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演劇/歌舞伎

2010/04/27

4/22 歌舞伎座さよなら公演 御名残四月大歌舞伎 第三部

今まで歌舞伎座で歌舞伎を観たのは7、8回程度とファンとは言えない程度しか観て来なかったのだけど(コクーン歌舞伎や演舞場でも観ているけど)、やはりこの風情溢れる劇場と別れるのは寂しくて。両親と観に行ってきました。

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チケットが超入手困難で、父に取ってもらったチケットは3階B席ですぐ後ろは幕見席。正面席だったので、花道以外はよく見えました。

一、実録先代萩(じつろくせんだいはぎ)

乳人浅岡  芝 翫            
松前鉄之助  橋之助              
局錦木  萬次郎              
局松島  孝太郎             
腰元梅香  児太郎              
亀千代  千之助              
千代松  宜 生              
局呉竹  扇 雀              
局沢田  芝 雀            
片倉小十郎  幸四郎

平日公演だったので、開始時刻には間に合わず途中から。したがって、話の筋を理解するのにちょっと時間がかかってしまった。主君への忠節を守るために、生き別れたわが子と再び別れなければならない「子別れ」の物語。抑制された演技の中に滋味溢れる悲しみ、引き裂かれる苦悩を表現した芝翫の至芸を堪能。亀千代も千代松もほんとうにかわいい。

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二、助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)

花川戸助六  團十郎            
三浦屋揚巻  玉三郎             
通人里暁  勘三郎          
福山かつぎ寿吉  三津五郎            
三浦屋白玉  福 助         
男伊達 山谷弥吉  権十郎         
同   田甫富松  松 江         
同   竹門虎蔵  男女蔵         
同  砂利場石造  亀三郎         
同   石浜浪七  亀 寿            
傾城八重衣  松 也            
同  浮橋  梅 枝            
同  胡蝶  巳之助            
同  愛染  新 悟              
金棒引  種太郎                
同  萬太郎                
同  廣太郎                
同  廣 松             
禿たより  玉太郎         
白玉付番新梅ヶ香  歌 江             
奴奈良平  亀 蔵            
国侍利金太  市 蔵             
遣手お辰  右之助           
番頭新造白菊  家 橘             
朝顔仙平  歌 六             
曽我満江  東 蔵          
三浦屋女房お松  秀太郎             
髭の意休  左團次         
くわんぺら門兵衛  仁左衛門           
白酒売新兵衛  菊五郎               
口上  海老蔵


歌舞伎座のさよなら公演を飾るにふさわしい華やかな演目。口上を海老蔵が務めるというのはほんの序の口でオールスターが揃い踏み。花魁たちのあまりにも豪華な衣装にため息。そしてその中でもひときわ艶やかに咲き誇る玉三郎扮する揚巻の美しさ。しかし意休に悪態をつきあしらうさまは堂々としているというか、女っぷりの良さを見せつけるというか。

一方、助六の團十郎は、病み上がりとは思えないほどの、朗々と通る声、立ち振る舞いの粋さ、スターぞろいの舞台の中でも飛びぬけてカッコ良い。それだけに、花道がほとんど見えなくて、スタイリッシュに見得を切る姿がちらちらとしか見えない席が残念だった。チケットが入手できただけでも幸運だと思うけど。

そしてお楽しみは、門兵衛に仁左衛門、かつぎ寿吉に三津五郎と、大きいとはいえない役に大物が出演して、それぞれに絶妙な芸の一端を見せてくれること。さらに新兵衛には菊五郎。さらに、通人里暁に勘三郎が登場して、場面をさらっていってしまう軽妙洒脱な話芸を披露。菊五郎の股をキュートにくぐって見せちゃう上に、最後には歌舞伎座への愛着と惜別をも語ってしんみりとさせてくれた。

たまにしか観ない歌舞伎だけど、美しいだけじゃなくって、くすくすと笑えるし、ほーんとうに楽しい!ザッツ・エンターテインメント!歌舞伎座がなくなってしまうのは寂しいけど、また時間を見つけて観にいかなくちゃと思ったのだった。

2009/10/05

10/4 パルコ劇場「中国の不思議な役人」

作: 寺山修司
【パルコ劇場「新」スタンダードシリーズ】
中国の不思議な役人 Der Wunderbare Mandarin

演出: 白井晃
音楽: 三宅純
振付: 小野寺修二
照明: 沢田祐二
出演: 平幹二朗(中国の不思議な役人) 秋山菜津子(女将校) 岩松了(西瓜男)
夏未エレナ(花姚) 田島優成(麦)
小野寺修二(一寸法師) 春海四方(両替商) 吉田メタル(怪力)
内田淳子(魔耶) 町田マリー(毒薊) エミ・エレオノーラ(切り抜き)
初音映莉子(赤い鳥) 高山のえみ 吉村華織(梨貞、ソプラノ歌手)
岡田あがさ 佐藤ひでひろ(鏡売り) 河内大和(人間犬)
田村一行(無頼・大駱駝艦) 奥山ばらば(無頼・大駱駝艦)他
■ ミュージシャン
宮本大路(sax) 
スティーヴ エトウ(perc)

http://www.parco-play.com/web/play/fushigi

「中国の不思議な役人」といえば、バレエファンにはモーリス・ベジャール振付のバレエでおなじみ。こちらの作品は、バルトークの音楽は使用せず、ストーリーのモチーフだけを借りて、寺山修司が脚色。1977年以来、32年ぶりにパルコ劇場で上演されたということで、初演は故・伊丹十三が主演、そして山口小夜子が魔耶を演じたそう。今回は白井晃が演出し、音楽はピナ・バウシュ、パトリス・ルコント、フィリップ・ドゥクフレ等、世界中のクリエーターから信頼を得ている作曲家・三宅純が書き下ろしたとのこと。

ベジャール作品の中ではその倒錯した世界とデカタンスが魅惑的でお気に入りの作品、寺山修司の作品だったらどんな感じだったのか興味があり、またキャストも豪華な上、得チケで4500円というお得な値段だったので観に行くことに。このお値段を考えると、も~めっちゃ得した気分で楽しめた!こういう妖しくて退廃的で混沌としている舞台作品、大好き!

大きなポイントは、演劇と言うのはバレエと同じで総合芸術なんだな、ということを思わせてくれたこと。赤、ピンク、ブルーといったけばけばしい色を、ダークな舞台の上に映し出した照明(照明の沢田祐二さんは、新国立劇場のバレエの照明でも有名)。1920年代の上海の魔窟=娼館を出現させたような凝った美術。冒頭、真っ暗な中、少女の等身大人形がマッチの明かりで浮かび上がり、ローラン・プティの「コッペリア」のように一瞬でバラバラに壊れるところから、掴みは完璧。この「一瞬でばらばらになる人体」というモチーフは、後にも登場する。舞台上にサックスとパーカッションのミュージシャンがいて演奏してくれる音楽もカッコよく、さらには二期会所属のソプラノ歌手吉村華織さんが娼婦の一人として出演しながら歌も歌う。そして元「水と油」で、「空白に落ちた男」で鮮烈な印象を残した小野寺修二さんがダンスを振付け、また自身も狂言回しのような、宦官のような一寸法師を怪演。白塗りにした大駱駝艦のダンサー二人の舞踏、と踊りもふんだんにある。

平幹二朗の中国の不思議な役人の圧倒的な存在感といったら!以前、今はなきベニサン・ピットでTPTの演劇を観に行った時、偶然隣の席に平幹二朗が座っていたことがあったのだけど、言われなければ気がつかない普通の人のようだった。なんと現在75歳の彼だが、きらびやかな衣装に長髪をなびかせ、「がっははは~」と朗々と、豪快に笑う堂々とした立ち姿の迫力。殺しても殺しても決して死なず、何百年も生き続けている怪物という存在に説得力がある。登場シーンでは必ず仰々しいテーマ音楽が流れ、そして階段のセットがしつらえられ、上手くいかないと登場シーンがやり直されるというのがすっごく可笑しい。つまりは、「中国の不思議な役人」という存在自体、幻想が生み出した怪物であるということなのだろう。役人は、死にたくても死ねないのだ。

13歳の少女娼婦花姚役の夏未エレナは、とても可愛らしく、ややふっくらとしているところが初心な少女っぽくて良い。普段、細すぎるバレリーナばかりを見ているので、これくらいの方が女の子っぽくていいな、と。拉致された少女が無理やり娼婦にさせられ、そんな彼女を見初めた中国の不思議な役人が毎日彼女の元に通ってくる。最初は彼のことを嫌がっていた花姚が、少しずつ心を開いて役人を受け入れるようになってくる、その時の蕾が花開いたようにあでやかな色香を徐々に身に着けてきているのが見ていてわかる。ベッドの上で花姚の脚に触れる役人がとてもエロかった。

川島芳子を思わせるような男装の麗人、きりりとして美しく悪の魅力輝く女将校役には、秋山菜津子さん。歌も踊りも達者で、場内を支配する力がある。

鏡のモチーフが頻繁に使われている。鏡を背負って売って回る鏡売りの男。鏡は、自分が映らない鏡、自分しか映らない鏡、自分の周りの人だけが映る鏡、などいろいろあって、現実と非現実の世界を行ったり来たりするのに使われる。花姚が誘拐される時の仮面を使った踊りー仮面が吸い付いたり離れたりするのが面白い。それから、「切り抜き」と呼ばれる肺病持ちの娼婦が、上海中の本屋にある本から、[私」など特定の文字だけを切り抜いて回ったり、しまいには自分の影を切り抜き始めて、自分自身が紙になってしまって風に飛んでいってしまうなんて設定も斬新で面白い。

音楽、踊り、美術、演劇・・・この作品ではさまざまな芸術が舞台の上で坩堝のように混ざり合い、混沌としていて不条理で摩訶不思議ながらも、独特の忘れがたい毒気と色気のある禁断の果実のようにに仕上がった。面白かった!

2009/06/21

6/19 シアターコクーン「桜姫」現代版

Bunkamura20周年記念企画
桜姫
原作 四世 鶴屋南北
脚本 長塚圭史
演出 串田和美
出演 大竹しのぶ(マリア(桜姫)/墓守)、笹野高史(墓守他)、白井晃(セルゲイ(清玄))、中村勘三郎(ゴンザレス)、古田新太(ココージオ(残月))、秋山菜津子(イヴァ(長浦))、佐藤誓(イルモ(入間悪五郎))

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_09_sakura_gendai.html

P1040093s

鶴屋南北による歌舞伎の「桜姫」は以下のような物語である。

物語は、僧清玄(せいげん)と稚児(ちご)の白菊丸(しらぎくまる)による江の島での心中から始まります。
1人命を取り留め、17年後に高僧となった清玄は、出家を望んで寺にやってきた吉田家の息女桜姫(さくらひめ)が、実は白菊丸の生まれ変わりだと知ります。桜姫は、強盗に入った釣鐘権助(つりがねごんすけ)の子を生み、今でもその権助を忘れられない罪の深さを償おうと、出家を思い立ち寺を訪れたのでした。しかし桜姫は、偶然桜谷の草庵で恋しい権助と再会します。
この後、桜姫に白菊丸の面影を追う清玄と、密通がばれて吉田家を追われた桜姫が、めまぐるしく変転していきます。

出典:日本文化振興会「歌舞伎への誘い」より

もともと不条理に満ちた物語を、時代設定は不詳の、南米と思しき国に移して翻案。混沌として、まるで芝居小屋の中で繰り広げられているかのような猥雑な雰囲気に包まれた舞台には、斜めに十字架が突き刺さっている。出演する俳優たち自らが楽隊として音楽を演奏し、さながらフェリーニの映画のよう。

高僧清玄は、ここでは大きな十字架を担ぎながら布教し、貧しき者に分け与えて"聖人"と称されるセルゲイ神父。だが、一方でその十字架を担ぐ姿は一種のパフォーマンスであり、名声欲しさにやっていることと批判を受けている。彼は、16年前に心中を図り一人先に逝った少年ジョゼ(白菊丸)を忘れられない。そんな時に、生まれた時から一度も左の掌を開けなかった16歳の少女マリアが、セルゲイの祈りにより奇跡的に回復。彼女の掌の中には青い珠が。それは心中を図った時にジョゼが手にしていたのと同じもの。セルゲイはマリアをジョゼの生まれ変わりだと信じる。大金持ちで教会に大口の寄付をしているイルモに嫁ぐ予定のマリアにセルゲイは同行する。ところが、彼女の寝室に、悪党ゴンザレスが忍び込む。実は一年前もゴンザレスはマリアのところに侵入し、彼女の処女を奪ったのだが、マリアは初めての男を忘れられず、人知れず子供まで産んでいた。マリアの寝室に何者かが侵入したとイルモが駆けつけると、マリアは侵入者はセルゲイで、赤ん坊もセルゲイの子供だと嘘をつき、二人はイルモの追っ手を逃れて別々に逃亡する。セルゲイは、これは自分に課せられた宿命だと十字架を捨て、赤ん坊を抱えて放浪し、この世の果て、狂気と貧困が渦巻く汚濁の地、崖下に流れ着く。いとしいジョゼ=マリアの姿を追い求めながら。一方ゴンザレスと一緒になったマリアは、娼婦として生計を立てるようになった…。

舞台装置と美術がすごく面白い。舞台脇の席が移動する意味はあまりなかったと思うけど、床にぽこっと穴が開いてそこから人がモグラのように出てきたり、小道具を(時には赤ん坊まで)落としたり、シンプルなセットだけど工夫が凝らされている。電車の車両を表現させるのに、車輪のついた荷台を人力で動かしてみたり、遊園地の列車のようなおもちゃっぽい列車に乗って登場したり。マリアが客を取っているのは、軽トラ(バイクだったかな?)の荷台で、キム・ギドク監督の「悪い男」のラストシーンみたいだった。

しかしひときわ鮮烈だったのは、セルゲイが背負っている十字架で、彼の身長よりも高くて重そうなのだ。この十字架に象徴性を持たせようと演出家と脚本家は考えたのだと思う。この十字架を背負っている時のセルゲイは、一種のトリックスターみたいな感じで、聖人ぶっていて、実際に善行は行ってはいたけれど、あまりの十字架の重さに行動範囲を自ら狭めてしまい、もっとも貧困が渦巻いている崖下には足を踏み入れなかった。マリアの嘘によって追放の身となり、十字架を捨てたセルゲイは、聖職者であることを忘れ、貧しき者たちのことより自分の妄執に取り憑かれて狂気じみた存在となる。彼は元の側近だったココーシオと女中イヴァによって毒殺されそうになるが、埋められた土の中から這い出て、生きているのかいないのかわからないような姿に成り果てても、執念でジョゼの姿を求める。のっぺらぼうの人形をジョゼだと思い込んで話し掛ける彼の姿は哀れで滑稽だ。ジョゼに再び会って、今度は一緒に死にたい、その一念だけが、生と死の間でおぼろげになった彼を動かしている。セルゲイ役の白井晃さんは、よく通るいい声をしており、聖と俗の間で揺れて苦悩する受難の聖職者を好演していた。

マリアのキャラクターは、本当に何を考えているのか全然わからない。この「桜姫」という原作の不条理の原因はすべて彼女が作っている。16歳の少女役が違和感なく演じられてしまう、大竹しのぶのとらえどころがなく、超越した存在感はすごい。しかも、大竹しのぶは、冒頭に登場する「墓守」という狂言回し的な役まで演じているし、太鼓を抱えて楽団の一員にも変身する。突然劇中でマリアが老婆のようになったりと年齢も変幻自在。清純な姫が自分の欲望に素直に生きる女へと変貌していく姿を、鶴屋南北が江戸時代に描いていたというのもすごい。

もう一人の主人公は、悪党ゴンザレス。欲望のままに生きてきて、邪魔者はすべて殺してきた、悪の匂いと生命力に満ち満ちた男。だが、そんな彼も、マリアと生活するようになってから急に色あせたように魅力を失っていく。セルゲイが悪の根源を彼の中に見出し、彼を道連れにマリアと3人で死のうとした時に、ゴンザレスは一人、みっともないほどの生への執着を見せる。そこで、聖を代表するセルゲイと、悪の権化であるゴンザレスが表裏一体の存在であることが示される結末へと至るのだが、この終わり方がどうもすっきりしない。聖と俗、善と悪が実のところはさほどかけ離れたものではないというのはわかるのだが、そこへ至るまでに説得力のあるダイアローグが抜け落ちているのだ。そして中村勘三郎はアクの強い役作りはお手の物なのだが、台詞が聞き取りづらいところがかなりあって、発声の優れた白井さんと演じるには不利な面があったと思う。長髪に浅黒いメイクでいかにも悪人的な姿はいかしていたのだが。

原作では、桜姫は姫の誇りを取り戻して権助、さらにはわが子をも手にかけて御家再興を果たすというのが結末だ。こちらの「桜姫」では、マリアがそこまでの強いキャラクターを持たされていないために、まったく違った終わり方にしたのだろう。だけど、原作の設定をもう少し保っていたほうが、作品全体を覆う混沌とした生命力や諧謔性が生かされたのではないだろうか。

ココーシオの古田新太、イヴァの秋山菜津子はそれぞれ見せ場がたっぷりあって、芸達者振りを見せてくれた。特に秋山さんが見世物小屋のマングース女を演じる様子は妖しくユーモアたっぷりで、最高だった!見世物小屋家業に移ってからぶくぶくと太ったココーシオの、肉襦袢を着用しての古田さんの怪演ぶりも可笑しくて哀しい。彼ら二人は、どちらかといえば普通の人間だったからこそ、最も悲劇的な終わりを迎えなければならなかったのだろう。

狂言回しの墓守をはじめ、ひとり8役も演じた笹野高史をはじめ、本当にうまい俳優を集めており、時代も国籍も超越した怪しさたっぷりの雰囲気はすごく魅力的だった。だけど、それだけにラストをうまく纏め上げられなかったのが惜しい作品だった。この猥雑で聖と俗が代わる代わる顔を覗かせる設定、数奇な運命の大河ドラマ、そして不条理さ。ガルシア=マルケスやマヌエル・プイグ的だなと思ったら、脚本の長塚圭史はやはり、めちゃめちゃガルシア=マルケスを意識していたのだとプログラムに書いてあった。

そして、この現代版「桜姫」を観た人だったら、誰だって歌舞伎の「桜姫」を観たいと思うだろう。江戸時代の歌舞伎の世界を、国を移して現代版にするという試みそのものはとても面白く、多少失敗したところがあったとしても果敢に挑戦して新しいものを作ろうとした心意気は賞賛されるべきである。

歌舞伎の「桜姫」は、この現代版の上演が終了した7月よりシアター・コクーンで上演されるのだが、チケットは現時点ではすべてソールドアウト。うーん。

2008/10/20

歌舞伎座、2010年4月で閉場 全面建て替えへ

歌舞伎のメッカであり、東銀座のランドマークにもなっている、美しい造形の「歌舞伎座」が2010年4月で閉場し、建て替えられることが決定したそうです。松竹が20日に発表しました。新劇場は2013年中にもビルと劇場の複合施設として誕生するとのこと。

http://www.asahi.com/culture/update/1020/TKY200810200389.html?ref=rss

同劇場は、原型となった劇場が1925年に開場。45年の東京大空襲により焼失。1950年に建築された現在の建物は2002年、国の登録有形文化財になった。松竹は2005年に「2007年着工、2010年再開場」の計画予定を発表。これまで現状保存案なども検討されたが、「バリアフリーの不備、耐震の問題から現状維持は難しい」そうで。すごく悲しいニュースです。

建て替えを巡っては、観客から建物保存を求める声が上がっているほか、日本建築学会が2006年4月、「歌舞伎座の保存に関する要望書」を提出したそうです。登録有形文化財なのに、すぐに取り壊されてしまうのは、私もおかしいと思います。

日本の劇場の多くは、味気ない近代的なデザインばかりです。日本の伝統的な意匠や芝居小屋の雰囲気を残す歌舞伎座は、とても貴重な建物と思います。歌舞伎座で歌舞伎は10数回くらいしか観ていませんが、独特のレトロな空気と風格が、舞台の感動をさらに高めてくれていました。なんとかして残すことはできないのでしょうか。

新しい歌舞伎座はビルとの複合施設ということで、ますます味気ない建築物になってしまうことが容易に想像できます。海外のオペラ劇場などに行くと、日本にある素敵な劇場は歌舞伎座だけだ、と思います。外国から来た友達なども、歌舞伎座に連れて行くととても喜びます。

歌舞伎座では2009年1月~2010年4月の16カ月間、“歌舞伎座さよなら公演”を予定しています。劇場でのアンケートなどで観客からも希望演目を募集するそうです。せめて、この1年ちょっとの間は通わなくては、と思います。

2007/12/02

世田谷パブリックシアター「失踪者」(カフカ原作、松本修演出)

世田谷パブリックシアター2作品交互上演「審判」「失踪者」
シアタートラム
[原作] フランツ・カフカ 池内紀訳(白水Uブックス「カフカ・コレクション」より/白水社刊)
[構成・演出] 松本修
[振付] 井手茂太
[美術] 伊藤雅子
[照明] 大野道乃
[音響] 市来邦比古
[衣裳] オルガ・カルピンスキー


[出演] 井口千寿瑠/石井ひとみ/伊勢佳世/いせゆみこ/大崎由利子/太田緑ロランス/ともさと衣/西田薫/山田美佳/石母田史朗/泉陽二/笠木誠/粕谷吉洋/小嶋尚樹/斎藤歩/柴田雄平/高田恵篤/中田春介/福士惠二/宮島健    
http://setagaya-pt.jp/theater_info/2007/11/post_93.html

一時期自分が演劇をやっていたこともあったので、ストレートプレイも好きなのだけど、バレエをたくさん観るようになってからは足を運ぶことも減ってしまっていた。友人に勧められて観たのが、2001年と2003年に「アメリカ」の題で上演された(読売演劇大賞優秀作品賞、毎日芸術賞・千田是也賞を受賞)カフカ原作の「失踪者」。原作は「アメリカ」という題名の方が有名だけど、カフカは本来「失踪者」という題名をつけるつもりだったとのこと。

シアタートラムに行くのは、ずいぶん昔に野田秀樹の「赤鬼」を観て以来のこと。劇場に入ると、本来とは逆の組み方で、入り口が舞台の上になっており、奥が客席。舞台の奥が高くなっていて、階段で降りたところがメーンの舞台という形になっていて、上下2段の舞台構成をうまく使った上演になっていた。脚本はなく、長期にわたるワークショップにより完成した舞台だという。その成果が存分に発揮され、テンションが高くて充実した作品に仕上がった。しかも、同じキャストでの「審判」との交互上演というから、その大変さは想像を絶するものがある。上演時間は、休憩15分を入れると3時間45分という長丁場、しかしその長さは全然感じない、面白い舞台になっていた(席は大変座りづらくてお尻はちょっとつらかったけど)。

主人公のカール・ロスマン役を4人の役者(そのうち一人はともさと衣と女優)がリレーのように演じているのがユニークな趣向。役者の演技中心を中心に追うというよりは、舞台の流れや演出の妙を感じるのに良い手法だったと思う。出演する19名の俳優たちが、一人7~10もの役を演じるというのもすごい。話そのものも、あっち行ったりこっち行ったりと寄り道ばかり。それでいて散漫にならないということにも感心する。主人公の目線というよりは、周囲が見る主人公像の反映としての主人公という見せ方をしているのかな?そもそもカールは自分の意思が明確に存在しない人間なのだ。周囲の人間に流され、犠牲になる人間。なぜか女たちにはめっぽうモテるのだけど、そのことも彼自身の意思とはまったく関係ないのだ。その流れ流されていく感覚がなぜか心地よい。

19歳のドイツ人青年カールが女中に手篭めにされて妊娠させてしまい、親に追い出されアメリカに行く船の中で、大富豪の伯父に出会ったところから、流れ流れていくお話。登場する人物の大部分が悪意のある、だけど変に魅力的な人間たちで、カール自身の選択もことごとく裏目に出ることから、どんどん悲惨な目に遭っていくのに、暗さがまったく感じられなくて、色々な不条理にくすくす笑ってしまう。途中で挟まれるイデビアン・クルーの井手茂太さん振付による群舞が群集心理をうまく語らせていて、いいスパイスになっていたし、踊りもさまになっていた。音楽も飄々とした世界観に良く合っていた。

(以下ネタばれありにつき、これから観る方はごらんになりませんように)

終わり方の演出だけがちょっと疑問だったかな?最後に舞台上方のスクリーンに「働けば自由になれる(Arbeit macht frei=アウシュビッツ強制収容所の門に掲示されていた文言)」という言葉を映していたのは明確にナチズムを表現していたわけなんだけど、急に深刻なトーンを与えすぎで、今までの世界観を崩してしまっているような気がした。