こんなに年若い女性が、ここまでの分別と知性を持ち合わせることができるのだろうかと思う。

そう考えると、ノイマイヤーがバレエ化に当たって、マルグリットを決して若くはない、むしろかなり年嵩の女性としたのは正しいと言える。原作の持つ残酷さを上手く転化してる数少ない場面。それは、病に臥せっているマルグリットが、衰えた姿に派手な化粧をし、ふらふらと観劇に出かけていくところだ。ノイマイヤーは映像では、若くはないマリシア・ハイデに化粧を落とさせて、素顔をさらさせている。

****

「椿姫」を一種の聖女物語と理解している人は多いと思う。悔い改めた娼婦、マグダラのマリア的なイメージだ。
だが、マルグリットは決して聖女ではない。

小説「椿姫」を読んで印象的だったのは、お金に関する記述の多さだ。マルグリットのパトロンは年収がこれくらいで、アルマンはこれくらいと。そしてマルグリットは月額いくらいくらのお金を浪費する贅沢好きの女として描かれている。そして、毎晩、宴から宴へと渡り歩く狂騒のような日々。アルマンを長時間部屋の外で待たせたりする。アルマンは、彼女が湯水のように使うお金を得るために、ギャンブルに手を出す。

二人が田舎に隠棲して、それがパトロンの伯爵に見つかってしまい、伯爵との関係を絶とうとするときに初めて、マルグリットはお金に対する執着を捨てて、質素に生きようとする。ところが、アルマンの父が二人の関係を引き裂き、再びマルグリットは華やかな日々に舞い戻る。しかしながら彼女の病が悪化し、パトロンたちの財政状態が悪化し、ついにマルグリットの部屋には情け容赦のない借金取りたちが現れ、病床の彼女を苦しめる。死の床にあっても、借金取りたちが彼女が出てくるのを待ち構えているような状態だ。

アルマンを深く愛しながらも、マルグリットは華やかな生活に対する執着、美しいドレスや宝石への執着が捨てきれない。(だからこそ、マノンに彼女は感情移入するわけだ)死を目前にしてようやく、彼女は純粋に愛そのものに転化していき、清められていく。そのあたりの心情の変化を綴るところが、この作品の白眉と言える。苦しみながら最期を迎えても、魂そのものは清められたということでは、この作品には救いがある。

マルグリットの友人である元娼婦のプリュダンス。ノイマイヤーの「椿姫」でも彼女は、マルグリットには親切そうに接しながらも、ティーセットを盗もうとしたり、マルグリットが伯爵につき返した宝石を拾って持って帰ったりと手癖が悪い女性として描かれている。小説のプリュダンスは、さらにお金に汚い年増女である。美しいクルチザンヌとして名高いマルグリットの名前を利用して方々から借金をして、結果的にマルグリットの借金が雪だるまのように膨らんでいく。そしてマルグリットが病に倒れてからは、足が遠のき、ついに見舞いにも来なくなる。

その美しさでパリの裏社交界の名花としてあがめられたマルグリットが、死の床についてからは忘れ去られ、見舞う人すらいない。人間というのは現金なものである。アルマンへの想いと少しの恨み言、孤独のつらさ、病の苦しみを切々と綴っている彼女の日記。やがてペンを握る力すら残されなくなり、最期を看取った友人ジュリーが代わりに彼女が亡くなるまでの様子を記している。マルグリットの臨終の、果てしなく続くような、身を切り刻まれるような苦しみまでも。

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P1010315s
(モンマルトル墓地にある、デュマ・フィスのお墓)

一方、アルマンはノイマイヤーが描いたアルマンよりもさらに直情的で、激情的で、若さがほとばしるイメージ。小説では、語り手である「私」が、偶然入った競売会場でマルグリットの遺品の「マノン・レスコー」を落札し、マルグリットの死を知ったアルマンがその「マノン・レスコー」の落札主を探して求めて「私」に出会うところから始まる。「私」に、アルマンがマルグリットとの出来事を語るという構成だ。

強烈なインパクトを残す序章に、アルマンのエキセントリックさが凝縮されている。アルマンはマルグリットの死が信じられず、彼女が本当に死んだという確証を得るために、彼女が葬られている墓を開けて、すっかり朽ち果てているマルグリットの遺体と対面するという凄まじい行為にまで出てしまう。「私」のもとにアルマンがやってきたときの様子からして尋常ではない。「金髪で背の高い、青ざめた顔色をした旅行服の青年で、その服は数日以来着たままらしく、ほこりにまみれていた」 「非常に興奮した様子で内心の動揺を隠す様子もなく、両目を涙にうるませ、声をふるわせながら私に言った」「マノン・レスコー」の本を渡すと、「「たしかにこれです」そう言ったかと思うと、二粒の大粒の涙が開かれたページにぽたぽたと落ちた」

デュマ・フィスがこの小説を書いたのは、24歳という若い時だった。いかにも若い作者が書いたと思える、火傷しそうな情熱がほとばしるような筆運びだ。理想主義者で、正義感に溢れている青年でありながらも、若さの持つ思慮の浅さ、人間としての未熟さ、残酷さ、向こう見ずさが鮮やかに伝わってくる。中でも、マルグリットに捨てられたと思い込んだ彼が、あてつけのようにオランピアと付き合い、マルグリットが苦しむ様子を見ながら喜び、悪口を言いふらすことまでするというむごい仕打ちを幾たびも繰り返すところは、あまりにも辛く、切り刻まれたマルグリットの思いが伝わってきて胸が苦しくなった。アルマンは、そうすることについて罪の意識すら持たず、自分がいかにマルグリットに傷つけられたかということだけを考え、復讐するかのように彼女の心の傷をさらにえぐる。

アルマンが長い物語を「私」に語り終えた後では、あんなにも激しくそして泣き上戸だった彼が、哀しげではあるものの元気を取り返していたということにも、救いがある。ノイマイヤーの「椿姫」の終幕で、マルグリットの日記を閉じたアルマンが、沈痛ではあるが、少し晴れやかな表情を見せていたのと同じ印象だ。

この小説に登場する聞き役の「私」は、ノイマイヤーの「椿姫」では、観客に該当する。

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「椿姫」という小説は、人間の美しさと醜さを、鮮烈な筆致で生き生きと描いた作品である。ノイマイヤーの「椿姫」は観たけど原作は読んでいない、という人にはぜひ読んで欲しいと思った。この小説に、ここまでの深さがあるとは思わなかったのだ。何度も繰り返し読みたくなるような一冊だ。

そして、この原作の登場人物に近いのはどのダンサーだと、あれこれ想像するのも楽しい。サーシャ(アレクサンドル・リアブコ)は、とても純粋で思いつめるタイプだが、ノイマイヤーがこの作品に加えた優しさを感じさせ、原作のアルマンの残酷さはないように思える。マリシア・ハイデの映像でアルマンを演じているイヴァン・リスカは、背が高く金髪ということで外見的にはかなり近い印象。今のダンサーで言えば、やっぱり金髪のマリイン・ラドメーカーが原作のイメージに近いと思う。マチュー・ガニオも容姿的にはぴったりだと思うけど、ちょっと優しすぎるかな。

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2009/02/17

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」

アンデルセンの「人魚姫」

ハンブルク・バレエの「人魚姫」の15日のマチネの続き、ソワレの感想の続きを書こうと思っていたのですが、今日の夕方からまた寒くなり、そして土日で3本バレエを観た疲れ、さらに今日は仕事でバタバタしてしまってその疲れもあって、治りかけていた風邪がまたちょっと悪化してしまいました。水、木の「椿姫」、日曜日の愛知での「人魚姫」もあったりするので、ここで治すために一時中断します。

よく考えてみたら、アンデルセンの「人魚姫」って子供のときに読んで以来、ちゃんと読んでいなくてあらすじしか覚えていなかったので、もう一度読んでみようと思いました。
「人魚姫」の1955(昭和30)年7月20日初版の翻訳(楠山 正雄訳)は、青空文庫にあるため、全文をネットで読むことができます。この翻訳のタイトルは「人魚のひいさま」となっており、独特の言葉遣いになっていますが、それがまた一層味わい深く、物語を気品があるものにしています。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000019/card42383.html

そして、金曜日に行われたノイマイヤーのトークショー(私は行くことができなかったので、内容については、Shevaさんのサイトでの詳しいレポートで教えていただきました)でも、ノイマイヤーが語ったことなのですが、「人魚姫」の結末は、今回原作を読んで初めて知ったのです。もしかして子供のときに読んでいたのかもしれませんが、すっかり忘れていました。人魚姫は、海の泡になって消えてしまうわけではないのです。

人魚は300年の命がある代わりに、その命が終わった時には海の泡になって消えてしまうことになっています。「死なないたましいというものがない。またの世に生まれ変わるかわるということがない。人間にはたましいというものがあって、それがいつまででも生きている、からだが土にかえってしまったあとでも、たましいは生きている」(「人魚のひいさま」より)

ところが、人魚姫は、自分が海の泡になって消えたと思った瞬間、"気息(いき)のなかま"の声を聴くことになります。

「あたしたちは、あつい国へいきますが、そこは人間なら、むんむとする熱病の毒気で死ぬような所です。そこへすずしい風をあたしたちはもっていきます。空のなかに花のにおいをふりまいて、ものをさわやかにまたすこやかにする力をはこびます。こうして、三百年のあいだつとめて、あたしたちの力のおよぶかぎりのいい行いをしつくしたあと、死なないたましいをさずかり、人間のながい幸福をわけてもらうことになるのです」(「人魚のひいさま」より)

人魚姫の肉体は消えますが、空気となり、そして「死なない魂」を手に入れるためにおつとめをする、つまり愛はかなえられなかったけれども、その魂はずっと残ることになるということに、この物語の救いがあるということです。ノイマイヤーの「人魚姫」では、アンデルセンの創った「人魚姫」という物語に、詩人と人魚姫の不滅の魂が受け継がれ、そして物語を通じて永久の命を得るということになります。

実は3回も「人魚姫」を観たのに、三回目にじわ~と少しだけ涙が滲んだだけで、この舞台を観て泣きませんでした。ところが、この原作を読んでみると、その語り口もあって涙が溢れてきて困りました。同時に、これは子供向けの話ではなく、大人向けの物語なのだと思いました。

ノイマイヤーの作り上げた「人魚姫」は、哀しく切なく感動的な物語では済まされず、善良さと裏腹にある残酷さ、美しさと醜さということ、そして同性愛者であった詩人の想いを人魚姫に反映された部分といった複雑な要素や人間の暗黒面、さらにはダークな諧謔性があります。性的な暗喩もあるように感じられます。だから、脊髄反射的に感動させないところがあるのです。だからこそ、彼の作品は深いともいえますが、好き嫌いは出てくると思うし、好きになれない人がいても当然だと思いました。

実は、ノイマイヤーの「人魚姫」を観たときに、私はラース・フォン・トリアーの映画を連想しました。特に「奇跡の海」と「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の2本です。「奇跡の海」は大好きな作品ですが、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は大嫌いな映画です。この2本の映画では、いずれも、ヒロインが筆舌しがたい苦難の上に死を迎えます。
ラース・フォン・トリアーは、デンマーク出身の映画監督です。

ノイマイヤーの視線の方がずっと優しいのは言うまでもありません。

******
さて、アンデルセンの「人魚姫」を絵本で読みたいと思う方もいると思います。本屋さんで探して、とても素敵な1冊に出会いました。

金原瑞人が翻訳し、清川あさみの挿画による「人魚姫」の絵本です。布とビーズやスパンコール、刺繍で「人魚姫」の世界を表現しています。人魚姫の姿を手で刺繍し、海などは幾重にも重ねられた布やレースで繊細に描き、海に反射するきらきらした光の乱反射や人魚たちのうろこはビーズやスパンコール。海の深い青のグラデーションも美しいのですが、人魚姫が人間に変身し、踊る時の彼女の王子への恋心を表す淡い赤やピンクには香りたつような幸福感が現れています。魔女の森の不気味さの中のゴシックで妖しい美しさや、光るナイフはちょっと衝撃的。そして、空気の精となった時の薔薇色の雲と夕日のような光の色には、胸を締め付けられます。一つ一つの挿画(画というよりは、まるで舞台衣装を写真に撮ったようなイメージ)が一級の芸術品で、原画というかテキスタイルと刺繍の実物をいつか見られたらいいな、と思いました。
金原瑞人さんの翻訳も、人魚姫やその姉妹たちの海での生活を生き生きと描写しています。そして人魚姫の切ない、息苦しく胸が焦がすような想いや絶望が伝わってきて、とてもロマンティックだけど胸を締め付けられます。これを読むと、やはり「人魚姫」は大人向けに書かれた、繊細な心理描写の光る小説であることがとてもよくわかります。

人魚姫人魚姫
清川 あさみ 金原 瑞人

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2009/01/25

「幸せになっちゃ、おしまい」平 安寿子

以前「SWAN MAGAZINE」の最新号のところでもちょっと触れた、作家の平 安寿子さんのHanakoに連載されていたエッセイが、本になりました。平さんは、このエッセイを読んでみた方がいれば知っていると思いますが、バレエファンであり、特にハンブルク・バレエの大ファンで何回もハンブルクに観に行かれているほどの方です。時々このブログにもコメントを寄せてくださいます。

ちなみに、平さんのペンネームは、アメリカの作家アン・タイラーから取ったものだそうで、私も大学生の頃、市井の普通の人たちの哀歓を描いたアン・タイラーの本はすごくたくさん読んだものです。ところが、今調べてみるとアン・タイラーの邦訳はすでに絶版になっているものが多いんですね。「アクシデンタル・ツーリスト」や「ブリージング・レッスン」「ここがホ-ムシック・レストラン」など、もう一度読み返したいと思っても、図書館で探してみるしかないんですね。(これらの本は、実際図書館で借りて読んだものだったけど)「アクシデンタル・ツーリスト」は映画化されて、ジーナ・デイヴィスがアカデミー賞助演女優賞もとった作品だというのに。

Hanako連載当時から、平さんのエッセイはとても面白くて元気をもらえるものだったので、よく読んでいたものでしたが、改めて読み返すと、一冊の本になっても一貫としたテーマがあってまとまっている感じです。1953年とちょっと年上の平さんですが、人生の素敵な先輩かつ友達が書いたという感覚で読める、生きるヒントが満載です。また文章の巧みなこと!

このエッセイでも書いてあるように、雑誌で紹介されている女性というのは、たいてい、すごいキャリアがあって、家庭もあって、美しくて大成功を収めている人たちです。でも、私たちはそんな成功談を読みたいのではありません。「その他大勢だけど、いい仕事をする」という人に魅力を感じるというのはすごく納得です。平さんの小説に出てくる人たちは、不器用で、ときにはみっともないこともあるけど、夢に向かって生きている人が多い気がします。全部読んだわけではないんだけど。そしてこの本では、若い頃の平さんの失敗談もたくさん出てくるし、さまざまな、そのへんにいそうだけど素敵な人たちの話が出てきます。

もうすぐ30歳、もうすぐ40歳、というときに私たちはすごく焦るものです。この本ではそれを「三十怖い病」「四十怖い病」と呼んでいますが、こんな年になってしまったのに、今の自分はこんなにも未熟だというのは、今の自分もよく考えてしまいます。年齢に自分が追い付いていってません。だけど、実際自分が30歳になったり、40歳になったりすれば、そんなものはなくなってしまう。そして、若い頃、自分が何を目指しているのかわからないまま年を取ってしまうのではないかという不安は、年を取ってみると、解消されていくものだと教えてくれると、ちょっとホッとします。若い頃にはただつらい、と思っていたようなことも、何十年も立ってみるとそれが宝物だった、ということに気づいたりするとのこと。そう思えるようになりたいです。私たちのそんな悩みに、親身になって聞いてくれている存在、そんな本なのです。

ジュリー(沢田研二)の大ファンである女性たちが主人公の「あなたがパラダイス」という小説では、平さんは、更年期の女性心理を描いて見せましたが、この小説、そしてこの本を読むと、年齢を重ねていくことの怖さが解消されます。「イギリスのばあさんをめざせ」というエピソードにあるような、かっこよくそしてかわいいイギリスのおばあさんみたいになりたいなって思います。そして、何歳になってもガールズトークに花を咲かせる、と。ジュリーのファンも(私の母もジュリーファンでした)、バレエファンも、何か一つのものに夢中になっている人たちの話というのは、本当に尽きないし、面白いし、元気が出るものですよね。そんな女性たちへのエールになっているんです。

さて、もう一つの楽しみは、もちろん、平さんの語るバレエの話。「ジゼル」を観たことがある人なら、一度は思う、「なんでヒラリオンはあんなに一途にジゼルのことを愛しているのに、まったくその愛を理解されずに、ウィリたちに取り殺されてしまうの?」という疑問について、面白く語っています。彼の死についての解釈がまた、うまいんです。「バレエって面白いでしょ」って、今までバレエについて関心がなかった人にも、その面白さを巧みに伝えてくれています。

それから、もうすぐハンブルク・バレエの来日公演がありますが、来日公演で上演される「人魚姫」についても。王子への愛が伝わることない人魚姫と、(男性の)恋人への愛が成就しなかったアンデルセンを投影した「詩人」というキャラクターの痛み、その重ね方について、書かれています。「人を慰めるのはハッピーエンドではない」というのは、私もそう思います。ノイマイヤーの作品では、他にも「シンデレラ・ストーリー」や「眠れる森の美女」についても。この世の中には王子様もお姫様もいない、ただ愛し合う人の心があるだけだ、というノイマイヤーのメッセージ、それがあるから、彼の作品は普遍性があるのですね。目からいっぱいうろこが落ちる思いがします。

バレエファンでも、バレエに関心がない人でも、女性だったら誰でも面白いと思うエッセイ集だと思います。

そしてとびっきり素敵な台詞を一つ。頑張りすぎては、いけない。
「それでも、頑張れ、わたし」

幸せになっちゃ、おしまい幸せになっちゃ、おしまい
平 安寿子

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2008/10/17

「荒野へ」ジョン・クラカワー著

映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の原作本。映画を観終わった後、すぐに同じラゾーナ川崎内にある書店で買い求めた。

アラスカの荒野に打ち捨てられたバスの中で餓死した青年、クリス・マカンドレスについて、ジョン・クラカワーが<アウトサイド>という雑誌から依頼され青年の死について取材し記事を書いた。その時の記事と、その後の話がこの本となり、そしてベストセラーとなった。多くの反響が雑誌に寄せられたけど、クリス青年への賞賛と非難の両方があったそうだ。「向こう見ずな愚か者、変り者、傲慢と愚行によって命を落としたナルシスト」との批判も多く、またクラカワー自身もそんなクリスを美化していると非難されたそうだ。

その反響の中に、一人の老人からの手紙があった。その老人こそ、映画の中でも印象的なエピソードのひとつを構成した、ロナルド・フランツである。映画の中でも、彼を演じたハル・ホルブルックの素晴らしい演技もあって、思わず涙を流さずにいられなかった。しかし、映画の中では語られていない、後日談がとても心を打った。フランツのもとをクリスが去ってしばらく後に、この生意気な青年から手紙が届いた。できるだけ早く今住んでいるところを出て、外の世界を見てみなさいと。そして、実際に、80歳を超えていたフランツは、家財道具のほとんどを倉庫に預け、アパートを出て、クリスがキャンプしていた砂地にテントを張ってそこで暮らし、来る日も来る日もクリスの帰りを待っていたというのだ。

このノンフィクションは、できるだけ中立的な立場を取り、クリスを突き放して公平に描こうとしている。彼のことを愚かだった、傲慢で未熟で、自然を見くびっていた、甘えていたと言う人は多い。そして、それは事実なのだと思う。そして、クリスがこの世の人ではなくなってしまった今、本当に彼が何を思い考えて、荒野へと分け入って行ったのかを知る由はない。
それでもなお、クラカワーは限りないシンパシーと愛を持って、この青年の生と死を見つめ、そしてその心情に寄り添った。なぜならば、クラカワー自身、父親に反発新があり、若い頃にはクリスのような無謀な冒険をした経験があったからだ。

クラカワー自身の、クリスと同じ年齢の頃にデビルズ・サムというアラスカの未踏の岩壁に挑戦した時のエピソード。「うまくいっていない私の人生を根底から変えてくれるものと思いこんでいた」けれども、命がけの冒険、多くの失敗を経て成功した後も、彼の人生は何一つ変わらなかった。それから、クリスと同じような冒険に出かけて、二度と帰らなかった多くの若者たちの生の軌跡もたどる。彼らのことを批判するのはたやすいことだ。彼らがいなくなったことで、どれほど多くの家族や友人たちが苦しみ、悲しんだことか。

あまりにも軽装備で、食料も武器も地図すらもろくに持たずに、アラスカの荒野へと旅立って行ったクリス。彼は、自ら死を選んだのではないかという説もあったほどだ。だが、彼は自分が生きている実感というものを得るために、あえて、大地が与えてくれる物のみで生きていこうと決心し、最果ての地まで出かけていったのだと思う。そして、限りなく透明で澄んだ、孤独で自由な存在になりたかったのだろう。

この本の最後に、クラカワーは、クリスの両親、ビリーとウォルトとともに、彼の終焉の地であるアラスカのバスまで出かけていく。このときのエピソードを読んで、両親の様子を思い浮かべると胸がつぶれる思いがする。また、クリスはほんの2,3の些細なミスで命を落としてしまったことも判る。気温が上がるにつれて川が増水し、渡れなくなったために彼は荒野の罠に落ちて、動けなくなったのだ。しかしながら、もう少し上流まで歩いていけば、ワイヤー伝いに川を渡ることだってできたのだ。

それでもなお、彼の冒険には意味があったのだと思いたい。平穏に日々をやり過ごしていくだけでは得られない宝物をその短い生涯の間に手に入れることができたのだと。そして、私たち自身も、新しいことに踏み出す勇気を持つべきであることを、彼は教えてくれた。何しろ、80歳の老人フランツでさえも、彼との出会いを通して、新しい人生に踏み出すことができたのだから。

荒野へ (集英社文庫 ク 15-1)荒野へ (集英社文庫 ク 15-1)
佐宗 鈴夫

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2008/04/21

「隠居宣言」 横尾忠則 著

美術家の横尾忠則といえば、大胆かつエネルギッシュな作風で楽しませてもらっていたのだけど、このたび「隠居宣言」という本を出したのだ。隠居っていうから引退するのかな?と思ってこの本を読んだら、さにあらず。70歳を迎えた今、隠居として、自分の好きなことだけをやって、肩の力を抜いた生き方をするということ。横尾さんがもう70歳だというのもびっくりなんだけど、グラフィックアートの仕事はもう受けないで生活の規模を縮小し、好きな絵を描いたり、好きな文章を書いたり、写真を撮って暮らしていくということ。落語に出てくる長屋のご隠居さんみたいなイメージで生活していくということだ。

あくせく暮らしている身からすると、なんとも羨ましい話だけど、まだ隠居するような年齢ではない読者にとっても生きているヒントのようなものがちりばめられていて、楽しい本になっている。そして、子供時代の話から健康法、死の準備まで、飄々とした語り口の中に考えさせられる話が満載だ。

三島由紀夫との思い出話が興味深い。彼と初めて会ったときの、礼節について教えられたエピソードは特に面白い。横尾さんにとっては三島との出会いが人生で一番大きな出来事であり、三島が亡くなった後もずっと続いている感じがするということだ。いろいろなエピソードが出てくるけど、三島由紀夫って人は基本的にお茶目でチャーミング、誰にでも愛されるような人だったみたい。

それから、モーリス・ベジャールとの思い出話もある。横尾さんはベジャールの「デュオニソス」という作品の舞台美術を依頼されていて、打ち合わせをして絵を描いたところ、その絵からさらに発想が広がって前の絵が必要ではなくなり、7景描く予定が20何枚描かされてもなかなか決まらなかったとのこと。そして「春の祭典」を一緒に鑑賞しながら、ベジャール、ドン、ヴェルサーチとミーティングをした話。突然ミラノからベルギーまで来てくれと日帰りで向かったり大変だったようだけど、エキサイティングだったこと。ベジャールも、ドンも、ヴェルサーチも亡くなり、いまや証言者は横尾さんだけになってしまったというのが切ない。

編集部が作った質問に対して横尾さんが答え、さらに後日横尾さんによる補足があるという形式。とても読みやすくて、何度となく読み返してしまう。同じような優雅な隠居生活はできなくても、このような生き方を手本にしたいなって思う。南伸坊さんによるイラストも飄々としていてかわいい。

「隠居宣言」をした横尾さんだけど、実際には活発に活動をしていて、「冒険王・横尾忠則」という回顧展が世田谷美術館で2008年4月19日(土) -6月15日(日)の会期で開催されています。見に行きたいなあ。
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

期間中には、荒俣宏さんや中条省平さんらとのトークショーなども予定されています。サイトに載っている作品などを見ても、めちゃめちゃ面白そうです。

それから、横尾さんにはブログというか日記もあって、横尾さんの隠居の日常が伺えるのもとっても面白い。畑から観ると忙しそうに見えるけど、本人はいたってのんびりしているようだ。
http://www.tadanoriyokoo.com/vision/index.htm

隠居宣言 (平凡社新書 411)隠居宣言 (平凡社新書 411)
横尾 忠則

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2008/04/16

「まるごとパリの撮り歩き」星野秀夫 著

お友達の旦那様が出されたということで買った本なのですが、パリに行って写真を撮りたい、という方にはこれ以上優れものの本はないと思います。今後パリに行くときには持っていかなくては。

パリという街は、どこを見ても絵になる美しい街で、写真もいくらでも撮りたくなりますが、そのパリの街をいかに美しく撮影するかというポイントを書いています。それも、本格的なカメラに限定した話ではなく、初心者向けの一眼レフや、コンパクトデジカメを使って。写真の撮り方のテクニックやコツだけじゃなくて、どの地点から被写体にカメラを向ければ、素敵な構図になるか、地図で示してあるのが便利。

パリは、昼間だけでなくて夜景も美しい。エッフェル塔、シャンゼリゼ、ルーヴルのピラミッド、凱旋門などの夜景の撮影の仕方なども役に立ちます。もちろん、パリ・オペラ座を観に行く人にとって役に立つのが、どこから撮影すればオペラ・ガルニエやオペラ・バスティーユがきれいな構図で撮れるかも教えてくれていること。ガルニエのグラン・フォワイエなど暗い室内を、より豪華絢爛に写す撮影の仕方も。

そして、写真を撮らない人にとっても、美しい街の風景はどこに行けば見られるか、という観光ガイドブック的にも使えるのがミソ。7つの散策コースが示されているので、スケジュールや行きたい場所にあわせてコースを組むことができます。たとえば有名人のお墓はどこにあるなんて情報も。ニジンスキーのお墓の写真もあります。セルジュ・ゲーンズブールのお墓には、なぜかキャベツが供えてあるんですね。

写真についての本なので、もちろん、パリの美しい写真が満載。風景だけでなく、公園や広場、カフェなど何気ない日常の一こまをお洒落に切り取ってあるところなんかも素敵。

露出、シャッタースピードなどの基本的なことから、レタッチソフトの使い方、用語解説など、かゆいところに手が届く一冊になっています。

星野さんの、パリ写真撮影術については、NIKKEI NETでもインタビューが紹介されています。
http://waga.nikkei.co.jp/hobby/camera.aspx?i=MMWAi3000010042008

まるごとパリの撮り歩き―散策コース別美的デジカメ撮影術まるごとパリの撮り歩き―散策コース別美的デジカメ撮影術
星野 秀夫

ウェイツ 2007-12
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2007/12/17

「失われた時を求めて フランスコミック版」

読破することの困難さで有名な大長編小説「失われた時を求めて」(マルセル・プルースト著)が、フランスでコミック版が発売されていて、第4巻まで発売されているとのことです。(第4巻でも、まだ第一篇『スワン家の方へ』の第二部《スワンの恋》の前半まで)

この「失われた時を求めて フランスコミック版」の第一巻が、日本語翻訳されて、このたび発売されました。翻訳者は、映画評論でも有名な中条省平さん。早速買い求めたのですが、大判の、まるで美しい絵本のようで、全ページカラー。原作の抄訳的な内容なのですが、非常にわかりやすくて、細かい描写がなぜなされているのかという理由も、人間関係も、よくわかるようになっています。映画の台詞のような感じ。原文を読む際の手助けにはなるんじゃないかと思います。絵も、ちょっとフレンチなおしゃれなイメージで、コミックが苦手な人にも抵抗のなさそうな感じ。サクサク読めます。ただし、1巻は、第一部の最初の方、 『コンブレー   Combray 第一篇『スワン家の方への』の第一部《コンブレー》より』だけですが。

ちょうどパリ・オペラ座でのローラン・プティ振付の「プルースト 失われた時を求めて」公演のDVD発売が話題となっているという、良いタイミング。亀山郁夫さんによる「カラマーゾフの兄弟」など、古典の新訳がブームになっているし。(「カラマーゾフの兄弟」は今読んでいるんだけど、なかなか時間が取れなくて、進まない)

名作とされている文学をコミック化することについては色々と意見はあると思いますが、このコミック版をきっかけに原作にも取り組もうと思う人がいるでしょうから、とてもいいことだと思うんですよね。かく言う私も、学生時代に読もうとして挫折した一人です。(受験勉強のために源氏物語のコミック版「あさきゆめみし」を愛読していました)

フランス版のサイトです。
http://www.editions-delcourt.fr/catalogue/auteurs/heuet_stephane

ちょっとお値段が高いのと、大長編なので、いったい何冊出るんだろうか、ってことが不安になりますが、面白かったので次の巻もぜひ買い求めて読みたいと思います。1巻が売れないと、続きも翻訳してくれないようですし。

装丁もきれいな本なので、クリスマスプレゼントにも最適なんじゃないかと思います。

失われた時を求めて フランスコミック版 第1巻 コンブレー失われた時を求めて フランスコミック版 第1巻 コンブレー
ステファヌ・ウエ マルセル・プルースト 中条 省平

白夜書房 2007-11-20
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英語版はamazon.comで扱っていて、現在3巻まで出ています。

Remembrance of Things Past: Combray (Remembrance of Things Past)Remembrance of Things Past: Combray (Remembrance of Things Past)
Stephane Heuet Marcel Proust

Nantier Beall Minoustchine Publishing 2001-08
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Average Review

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でも、この素敵な本を、お風呂の中で読んでいたら間違えて湯船の中に落としちゃったのよね・・・・。

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2007/06/04

「猥談」岩井志麻子

映画評論家のT師匠にお勧めされて、本を買った。しかし、そのT本師匠ですら、本屋で買うときに恥ずかしくて、一緒に「ローズ・イン・タイドランド」の原作本も買うという、まるでAVをレンタルビデオ店で借りる時のような行動をされたという。

その本とは、ずばり「猥談」である。しかも、かの岩井志麻子女史の対談集なのだ。

そういうわけで、私も書店で買う勇気がなくて、アマゾンで、ABTのカレンダーと一緒に買った。が、ひとつ落とし穴があって、アマゾンで買うとカバーがついてこないのだ。私は本はほとんど通勤の電車やバスの中で読むのに、これでは読めないではないか。。結局、立っているときは題名が見えるので読まなかったけど、座れたら、どうせそこまで覗き込む人もいないだろうと思ってそのまま読んでいたわけだが。

それにしても、岩井志麻子というのはすごいお方だ。
たとえばこの水道橋博士のサイトを読んで、死ぬほど笑ってしまった。ここまでエロい人を極めると、爽快ですらある。

http://blog.mf-davinci.com/suidobashi/archives/2005/01/post_3.html

実は私、岩井志麻子は「ぼっけえ、ぎょうてえ」しか読んでいないし、これを三池崇史がアメリカで映画化したものの過激すぎて放映できなかったというオチがついた「インプリント」も見逃してしまったのだが。

対談相手はとっても豪華で、野坂昭如、花村萬月、そしてこの本が出た後に亡くなられてしまった久世光彦である。

野坂さんはさすがに「エロ事師たち」を出しているだけあって、エロ話の達人である。すごいね~ヤギとかいろいろ出てくるんだもの。「指に始まって指に終わる」んだそうな。そして岩井志麻子は負けず劣らず、すごい経験談を語っておられる。ハメたままの原稿書きとか、ね。ところが、こういうエロ話って、全然いやらしく感じなくて、笑えてしまうのだよね。マルキ・ド・サドの「ソドムの百二十日」などを読んだ時と同じような感覚かな。お天道様の下に出たとたん、隠微さが消えてなんだかあっけらかんとしている。それに、岩井志麻子はエロいおばさん、というのを自分のキャラにして売っているところもあるからね。

花村萬月も、この間見た映画「ゲルマニウムの夜」に見られるような強烈な世界観を持った方だけど、いろいろとすごすぎる経験をしているのに、なぜか人の良さや優しさが伝わってくるからいいなあと思う。情の深い人なんだな。二人で散々朝日新聞の悪口を言っておきながら、実はこの本は朝日新聞社から出ているというのも笑える。「魔羅道」とか広告に載せられないようなタイトルの本が多いしね~。そして二人で性病自慢。

久世光彦は、ものすごく頭の良い人と思った。岩井志麻子の、キャラクターを作っている部分を見事に見抜いている。それに対して、彼女が「私は今ファーストクラスに乗っているけど、いつフライトアテンダントが「お客様の席はここではなくて」って言い出さないかとびくびくしている、なんて正直に告白しているから、彼女も実はいい人なのかもしれない、なんて思ったり。うんと年をとった彼女がどんな本を書くか楽しみだといいつつ、「岩井さんが70歳になるまでは僕も生きていないから」って言ったら、本当にすぐに亡くなられてしまって...。ちょっと切なかった。

新潮45の中瀬ゆかり編集長によるあとがきも秀逸。

そういうわけで、読後感はかなり爽やか。こういうパワフルな人たちがいると思うと、世の中悪くないなあ、なんて思ってしまったのであった。まさに性は生である。

猥談 (朝日文庫)猥談 (朝日文庫)
岩井 志麻子

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2007/05/19

「ダブルハッピネス」杉山文野

性同一性障害で戸籍上は女性である25歳の大学院生杉山文野(フミノ)が、今までの半生を綴った1冊。ライブドアで提供している「本が好き」プロジェクトで献本をいただきました。

生まれたときから「女体の着ぐるみを着ている」違和感を持って、自分は男の子だと思って生きてきたフミノ。新宿歌舞伎町でとんかつ屋を経営する一家に生まれ、家族の愛情を一身に受け、フェンシングの女子選手として日本代表になった。お嬢様女子高から有名大学に進学し、友達にも恵まれている。とても明るくて前向き、かわいい顔もしている彼女というか彼。

フミノはとっても魅力的な人間。カラッとした体育会系で男前で、率直で飾らない。女子高時代はさぞモテただろうし、友達にもとても好かれるだろう。実際、自分が性同一性障害であることを同級生たちにカミングアウトしても、「フミノはフミノで変わらないし」と今まで通り、何も変わらずにいられた。両親も、とても理解があるように思えるし、端から見ると、悩みなんてないようにすら思える。

そんなポジティブなフミノも、中身が男でありながら身体は女性であるということに、深く悩み続けている。お風呂は女湯に入らないといけないし、トイレも困る。海で泳ぐのが好きだけど上半身裸になれないので仕方なく女物の水着を着なくちゃいけない。毎日お風呂に入るときに鏡で自分の裸を見て、どうしてこんな身体に生まれついてしまったのか、「お前は誰なんだ」と問いかけてしまう。

毎日、死にたいと思っていた、とフミノは言う。恵まれた境遇にいるかのように見える彼(彼女)を、そこまで悩ませてしまう「性同一性障害」ってなんだろう。なぜ、一見五体満足なのに「障害」って呼ぶのだろう。

「3年B組金八先生」で上戸彩が演じた性同一性障害の女の子は、自分の高い声がイヤで声帯に金串を刺してしまうけど、本当にそういうことをする人が多いのだそうだ。大学病院のジェンダークリニックにかかっている患者のうち3割は自殺未遂の経験者なのだという。ヘテロセクシャルな自分からすると、そのことでそんなにまで苦悩してしまうことには正直言ってピンと来ない。でも、実際にそこまで苦しんでいる人たちがいるということを知ることができて、良かった。

性転換手術を受けたいとフミノは言う。一瞬ぎょっとすることであるけど、この本を読んでいけば、そう思うのも極自然なことに思えてくる。それは、本来の自分を取り戻すことになるのだから。

フミノは、恋愛のこと、セックスのこと、理解があるように思っていた親との行き違い、いろいろなことをストレートに、時にはちょっと赤裸々に語るけど、その語り口はとても明快で気持ちよい。この本、カバーをとると、本体には、上半身裸(もちろん胸は隠している)のフミノの大胆な写真がある。スポーツ選手だからすごくいい体をしていて、すごく可愛い。こんな人が身近にいたら、人間として好きにならずにはいられないんじゃないかと思う。

たくさん苦しんだり悩んだり、失敗したりしたこともあったけど、まったく湿っぽくならない。性同一性障害という深刻なテーマを扱っているけど、読後感は爽やかの一言。元気を与えてもらった気がする。学校の課題図書としても使われているのがよくわかる。

ちなみに、フミノのお父さんは、「すずや」というとんかつ茶漬けのお店を経営している。私も何回も行ったことがあるお店だ。歌舞伎町という人種の坩堝、新宿二丁目にも近いところで育ったことも、フミノの懐の広い性格を形成したように思えた。

性同一性障害が何で障害なのか、それは社会が彼ら彼女たちを障害者にしてしまっているからである。いつか、この言葉がなくなる日が来ればいいなあ。身体とココロの性が違うというのは確かに障害といえるかもしれないけど、特別なことでなくなるくらい一般的なことになる日が。

これからのフミノの歩いていく道が楽しみである。ちなみに、フミノはブログを開設しているのでそちらもどうぞ。

追記:性転換手術で定評のある埼玉医科大学が、執刀医の定年退職に伴い、手術の受け入れを中止してしまったという。残念なことだ。


ダブルハッピネス

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書評/ルポルタージュ

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2006/11/14

「腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち」(杉浦由美子)

NYから帰国する飛行機の中で読んだ読売新聞に書評が載っていて、興味を持ったので読んでみた。

腐女子とは何か。簡単に言えば女のおたくである。それも主としてやおい系のマンガやボーイズ・ラブ小説に熱狂する女性のことを指すらしい。彼女たちが「私たちは腐っているらしい」と自称したところからはじまったようだ。東池袋に乙女ロードとやらがあって、女性のおたくの聖地らしいというのは、新聞で読んだことがあった。
私も広義では腐女子なのかもしれないけれども、ボーイズラブ小説は読んだこともないし、20歳過ぎてからはコミック自体、「テレプシコーラ」やいくつかの例外を除いてほとんど読んでいないのだ。ガンダム世代なので、中高生の頃はもちろんマンガもアニメも好きだったけど。

そういうわけで、ちょっと話題となっている本ではあるけれども、ちょっと底が浅い。何よりも、当の腐女子にほとんど取材していなくて、いろいろな本からの引用を元に組み立てたって感じなのだ。この本に登場する腐女子の方は、美人の女医さんだったり、コンサルティング会社の若くて綺麗な娘さんだったり、腐女子のイメージとは程遠い人たちばかり。都会に住んでいて、高学歴でいい職業についている人ばかりではないでしょう。男性のおたくとは違って、おしゃれにも気を遣って、女を捨てていないということを、この本では強調している。まあ、女性のおたくはそういう人が確かに多いのかもしれないけれども、そういう人ばかりってわけでもないのでは?十把ひとからげ、ひとつの類型に押し込めている気がしてならない。

それに、ボーイズラブとかやおい系コミックなど全然知らない私が言うのもナンだけど、そういう作品の中に流れる世界観というものについての理解も足りない気がする。作家の方には一人しか取材していない。このやおい愛好文化というのがここ数年の流行ではなく、ずいぶん昔からあったと私は感じているのだが(少なくとも、私が中学生だった20年位前からは存在していた)、その歴史的な背景も出てきていない。ジェンダー論についても、圧倒的に不足している。

宝塚歌劇とか、手塚治虫のマンガとか、ヴィジュアル系のロックとか、ヴィスコンティとか、いろいろと腐女子系の文化というのは昔から存在していたはずである。萩尾望都や山岸涼子は申し訳程度に名前が出てきたりする程度だし、それからガンダム、グイン・サーガといったあたりは無視されている。

それと、世間的には不評だった「ゲド戦記」が腐女子の間では人気だったって、そんな話聞いたことないんですけど。後半に出てくる「国家萌え」といってナショナリズムに萌える腐女子というのもわけわからない。そういう世界にかかわりたくないから、腐女子になるんじゃないかしら?とにかく、腐女子をひとつの類型に当てはめて単純化しようとする論法が目立つ。

それから、この本は途中から格差論になってきて、やたらと三浦展の「下流社会」からの引用が目立ってくるのがとても鼻につく。確かに、女性というのは、学歴や、正社員かそうでないかということで差別され、さらに女性であることでも目に見えない差別を受ける存在であり、女性誌が提唱したものさしに従って自分の幸せというのを測って、他人と比べて勝った負けたで一喜一憂している不幸な存在なのかもしれない。そういった競争社会からの逃避の手段として、腐女子化するというのはなんとなくわかる。腐女子は格差社会を生き抜くための知恵であると。たしかにそれはあると思うのだけど、当の腐女子はそれでよしとしているのかどうかというツッコミがなく、あいまいな結論で終わってしまっている。

そもそも、腐女子というのは、現代のような格差社会が生まれるずっと前から存在していたと思うのだが。この現象が話題となっていたのが、バブル時代の恋愛資本主義が消え去ったからという視点にはなっているのだが、はたしてそうなのだろうか。そんな薄っぺらい話で済むことなのだろうか?

面白い視点があったとすれば、なぜ腐女子が男性の同性愛の物語を好むかという話で、女性が登場しないというのは、自分が感情移入する対象が存在していないということで、完全に現実逃避が出来るということ。「関心が妄想(物語)の男性にいっているので、現実の男性への欲求が低い、現実の男性には幻想を持たない」というのは、たしかになるほどな、と思う部分もある。腐女子も、ジャニーズ好きも、韓流スターにはまった人たちも、現実にはちゃんと恋人がいたり結婚していたりするわけで。

とにかく、腐女子というのはこんなに単純な現象ではないと思うのだ。

でもまあ、腐女子という視点での本はそんなに出ていないし、こういう風に解釈する人もいるのね、ということを知ることができて、ある意味面白かったと思う。いろいろなカルチャーを横断的に知っていて批評できる人が日本には少ないということを象徴するような書物であった。 いかにもAERAの論調。

腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち
杉浦 由美子

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2006/03/04

「サレンダー 服従の恍惚」

「ニューヨーク・シティ・バレエで踊った著者が見出した神への道……それはアナル・セックスだった。屈服から自己解放への過程を描く驚異の手記」

10年間ニューヨークシティバレエの団員だったToni Bentleyの著書で、ニューヨークタイムズでは今年の100冊(2004年)の一つに選ばれたとのこと。
Toni Bentleyはスザンヌ・ファレルの自伝の共著者であり、ニューヨーク・タイムズのバレエ関連本の書評を書いていたりロサンゼルス・タイムズにもバレエの批評を書いていたりするので大変な才女なんでしょう。

さて、この本の中身はというと、エロティックではあるが、筆者が大変真摯で真面目な人間であるということが見て取れる。

「バレエの世界こそが、神の探求にはまたとない場所だった。極端に言えば、超一流のダンサーは一人残らず神を信じていたのだった。優秀なダンサーになる秘訣は信じる力にあるのだと、わたしは推論した」

うまく踊れないのは神による試練、とダンサーたちは考えてストイックに訓練を重ねた。そんな生活を25年続けて、筆者はついに腰を痛めて踊れなくなった。しかし、一つのことをストイックに追求することは、ついには性愛と快楽のすべてを味わい尽くすことにつながっていったのだった。離婚した後の、美しいマッサージ師との関係。スポーツクラブで会ったラファエル前派の絵画に出てくるような赤毛の美女。そして、「ある男」。初めての肛門性交。それは苦痛と恐怖から向こう側の高みへと進む経験であった。298回も重ねた。快楽と生殖を目的とする通常の性交ではなく、それを超えた結びつきとしてのアナル・セックスこそが、彼女が狂おしくも求めたものだったのだ。
自分の欲望に真摯に向き合い、神と対話しながら歩んだ快楽と苦痛の道もまた、実のところ大変ストイックな行為であり、やはり痛みや苦痛に耐えながらも美を追求するバレダンサーの生き方と重なっていく。

文体は非常に格調高く、セックス、それも一般的ではないセックスを扱っていないにもかかわらず筆者の生き方と同様ストイックで、なぜか清清しい読後感がある。

あとちょっと感心したのは、腰の故障に対して、ダンサーが職業だったためマッサージの費用は保険で補填されるということ。その保険で雇ったマッサージ師とあんなことやこんなことをするわけだけど。

モラルや宗教的な抑圧があるからこそ、行為に並外れた快楽が伴うというところがストイックな中にも滲み出ているのだけど、恋愛、そしてセックスという行為自体、ノーマルだろうとそうでなかろうと、自分自身を見失ってしまうほどの陶酔感があるものであるということを改めて実感する。つまり、この作品は、決して特殊な話ではなくて、誰にでも共感をさせてしまう、シンプルで普遍的な恋愛の物語(ノンフィクションだが)なのだ。

http://www.tonibentley.com/

サレンダー 服従の恍惚サレンダー 服従の恍惚
トニ ベントレー Toni Bentley 栗原 百代

文藝春秋 2006-01
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2006/02/10

オリガ・モリソヴナの反語法 (米原万里)

「これぞ想像を絶する美の極み!」
1960年代にプラハのソビエト学校に通っていた日本人女性志摩が、ソ連崩壊後、当時の親友と、反語法を駆使して奇天烈な個性をもった老ダンス教師オリガ・モリソヴナの足跡をたどるためにモスクワへ。そこで知ったのは、時代に翻弄された伝説の舞姫や周りの人々の数奇な運命と、スターリン時代の粛清やラーゲリ(強制収容所)のこと。オリガの反語法はいかにして生まれたのか…。

オリガの駆使する反語法というか罵詈雑言がとっても可笑しい「メス豚に乗っかってから考える去勢豚」とか、「他人の手の中にあるチンポは大きく見える」とか「七面鳥にも思慮はあったが、結局はスープの出汁にされてしまった」などなど。ド派手なオールド・ファッションと厚化粧の老婆だが、踊りだすとどんな踊りでも素晴らしく、そして自称50歳だが推定年齢70~80歳なのに、筋肉質の脚とほっそりとした体躯を持っている。

モスクワの劇場で一世を風靡した妖艶な舞姫オリガと、中国の青年と大恋愛の末結ばれたパリの大富豪の娘エレオノーラ。このふたりが、あまりにも苛酷な運命に翻弄され、粛清で家族や愛する者を失い、ラーゲリでの地獄のような日々を乗り越えてプラハになぜたどり着いたのか。そして二人をママと呼ぶエキゾチックな美貌のバレリーナ、ジーナの語った話ですべてのパズルのピースが一箇所に収まる。
493ページという大長編だけど、思わず一気に読むきってしまうほどの勢いがある。

フィクションという体裁は取っているものの、膨大な調査に基づいて、実際にあった話をつなぎ合わせた物語といった雰囲気。あまりにも都合よくヒロインが関係者に出会えて話を聞き出せたというところには違和感はあるものの。この骨太の物語の力の前ではそんなことはどうでも良くなる。

「プラハの春」直前のプラハでの生き生きとした子供たちと、個性的な二人の老女教師たちの描写は楽しい。生き地獄のようなラーゲリでの生活を彼女たちが乗り切れたのは、かつてはダンサーや俳優、歌手をしていた収容者たちが、夜な夜な台詞の暗誦や歌、踊りを繰り広げていたから、という感動的なエピソードに、最後に人の魂を救うのは芸術でありということを思い知らされる。悲惨な歴史を経過しながらも、素晴らしい芸術を生み出したロシアという国の底力が感じられる。

ジーナ探しに尽力した劇場のオバちゃんなど、ロシア人の暖かさが滲み出てくるエピソードの数々も素敵。ボリショイ劇場の話などバレエ関係の話がたっぷりと出てくるので、バレエ好きの人ならなおさら楽しめるのでは?「ジゼル」の衣装が気に入らないからってコール・ドの衣装まで全部作って寄付したという某日本人バレリーナ藻刈富代(!)の悪口も書いてあってかなり笑える。

オリガ・モリソヴナの反語法オリガ・モリソヴナの反語法
米原 万里

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2005/03/05

対岸の彼女

角田光代著 文藝春秋

本年の直木賞受賞作。
35歳の二人の女性、2歳の娘がいる主婦小夜子と小さな会社の女社長葵。まったく違う境遇にいた二人の女性の出会い、そして葵が高校生の頃体験したひと夏の出来事を描く。

この年代の普通の女性が持つ閉塞感と強迫観念をすごく丹念に、きめこまやかに描いている。“普通に生きる”ってどんなこと?社交的で周りの人の顔色に合わせて生きていかないといけないの?世間一般が決めた幸せのとおりに生きていかなければならないの? 平凡でも自分らしく生きていくって、実はすごく苦しいことなんだよね。

わたしが生きていく上で常日頃考えているような生き方についての疑問にまっすぐに切り込んでいる。

“勝ち組”とか“負け犬”みたいな単純で人に優劣をつけるくくりでしか人をくくれないような世の中に、絶望感を感じる。そんなときに読むと葵の生き方や小夜子の選択に勇気付けられたような気がする。幸せの尺度は人それぞれ。

葵が高校生のときに出会った少女ナナコとの夏の思い出がキラキラ輝いていて、こういう出会いがあって、人は成長していって、感情を豊かにしていくんだな、と思った。

対岸の彼女対岸の彼女
角田 光代

文藝春秋 2004-11-09
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2005/01/12

『ダーク・レディ』

新潮文庫
リチャード・ノース・パタースン作

「このミステリがすごい」の2004年度海外ミステリ7位作品。
“ダーク・レディ”と異名を取る検事局殺人課の課長ステラ。寂れた鉄鋼の街で、街の起死回生を狙った野球スタジアムの建設計画推進派市長と、反対派の黒人対立候補。開発会社の幹部と、ステラの元恋人である弁護士が殺された…。

被害者たちがセックスとドラッグにまみれた不名誉な殺され方をした一方、実はステラも現在の地位は元恋人のコネで手に入れた、というわけでリーガルサスペンスというよりは人間の欲望を描いた作品。か、と思いきやどちらかというとポリティカル・サスペンスというか政治と裏社会の利権構造を描いている。

美人でエリート、出世のために自分の感情を押さえて生きてきた孤独なヒロインなのだが、今ひとつ女性として共感しづらいキャラクターだ。男から見て絵に描いたような部分があるというか、いかにもありがち、という感じだから。個人的に、恋愛関係を社会的地位獲得のために利用するヤツはキライだし。“ダーク”という異名を取るほど人間の暗黒面は感じさせない、ダークというよりアイス、という存在。彼女と部下の刑事との淡く切ない恋の描写はなかなか良かったが、彼女にはもったいないよ、彼は。

斜陽の街の寂寥感ある描写と、野球スタジアムに希望を託した人々の夢と野望、ヒロインがWASPではなくポーランド系だったり人種問題に踏み込んでいたりすること、悪役であるはずの開発会社若社長がとても魅力的であることなど、いい点もあるし、筆力がある作者であるのはよくわかる。上下2巻一気に読める。だけど、やっぱりヒロインの描写が浅いし、苦悩が今ひとつ伝わってこなくて共感できない。登場人物が多くて、名前を覚えるのが大変。

で、よくよく、何でこの小説が好きになれないのかを考えたら、ヒロインがカトリックであるというところに行き付いた。つまりは、ガーターベルトにハイヒール姿で殺されたことがどんなことよりも不名誉であるということを強調しているということ。途中で、清廉潔白そうな別の登場人物にも女装癖や同性愛志向があったことが明かされる。そういった倒錯的な性癖を徹底的に否定している、カトリック原理主義的なヒロインが気に食わないということだ。自分の欲望を認めようとしない、あまりにも禁欲的な彼女は冷たい印象を与える。著者あとがきで友人のジョージ・ブッシュに感謝する、とあるがまさかあのブッシュ?

いかにもハリウッドで映画化されそうな感じの話ではある。

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2004/12/11

「隣の家の少女」

扶桑社
ジャック・ケッチャム作、 金子 浩訳

1958年、12歳の少年デヴィッドの隣の家に、2歳年上の美しい少女メグと、体の不自由な妹スーザンが引っ越してくる。両親を交通事故で失った彼女たちは、叔母ルースに引き取られたのだった。デヴィッドはたちまちメグに心惹かれ、ルースの息子たちと遊び仲間ということもあって彼女たちの住む家に出入りする。しかしあるときからルースは姉妹にひどい折檻を加え、さらにはルースの息子たちや近所の子供たちも“ゲーム”と称してメグを地下室に監禁し、いたぶり始めるのであった…。

50年代のアメリカ、少年たち、そして初恋。ノスタルジックでみずみずしい描写で始まったこの物語。しかし-
読んでいてつらくてつらくて、何回も読むのをやめてしまおうかと思った。異様な迫力のある文章でやめることができない。ヒロインのメグは無垢で美しい少女で、何も悪いことはしていないのに、言葉にするのも憚られるようなこの上なくむごい目に遭う。生きていく意味や希望も叩き潰されるような。特に同性から見るとあまりにもむごたらしい虐待の数々。さらに虐待の主導権を握って少年たちをけしかけたのは実の叔母であったということ。叔母ルースの徹底的な男性への憎悪、そして自らの性への憎悪と絶望がこのような鬼畜で異常な行動を引き起こさせたのだろうが。

主人公の少年はメグに恋心を抱きながらも傍観するばかりでほとんど手を差し伸べることすらできなかった。その歯痒さ。どこか色っぽいルースに好意すら抱いていて、そのうち終わりが来るだろうと思っていた、でも終わりは来なくて残虐行為は限りなくエスカレートする。何もできなかったことは、共犯者であることと同じ、もしくはもっと罪深いことだろう。そのことに残りの人生の間中苦しめられるのはある意味当然だったと言える。でも彼にこれ以上何ができたというのだろう…。
そんなデヴィッドの叫びが行間に凝縮されたような、巧みな改行の使い方が目を引く。訳もうまい。一行だけで構成された一つの章には、心の底から戦慄させられた。

メグに加えられた陵辱がむごたらしければむごたらしいほど、生き地獄に突き落とされた彼女の存在は美しく光り輝く。

でも、こんなことは現実に決して起きてはならない。日本人だったらみんなあの女子高生コンクリ詰め殺人事件を連想するだろうし、実際には世界では同じことが起きているのだろうけど。悲しいことに、人間にはこういう面もあるのだということなのか。

隣の家の少女隣の家の少女
ジャック ケッチャム Jack Ketchum 金子 浩

扶桑社 1998-07
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2004/10/05

介護入門

モブ・ノリオ 文藝春秋

改行もなく唐突に「YO!朋輩」というラップを意識した(ちょっとカッコ悪い)かけ声が入った文体は一見読みにくい。
だが、ドラッグでラリラリになった主人公が、でも懸命にばあちゃんの介護に勤しむ様子はグルーヴ感があってリズムカルで慣れてくると快感すら覚える。
介護そのものがテーマではなくて、無職で金髪でヤク中である主人公の、叔母に代表されるようなクソみたいな世の中に対する怒りは共感できる。その怒りがばあちゃんに対する愛情と介護への情熱に昇華されている。その視点で行けば、とても真っ当な印象を受ける作品。(逆にいえば意外性はない)
祖母や父や祖父のキョーレツな描写とか、通常だったらうんざりするような介護の日常の切り取り方が独特で面白い。介護そのものがテーマではなく怒りがテーマと言える。次回作もこれくらい面白かったらこの作家は期待できるんじゃないかな。

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2004/09/25

コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー

太田出版
ブルックス・ブラウン, ロブ・メリット著, 西本 美由紀訳

コロンバイン高校襲撃事件の犯人二人と友人、中でもその片方ディランとは小学校時代からの親友というブルックスによる手記。ブルックスはもう一人の犯人であるエリックに、事件の直前「おまえのことは嫌いじゃないからここから離れろ」と警告をされていた…。

体育会系のJOCKS(運動バカ)が幅を利かせるコロンバインで、犯人二人も、ブルックスも陰湿ないじめを受けていて、教師にも無視され、居場所がなかった…というわけで、一歩間違えれば犯人になっていたかもしれない(事実、ブルックスは事件への関与を疑われた)少年による等身大の心情が綴られている。ブルックスは彼らと同じようにいじめられていても、現実と虚構の世界を混同しなかった。でも、彼らを止めることはできなかった事実に苦しめられたし、同じ疎外感を感じてきたわけだ。

簡単に銃を手に入れられるアメリカの銃社会は確かに悪い。犯人たちは暴力的なゲームや暴力を歌ったロックやインターネットのサイトに夢中になっていた。だけど、それだけが悪いというわけではない。暴力的な音楽やゲームは暴力的な社会を反映しているし、ミュージシャン自信は暴力を礼賛しているわけではない。受け止める側の問題なのだ。異端である彼らをのけ者にするコロンバイン高校という場所は、アメリカ社会の縮図であるということが感じられるし、”恐怖”が少年たちの心を破壊していくプロセスが手にとるように見えてくる。

友人が13人もの学校の仲間を殺し、犯人として疑われ、学校には来るなと教師に言われて生活をめちゃくちゃにされたブルックスが、それでも戦い抜き次第に癒され立ち直っていくところは静かな感動を呼ぶ。犠牲者の一人であるレイチェルのエピソードも胸を打つ。犯人たちが襲撃前に残した遺書代わりのビデオのメッセージの内容には戦慄を覚えるともに、ここまで彼らが追い詰められてしまっていたということに胸が潰れる思いがする。

そして、コロンバイン高校で起こったことは今の日本とも決して無縁ではない。恐怖が恐怖を呼び、暴力性を加速していく今の世の中において、多くの人に読んでもらいたい本である。どんなひどい世の中でもあきらめなければ、報われるのではという希望が感じられる。

コロンバイン・ハイスクール・ダイアリーコロンバイン・ハイスクール・ダイアリー
ブルックス・ブラウン ロブ・メリット 西本 美由紀 他

太田出版 2004-04-22
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2004/09/09

ティム・ウィロックス『ブラッド・キング』

財布を紛失(多分盗難)して困るのは、お金がないことはもとより、キャッシュカードも使えなくなったので貯金を下ろすのも面倒(某みずほ銀行にいたっては、口座がある支店まで出かけていかないとカードが再発行できないという。勤め人が平日の3時までに銀行の窓口に行かなければカードを手に入れられないってどういうサービスの悪さなんだろう…)で、手元に現金がなく、さらにクレジットカードも使えないので本当にどうしようもないことだ。

仕方ないので、オットにお金を借りて仮の仕事に出勤中(とりあえず昼間は映画業界から足を洗ったのである)。でも、交通費だけでもバカにならない。派遣OLなので通勤経費は自腹だし。それなのに、手元には借りた1300円しかなかったのに、ついつい本屋に寄って840円もする本を買ってしまったりして。

先月の失業以来、ミステリー関係の読書がマイブームで、サラ・ウォーターズの『荊の城』の妖しくて耽美的な雰囲気に魅せられてから同じ作者の『半身』を読み、それからライターのMKさんに勧められたティム・ウィロックスの『グリーンリバー・ライジング』にハマった。ウィロックスは日本では2冊しか出ていないが、独特のどろりと濃厚な人物描写が悪魔のように心に絡みつくような作風。『ブラッド・キング』は『グリーンリバー・ライジング』と訳者が変わってしまったせいか最初のうちはやや読みにくいかと思ったが、途中からページを繰る手が止まらなくなる。暗い情念がどろっと伝わってきて、しかもノワール系のアクション映画を読むようなハードボイルドな感覚もある。恐るべし。執拗に仔細に描きこまれた人間が血と肉を持って、皮膚感覚に訴えてくる。

ウィロックスを読んだらノワール系の小説を読みたくなり、ちょっと前にマイブームだったジム・トンプソンの、買ったまま読んでいなかった「真夜中のベルボーイ」に着手。そして今日本屋でお金もないのに買ったのは、IRAのテロリストも登場するピート・ハミルの「天国の銃弾」。現実逃避に、ミステリー小説はいい。

ブラッド・キングブラッド・キング
ティム ウィロックス Tim Willocks 峯村 利哉

角川書店 1996-12
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