映画

2009/11/01

『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』 Michael Jackson THIS IS IT

監督:ケニー・オルテガ 
振付:マイケル・ジャクソン、トラヴィス・ペイン
音楽監督:マイケル・ビアーデン/

公式サイト
http://www.sonypictures.jp/movies/michaeljacksonthisisit/

2009年6月に急逝したマイケル・ジャクソン。その死の直前まで行われていた、幻のツアーリハーサルをドキュメンタリー映画化。100時間にも及ぶリハーサルを編集して作り上げたという。彼の死についてはまったく扱われていなくて、ほとんどがリハーサルシーンで、時々ダンサーやバックシンガー、ミュージシャン、そしてスタッフたちのコメントが入るという形式。

50歳になっていたマイケルの10年ぶりのコンサートツアー。その年齢と、この映像収録後に亡くなってしまったという事実が信じられないほど、マイケルの動きは人間離れしていて見事だ。カメラはマイケルの顔のクローズアップを避けて、踊る彼の全身を捉えてくれていることが多く、いかに彼が傑出したダンサーであったかということを再発見できる。と同時に、一つのステージが多くの人々の手を経て創り上げられていくプロセスを見ることができて、すごく面白い。

ダンサー、マイケルの凄さについては、作品冒頭の若いダンサーたちの熱いコメントが図らずも物語っている。彼のツアーで踊るダンサーのオーディションがあると聞いて、翌日には飛行機に飛び乗ったというオーストラリアのダンサー。世界中から、マイケルにあこがれ続けていた才能が集結した。オーディションのシーンも圧巻で、若く美しく才能溢れた大勢のダンサーたちがマイケルの前で踊る。踊りが上手くて、グラマラスな容姿を持っているだけではダメ、人の目を惹きつける華がないと、とオーディションの担当者は語る。そして選び抜かれた若いダンサーたちと踊っても、マイケルの踊りは傑出しているのだ。映画の終盤、「ビリー・ジーン」のリハーサルで何者かに取り付かれたように、神のように踊るマイケルを見て、出番を待つダンサーたちやスタッフたちが熱狂的な喝采を送る様子も印象的だった。

マイケル・ジャクソンが歌手、そしてダンサーとしてとてつもない才能の持ち主だったということだけでなく、プロデューサーとしても一流だったということがよくわかる。バックダンサーたちの振り付け、舞台演出、音の出し方まで細心の注意を払い、一つ一つ細かく、的確に指示している。舞台の演出はマジカルなイマジネーションで溢れている。「ビリー・ジーン」で、ダンサーが脱いだジャケットが燃えるなんて演出、見てみたかった。バックに使われる映像にしても、ブルーバックを使って大胆な演出を行っている。「ギルダ」のリタ・ヘイワースが投げた手袋を受け止めたり、「三つ数えろ」のハンフリー・ボガートに追われたり。圧巻だったのが「スリラー」で、3D映像であのPVを再現しているだけでなく、映像に続けて舞台の上にも墓場が出演してゾンビたちが踊るのだから!このコンサートツアーが実現していたら、どんなにとてつもない伝説的なステージになったことだろうか。

また、アマゾンの自然を中心に地球の環境を守らなくてはならないというマイケルの真摯なメッセージが伝わってくる「Earth Song」の映像にも、心を鷲づかみにするようなパワーがあった。

そんな「神」のようなマイケルだけど、謎とスキャンダルに包まれていた彼が、実際にはスタッフに細やかな気配りを忘れない、腰が低くて心優しい人柄であったという人間らしい素顔も見えてくる。細部にまでこだわるところには、彼の神経質なところも伺える。けれども、全身全霊をこのコンサートツアーに注ぎ込みつつも、大きな愛でスタッフを包み込み、彼らを家族同然に思っているのが伝わってくる。(「スリラー」の映像撮影を、チュパチャップスを舐めながら見ているマイケル、可愛い)だから、スタッフたちも、彼にアーティストとしての尊敬を隠さず、彼と仕事ができることを幸せに思っていると目を輝かせながらコメントしており、その中には嘘や偽りの一片もない。これらのコメントは、リハーサルの最中に取られたものなので、その時点では、彼らもマイケルがこんな形で急にこの世を去ってしまうということは夢にも思わなかっただろう。希望と喜びに満ちていた彼らが、突然の訃報にどれほど打ちひしがれていただろうかと思うと胸が痛む。スタッフ一人一人に焦点を当てている様子からも、彼がスタッフを大切にしていたのが伝わってきた。

リハーサルだけで、これほどまでに凄いインパクトがあって圧倒的なステージ、それが幻となってしまったこと、そしてマイケルがこの世にいないということが、この世界にとってとてつもなく大きな損失だったということを改めて実感させられた。リハーサルの映像だから、パフォーマンスには観客がいない。どんなにか、彼は観客の前で歌い踊りたかったことだろう。衣装デザイナーが衣装について語り製作に当たるシーンでは、きらびやかな石を縫い付けるためにサングラスが必要なほどと言っていたが、どんな衣装を着たのだろうかということも知りたかった。そして自分の声をセーブするために、マイケルが目いっぱいの力では歌わなかったところもある。相変わらず美しい声であるものの、少し声に衰えが見られるところもあったし。

この世を去ってしまった人を、現世によみがえらせることは無理ではあるけど、それが一晩だけでもできたらどんなにいいだろうか、と思ってしまった。

こんなにも多くの人々の心に響き、もの凄い才能を持った心優しきマイケルが生きていけないこの世の中って何だろう。でも、最後にこのような素晴らしい贈り物をファンに、周りの人々に残してくれて、そしてさまざまな愛に溢れたメッセージで世界を満たしてくれた彼に感謝。

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2009/09/30

映画「パリ・オペラ座のすべて」のカレンダーbyチャコットと映画公式ブログ

新しいDANZAをもらいに渋谷のチャコットに立ち寄った時に、映画「パリ・オペラ座のすべて」の写真を使用した2010年のカレンダーが売っていたので、1050円と手ごろだし、自分への誕生日プレゼントだと思ってつい買って帰ってしまいました(来年のカレンダーはABTのと、シュツットガルト2種類も持っていて、狭い家の中に飾る場所がありませんが)。

http://www.chacott-jp.com/j/topics/2010calendar/index.html

1月 「くるみ割り人形 Casse- Noisette」舞台写真 レティシア・プジョルとニコラ・ル=リッシュ
2月 「メディアの夢 Le Songe de Medee」リハーサル写真 デルフィーヌ・ムッサン
3月 「パキータ Paquita」リハーサル写真、エミリー・コゼット、サラ・コラ・ダヤノヴァの背中(ダンソマニ日本版による)、コール・ド・バレエ
4月 デフィレ
5月 「メディアの夢 Le Songe de Medee」舞台写真 デルフィーヌ・ムッサン、ヤン・ブリダール
6月 「ジェニュス Genus」リハーサル写真 アニエス・ルテステュ、マチュー・ガニオ
7月 「パキータ Paquita」舞台写真 ドロテ・ジルベール&マニュエル・ルグリ、子役に囲まれるドロテ・ジルベール
8月 「パキータ Paquita」舞台写真 ドロテ・ジルベール&マニュエル・ルグリ(ドロテの手にキスをするルグリ)
9月 「ジェニュス Genus」舞台写真 マリ=アニエス・ジロ、バンジャマン・ペッシュ
10月 「ベルナルダの家 La Maison de Bernarda」舞台写真 レティシア・プジョル、オーレリア・ベレ、アメリー・ラムルー
11月 「ジェニュス Genus」リハーサル写真 マリ=アニエス・ジロ、バンジャマン・ペッシュ/「パキータ」リハーサル写真 アニエス・ルテステュ、エルヴェ・モロー/「くるみ割り人形 Casse- Noisette」リハーサル写真 ミテキ・クドーを先頭にしたコール・ド・バレエ/「パキータ Paquita」リハーサル写真 ローラン・イレール
12月 「くるみ割り人形Casse- Noisette」舞台写真 イザベル・シアラヴォラ(雪の精)
1月 ガルニエの衣装工房/ブリジット・ルフェーブルとロール・ミュレ

写真はさまざまなカメラマンによって撮影されていますが、違和感はありません。華やかな舞台写真と、地道なリハーサルに明け暮れる様子とではずいぶん違っていることがわかります。リハーサルの写真は、動いている最中に撮影された写真のはずなのに、なぜか時が止まっているように見えます。350年の長きにわたって、このようにリハーサルと舞台が繰り返されてきたのだろうか、とふと思いました。

ところで、映画「パリ・オペラ座のすべて」の公式サイトには、ブログができていました。そこで映画の宣伝マン2人がバレエにチャレンジ、ということでチャコット本店にある渋谷スタジオでレッスンを受ける男子二人をレポートしていて、かなり面白いです。彼らの特訓の成果を、ぜひとも見たいものです!
http://blog.excite.co.jp/parisopera

今日はフィガロ・ジャポンの連載をまとめた「パリ・オペラ座バレエ物語」と、「バレエ・リュス その魅力のすべて」を買ってきたのですが、まだ読み終わっていないので、ご紹介は改めて。

フィガロブックス パリ・オペラ座バレエ物語 夢の舞台とマチュー・ガニオ (FIGARO BOOKS)フィガロブックス パリ・オペラ座バレエ物語 夢の舞台とマチュー・ガニオ (FIGARO BOOKS)

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あと雑誌情報ですが、

発売中の「エル・ジャポン」11月号にはマチュー・ガニオのインタビューが載っていました。

10月2日発売の「シアターガイド」には、マニュエル・ルグリのインタビュー[名エトワール、踊りと人生を語る]が掲載されているそうです。
http://www.theaterguide.co.jp/newbook/backnumber/2009/11/index.html#c06

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2009/09/15

『パリ・オペラ座のすべて』Le Ballet de l'Opera de Paris

フレデリック・ワイズマン監督がパリ・オペラ座を撮ったドキュメンタリー映画『パリ・オペラ座のすべて』、クラシカ・ジャパンの試写会で観て来ました。2時間40分という長尺でしたが、飽きることなく、とても面白く観ることができました。

http://www.paris-opera.jp/

ワイズマン監督がABTを描いた『BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界』と同じ手法で、ダンサーや振付家、スタッフのインタビューもなければ、ナレーションも一切なし。2007年の終わりの84日間にオペラ座で起きたことを切り取っています。撮影の間にストがあって公演が中止になったり、ベジャールが亡くなったりといった事件も起きますが、そのことについても淡々とした日常の一部としてだけ扱われています。

テロップも作品名と、主演ダンサー、それに芸術監督のルフェーブルくらいしかないので、オペラ座を良く知っている人でないと、誰が誰だかわからなくなってしまうかもしれません。私自身も、この人誰だっけ?と思うことが何回かありました。しかも、いきなり序盤の「メディアの夢」のリハーサルで、ステファン・ビュヨンなのにヤン・ブリダールってテロップが出ているし(公開までには直してくださいね)

振付家の名前もあまり出てこないので、ルフェーブルと新作について話し合っている若い振付家がエマニュエル・ガットだとはわからないだろうし。何より、「ベルナルダの家」に出演しているダンサーのテロップがないので、マニュエル・ルグリが映っていることにも気がつかない人がいるかもしれません。

逆に言えば、この作品は誰が主人公ということではなく(敢えて言えばやはり芸術監督ブリジット・ルフェーブルなのだろうけど)、パリ・オペラ座というバレエ団そのものが主役ということなのだと思います。ダンサーのテロップにもエトワールという肩書きはつかないし、ダンサーだけでなく、教師たち(ローラン・イレールがさまざまな作品の指導で登場するのは嬉しい限り)、レッスンピアニスト、衣装やメイクアップなどのスタッフ、さらには食堂の料理人や掃除人まで登場して、オペラ座がダンサーだけで成り立っているわけではないことを示しています。ガルニエの地下の下水のシーンから始まり、ラスト近くも水を湛えた下水(小魚が泳いでいる)ところを映していますが、脈々と300年以上続いてきたこの劇場を象徴させていると思いました。

ルフェーブルの劇中での話によれば、オペラ座は3年単位で上演計画を立てているとのこと。前述のエマニュエル・ガットの新作が上演されたのは、今年(2009年)4月末でした。そして、彼に対して、「ダンサーは15人用意できるわ、必要だったらエトワールも」「エトワールはスーパーカーだから、彼らに10キロで走れなんて言えないわ、オペラ座は階級社会なんだから」ってルフェーブルは言い放ちます。それなのに、この映画はエトワールをたくさん映すということは一切ないのだから面白い。それどころか、レティシア・プジョルやアニエス・ルテステュのような一流エトワールが、ラコットら教師に容赦なくダメ出しをされているところも映し出されています。「脚を低くしてなんて聞いたこともないわ!」とアニエスはぷんぷん怒っているし。

演出がないことによって、オペラ座の知られざる面が赤裸々に明らかにされていきます。「パキータ」のドレスリハーサルでパ・ド・トロワを踊ったマチルド・フルステーに対し、教師がダンサーに聞こえないように彼女に対する辛口の批判をしている声を拾っているのが可笑しいです。ああだこうだと難癖をつけながらも、最後に彼女が3回転のピルエットをしたところで「3回転したから、まあいっか」なんて言っているし。しかもその後に踊ったマチアスには、もう手放しの絶賛で「トレビア~ン!」と手のひらを返しているからますます笑えます。

イレールら教師やスタッフたちを呼びつけて、コンテンポラリーのクラスに参加するダンサーが少ないとルフェーブルが愚痴っているところを映したり、「パキータ」のパ・ド・トロワに抜擢されたバレリーナが、長く踊り続けたいのでこういう大変な役は踊りたくない、と直訴していたり。その「パキータ」のグラン・パのリハーサル途中でアントレのバレリーナのチュチュがほどけてしまったり、オペラ座の意外な側面が見えるのも興味深いです。NYCBとの合同公演でアメリカ人のパトロンが来るという時、大口のスポンサーにリーマン・ブラザーズの名前が出てきて、2年前には、こんなことになろうとは誰も思わなかったんだろうな、ってしみじみ思いました。

リハーサルや本番の映像もたっぷり収められて、作品が完成していく過程をこの映画で観られるのは、バレエファンにとっては至福の時間です。特に日本で観る機会の少ないコンテンポラリー作品が、一部にせよいろいろと観られるのはとても貴重。今のオペラ座は、(ルフェーブルが、「うちは古典をベースにしているカンパニーで、上演しないわけには行かないの」、と教師たちに力説しているのとは裏腹に)コンテンポラリー中心であり、ダンサーたちもコンテンポラリーを踊っている時の方が生き生きとしています。エックの「ベルナルダの家」とウェイン・マクレガーの「ジェヌス」観たいです。オペラ座も来日公演でミックスプロを上演すればいいのに、それが今のオペラ座の姿なのだからって思います。

バレエが好きな人なら、きっとわくわくしながら観ることができる160分、もう一度劇場で観るのが楽しみです。

フレデリック・ワイズマンのインタビューが面白かったので、ご紹介しておきます。
http://www.cinematoday.jp/page/N0019655

登場する作品の感想を一つ一つ挙げていくと、大長文になってしまうので、作品名と主な出演者だけあげておきます。
ルグリはじめ出演者たちが舞台上でものすごい叫び声をあげる「ベルナルダの家」がめっちゃ面白かったです。こういうオペラ座が観たいんですよね。クラシック・バレエを一切学んだことがないマクレガーが振付けた「ジェヌス」はとてもカッコいいし。それから、若さに溢れてまさに伸び盛りのマチアス・エイマンの姿をこうやって残してくれたことも、素晴らしいと思いました。

舞台映像(ゲネプロも一部あり、一部自信なし)
ウェイン・マクレガー振付「ジェヌス」
ジェレミー・ベランガール、ドロテ・ジルベール、マチアス・エイマン、ミリアム・ウルド=ブラム

サシャ・ヴァルツ振付「ロミオとジュリエット」
オーレリー・デュポン、エルヴェ・モロー

アンジェラン・プレルジョカージュ振付「メディアの夢」
アリス・ルナヴァン、ウィルフリード・ロモリ

ピエール・ラコット振付「パキータ」
マニュエル・ルグリ、ドロテ・ジルベール

ルドルフ・ヌレエフ振付「くるみ割り人形」
ニコラ・ル=リッシュ、レティシア・プジョル

「メディアの夢」
デルフィーヌ・ムッサン

マッツ・エック振付「ベルナルダの家」
マニュエル・ルグリ、マリ=アニエス・ジロ、レティシア・プジョル

「ジェヌス」
マチュー・ガニオ、アニエス・ルテステュ、マリ=アニエス・ジロ

リハーサル映像
「くるみ割り人形」群舞
ローラン・イレール(指導)

「メディアの夢」
アリス・ルナヴァン、ステファン・ビュヨン、エミリー・コゼット、アンジェラン・プレルジョカージュ

「パキータ」群舞
ローラン・イレール(指導)

「ジェヌス」
マチアス・エイマン、マチュー・ガニオ
マリ=アニエス・ジロ、バンジャマン・ペッシュ、ウェイン・マクレガー

「くるみ割り人形」
ジョゼ・マルティネス、レティシア・プジョル

「パキータ」
アニエス・ルテステュ、エルヴェ・モロー、ピエール・ラコット

「くるみ割り人形」
レティシア・プジョル、ニコラ・ル=リッシュ

「メディアの夢」
エミリー・コゼット、ローラン・イレール(指導)

「パキータ」
マチルド・フルステー、マチアス・エイマン

ピナ・バウシュ振付「オルフェオとエウリディーチェ」
ヤン・ブリダール

指導者の中には、ノエラ・ポントワやギレーヌ・テスマーもいました。
そして最後の方で、辞退したバレリーナに代わり「パキータ」のパ・ド・トロワを射止めた若く野心に燃えたバレリーナは誰なのでしょうか?オペラ座に詳しい方、教えていただけると嬉しいです。

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2009/09/06

映画「パリ・オペラ座のすべて」初日が10月10日に決定

Bunkamuraル・シネマの「ニュース&トピックス」のページに、映画「パリ・オペラ座のすべて」初日が10月10日に決定したとお知らせが掲載されていました。

http://www.bunkamura.co.jp/cinema/news/index.html

上映時間も決定しています。
連日…10:10/13:20/16:30/19:40

仕事帰りにも行きやすい時間帯ですね。

私はクラシカ・ジャパンの試写会が当たったので、一足早く観に行く予定ですが、前売り券も買っているので、映画館にももちろん行きます!

オフィシャルサイト
http://www.paris-opera.jp/

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2009/09/04

映画「パリ・オペラ座のすべて」のスライドショー "LA DANSE –le ballet de l'Opéra de Paris"

映画「パリ・オペラ座のすべて」のスライドショーが、Bunkamuraのサイトにアップされていました。

Affiche


http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/opera/slideshow.html

2007年の終わりの方に撮影されたとあって、「くるみ割り人形」「パキータ」の舞台写真があり、この2公演は観に行ったのでなんだかちょっと嬉しいです。他に、ウェイン・マクレガー振付の「Genus」の舞台写真や、マリ=アニエス・ジロがリハーサルする写真などもありますね。

オフィシャルサイトも、気がつけばけっこうアップデートされていて、エトワール全員(最近昇進したマチアス・エイマンとイザベル・シアラヴォラ以外、撮影当時はまだ現役だったロモリとベラルビも含む)のプロフィールまで載っていました。まだこれから「バレエ入門」やトリビアなどが追加されるようです。

http://www.paris-opera.jp/

さらに、上映劇場も増えていて、首都圏では109シネマズ川崎でも上映するんですね。川崎の方が家から近いし上映環境もいいから川崎で観たいなあ。

前売り券はイープラスでも扱っていて、イープラスで買うと以下のプレゼントが抽選で当たるそうです。
http://eplus.jp/sys/T1U14P0010158P002032475P0050001

[キャンペーン情報] e+で前売券を購入された方に抽選で賞品が当たる!
 --------------------------------------------------
 ★マチュー・ガニオ サイン入りプレス    2名様
 ★チャコットカレンダー2010年版
  映画「パリ・オペラ座のすべて」より   10名様
 --------------------------------------------------

チャコットでこの映画のカレンダーを出す予定になっているのかしら?


あと、クラシカ・ジャパンで以下の番組が放映されます。
http://www.classica-jp.com/ballet/index.html

先行放送!映画『パリ・オペラ座のすべて』特別映像

初回放送:9月27日(日)15:30

10月Bunkamura ル・シネマ他にて全国順次ロードショーされる「パリ・オペラ座のすべて」。 巨匠ワイズマン監督が11週間に及ぶ密着撮影を敢行。豪華かつ驚きに満ちた 160分のドキュメンタリーの公開に先立ち、その一部を一足早くお見せします!

■字幕/約15分

製作会社Sophie Dulac Distribution のサイトで、写真やプレス資料(フランス語)をダウンロードすることができます。(TÉLÉCHARGEMENTSと書いてあるところから)

http://www.sddistribution.fr/fiche.php?id=31

FILM-ANNONCE と書いてあるリンクからは、オリジナル版の予告編も観られます。

『パリ・オペラ座のすべて』
"LA DANSE –le ballet de l'Opéra de Paris"
監督:フレデリック・ワイズマン
出演:パリ・オペラ座エトワールほかダンサーたち、ブリジット・ルフェーブル、パリ・オペラ座職員
2009年/フランス=アメリカ/160分
提供:ショウゲート、デイライト/配給:ショウゲート
10月 Bunkamuraル・シネマ、109シネマズ川崎ほか全国順次ロードショー

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2009/08/22

バーミンガム・ロイヤル・バレエのツァオ・チー主演「Mao's Last Dancer」と新国立劇場「カルミナ・ブラーナDavid Bintley´s Carmina Burana」キャスト

以前にもご紹介しましたが、ベストセラー小説を映画化した「Mao's Last Dancer」の予告編がアップされました。プリンシパルのツァオ・チーが主演したこの作品、バーミンガム・ロイヤル・バレエのオフィシャルサイトでも紹介されていました。

http://www.brb.org.uk/MLD-Trailer.html

予告編自体はYouTubeにあります。

ヒューストン・バレエの元プリンシパルで、中国から亡命後にはオーストラリア・バレエに移籍したLi Cunxin(李存信)の自伝を元にしたこの映画。ワールドプレミアは9月10日のトロント映画祭で、公開はオーストラリアが10月1日というのは決まっていますが、英国や全米、そして日本公開はまだ決まっていないようです。

オフィシャルサイトもできていました。
http://www.maoslastdancermovie.com/

予告編を見ると、「ドン・キホーテ」やグレアム・マーフィ版の「白鳥の湖」のシーンが登場しているなど、バレエシーンもかなりあるような雰囲気です。カイル・マクナクランや、「センターステージ」のヒロインだったアマンダ・シュルも出演しています。カイル・マクナクランがすっかり老けていてちょっとショックです。

原作は、徳間書店から邦訳が出る予定です。「毛沢東のバレエダンサー 」というタイトルで、8月27日発売です。面白そうなので、ぜひ読んでみたいと思います。邦訳が出るということは、日本公開も期待できるかもしれませんね。

毛沢東のバレエダンサー毛沢東のバレエダンサー
井上実

徳間書店 2009-08-27
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****
バーミンガム・ロイヤル・バレエつながりで、デヴィッド・ビントレー振付の新国立劇場「カルミナ・ブラーナ」のキャストが会報誌「ジ・アトレ」とオフィシャルサイトに載っていました。

David Bintley´s Carmina Burana

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/20000205_2_ballet.html#cast

【フォルトゥナ】
ゲストダンサー(5月1・3日)
湯川麻美子(5月2(マチネ)・4日)
小野絢子(5月2(ソワレ)・5日)

【神学生1】
グリゴリー・バリノフ(5月1・3日)
吉本泰久(5月2(マチネ)・4日)
福岡雄大(5月2(ソワレ)・5日)

【神学生2】
八幡顕光(5月1・3日)
福田圭吾(5月2(マチネ)・4日)
古川和則(5月2(ソワレ)・5日)

【神学生3】
ゲスト(5月1・3日)
芳賀 望(5月2(マチネ)・4日)
山本隆之(5月2(ソワレ)・5日)

【恋する女】
さいとう美帆(5月1・3日)
高橋有里(5月2(マチネ)・4日)
伊東真央(5月2(ソワレ)・5日)

【ローストスワン】
本島美和(5月1・3日)
寺島まゆみ(5月2(マチネ)・4日)
川村真樹(5月2(ソワレ)・5日)

ゲストはまだ誰が来るのか未定なんですね。前回上演した時にゲスト出演したイアン・マッケイとシルヴィア・ヒメネスはバーミンガム・ロイヤルを退団しているし。(現在コレーラ・バレエに所属しているマッケイは、BRBの「シラノ」にゲスト出演するそうです)
長身で威圧的な印象の運命の女神、フォルトゥナに小野絢子さんが出るのはとても以外ですが、どんな風に踊ってくれるのかが楽しみです。神学生2に古川和則さんが抜擢されていますが、新国立劇場に移籍して以来、一番大きい役なのではないでしょうか?これも楽しみですね。

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2009/07/29

映画「パリ・オペラ座のすべて」と「ベジャール、そしてバレエは続く」

今日はシアターコクーンでコクーン歌舞伎「桜姫」を観てきました。

ベンチシートで、クラシックのコンサートだったらいわゆるP席の位置だったため、役者さんの背中ばかり見る羽目になってストレスはたまりました。一応、舞台が円卓になっていて回転するので、少しは後ろ側は向いてくれるんですが。
公演そのものは本当に素晴らしかったです。先月、現代劇版の「桜姫」も観ていたので、2倍楽しめました。なんといっても、桜姫役の中村七之助が妖艶で美しかったです!女形は、女性よりも女性らしい仕草を見せてくれるのがいいですよね。それにしても、「桜姫」って凄まじい内容の物語です。清純な娘がファムファタルとなり、堕ちていく、それに巻き込まれる高僧・清玄がさしずめデ・グリューで、盗賊の権助がレスコーと考えると、けっこう当てはまります。だけど、その中に、清玄が17年前に心中し、一人先に逝ってしまった稚児白菊丸が、桜姫に転生したというプロットが入ることで、より複雑な物語になっていくんですよね。

また詳しい感想は後日書きます。今日は、観客席に、現代版の「桜姫」でマリアを演じた大竹しのぶさんが来ていました。最後のカーテンコールの時に勘三郎が彼女を観客に紹介していました。

******
シアターコクーンにいったついでに、6階のル・シネマで「パリ・オペラ座のすべて」の前売り券を買いました。Bunkamura会員なので、前売りを買わなくても当日前売り料金で買えるのですが、前売り券の付録のポストカード目当てで思わず。

オフィシャルサイトには、予告編映像がアップされています。ナレーションは市川海老蔵さん。
http://www.paris-opera.jp/

チラシの裏には、フィガロ・ジャパンに連載されていた「パリ・オペラ座物語(仮)」10月刊行予定、と書いてありました。阪急コミュニケーションズからで、1680円だそうです。

それからもう一つ。すでにダンソマニ日本語版でも紹介されていますが、BBLの新しいドキュメンタリー映画「ベジャール、そしてバレエは続く」が、来年お正月にル・シネマで公開されるそうで、片面だけのチラシがありました。A4版だったので、バレエフェスでチラシの束の中に入っているかもしれませんね。

Image0291_2


「カメラはベジャールの一周忌におこなわれたベジャール最後の作品「80分世界一周」の公演後、苦悩と葛藤をくり返しながら、美しきバレエを作り出していくダンサー達の日常に肉薄する。そして、ダンサー達の運命の日、ジル・ロマン振付の新作「アリア」のワールド・プレミアが幕を開ける」

スペイン映画で、80分。監督:Arantxa Aguirre
配給:セテラ・インターナショナル/アルバトロス・フィルム です。

IMDBにも情報は載っていました。原題は「Béjart: The Show Must Go On」です。
http://www.imdb.com/title/tt1423589/

制作会社Latido Filmsのオフィシャルサイトでは、予告編も観られます。
http://www.latidofilms.com/proyectos.nuevostitulos.ficha.do?idProyecto=110&opcion_izquierda=5&opcion_superior=3#

明日からいよいよバレエフェスが始まりますね~。まずは「ドン・キホーテ」からです!楽しみ~。

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2009/07/06

レスラー The Wrestler

The Wrestler
http://www.foxsearchlight.com/thewrestler/

http://www.wrestler.jp/

監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:ロバート・シーゲル
出演:ランディ(ミッキー・ローク)
    キャシディ(マリサ・トメイ)
    ステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)

私は熱心なプロレスファンではないけれども、中学生の頃、少年サンデーの「プロレススーパースター列伝」を毎週読んでいた。実際のプロレスも2回だけだけど観に行っているし、プロレス界を舞台にしたドキュメンタリー映画「ビヨンド・ザ・マット」もトークショーつきの回を観に行った。WWEの放送も時々観ている。プロレスには、筋書きがあるというけれども、たとえそんなものがあっても、自らを痛めつけ、血だらけ、傷だらけになって闘う男たちの姿には、ぐっと魂を掴むものがある。

その闘い方を観ると、バレエを想像してしまうときがある。生身の肉体が作り上げる、パフォーミングアーツという点で、共通項があるからだ。

今はすっかり落ちぶれてしまっているものの、80年代にはマディソン・スクエア・ガーデンを満杯にするほどの人気を博したプロレスラーのランディ。

冒頭、彼の過去の栄光は、彼が飾った新聞や雑誌の記事で綴られ、バックに流れるのはクワイエット・ライオットの「メタル・ヘルス」。ランディが年増シングルマザーのストリッパー、キャシディと初めてビールを飲むところで流れるのは、ラットの「ラウンド・アンド・ラウンド」(80年代は最高だったのに、ニルヴァーナがすべてをぶち壊した、というキャシディの台詞にはウケた。私はニルヴァーナも好きだけど)。ランディが最後の戦いへと向かうところでは、アクセプトの「Balls to the Wall」。そして彼が入場する時のテーマ曲は、GUNS N' ROSESの「Sweet Child O'Mine」。この80年代ヘヴィ・メタルを中心とした選曲が実にはまっている。

ランディは80年代の栄光を引きずってプロレスラー稼業を続けているものの、小さな会場で細々と試合を行い、トレーラーハウスの家賃も満足に払えず、スーパーでアルバイトをし、ダウンジャケットの穴をガムテープでふさいでいるような始末。それでも、老いつつある肉体にステロイド注射を打ち、日焼けサロンに通い、自慢の長髪を安い美容院で金髪に染めて、戦い続けている。若くないのに、ホッチキスを打たれたり、有刺鉄線で血だらけになったり、椅子で殴られたりと、あまりにも壮絶な生き様。

しかしランディを取り囲むプロレス関係の人々は優しい。「大丈夫か」と優しく声をかけたと思ったら次の瞬間には不意をついて襲い掛かるレスラーも、試合後には控え室でハグし合い、お互いの健闘をたたえる。試合開始前の打ち合わせでは、若いレスラーを励まし、アドバイスを与えるランディ。ファンたちもとても優しくて、往年のファンたちがランディにサインをせがんだり、寂れたサイン会場にやってきては、すっかり衰えたり身体が不自由になった元レスラーたちと一緒に写真を撮ったり、その姿を見ているだけで泣けてくる。

ランディは、ダメな男だ。過去にはあれほどの栄華を誇ったというのに、今の体たらく、それでも過去の栄光にすがりついてレスラーを細々と続けている。実の娘ステファニーを捨ててしまい父親らしいことは何もしなかった。いざ心臓発作を起こしてステファニーを訪ねて行っても、相手にされない。唯一彼女と和解するチャンスがあったというのに、酒とクスリと女に溺れてふいにしてしまう。でも、彼は愛すべき男だし、男気があるし、なんとか真っ当な人間として再生しようと一生懸命だ。そんな彼の魂にそっと寄り添うように、アロノフスキーは、時には容赦ないほどのクールさを保ちながらも、あたたかく彼の戦いを描く。

そんなランディのことが気になっているけれども、どうしても一歩深入りすることができないキャシディ。そろそろストリッパー稼業を続けるのも限界と感じていて、息子のためにも新しい生活を始めなければならない、その時にそばにいるべき男は、ランディではないと感じている。自分の母親と同じくらいの年なのか、と若い客にからかわれている彼女を「こんなに色っぽい女はいない」と助け出してくれた彼の男気には打たれながらも。優しいけど生活力のない男を、きっと彼女はたくさん見てきたのだろう。年齢の割には美しくプロポーションもいいのだけど、生活の疲れが見えてきた彼女は、安穏を求めていて、命を削ってでも戦いをやめないランディとは別のベクトルを向いていたのだ。

心臓発作を起こし、死にかけたことでレスラー生活に終止符を打とうと、ランディはスーパーの惣菜売り場でフルタイムで働くことを決意する。長髪を帽子で覆い、まるで満員のプロレスの試合会場へ入場する時のような演出で、売り場へと歩んでいくランディ。キャシディに息子がいると聞いて、「ちょっと待って、プレゼントしたいものがある」と自分のフィギュアを差し出した時のキャシディの表情。ステファニーに(派手なグリーンの)服をプレゼントして、二人で寂れた海岸を歩き、立ち入り禁止の扉を開けると広がる、ダンスホールの廃墟。美しい瞬間、美しい台詞がこの映画の中にはたくさんある。幕切れの見事さ。一瞬の闇と無音の後、ブルース・スプリングスティーンの胸を締め付けるようなテーマ曲が始まる。

(この映画のためにスプリングスティーンがノーギャラで書いたテーマ曲は、この作品を見事に捉えたものだ。歌詞はここで見ることができる)

負けると判っていても、傷だらけになって闘う男は美しい。

「引退するかどうか、決めるのはお前ら観客だけだ」。その言葉に、観客たちは熱いエールを送る。残酷さと温かさの両方を、ファンたちは持ち合わせている。

プロレスは、スポーツとパフォーミングアーツの過酷な部分を合わせた、芸術なのだと思った。ランディの役を、スタジオの反対にあってもミッキー・ロークが演じることにアロノフスキーはこだわったという。ランディの姿はそのまま、どん底から這い上がってきたロークに重なり、この世界で生き抜いていくことのタフさと、その中で勝利のない戦いを闘う姿の美しさを教えてくれる。

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2009/06/28

愛を読むひと The Reader

愛を読むひと The Reader
http://www.aiyomu.com/
http://www.imdb.com/title/tt0976051/

製作年 : 2008年
製作国 : アメリカ=ドイツ
監督 : スティーヴン・ダルドリー
製作:アンソニー・ミンゲラ、シドニー・ポラック
脚本:デビッド・ヘア
撮影:クリス・メンゲス、ロジャー・ディーキンス
原作: ベルンハルト・シュリンク 「朗読者」Der Vorleser
出演 : ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロス、レナ・オリン、ブルーノ・ガンツ

原作「朗読者」の邦訳が出た時に読んで、それから10年近く経っての映画化。日本でも当時ベストセラーとなったこの小説のタイトルではなくて、なぜこんな安っぽい邦題にしてしまったのかが大きな疑問。邦訳では、主人公の名前ははミヒャエルだったのに、英語で製作されているため、英語読みのマイケルとなっているのに違和感を覚えた。また、字幕には、時々明らかに誤訳と思われるところがあった。


(ネタバレしているので、未見の方は気をつけてください)

映画を観る前に、もう一度原作を読み直してみた。とても読みやすい邦訳で、ミヒャエルの一人称でストーリーは綴られている。この本を読んだ当時、とても心が動かされて涙を流したと記憶しているのだけど、2回目だからということもあったのか、いろいろな質問を投げかけられたような気がして考え込んでしまった。裁判の序盤で、「あなたならどうしましたか?」とハンナが裁判長に向けた問いは、私にも向けられているのではないかと思った。

本を読むという行為を通して、人の内面の世界は無限に拡大していくものだということが、この作品では隠喩いる。文字が読めないハンナが、頑固で不器用で、ナチスの犯罪行為の意味も理解できていなかったことの悲劇性を伝えている。

原作にほぼ忠実に映画は作られている。より判りやすく、ドラマ的な効果を上げるように付け加えられた描写や、省略されたところはあっても。

******

映画ならではの演出としては、15歳の時のミヒャエルが次から次へと様々な小説(ときにはコミックまで)を朗読していくところが情感豊かで素晴らしい。その間にふたりが愛し合っているところのカット割りが、軽い陶酔感を覚えるほど鮮やかで、恋愛の高揚感をも伝えている。小説を朗読することが愛を意味していたということを強く印象付けており、また強制収容所でハンナがユダヤ人の少女に本を読ませていたという証言にも繋がる。大人になってからのミヒャエルが、テープを吹き込むところもそう。朗読という行為を通して、ミヒャエルはハンナへの思いを伝えようとしていたということがよくわかる。

恋の高揚感の中にも、ハンナが実は字が読めないということを暗喩する描写がさりげなく散りばめられているのが、とても哀しい。ラテン語やギリシャ語まですらすらと読めるミヒャエルは、ハンナがまさか字が読めないなんて思いも寄らなかったことだった。

原作にないエピソードとしては、ミヒャエル(マイケル)と同じゼミを受けている生徒の一人の台詞がある。あの被告人の6人の元看守の女性たちは、たまたま捕まって裁判を受けているけれども、ナチスに関わった人間はものすごく多くいて、罪を問われている人だけではなく、その時代の人々皆が有罪なのではないか、と。

ナチズムを止めることができず、選挙で投票してヒトラーを選んだ人々にだって、罪があると考えることはできる。罪に問われた被告人たちは、職務を全うするために結果的に恐ろしい犯罪行為を行った。自分が同じ立場だったら、果たしてどうしたのだろうか。このシーンがあることで、この重大なテーマが判りやすく浮かび上がってくるのである。

それなのに、他の被告人たちは、自分たちの罪をハンナになすりつけて、罪から逃れようとする。刑の大小はあったとしても、有罪という意味では、皆同じだというのに。

******
哲学者だったミヒャエルの父の言葉が、大きなテーマとして全編を流れている。「私は、大人たちに対しても、他人が良いと思うことを自分自身が良いことと思うことより上位におくべき理由はまったく認めないね」人に対して良かれと思ったことが、本当に良いこととは限らないのだ。人間の想いというのは、しばしばすれ違うもの。

高校の同級生たちが誕生日パーティを企画してくれていたのに、パーティには出ずにハンナの元に駆けつけた若き日のミヒャエル。仕事から戻ってきてひどく疲れているハンナは不機嫌で彼の相手をしない。自分が何かを相手のためにしていると思っていても、それは自己満足に過ぎない。相手がどう思っているかということについては、思い図ることができない。看守時代のハンナが、収容者の中でお気に入りの若くて弱い女の子を見つけ、朗読させ、かわいがるもののアウシュヴィッツに送り返して死なせたというエピソードも、その例の一つだ。生き残った母娘のうちの娘のほうが、その事実を指摘し、「ほんとうにそれでよかったのでしょうか」と投げかける。

無期懲役の刑を下されたハンナの元へ、ミヒャエルは自らの朗読を収録したテープを送り続けるようになる。ハンナはそのテープを元に、刑務所の中で文字を覚え、やがてミヒャエルに手紙を書くようになる。返事がほしい、と書いても彼からは手紙は来なくて、テープばかりが送り続けられるようになる。こうしたミヒャエルの行為も、半分は自己満足なのではなかったのか?出所する彼女の社会復帰に向けて、住むところや職の世話もしようとした。だけど、彼の行ったことには決定的な何かが抜け落ちており、最後の悲劇へとつながってしまう。

そして、ハンナの秘密である、彼女が文盲であるということを裁判官に話すことについて、ミヒャエルは悩んだ挙句それを行わなかった。彼女の刑期が、それにより短くなったとしても、文盲であることを恥じていた彼女の気持ちを優先したのだった。しかし、それで本当に良かったのだろうか。

人と人との気持ちのすれ違い、相手の気持ちを慮ることの難しさ、複雑で一言では伝えられない感情について、見事に描ききった脚色が行われている。

ただ、一つだけ不満があるとしたら、それは出所を近くに控えていたハンナをミヒャエルが面会に訪れた時のこと。映画では、ハンナは自分の犯した罪について悔いていなかったということを表明していて、ミヒャエルは非常に裏切られた気持ちになって、彼女に対して微妙に冷淡な態度を取る。ところが、原作では、若き日の情事について、「裁判で話題になった時にはそのことは考えなかったの?」とミヒャエルが尋ねたところ、ハンナが「私はどっちみち誰にも理解してもらえないし、私が何者で、どうしてこんなことになってしまったのか、誰も知らないという気がしていたの。裁判所だって私に弁明を求めることができないわ。ただ、死者にはそれができるのよ。死者は理解してくれる」と答える。その言葉に、彼女の深い苦悩と孤独を感じることができたので、映画はハンナの描き方について、あまり優しくないと思ったのだった。映画では、ミヒャエルは躊躇しながらハンナの手に触れるが、原作では、別れ際にミヒャエルは彼女をそっと抱きしめるのだ。

反面、最後に登場する、ハンナの遺したお金と形見の缶を届けにミヒャエルがニューヨークに、生き残りの娘を尋ねる場面は、上手くエピソードを膨らますことができていたと思う。その娘を演じたのが、レナ・オリンという名女優だったということもあるけれども。「人々は私に収容所で何が得られたのか尋ねるけれども、収容所で得られたものは何もない」と言い切って頑なな態度を見せていた彼女が、お金を入れていた缶を目にした途端に、ハンナのことを少し理解するようになったのだ。戦争犯罪人であっても、同じ人間であり、同じ立場にいたら、どうしていたのかということについても、彼女は考えることができたのだと思う。他人の気持ちを理解するのは非常に困難なことではあるけれども、無理なことではない、そんな希望を与えてくれることで、悲しい物語に少しの救いを感じることができたのだった。

******
ハンナを演じたケイト・ウィンスレットは、頑固で真面目、孤独感を滲ませている故に少年にとって魅惑的な存在という女性に見事になりきっていた。骨太でちょっとくたびれた体型が、36歳のドイツ人の女性というふうに見えていて。あまりの真面目さと不器用さ、職務への忠実さゆえに、法廷でどんどん追い詰められていく彼女の姿が胸に痛く響く。刑務所に入って、実際以上の年齢に見えるほど老けてしまったときにも、大きな青い瞳だけはとても美しかった。

少年時代のミヒャエルを演じたデヴィッド・クロスはドイツ人で、撮影当時17歳という若さ。ほっそりとして背が高いけど、けっして美少年ではないところが、なんともリアルな感じがして、説得力のある演技を見せていた。中年以降のミヒャエル役のレイフ・ファインズは、陰があって苦悩するキャラクターがぴったり合っている。デヴィッド・クロスと顔があまり似ていないのが残念。

不満がないわけではない。ハンナとの面会シーンの台詞の違いと、少年時代のミヒャエルがプールでハンナの姿を見かけたのに駆け寄れなかったエピソードがなかったのが、個人的には惜しいと思った。台詞がドイツ語じゃないのも。が、ベストセラーの映画化という点では、非常に成功している。いくつもの重い問いを、ハンナ=ケイト・ウィンスレットのあのまっすぐな青い瞳で問いかけられ、私は答えを探すのに苦労している。

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2009/06/01

スラムドッグ$ミリオネア Slumdog Millionaire

アカデミー賞8部門受賞
最優秀作品賞、最優秀監督賞(ダニー・ボイル)、最優秀主題歌賞
最優秀作曲賞 最優秀編集賞 最優秀録音賞 最優秀撮影賞 最優秀脚色賞
原作「ぼくと1ルピーの神様」ヴィカス・スワラップ
監督:ダニー・ボイル
音楽:A・R・ラフマーン
http://slumdog.gyao.jp/
http://www.imdb.com/title/tt1010048/

アカデミー賞8部門、主要3部門に輝いたこの作品。期待しすぎると肩透かしだと思うし、普通に楽しい映画だけど、後に残るものはあまりない感じ。逆に、そういう映画が作品賞を取ったという事実自体は、いいことだと思う。この閉塞感で息が詰まりそうな世界の中で、このように楽しくて、見る者が希望を与える作品が評価されたのだから。

ムンバイのスラム街出身でコールセンターのお茶汲みとして働く青年が、クイズ番組でどんどん勝ち抜いていく物語。ストーリーの展開は、ほぼ予想通りで進んでいく。インドを舞台にしているものの、ダニー・ボイルというイギリス人が監督し、フォックス・サーチライトというハリウッドの会社が配給していることもあり、なんとなく、西洋人から見たインドというところが感じられてしまった。

ただ、ストーリーが予測どおりに進んで行き、ハッピーエンドで終わるというのは、インドのマサラムービーの典型的なパターン。エンドテロップでは、主人公とヒロインの二人が駅のホームで踊りまくり、いつのまにか群集が現れてダンス大会になる大団円というのは、マサラ・ムービーへの大いなるリスペクトが感じられて、すごく嬉しくなってしまった。本当はもっと踊りとか歌とか入っているといいな、と思ったけど、米資本の映画だしこれ以上上映時間は長くできないから仕方ないかな。エンドテロップの踊りまくり世界には、幸福感がぎゅっと詰まっていて、このエンディングがあっただけで大抵のことは許してしまっていいや、って思ってしまうほど楽しくて素敵。

音楽を担当しているのが、昔「ムトゥ踊るマハラジャ」が日本で公開されたときに「インドの小室哲哉(!)」として紹介されたヒットメーカーのA・R・ラフマーンというのはポイントが高い。アンドリュー・ロイド・ウェーバーと組んで作ったミュージカル「ボンベイ・ドリームズ」をロンドンで観たのだけど、音楽が素晴らしかった。そのA・R・ラフマーンの音楽作りの才能は、この作品でも発揮されている。

語り口はすごくうまくて、ダニー・ボイルがブレイクした「トレインスポッティング」を思わせる、テンポの良い編集やカメラワークが巧み。あまりの快進撃に疑惑を向けられて警察で取り調べを受けた主人公ジャマールが、なぜ勝ち進むことができたのかという理由を話す時に、それが彼の数奇な半生の物語と結びついていくという語り口が、実に見事だ。

孤児だったジャマールは、兄サリムとともに身体一つで過酷な社会の中を生き抜いてきた。インチキな観光ガイドとして二人が観光客からお金を稼ぐ姿の生き生きとしたたくましさが、微笑ましい。ギャングになった兄のキャラクターがすごく魅力的で、大切なジャマルの宝物を売り飛ばしたり、いろいろとひどいことをしてきたのだけど、でもそんな兄が最後に見せる男気には、泣けた。欲を言えば、もう少しこの兄とのエピソードが見たかった気がする。

ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立、少女売春、ギャング、そしてお金を稼がせるために歌の上手い少年を失明させるといったインドの社会状況(そして、インドが現在、英語圏のコールセンターとして機能しているということ)も出てくるのだけど、このあたりはちょっと表層的で、社会性みたいなものも盛り込んでみました、って感じで、そんなものは出さなくても良かったんじゃないかと思うほど。

個人的に一番ウケたのは、ジャマールの少年時代、粗末な掘っ立て小屋の中のトイレにこもっている時に、大人気の映画スターがやってきた時のエピソード。トイレに鍵がかかって出られなくなったジャマールが、トイレの中にダイブして、糞尿まみれの笑っちゃうほどひどい状態で、ヘリコプターから降りてきたスターにサインをもらうのだ。トイレにダイブする、というのは「トレインスポッティング」の中でも出てきた描写なので、思わずニヤリとしてしまった。このあたりの、空撮を巧みに使ったカメラワークの巧みさには、もうクラクラしてしまう!

最初にこの映画に出てくる「なぜジャマールは勝ち進むことができたのか?」という問いへの答え、それは「それが運命だったから」だった。学校にもろくに通っていない彼が、勝ち進めたのは、運が良かったからとも言えるけど、それまでの過酷な人生があったからこそ、難問に答えられたということだ。つまり、「運命」というのはそういうことなんだなって思った。そして、もう一つ「運命」は、孤児時代からの幼馴染、ラティカとの恋。幾多の困難と別れを乗り越えて、二人がめぐり合えたのも「運命」。だけど、その運を掴むことは、たやすいことじゃないんだな、ということが感じられた。この「困難を乗り越えて二人が結ばれるラブストーリー」というのも、もちろんマサラ・ムービーのお馴染みのパターンだ。ワンパターンといえばそうかもしれないけど、古今東西の映画の普遍的なテーマを、笑いあり、涙あり、サスペンスありで色彩豊かに描いていて、ワクワク感はずっと持続した。

観ている間はすごく面白いんだけど、期待しすぎない方がいいのかも。アカデミー賞をたくさん取った映画としてではなく、普通の娯楽映画としてみれば、すっごく楽しめると思う。

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2009/05/31

パリ・オペラ座のドキュメンタリー映画La Danse -La Ballet de l'Opéra de Paris、今秋公開

The Arts Roomsのフォーラムで教えていただいた情報です。

Bunkamura20周年記念企画ラインナップとして、以前も話題にした、フレデリック・ワイズマン監督作品のパリ・オペラ座バレエ団についてのドキュメンタリーが、今年の秋、ル・シネマにて公開されます。

http://www.bunkamura.co.jp/shosai/topics_ci_090421s.html

La Danse -La Ballet de l'Opéra de Paris-
(原題)

今秋公開予定

監督:フレデリック・ワイズマン Frederick Wiseman
出演:マチュー・ガニオ マリ=アニエス・ジロ ニコラ・ル・リッシュほかエトワール総出演!
配給:ショウゲート
2009年/フランス/158分

創立以来、300年以上にわたりバレエ界のトップに君臨し続けるパリ・オペラ座バレエ団。その内部をパリ・オペラ座全面協力のもと、巨匠ワイズマン監督が密着撮影により赤裸々に描きだす。エトワールらトップダンサー達の練習風景・リハーサル・公演はもちろん、経営陣の会議や広報活動、資金集め、また、あまり知られていないパリ・オペラ座自体の秘密にも迫る、豪華かつ驚きに満ちた158分。バレエの殿堂の謎が今、明かされる―。

(以前の記事はこちら
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2008/10/post-dbc7.html
「映像全体の約4分の3は「ロメオとジュリエット」「くるみ割り人形」「ベルナルダの家」などの演目のリハや本番などバレエの映像。残りは、管理経営についての映像が中心となりそうだ」(朝日新聞の記事より)

ワイズマン監督のインタビュー
http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200810230227.html

製作会社のオフィシャルサイト
http://www.ideale-audience.com/site/new_films_by_wiseman_and_monsaingeon_coming_from_i.563.0.html

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2009/05/19

映画「MILK ミルク」ガス・ヴァン・サント監督 Gus Van Zant film「Milk」

MILK
監督:ガス・ヴァン・サント
製作:ダン・ジンクス、ブルース・コーエン
脚本・製作総指揮:ダスティン・ランス・ブラック
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ショーン・ペン/エミール・ハーシュ/ジョシュ・ブローリン/ジェームズ・フランコ/ディエゴ・ルナ/アリソン・ピル/他

■2008年・米/128分
http://milk-movie.jp/main.html
http://www.imdb.com/title/tt1013753/

同性愛者であることを告白した米国初めての公職者であり、1978年に暗殺されたハーヴィー・ミルクの最後の8年間を、ガス・ヴァン・サント監督が描いた作品。ショーン・ペンがアカデミー賞主演男優賞に輝いた。

暗殺される予感がしたのか、市政執行委員に当選したハーヴィーは40歳から今までの軌跡をテープに吹き込む。自分が死んだ時には、これを聞いて欲しいと。

40歳の誕生日の夜、彼はスコットという若者に出会う。40歳になるというのに、今まで何もしてこなかったと言うハーヴィーに、新しいことを始めようとスコットは言う。彼らはサンフランシスコに移り住み、カストロ通りにカメラショップを開く。やがて彼らの店はゲイ・ピープルが集まるようになり、ゲイに差別的な商工会に対抗して、新しい商工会を作る。それが、政治家ハーヴィ・ミルクの第一歩だった。幾度もの落選、スコットとの別れを乗り越えて、78年に市政執行委員に当選。その頃、同性愛者の教師を解雇できるというプロポジション(提案)6号が嵐のように全米を襲っていた…。

ハーヴィー・ミルクの政治運動が大きな流れを作ったのは、彼が同性愛者のための権利獲得のみを目的として戦っていたからではない。希望を持つことが一番大切であり、希望を持てない世界は生きていく価値が無い、という普遍的なメッセージを訴えたからだ。

同性愛者であることが親に知れてしまった少年が、自殺予告の電話をハーヴィーにかける。同性愛嗜好を矯正するために精神病院に入れられるというのだ。「君は間違っていない、すぐに家を出て都会に行くんだ」とハーヴィーは言う。だが少年は、足が不自由なので逃げることもできないのだ。このエピソードの結末は、観る者の心に小さな明かりを灯してくれる。少年は友達の手で逃げることができ、プロポジション6号否決運動に携わるようになるのだ。

同性愛という個人の嗜好のために、未来や職、人生を奪われるような世の中には、希望が無い。希望を持てるような世の中になるように、一緒に戦おう、というのが彼のメッセージだった。それは同性愛者だけでなく、有色人種、老人、障害者、女性とあらゆるマイノリティの心を打った。いうまでもなく、オバマ現大統領の当選時のスピーチと、ハーヴィーのメッセージに強い共通点があるのが感じられる。オバマが当選したのは、希望を持てる世の中にしたいという強い意志が感じられたからだ。

(ひるがえって、今の日本の社会を包む閉塞感、希望の無さを考えると、本当に絶望してしまう)

「ミスティック・リバー」での演技が印象に残っているせいか、ショーン・ペンに対してちょっとマッチョなイメージを持っていた。だがここでの彼は、温厚で寛容、時には子供っぽくなるけど、目的のためには策士となる賢く優しい男性を立体的に演じている。ハーヴィーが歴史に残る政治家となったのは、単に同性愛者の権利を訴えて凶弾に倒れたからではない、というのがよくわかる。彼は、本当に人々に愛されていたのだ。彼を追悼するために3万人もの人々が蝋燭を手に集まったラストシーンには、思わず涙がこらえきれなくなっていた。

ハーヴィーは、ルックスがいいだけで他に何もないジャンキーの若者ジャックを拾って恋人にする。そのことを元恋人スコットになじられたハーヴィは、僕のような美しくもない年寄りが、あんな可愛い子と付き合えるかい、って答える。彼のなんとも人間臭いところが現れる。

同時に、ハーヴィーは計算が働く男だった。プロポジション(提案)6号を否決させるために、同じ市政執行委員に立候補していた保守派のダン・ホワイトと取引をする。その取引が、結局彼の命取りとなるのだが…。また、市民の支持を得るためにリサーチを行い、犬の糞を片付けない者には罰金を科すという条例を推進する。犬の糞を踏んでアピールするハーヴィのキュートなこと!

ハーヴィーがオペラを愛したということが、この映画にとても劇的な効果として生きている。政治に足を踏み入れた頃、彼は「トスカ」の「星は光りぬ」に聴き入って、「人のスケールを超える生」があると語る。晴れて市政執行委員に当選した彼が、庁舎の階段を上る時、まるで劇場の階段を上っていくような劇的な空間が演出され、若いスタッフクリーヴに、エレベーターではなくこの階段を使え、ぴっちりしたジーンズを穿けと言う。提案6号が否決されるという勝利を収めるものの、ジャックが自らの命を絶ってしまい、ハーヴィーは夜中にスコットに電話をかけ、昼間に観た「トスカ」の話をする。初めて二人がオペラに一緒に行ったときの思い出を。彼がダン・ホワイトの凶弾に斃れた時、最後に目にしたのは、サンフランシスコのオペラハウスの「トスカ」の看板だった。彼は「カミングアウト」=自分たちがここに存在するということを訴えるために、同性愛者たちを集めて大規模なデモ行進を行った。そうすることでマスメディアの耳目を集めさせるという、いわば「劇場型政治」(今の日本ではこの言い方はネガティブなイメージが強すぎるけど)で世界を変えた彼の、人生はオペラのようだったことを、ドラマティックに伝えている。トスカ役の音源が、ゲイに人気の高いマリア・カラスというところまで、配慮が行き届いている(劇中に登場する歌手の名前はもちろん別人だけど)。

ガス・ヴァン・サント監督が「エレファント」で見せた映像魔術、乱射事件の犯人の視線で長廻しで見せていって凶行を再現する技法は、この作品にも登場する。一つは、プロポジション6号が否決されたことが決まって部屋に戻るハーヴィが、ジャックが残した恨み言のメモを一つ一つ目で追い、最後に彼の死体を発見するまで。それから、まず市長を暗殺したダン・ホワイトが、次にハーヴィーを殺しに行く時の、市庁舎内のデスクの間や廊下を歩いていく時の、背中越しの目線。大いなる悲劇を盛り上げてくれて、伝記映画にありがちな単調さや、空々しい仰々しさとは無縁のドラマを感じさせる。加えて、アメリカン・ニューシネマを思わせるような、やや色あせて70年代的な映像のルックにもクラクラさせられた。

そのダン・ホワイトを演じたジョッシュ・ブローリンの演技も見事だった。厳格な家庭に育ち、古い価値観に抑圧を感じながらもそこから抜け切れない男の悲劇が感じられる。ハーヴィーは彼の保守的な考え方の裏には、人間の弱さが隠されており、そこをうまく突けば味方になると感じて、息子の洗礼式にまで出席した。(そして、同僚で洗礼式に出席したのは彼一人というところが泣ける) ハーヴィーは一度は彼の心を掴んだかに見えたのだけど、裏切られたと思うなり、ダンの憎しみは百倍にも膨れ上がり、そして凶行に結びついてしまった。

この映画に登場する、同性愛者の教師を解雇すべきだと訴えるキリスト教保守派の人々の物言いを見ると、それが30年もの前のこととは思えない。同じ言葉は、21世紀の今となっても、アメリカでさんざん言われていることなのだから。いみじくも、オバマ大統領の当選が決まった日に、同性愛婚を禁止する条例が可決になったのだから。この映画の中で曰く、同性愛者の教師から子供達を守らなくてはならない、同性愛者の教師に教えられた子供も同性愛者になり、子供が生まれなくなる、と。

どこぞの国での、子供を産むことは義務だとか女は子供を産む機械だとかの政治家の発言も同じ意味なのではないかと思う。ダン・ホワイトに、同性愛者だと子供ができないと言われたハーヴィーは、生まれるように努力するさ、と言う。子供を持つことは義務だという政治家や識者の発言を聞くと、彼らは同性愛者のカップルの存在なんて考えもしていないんでしょうね、って思うわけだけど。子供を持つかどうか、ということは個人の自由意志であり、国に強制されることではないのだ。そして、日本での未来に希望が持てないから、子供が生まれなくなるのだ。

難しいことを書いてしまったかもしれない。この作品は権利獲得のために戦った一人の政治家を描いている。けれども、政治的なことだけでなく、彼の一人の人間としての魅力、周りの人々の温かさ、人間の善意と希望について描いている。ハーヴィーは死んでしまった。だけども、愛すべき彼の記憶はいつまでも残るということが、エンディングでの登場人物たちの実際の姿とその後の生き方を見せていくという手法で心に刻み付けられた。そして、40歳からすべてを始めて、48歳で死ぬまでの8年間で、こんなにも大きな功績を残すことができたという、希望の光も。

それに、出てくる俳優たちの魅力的なこと!ジェームズ・フランコ、エミール・ハーシュ、ディエゴ・ルナ。70年代ルックもキュートに填まった若手俳優たち、このキャスティングの見事さに、思わずニコニコしてしまったよ。ガス・ヴァン・サントと私の男性の好みは似ているかも、と思ってしまった!

シネマライズでの上演は6月5日までなので、まだの方はぜひ!

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2009/03/28

本日WOWOW放映「Go Ape」

WOWOWが新人発掘を目的として、行っているWOWOWシナリオ大賞。

栄えある第1回受賞作「Go Ape」が3/28(土) 21:00より放映されます。
岸谷五朗演ずる中年オヤジと、城田優演じるエリート高校生との闘いを描くドラマです。
http://www.wowow.co.jp/dramaw/goape/

実はこの「Go Ape」のシナリオを書き、第1回WOWOWシナリオ大賞受賞者となった杉山嘉一さんは10年来の飲み友達なのです。

本人いわく、「最近の邦画には珍しい(ドラマだけど)勢いに溢れた滅茶苦茶な作品に仕上がりました」とのことなので、WOWOWをご覧になれる方は見てくださいね。

杉山さんは「北の国から」シリーズや、青山真治監督作品(「ユリイカ」「Helpless」「レイクサイド・マーダーケース」等)の助監督、そしてロックバンドのJanne Da Arc(ジャンヌダルク)を題材にした劇場公開作『HIRAKATA』で監督デビュー。ドラマ「ロケットボーイズ」などの監督もしています。

本人のインタビュー動画も見られるので良かったらどうぞ!
http://www.wowow.co.jp/dramaw/goape/movie.html

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2009/03/01

『ベンジャミン・バトン -数奇な人生-The Curious Case of Benjamin Button』

『The Curious Case of Benjamin Button』

公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/benjaminbutton/
米公式サイト http://www.benjaminbutton.com/
http://www.imdb.com/title/tt0421715/

監督 デヴィッド・フィンチャー
原作 F・スコット・フィッツジェラルド
音楽 アレクサンドル・デスプラ
脚本 エリック・ロス

ベンジャミン・バトン:ブラッド・ピット
デイジー:ケイト・ブランシェット
ミスター・ガトー:イライアス・コーティーズ
クイニー:タラジ・P・ヘンソン
トーマス・バトン:ジェイソン・フレミング
キャロライン:ジュリア・オーモンド
エリザベス・アボット:ティルダ・スウィントン
マイク船長:ジャレッド・ハリス

F・スコット・フィッツジェラルドの短編小説を映画化。80代の老人の姿で生まれ、歳をとるごとに若返っていき、0歳で生涯を終えたベンジャミン・バトンの奇妙な人生を描く。

「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」というタイトルだけど、年を取るごとに少しずつ若くなっていくという宿命以外は、ベンジャミンの人生はそこまで数奇なものではない。彼の人格というか中身は、実は穏やかな普通の人であり、だからこそこの設定が生きてくるのかな、と思う。

映画は比較的淡々と進んでいくが、デヴィッド・フィンチャーの演出の腕が冴え渡る場面がいくつかあって、ワクワクした。まずは一番最初の時計職人ミスター・ガトーのエピソード。1918年、第一次世界大戦の終結時。盲目だが大変腕の良いミスター・ガトーが、新築されたニューオーリンズの駅舎の時計の製作を依頼され、心血を注いで作り上げた。落成式にはルーズヴェルト大統領も出席。だが、見事な時計の針は、逆に時間を刻むのだった。第一次世界大戦に出征した一人息子が戦死したため、時間を逆戻りさせて欲しいという彼の思いがこめられていたのだ。息子の出征のシーンがここで逆再生される。この逆刻み時計は最後にもう一度登場する。人生は先に進んでいくけど前に戻ることはできないというテーマを上手く象徴させている。後で登場する、デイジーが交通事故に遭う時の、「あの時、そうしなかったなら」という別ヴァージョンをいくつも切り替えながら登場させるところも唸った。事故に関係した人々一人一人の動きを、語り手であるベンジャミンが知る由もなかったというのに、いくつかの偶然が重なって事故は起きてしまった。そして時計の針を戻すことは、もうできない。その時に交錯する人々の運命を、めくるめくカットつなぎで見せていく編集の妙に、クラクラと陶酔した。悲劇的なシーンなのに。

出産で命を落とした母親から生まれたベンジャミンの姿を見て、慌てて彼を連れて逃げ出す父の姿が強烈。皺くちゃの老人の姿の赤ちゃんをなかなか見せないところもうまい。老人ホームを運営する夫婦に引き取られたベンジャミンが、教会に連れて行かれて怪しげな神父に促されて車椅子から立ち上がるところも強烈。強烈といえば、老人ホームの住民たちもとても個性的で、中でも7回も雷に打たれたことをことあるたびに自慢する老人が面白かった。そのたびに、毎回異なるモノクロームの映像で雷に打たれる様子が登場するところがなんとも可笑しい。オペラ歌手だった老婦人、ピアノを教えてくれた老婦人…。

老人ホームで育ったベンジャミンは、幼い時から何回も人の死を目撃する。老人ホームで親しんできた愛すべきお年寄りたちの死。だから、彼は外見だけでなく中身も普通の子供よりも大人びていたし、死に親しんできたのだ。"アーティスト"であった男気あふれる「船長」と戦争に行って彼らの死を目撃する。その後も、何回となく親しい人たちの死に出会う。自分の姿だけはどんどん若くなっていくのに。死という避けられない運命を知ったからこそ、ベンジャミンは自分に課せられた数奇な運命を受け入れて、淡々と生きてきたのだと感じた。

彼が5歳の時に出会う運命の女性デイジー。老人の姿をしていた彼を、子供だと直感して仲良くしてくれた青い目の美少女のことを、ベンジャミンはどこにいても忘れることはなかった。10歳の子供から美しく成長して行き、そして少しずつ年を重ねて老いて行くデイジーに対して、老人から少しずつ若々しくなり、青年へと戻っていき最後には赤ん坊になってしまうベンジャミン。二人の年齢はほんの短い間だけ一致し、そしてその間、二人は夢のような甘い生活を送る。「このときの姿を覚えていよう」と二人で鏡に向かったシーンが時の儚さを感じさせて、とても切なかった。さらに切ないのが、ベンジャミンと別れ、別の男性と結婚してすでに初老の域に達していたデイジーと、時分の花というべき美しく若い青年になったベンジャミンがベッドを共にするところ。服を着るデイジーの背中が年老いて見えていたのが、すごく胸に痛かった。

交通事故に遭い、バレリーナという美を極める職業を断念したデイジーは、人一倍美しさや若さに固執している。自身が年を取っていくのにベンジャミンが若返っていくため、さらに年老いていく自分に引け目を感じて行ってそれが哀しかった。それでも人生は進んでいくし、生きていかなければならない。後戻りはできない。予期せぬ運命によって、思い通りに人生はいかないけれども、そんな中で偶然のかけがえのない出会いがある。人は生まれて成長して、年老いて死んでいくし、ほとんどの人間は名を残すこともなく死んでしまうけど、そんな一人一人にも人生があるのだと、しみじみと思うのだった。

タトゥーを刻んだアーティストだった船長。ダンサーだったデイジー。ドーバー海峡を泳ぎきった、ベンジャミンのロシアでの恋人エリザベス。雷に打たれた老人。時計を製作したミスター・ガトー。大きな母の愛で包んでくれたクイニー。彼らを走馬灯のように見せ、そしてハリケーンのカトリーナに襲われて水没していく時計を写して終わるのが見事だった。

予告編でバレエのシーンがあったので気になっていたのだけど、実際かなりバレエのシーンが登場する。デイジーはオーディションを受けて、スクール・オブ・アメリカン・バレエに入学する。晴れてNYでバレリーナとなった彼女がベンジャミンと食事するシーンで、一方的にバレエに対する情熱をまくし立てるシーンがある。「バランシンが、私は完璧なラインを持っているとほめてくれたわ」と。踊っている作品もネオクラシックなので、NYCBに入団したということなのだと思う(劇場は、現在「オペラ座の怪人」が上演されているマジェスティック劇場だったけど)。夜の靄がかかる中、デイジーが靴を脱いで踊る逆光線の幻想的なシーンが夢のように美しい。ダンスはもちろん吹き替えられていると思うけど、ケイト・ブランシェットはスリムで顔が小さいので、バレリーナ役というのも納得できる。「バレエ・リュスの振付家が来ているの」と言ったり、「ボリショイで初めて踊ったアメリカ人バレリーナ」だったり、そして交通事故に遭ってしまうパリでは、オペラ座に出演するという設定だった。ストレッチやバーレッスンをするところも出てくる。またバレリーナを断念した後も、デイジーはバレエ教室を始める。髪をシニヨンにしてバレエミストレスをやっている姿もとても絵になる。ケイト・ブランシェットは少しずつ年老いていくけれども、年を取っていってもやっぱりとても美しくて魅惑的だ。

それから、ベンジャミンが老人ホームで上品だけど孤独な婦人にピアノを教えてもらって弾く曲が、マクミラン振付「エリート・シンコペーションズ」でもお馴染みのスコット・ジョプリンの「23 Bethena」。彼が晩年認知症になり、子供の姿でピアノをたどたどしく弾くのもこの曲。この曲がテーマ曲としてうまく機能しているのが、なんだか嬉しかった。

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2009/01/28

「エグザイル/絆」(放・逐)

「エグザイル/絆」(放・逐)[2006.香港]
http://www.exile-kizuna.com/

監督:ジョニー・トー

CAST:アンソニー・ウォン、フランシス・ン、ニック・チョン、ラム・シュー 、ロイ・チョン、ジョシー・ホー、リッチー・レン、サイモン・ヤム、ラム・カートン、エレン・チャン、エディー・チョン

「ロンゲスト・ナイト(暗花)」、「ヒーロー・ネバーダイ」の"ダーク・トリロジー"3部作の頃から、ジョニー・トー監督作品はできるだけ観るようにしている。今までのジョニー・トー作品ベスト3を選べといわれたら、「ザ・ミッション/非情の掟」「ヒーロー・ネバーダイ」そして「暗戦/デッドエンド」なのだけど(コメディ「痩身男女」も、もちろん捨てがたい)、「エグザイル」はベスト3に食い込む、ジョニー・トーワールドの集大成。この映画については、不用意な感想を聞かせるような人とは友達にもなりたくない、と思うほど。東京フィルメックスで観てから2年。やっと劇場で再会することができた。

「エグザイル/絆」は「ザ・ミッション」と兄弟のような作品。メーンキャストのうち、アンソニー・ウォン、フランシス・ン、ロイ・チョン、ラム・シュー、サイモン・ヤムまでもがかぶっているのだから。そして、男たちの死をも恐れぬ友情譚という点でも、共通している。

「ザ・ミッション」では、暇をもてあました男たちが紙屑でサッカーを始める名シーンがあったけど、「エグザイル/絆」でも、終盤、男たちがウィスキーをサッカーボールのように投げて回し飲みし、最後には空き缶をパスするように蹴って合図にするという激シブな演出がある。「ザ・ミッション」も台詞の少ない映画であったが、「エグザイル/絆」では、極限にまでそぎ落とされている。男たちの友情には、もはや言葉は要らない、しぐさと目線だけでそれは伝わってくるのだ。

(微妙にネタバレです)

ボスを銃撃して追われている男、ウーの家に、彼を暗殺するためにボスに遣わされた男二人と、彼を追っ手から護るためにやってきた男が二人。この合計5人は、実は子供の頃からの親友。ウーの妻と生まれたばかりの子供がいるアパートの部屋で、3つ巴の銃撃戦が始まった時の芸術的なまでにスタイリッシュな映像。同じ銃弾の数になるように、一つずつ銃身から弾を抜いていくという彼らの律儀さ。静寂と緊張感に続く銃弾の雨。だけど、赤ちゃんの鳴き声を合図に、いつのまにか懐かしい旧友たちのつかの間の邂逅になるという展開に、ぎゅっとハートをつかまされる。殺す、殺されるという関係を一瞬忘れて食卓を囲み、再会した友人たちで記念撮影までしてしまう。銃撃戦で壊れた部屋の修理やヤンの引越しの手伝いまでしちゃうし。この記念写真のシーンが、ラストシーンのフォトマシーンから吐き出されてきた、笑顔でのプリクラ写真につながるというのが、憎い。

これは男たちの友情の話、男泣きの話なのに、台詞も音楽も極限にまで削られ、涙もなく、乾いた描写。中国返還前のマカオという舞台設定が、またカラッとしてエキゾチックさを添えていてる。「ワイルド・バンチ」のように全員で蜂の巣になって、花火のように華やかに散る幕切れなのに、彼らの最期の顔は笑っている。心の底からしびれるようなスタイリッシュな銃撃戦で彩られているのに、くすっと笑える要素も盛り込まれているのがいい。闇医者での銃撃戦シーンもただただ凄まじいのに(カーテンの使い方のうまさと美しさと言ったら!)、瀕死のウーを闇医者が治療しているところへ、ボスも治療を受けにやってくるという哀しくもコミカルな展開。組織に追われ、行き場をなくしたときですら絶望感はなく、まるで遠足に出かけているかのようで、行き先はコインを投げて決める。迷いこんだ荒野の先が金塊強奪現場で、そこでただ一人生き残った軍の敏腕スナイパーを演じるリッチー・レンの渋いことといったら、もう。銃弾で会話するとは、このこと。演出が巧みだったら、台詞っていらないものなのね。

ウーへの友情に厚くて熱い男フランシス・ン(というかン・ジャンユーと呼びたい)、無言の存在感にしびれるアンソニー・ウォン…いつまでも少年の心を忘れなかった5人プラス1人の漢たちに乾杯!

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2008/12/15

『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』Tropic Thunder

Tropic Thunder
http://www.shijosaitei.jp/

落ち目のアクションスター、演技派であるあまり黒人に整形手術した役者バカ、そしてお下劣コメディにばかり出ているコメディアン。この3人を中心にした俳優たちが、ベトナム戦争映画を撮影するために、東南アジアのジャングルへと送り込まれた。ところが、彼らが到着したロケ地では、麻薬をめぐる内戦が起こっており、役者であるはずの彼らが米国の麻薬捜査官と間違えられ、銃弾飛び交う中とんでもない目に遭う…無事に映画は撮影されるのだろうか?

IMDB
http://www.imdb.com/title/tt0942385/

観た人から面白いって聞いていたけど、よもやここまで面白いとは!
まず、最初に流れる4本の偽予告編が傑作。特に、ロバート・ダウニーJrとトビー・マグワイアが禁断の愛に走る修道士を演じた"Satan's Alley"、超観たいです。

そして、カメオ出演にしては存在感の大きすぎる、あの大スター、すごすぎ。これから観る人もいると思うのですが、あれはやっぱり一応彼だと知っておいた方が面白いと思います。メタボでハゲで性格が超最悪の過激な映画プロデューサーを演じた彼は、この映画の狂った演技で、カメオ出演なのにゴールデングローブ賞の助演俳優賞にノミネートされてしまいました。ロバート・ダウニーJrとともに。それから、落ち目アクションスターのベン・スティラーのエージェント役を演じている某二枚目俳優さん(ボンゴ事件で有名なあの方)も素晴らしいコメディ演技振り。この映画のエンディングタイトルが、妙なダンスを延々と腰を振り振り踊るあのトップスターなのが最高です。

しかも単なるおバカ映画ではなく、ハリウッドに対する強烈な風刺になっているのが面白いです。そもそも、フェイク予告編が見事なパロディになっているし。アクションスターとして落ち目になってきたベン・スティラーが、演技派に転向して、知的障がいの少年を演じた「シンプル・ジャック」でアカデミー賞を狙うというのも、もちろん風刺の一つ。だけど、このネタが、風刺だけではなく、後半における大きな伏線になっているのが実にお見事。また、役者魂のあまり黒人に変身してしまったロバート・ダウニーJrが聞かせる演技論には、なかなか深いものがあります。

基本的には「地獄の黙示録」をベースに、「プライベート・ライアン」などの戦争映画のパロディが随所に盛り込まれているわけですが、元ネタを知らなくても笑えると思います。ジャングルの中で夜中に、ベン・スティラーを襲うある動物については、もう死ぬほど笑っちゃいました。それに対してのエージェントのアドバイスも。前半は、少々戦争に絡んだグロ描写があるので、それに引く人はいると思いますが、それさえ我慢できれば大丈夫。個人的には、オジー・オズボーンのようにコウモリに噛み付くジャック・ブラックにも大笑いしました。

それからニック・ノルティとか、ジョン・ボイトとか、いろいろな大物スターがカメオ出演で出てきます。タイラ・バンクス姐さんも。

しかしコメディ映画なのに、絵作りが非常に凝っていて、ジャングルの危ない雰囲気、「闇の奥」的な禍々しさも感じられて完成度が高い撮影だと思ったら、友達に教えてもらったのですが、「シン・レッド・ライン」のジョン・トールが撮影監督なのだそうです。ヘリコプターに乗りながら、ローリングストーンズの「Sympathy for the Devil(悪魔を憐れむ歌)」が流れるシーンにはしびれます。

万人にお勧めできるかどうかは難しいところだけど、私は、映画館であのトムちんの怪演ぶりとクネクネダンスを観ただけでも、おつりがもらえるんじゃないかと思うくらいでした。それは別にしても、すっごく面白かったです。

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2008/11/08

宮廷画家ゴヤは見た GOYA'S GHOSTS

宮廷画家ゴヤは見た GOYA'S GHOSTS
http://goya-mita.com/
監督:ミロス・フォアマン
脚本:ミロス・フォアマン、ジャン=クロード・カリエール
製作:ソウル・ゼインツ
製作総指揮:ポール・ゼインツ

ロレンソ神父:ハビエル・バルデム
イネス・ビルバトゥア/アリシア:ナタリー・ポートマン
フランシスコ・デ・ゴヤ:ステラン・スカルスガルド
国王カルロス4世:ランディ・クエイド

本当は「ブーリン家の姉妹」を観るつもりで友達と日比谷シャンテの前で待ち合わせることになっていたら、先に来ていた友達から、ものすごい混雑だという報告。なんでだろう、と考えたらその日は11月1日で1000円の日なのだった。二人とも前売り券を持っていたので、せっかくなので1000円で観られる作品を、ということで同じナタリー・ポートマン主演の「宮廷画家ゴヤは見た」を観ることに。

冒頭、すでにカルロス4世の宮廷画家として名声を手に入れているゴヤの作品を、聖職者たちが糾弾する。聖職者をまるで悪魔の化身のように描いているのではないかと。ところが、ただ一人ロレンソ神父は、ゴヤの作品を擁護する。そして、異教徒への異端審問を強化すべきだと主張する。弁舌の巧みな彼は、それまでもその口八丁ぶりでのし上がってきたのではないかと思わせる。

その異端審問の犠牲となったのが、ゴヤのモデルを務めたことのある15歳の少女、イネス。教会の天使の絵のモデルにまで使われた美少女の彼女が、兄弟と出かけた居酒屋で豚肉を食べなかったというだけでユダヤ教徒との疑いをかけられ、捕らえられて拷問され、無理やり異教徒の告白をさせられて投獄される。ロレンソの肖像画をちょうど描いていたゴヤと交流があることを知っていた、イネスの裕福な家族は、何とか彼女を救ってほしいとゴヤの元を訪ねるが…。

ゴヤといえば、「黒い絵」シリーズでもよく知られていて、子供のときに家族でマドリッドのプラド美術館で初めてそれらを観た時には、あまりの不気味さに泣き出しそうになった。これらは、フランス軍がスペインに侵入していった後に描かれた作品群で、ゴヤが聴覚を失ってしまった後のものである。フランス革命の余波による半島戦争などのスペイン国内の混乱を描いた。ゴヤの描いた作品の中には、批判精神が息づいており、この映画のエンディングにも使われている「カルロス4世の家族」では、国王一家の知性の欠如が風刺的に描かれている。だけど、ゴヤはあくまでも一人の画家であって、時代を動かす人ではなかった。

そしてこの映画の中でも、ゴヤは激動の時代を語り部のように語っていく狂言回しにすぎない。彼の、傍観者でしかない、少女一人救えなかった悲しみがじわじわと伝わってくるのだ。

なんといっても強烈なのがロレンソ神父を演じたハビエル・バルデム。ゴヤの芸術には理解を示す一方、異端審問を進め、さらに牢に捕らえられたイネスに子を産ませてしまう罰当たりな神父。教会を追放されてからはフランスに逃れ、今度はフランス革命側の高官に就任して、聖職者たちを異端審問の罪で断罪する。時代をたくみに渡り歩き、権力を手にしてきた俗物の彼は、長い囚われの生活から壊れてしまったイネスを精神病院に放り込んでしまうような人でなしの男だった。そんな彼でも、最後の最後には…というオチがあるのがこの映画の凄いところだと思う。そんなロクでもない人物にどこか人間的な魅力を与えてしまうのが、ハビエル・バルデムの演技力だ。

ゴヤもまた、過激な作風で知られながらも宮廷画家として召抱えられ、さらにフランス革命を支持していたが、スペイン人民の独立戦争を支持するという矛盾した立場に立っていた人物。そのような内的な葛藤があったからこそ、傑作を数多く生み出すことができたのではないかと思わせる。後半、フランス革命軍の将校となったロレンソと、ゴヤが「お前が売春婦だ」「いやお前が売春婦だろ」と言い合う。巧みに時代を渡っていこうとした二人は、ある意味似たもの同士だったのかもしれない。そしてスペインを王政から解放するとしつつ、結局は弟をスペイン国王に据えてしまったナポレオン。人間というのは、権力に弱いものなのだ。

笑えるエピソードがある。馬にまたがってモデルになるためのポーズを取った王妃に「綺麗に描いてね」って頼まれて描いた絵で、実際以上に王妃を醜く描いてしまう。得意げに完成させた絵を国王夫妻に見せるゴヤ。不満げに立ち去る夫妻。そして国王フェリペ4世は、ゴヤに下手なヴァイオリンを得々と聴かせる。心にもない「感動しました、素晴らしい」とお世辞を言うゴヤ。ここに彼の本質が現れている。

イネスを救ってやることができなかったゴヤは、革命軍によって解放された後のやつれきって壊れてしまった彼女に、魅入られるように惹きつけられるのだった。正気を失い、まだ若いはずなのに老婆のように成り果ててしまったイネスだが、聖女のようにも見えてくる。ナタリー・ポートマンの熱演は、強烈な女優魂を感じさせる。彼女の腕に抱かれた誰の子かもわからない赤ん坊、荷車に引かれていくロレンソの死体、そしてその後を追うゴヤ。イギリス軍の将校の横に佇み艶然と微笑みながら死刑執行を見守るイネスの娘アリシア。なんとも凄まじい、地獄のようなラストシーンが、大団円のようにも思えてくる。それだけ狂気のみなぎる時代だったのだ。ヘビーな内容の作品だが、映画を観た!という満足感を与えてくれる力作。「アマデウス」のミロシュ・フォアマンらしい作品。台詞はほとんど英語だが、スペインでロケが行われ、セットは一切使わなかったことで、混沌の時代の闇を重厚に感じさせてくれる。

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2008/10/27

「ワイルド・バレット」 Running Scared お勧め!

ウェイン・クラマー監督/脚本、アメリカ/ドイツ、2006年、122分
ジョーイ:ポール・ウォーカー
オレグ・ユゴルスキー::キャメロン・ブライト
テレサ:ヴェラ・ファミーガ
刑事リデル:チャズ・パルミンテリ
アンゾ・ユゴルスキー:カレル・ローデン
http://www.wild-bullet.jp/
http://www.imdb.com/title/tt0404390/

たまたま招待券を持っていたところ、友人の熱烈プッシュもあって観に行くことに。(それに、ポール・ウォーカー好きだし)わずか2週間の上演期間で、劇場も新宿オスカーと銀座シネパトスのみ。あまり知られていないみたいだけど、これは映画館で観るべき快作!

タランティーノが「俺が待ち望んでいたのはコレだ」と絶賛していたとのことだけど、確かにタランティーノの影響は随所に感じられる。血を流し瀕死の状態で車をめちゃめちゃに飛ばすポール・ウォーカーと暗い瞳の少年。しかもこの少年は彼の息子じゃない。話はその18時間前に飛び、マフィアが麻薬の売上金を数えているところへ目出し帽をかぶった武装強盗団が乱入、超ヴァイオレントな銃撃戦という最初の展開。

また、この暗い瞳のロシア人少年オレグの極悪な継父が、ジョン・ウェインの熱狂的なファンで、昼間から彼の映画ばかり観ている。背中にジョン・ウェインの刺青まで彫っていて、彼のことを貶されると子供だろうが容赦しない。しかしながら、最後にはジョン・ウェインらしい漢気を見せるところなんていうのも、それっぽい(エンドクレジットを見ていたら、ちゃんとジョン・ウェイン財団の許可を取っていた)。彩度を極端に落としたザラザラした映像のルックも、初期のタランティーノ作品を髣髴させたりして。

悪人にも良いところがあったり、善人にもダークサイドがあったりとキャラクターに陰影があるのが良い。ポール・ウォーカーは今までは普通のイケメン的な役柄が多かったと思うけど、ここではイタリアン・マフィアの親分が殺しに使った銃を始末するのが仕事というチンピラのジョーイ。その銃を誤って隣人ユゴルスキーの息子で、ジョーイの息子ニッキーの親友でもあるオレグが手にしてしまって、虐待を繰り返す継父に向かってぶっ放しちゃう。その銃に足がついたら自分の命はない、とジョーイはまだ10歳のニッキーを連れまわして危険な場所をウロウロして銃の行方を探し回る。

この映画に登場する人物たちのクセのあること!まず、ロシア人少年オレグは、決して笑わない。大きな青く暗い瞳は、人の心の奥底まで見ているかのよう。彼を演じるキャメロン・ブライト、どこかで見たことがあると思ったら「サンキュー・スモーキング」でアーロン・エッカートの息子を演じていた。それどころか「記憶の棘」「バタフライ・エフェクト」「ウルトラ・ヴァイオレット」と活躍している天才子役とのこと。オレグとジョーイの擬似親子関係が物語のひとつの核。オレグを誘拐する変態幼児性愛サイコ夫婦の存在がものすごく怖い。張り付いたような笑顔の、一見上品な二人、怖いくらい整えられた部屋に住んでいる理想の家庭の中に潜むおぞましい狂気…。他にも娼婦やボン引き、悪徳警官、ロシアン・マフィアと子供に体験させるにはあまりにも強烈な人々とオレグは出会ってしまい、ジョーイと怪しげなニュージャージーの夜を彷徨う。オレグがこの映画の主人公と言ってもいいかもしれない。

悪徳汚職刑事にチャズ・パルミンテリ。彼が登場するとあるシーンで使われる、マスターカードのCMのパロディが秀逸。「ボストン・バッグ、XXドル、ノキアの携帯電話、100ドル、そしてXXX、プライスレス!」と。ジョン・ウェインの使い方といい、脚本も実にしゃれていて巧みだ。ちゃんとジョーイの妻テレサの活躍ポイントもある。

ポール・ウォーカー演じる下っ端チンピラのジョーイが、にっちもさっちも行かない、悪い方向へ悪い方向へと巻き込まれながらも、必死にオレグを守り、彼を母親の元に返そうと苦闘する姿。その中で見せる熱い男気、父親らしさに、彼ってこんなにいい役者だったっけと認識を新たにする。

まじ、真剣にポール・ウォーカーはカッコいい!

後半の息もつかせぬ怒涛の展開と、どんでん返しの数々!ニッキーとオレグがアイスホッケーファンであることを巧みに使った、驚愕のヴァイオレンス満載のクライマックス。ジョニー・トーの映画の世界など、香港映画にも通じるものがある。こんな作品があるから、B級映画はたまらないし、一度映画館に行き出したら、映画館通いがやめられないのだ。

エンドクレジットの最後のほうに 「ペキンパーとデパルマとウォルター・ヒルに捧ぐ」 ってあるけどまさにそんな感じ。

そうゆう映画が好きな人は、絶対に観なさい!

追記;書き忘れちゃったのだけど、この映画のエンディングタイトルがグラフィックノベル風というか、シュールな手描きの絵本イラスト風で(ちょっと「非現実の王国で」風味)、この映画の中に出てくる、オレグを襲う数々の悪夢を絵本風にイラスト化していて、アクション映画のエンディングにしては珍しいアート風味。オレグの地獄めぐりの物語だったんだな、と印象付けている。

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2008/10/20

東京国際映画祭 「行け行け!インド」

何年か前まで、まだ渋谷で開催されていた頃には東京国際映画祭は毎回20本とか観ていた。なのに、六本木に移ったとたん、チケットも取りにくくなり、交通の便も悪くなってしまったこともあって、足が遠のいてしまった。東京ファンタスティック映画祭も、東急文化会館がなくなってしまい、終わってしまったし。近年では、毎年1,2本しか観に行かない体たらく。今年は唯一、このインド映画を観に行くことにした。インド映画は、滅多に劇場公開されないので、こういう機会でもないと観られない。運良くぴあのプレオーダーに当たった。

六本木ヒルズに到着する前に、乃木坂から国立新美術館を通り抜けて(時間がなかったので、ピカソ展はまた次の機会にすることに)行ったのだけど、久しぶりに来た六本木ヒルズは、いつもと違う方向からすると位置関係が全然わからなくて迷ってしまった。森美術館で現在やっている「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」がとても面白そうなので、来週あたり行きたいなと思う。

「行け行け!インド」Chakde! India. 2007年
監督:シミト・アミーン
出演:シャー・ルク・カーン、サーガリカー・ガートゲー、シルパー・シュクラ
ボリウッドの若大将シャー・ルク・カーンが女子ホッケーの鬼コーチに扮して弱小代表チームを熱血指導する、インド製スポ根映画の決定版! 
http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=103
http://www.imdb.com/title/tt0871510/

インド映画界でも長くトップスターの地位を保っているシャー・ルク・カーンの主演作。ただし、インド娯楽映画にしては珍しく、踊りのシーンがない。女子ホッケー界を舞台にした正統派スポ根映画なので、確かに踊りはそぐわないかもしれない。ただ、音楽はいかにもボリウッド的だったので、インド映画を観た、という気持ちにはなった。

踊りのシーンがなくても安心して楽しめて、わかりやすく、笑って泣ける映画を作れるところがボリウッドの底力だと思う。しかも、その中にスポーツとナショナリズムの関係、インドにおける女性の地位確立、民族や宗教といった問題をきちんと取り入れているところが何気にすごい。

主人公カビールは、男子ホッケーのインド代表チームの主将だった。彼は世界選手権の決勝戦、因縁のパキスタン戦でPKを外してしまい、チームは負けてしまう。試合終了後、敵の選手と握手を交わしているところを、「わざと負けたのでは」という濡れ衣を着させられ、彼はホッケー界を追放されてしまう。パキスタンに対するインドの強烈な敵対心をここでは描いている。

7年後、弱小の女子ホッケー代表チームにはなり手がなかったところ、沈黙を破ってカビールが現れる。男子ホッケーチームはオリンピックで8回も金メダルに輝いているのに、女がスポーツを、それもミニスカートで走り回るホッケーなんて、という目で見られているのだ。女なんて炊事や洗濯をしていればいい、という意識をスポーツ推進委員すら思っている。インド中から代表選手たちが集められる。インドは多民族、多言語国家であることが現れていて面白い。みんな、最初は自分たちは州の代表であり、インドという国の代表という意識を全然持っていない。出身地の違う者、言葉や宗教の違う者、そのほか女同士の嫉妬などもあってチームはなかなかまとまらない。特にベテラン選手たちに反発されながら、カビールは女子選手にここまでやるか、というくらい厳しく指導する。彼の檄が印象的だ。「州のためでも、家族のためでもなく、インドのために戦え。それでも余裕があれば、自分のために戦え」と。そして、彼女たちを団結させるために、あえて敵役、嫌われ役を引き受ける。

保守的な部分も残っているインドで、ホッケーという激しいスポーツに取り組んでいる彼女たちなので、みんなものすごく気が強い。FWの二人の選手は、球を手にするとパスをしないで、そのままゴールに突入しようとする。ベテランの選手は、FWに配置されなかったことに腐って反抗する。そんな時に、無謀にもカビールは男子代表と戦うことを提案し、善戦する。そしてついにオーストラリアでの世界選手権出場へ。初戦は惨敗したものの、次から破竹の連勝で決勝戦まで勝ち進んだ彼女たち。さて、初戦で惨敗した相手オーストラリアと再び戦う決勝戦は?

ホッケーのチームのため登場人物も多いけど、一人一人がキャラクターが立っていて、それぞれ色々なバックグラウンドや個性を持っているので、面白く観ることができた。インドの国技であるクリケットのスター選手が婚約者の、美人FWや、嫁ぎ先の反対を押し切って参加したゴールキーパー、男の子のようなFW、すぐに怒りを爆発させてキレる選手などなど…。彼女たちの中に、インドの女性たちが抱えている問題点もあぶりだされてきている。インドのために戦え、と言われていても、実際には彼女たちは自分たちのために戦っているのだ。

とはいっても、あくまでも娯楽映画なので、実際にスポーツを観戦しているかのように、ワクワク冷や冷やしながら楽しむことができる爽やかな作品だ。ホッケーの試合のスピード感もよく伝わっている。そして、シャー・ルク・カーンという大スターが、かつて売国奴とレッテルを貼られた鬼コーチのカビールに扮しているというのが大きい。彼がつらい過去を乗り越えるために、嫌われ役を引き受け、再び立ち上がるまでの姿は感動を呼ぶ。

こういう映画を観ると、インドでは伊達に年間800本も映画を作っていないな、と思う。インドでも大ヒットを記録したという。そしてなかなか日本では映画館で観られないインド映画を上映してくれる映画祭って貴重だな、と思う。大きなスクリーンで、迫力ある試合のシーンが楽しめるのは格別だ。

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2008/10/06

「アイアンマン」Iron Man

バレエのシーズンオフで、すっかり映画ブログとなってきた感じだけど…。

「アイアンマン」
監督:ジョン・ファヴロー
出演:ロバート・ダウニーJr.
   テレンス・ハワード
   グウィネス・パルトロー
   ジェフ・ブリッジス

http://www.sonypictures.jp/movies/ironman/
http://www.imdb.com/title/tt0371746/

観た人の評判がいいのもよくわかる、面白い映画だった!

オープニングが、アフガニスタンでラジカセ?から流れるAC/DCの「バック・イン・ブラック」、エンディングがお約束のブラック・サバスの「アイアンマン」という選曲がまずツボ。

アイアンマンが巨大軍需企業の社長なんだもの。大金持ちで、天才科学者で、女性にモテモテで、チョイ悪系イケメンで、ギャンブル好きで、スピード狂で、社長。こういう陽性のヒーロー、いいな~。 アメ込みの主人公はダークヒーローが多いので、彼の明るさ、ちょっと能天気でやんちゃなところが余計気持ちよい。

しかも、ロバート・ダウニーJrが社長。クスリでたびたび捕まって、「アリーmyラブ」を降板させられた時には、この人も終わっちゃったのかと思ったら、華麗なる復活。キャンペーンで来日したと聞いた時には感慨深かったですわ。そこらへんのイケメンじゃなくて、身長が本当は173cmで、グウィネス・パルトロウより絶対に背が低いので底上げしている。だけど睫の長いパッチリしたお目目が可愛いのに、渋くてチョイ悪の彼なのがいい。 (というか、彼が主役だから観に行ったようなもの)

シャチョーなのに、自分で手作りでアイアンマンを組み立てるところが職人みたいでカッコいい。自分で何回も実験して、失敗して消火剤かけられたり、壁にぶつかったりするのが可愛い。自分の会社が輸出した兵器が人々を傷つけているのを見つけてすぐに兵器製造をやめますって一瞬で悔い改めて転向するところがまたナイーブでいいわ。モテモテなのに、ドレスを着た秘書嬢に急にときめいたり、告白できなかったりするところもキュートだし。 きわめつけは、あの記者会見のアドリブと、大喜びする記者連中!

手作りアイアンマン1号でアフガニスタンを脱出する時に、あんなにボコボコにされたり、弾があたっているのに全然平気そうなところは、中の人(=社長)もアイアンマンなのね。

ありえないスピードで急上昇したり、村に降り立って人々を一瞬で助けたり、すんごい爽快感があるし、装着する時のガチャンガチャンする音が渋い。大人が見ても楽しい、なんともいえない洒落心をくすぐる映画だった。

ところで、ジェフ・ブリッジスが出ていたのは、エンドクレジットが出るまで気がつかなかった(大汗)。まだまだ甘い私。


初めて「007 慰めの報酬」の予告編を観たんだけど、前の日に観た「愛の悪魔」でフランシス・ベーコンの繊細なヒモ愛人を演じていたダニエル・クレイグのボンドがえらく渋くていかしていて、これが同じ人かと思うほど。

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2008/10/05

「愛の悪魔 フランシス・ベイコンの歪んだ肖像」 Love is the Devil: Study for a Portrait of Francis Bacon

監督:ジョン・メイブリィ
出演:デレク・ジャコビ、ダニエル・クレイグ、ティルダ・スウィントン

http://www.imdb.com/title/tt0119577/

(この感想は、1999年2月に劇場で観たときの感想に、DVDで再見した時の感想を加筆修正したものです)

20世紀を代表する現代美術家の一人として著名なフランシス・ベイコンと、その愛人ジョージの関係を描いた作品。ベイコンの作品といえば、手近に観られるものとして花村萬月の芥川賞受賞作品「ゲルマニウムの夜」の表紙が挙げられるが、独特の強烈な作風で知られている。わたしも何度か美術館で見たことがあるが、痛切な痛みを感じさせる、叫びのような絵だ。

残念ながら、ベイコンの実際の作品は映画化を遺族に賛同してもらえず、この映画には登場しない。しかしながら、彼の芸術の世界は、映像の工夫で随所に現れている。食器や窓ガラスに映る歪んだ表情、乱雑なアトリエの中の丸い鏡やテーブル、ジョージの悪夢の中に現れる無間地獄のようならせんや全身から血を流しながら飛び降りようとする人物・・・。

何しろ、ベイコンという人物は強烈だ。彼を演じるサー・デレク・ジャコビは本当にそっくりの外見をしているのだが、見るからに変態である。どういう変態かというと、映画「戦艦ポチョムキン」の有名な、乳母車が階段を落ちていくシーンを見てマスターベーションしてしまうのだ。もちろん、ホモセクシャルであることを公言している。彼は常に自分が中心でなければ気が済まず、傲慢で、ジョージにはサディストのように振る舞いながらも、性的にはマゾヒストである。とても身なりに気を使っていて、街に出かけるときには化粧までして歩いている。この映画の舞台となった1964~71年頃にはすでに50代であったのに、だ。彼は、まわりの人間からエネルギーを吸い取って自分のパワーにしてしまう、ブラックホールのような人物である。それに対し、ジョージという人間は小悪党で平凡で、ベイコンの作品のモデルとしてもっとも多く登場しているにもかかわらず、どのような人物であったかの記録もほとんど残っていない。凡人は天才にそのエネルギーを吸い取られるよう運命づけられていたのだ。

そんなベイコンとジョージ・ダイアーが知り合ったきっかけというのは、なんと、ジョージが泥棒としてベイコンのアトリエに侵入したことであった。「ベッドにくれば、ほしいものをやろう」とベイコンに誘われ、若くてハンサムでありながらも、何回も懲役刑をくらっているチンピラであったジョージは、この怪物のような芸術家の愛人としてともに暮らし、愛の地獄を味わうことになる。演じているのは、いまやジェームズ・ボンド俳優として大スターになった若き日のダニエル・クレイグ。本来の金髪を黒く染めて、ダイアーに似せようとしている。顔立ちそのものは似ていないのに、有名なダイアーの横顔の写真や肖像と似ているのが面白い。見るからに居心地が悪そうで、ハンサムな外見とは裏腹に落ち着きがなく、常に不安に苛まれている様子、心がどんどん蝕まれていく様子が見えて、心が痛くなる。ベイコンと沿い寝するするときの無垢な寝顔、ベルトで彼を鞭打ってから「ごめんなさい」と謝る様子、そして不器用な愛の告白。この作品は、ジョージの心情に寄り添って、フランシスという人間を描いているのだ。

ベイコンは、ジョージの無教養だが無垢な面を愛し、それを自分の創造活動の源とした。実際、ジョージをモデルにした作品はかなり多く存在しており、ベーコンの作品の中でも強い印象を残す作品ばかりである。ジョージにいいスーツを着せ、仲間と入り浸っている酒場やカジノ、瀟洒なレストランに連れていき社交活動にいそしむ。しかし、教養のないジョージはそこに入り込むことができず、侮辱される思いをする。そして、麻薬や酒におぼれていき、自分自身をも見失ってしまう。夜毎見る悪夢。

酔っぱらったジョージをカジノに放置し、他の男性を部屋に引っ張り込んで彼を閉め出してしまうベイコンの仕打ち。ジョージは自殺未遂をしたり、麻薬があることを警察に密告したりして、彼の元を離れようとする。しかしながら、ベイコンの言葉の通り「一度磨かれた原石は二度と元には戻らない」。ジョージは結局ベイコンの元を離れられない。離れようとしたら、死を選ぶしかなかった。

デレク・ジャコビの演技は強烈だ。本当に狂気と変態性を併せ持った天才にしか思えない。中でも、3面の鏡の前でまるで娼婦のように婉然と微笑み化粧するシーンにはゾクッとする。カオスを表現した坂本龍一のスコアも素晴らしい。意外とわかりやすい作品になっていて、ベイコンという人間のすさまじい業を感じさせてくれる。

DVDを観るにあたって、特典映像のひとつ、1998年にこの作品がカンヌ映画祭の「ある視点」部門に出品された時のインタビューを見た。監督ジョン・メイブリィは、将来ダニエル・クレイグは必ずやスターになるだろうと予言しており、実際にその予言が当たっていたのには驚いた。このときのダニエルは若く、ほっそりとして、ナイフのように切れ味鋭い感じ。まだこのときにはほとんど映画に出ていなかったのに、その後の活躍は広く知られることになるわけだ。

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2008/10/04

「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」In the Realms of the Unreal

先週末に実家に帰ってテレビを見ていたら、NHKの「迷宮美術館」で、ヘンリー・ダーガーの「非現実の王国で」を取り上げていた。彼についてのドキュメンタリーが映画化されたのは知っていたし、とても興味があったけど映画館で観に行きそびれてしまった。その独特の色彩感覚、「ヴィヴィアン・ガールズ」という7人の少女たちの愛らしい造形、独創性と残酷さはものすごいインパクトがあり、思わず引き込まれてしまった。ちょうど、映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」がDVD化されたというタイミングだったので、早速購入して観てみた。

http://henry-darger.com/

孤独な人生を送った一人の貧しい老人。50年以上病院の雑役夫として働いていた彼が老人ホームに引っ越す際にアパートに残された荷物の中から、家主が見つけたのは、自分ひとりのために綴った「非現実の王国で」という15,000ページを超える大長編小説の原稿と、数百枚に及ぶ挿絵。家主夫妻が芸術家だったことこともあり、彼らは、この作品の独創性に驚愕する。そして、彼らは、ヘンリーの作品を世に出すために奔走する。死後、彼の作品は急速に評価を得るようになって、多くのアーティストのインスピレーションを刺激し続けている。

この映画では、ダーガーが19歳から81歳で亡くなるまでの60年以上をかけて、仕事を終えてアパートに帰ると、彼の頭の中で繰り広げられていた物語を綴った結果作られた「非現実の王国で」の美しくも残酷な世界を、アニメーション化した映像で表現しながら、生前の彼を知る大家のキヨコ・ラーナー(名前や容貌からしても日本人もしくは日系人?)ら近隣の人々の証言を交え、そして彼の生涯を振り返って、なぜこのような作品が生まれたのかを追っている。

ヘンリー・ターガーという人は、貧しい生まれから孤児院で育ち、しかも実際にはとても賢かったのに知的障害児と間違った診断をされて施設に入れられ、虐待を受ける。孤児院の農場で働かされた後、脱走。もちろんまともな教育を受ける機会もなかった彼は、病院の雑役夫として働きながら、一度は徴兵される。が、軍隊が耐えがたかった彼は、目が悪いふりをして除隊。以降、74歳で仕事を引退させられるまで引き続き病院の雑役夫として働き、退職した後までも、ほとんど誰とも交流することなく、アパートの部屋に引きこもって、誰にも知られることなく壮大な大叙事詩を創り上げていた。

この作品の正式な題名は、『非現実の王国として知られている国の、ヴィヴィアンの少女たちの物語。あるいは子供奴隷の反乱が引き起こしたグランデーコ=アンジェリニアン戦争の嵐の物語』という長い題名の戦争記。平和国家「アビエニア」を率いるのは、ヴィヴィアン・ガールズと言われる7人の幼い姉妹達。彼女たちは乗馬と射撃、変装の名人で、子供を奴隷にして虐待の限りを尽くす極悪国家「グランデリニア」と勇敢に戦う。

かくのごとく、日の当たらない生活をしていたダーガーが創り上げた世界は、カラフルでポップで美しく、ヴィヴィアン・ガールズという女の子たちもとても愛らしい。ダーガーは女性のイラストや写真が載っている新聞広告、ちらしなどを集めて切り取り、少女の絵の輪郭をトレースして着色するという独特なコラージュ方法を取って作品を描いた。同じモデルを使ってトレースするため、同じ顔をした少女たちが何人も登場して、独特の効果を上げている。

女の子たちは、時には翼が生えたりしているし、可愛い服を着ているけど、裸でいることもある。胸がなくて、ペニスが生えている女の子たち。ダーガーは生涯女性を知ることがなかったので、女の子にもペニスがあるものだと思い込んでいたらしい(別の説もあり)。ヴィヴィアン・ガールズが画面の上で動いている!その姿を見られただけでも、このDVDを購入してよかったと思う。ヴィヴィアン・ガールズによく似ているダコタ・ファニングがナレーションをしているというのも素晴らしい。

極彩色の花が咲いている美しい田園風景の中で、戦争が繰り広げられる。子供たちは裸で縛られ、吊り下げられ、磔にされ、拷問され、首を絞められる。時には、女の子たちが腹を切り裂かれて内臓まで撒き散らしている地獄絵図が展開する。美しく残酷な物語は、孤児院で虐待された彼の心の傷を反映したものだという。否応なく現実の残酷さが現れてしまっているのだ。また、徴兵された彼の戦争体験の影響もあったという。 子供たちを虐待する者は許さないという彼の強い思いが反映されている。ヘンリー・ダーガー自身が、アビエニア軍の将軍などとして登場しているのだ。

彼は意図的に自分のためだけの別世界「非現実の王国」を作り上げたのだった。人は想像の力だけで生きていくことができるのだろうか?心の中に作り出した虚構の人間関係やコミュニティーを、現実世界のそれと置き換えてしまえるのだろうか?ということがテーマになったと監督は言う。

しかし映画を観て感じたのは、このような貧しく一人ぼっちで過ごしている変わった老人(彼の部屋からは毎晩のように二つ以上の話し声が聞こえてきていたと言う)を気にかけている地域の人々がいたということ。人間関係が不得手でほとんど誰とも交流を持たなかったという彼だけど、家主のキヨコ・ラーナーも、周囲の人々も少しではあるけれど接点を持ち、ダーガーは彼女の犬を可愛がっていたそうだ。彼が老人ホームに引っ越す時には手伝った。が、隣人であるアーティストが、発見された彼の作品を観て「素晴らしかった」という感想を彼に述べた時に、「もう遅すぎる」と彼は答えた。老人ホームに引越しし、彼自身の「非現実の王国」を奪われた彼は、急速に衰弱してすぐに亡くなってしまった。

キヨコ・ラーナーの言葉が印象的だ。「彼は貧しかったけれども、心の中は本当に豊かだったのよ」。現実の人間関係が薄くても、豊かな人生を送ることができるということだ。彼女の、ダーガー、そしてその作品に寄せる深い愛情も伝わってきた。

映画「イントゥ・ザ・ワイルド」でクリスが言った、「人間関係だけが人生ではない」「幸せは、誰かと分かち合うことで本物となる」と併せて、いろいろと考えさせられた作品だった。ダーガーは、あの凄まじい内的世界を創り上げたことに満足した人生を送ったのだろうか?それとも、本当はもっと早く世間に認められたかったのか?人とのかかわりを求めていたのか?ラーナー夫妻が彼を発見することがなければ、彼の作品は埋もれたままであっただろう。人と人がかかわることについての問いを投げかけている作品だ。

彼の墓銘碑には「子供達を守り続けた芸術家」という言葉が刻まれているそうだ。

ワタリウムでの回顧展

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2008/09/28

「イントゥ・ザ・ワイルド」Into The Wild

Into The Wild
http://intothewild.jp/top.html
監督・脚本:ショーン・ペン
原作:ジョン・クラカワー『荒野へ』
出演:
クリス・マッカンドレス:エミール・ハーシュ
ビリー・マッカンドレス:マーシャ・ゲイ・ハーデン
ウォルト・マッカンドレス :ウィリアム・ハート
カリーン・マッカンドレス:ジェナ・マローン
ロン・フランツ:ハル・ホルブルック
ウェイン:ヴィンス・ヴォーン
レイニー:ブライアン・ダーカー
ジャン:キャスリーン・キーナー
トレイシー:クリステン・スチュワート
http://www.imdb.com/title/tt0758758/

1990年、裕福な家庭に育ち、大学を優秀な成績で卒業した一人の青年が、家族にも行き先を告げず、旅に出た。大学院入学のために貯めていた全財産を慈善団体に寄付し、電話も身分証明書も持たず、財布にあった現金も焼き捨て、車を途中で乗り捨て、そして名前まで捨てて。2年間もの間、アメリカ各地を転々としながら、その先に見ていたのはアラスカの大地。彼はいったい何を考え、旅先でどんな人と交流をしたのだろうか…。

1992年、この青年クリス・マッカンドレスがアラスカに到達してから4ヵ月後、彼の死体が打ち捨てられたバスの中で発見された。その実話をノンフィクションにしたベストセラー「荒野へ」を原作にショーン・ペンが映画化。映画化権を獲得するのに10年もかかったという。

若者が”自分探しの旅”に出かけるというのは、今も昔もあることで、中にはそのような行動に出る青年を批判する言質も聞かれる。実際、クリスの遺体が発見され、「荒野へ」がベストセラーとなった後も、ずいぶんと彼の行動は非難されたようだ。でも、彼は自分探しに出かけて行ったのではない。

クリスはすべてを捨てて一人荒野へと旅立ち、植物図鑑をめくっては食べられる植物を探したり狩をしての自給自足の生活を送る。ヒッチハイクをしては様々な人々と出会っては別れる。そしてあまりにも無謀な、軽装備でたった一人でのアラスカの荒野への旅立ち。彼の言葉の中には、物質的な文明を否定するものがたくさん出てくるし、お金も、モノも、愛もいらない、欲しいのは絶対的な自由だけ、とある。その自由と純粋な孤独を手に入れた果てに、彼は北の荒野で餓死し、朽ち果てた。それは壮大な”自分探しの旅”の結末だったのか?いや、そうではなかった。彼は、ただアラスカという未知の厳しい自然の中の土地に行ってみて、自分ひとりで生活して、純粋な孤独の高みに達してみたかっただけなのではなかったのだろう。

クリスは無一文で、一人で旅を続けるものの、それは生きることのかけがえの無さと幸福、厳しく雄大な大自然、そして自由という光が満ちあふれ、美しさに満たされたものであり、途中までは死の匂いとは無縁だ。そして、様々な人々との出会い。サウスダコタ州の農場主ウェインの元で働き、そしてヒッピーのカップルであるレイニーとジャン、美しい少女トレイシー、そして家族に先立たれ孤独な老人ロン・フランツ。少し社会からはみ出した人々だからこそ持っている、温かさに触れる。それでも、誰も彼の無謀なアラスカ行きをとめることはできなかった。

特に、偏屈な老人ロンとの出会いと別れは痛切で、涙なしには見られない。クリスは、ロンに人生の楽しみは人間関係だけじゃない、という話をするのに、死の前に、本に「幸せが現実となるのは誰かと分かち合った時だ」と書き残しているのが切ない。文学を愛するクリスは、「友達なんかより、小説の中に出てくる人物を友として生活してきた」と語る。そして様々な文学作品からの引用が、文中に登場する。最後になって人とのつながりの大切さを感じた彼だったけど、ラストシーンで彼の脳裏に去来する両親との笑顔と見上げた空を見ながら、やっぱり彼は幸福で、人生を思い通りに駆け抜けたんだろうな、死んでしまったことだけが唯一の誤算だったんだって思った。

水の苦手な彼が、川の増水によって向こう岸に帰れなくなる。そしてベルトの穴がどんどん増えていってやせ細っていく。ようやく狩ったエゾシカにすぐにウジがたかってしまう。居ついたバスの中に半ば引きこもり状態になる。植物図鑑を頼りに食べた植物の毒にあたる。どんどん衰弱していく。自然の猛威が牙を剥く。それでも、最後に登場する、カメラに残され死後現像されたクリス本人の写真を見るにつれて、彼は大切な何かを手に入れて、そして幸せな人生を送ったのだと確信できた。

148分という長尺を感じさせない演出も見事で、光、冷え冷えとした空気、動物の血の生臭い匂い、激流といったアメリカ大陸の大自然の呼吸を体験することができた。カメラワークの緩急の差のつけ方、3つの時制(「奇跡のバス」の中、順を追った時の流れ、そしてクリスの死後)の使い分けかたもすごい。文学作品の引用や、台詞の中に含まれた意味を租借するためにも、また映画館で観たいと思った、心に残る作品だった。特に、人生をこれからどうやって生きていこうかと悩んでいる人にとっては、鮮烈な一本になることだろう。

クリスと親しかった妹カリーンによるナレーションや、兄との思い出、家族の秘密の響きがとても痛切に耳に残る。あんなに親しくて、痛みや苦しみ、そして喜びを分け合った妹にも、一度も連絡をしなかったのは、なぜだろうか?それはクリスにとって、自由がどんなものよりも眩しい光を放っていたものだったからなのだろうか。

原作を早速帰宅途中に購入。一時期品切れだったようだけど、増刷されたようだ。今から読むのが楽しみ。(マーケットプレイスで高値で出ているけど、大きめの書店だったら今は手に入る)

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2008/09/23

「デトロイト・メタル・シティ」

「デトロイト・メタル・シティ」

http://www.go-to-dmc.jp/movie

監督 李 闘士男
脚本 大森美香
原作 若杉公徳
出演:
根岸崇一(松山ケンイチ)
相川由利(加藤ローサ)
カミュ(秋山竜次)
ジャギ(細田よしひこ)
社長(松雪泰子)
アサトヒデタカ(鈴木一真)
佐治くん(高橋一生)
母(宮崎美子)
ファン(大倉孝二 、岡田義徳)
ニナ(美波)
ジャック・イル・ダーク(ジーン・シモンズ)


原作のファンでもちろん全巻(といってもまだ6巻までしか出ていないけど)持っている私は、パブリシティで見た松山ケンイチのハマリぶりにちょっと期待しつつも、なるべく情報をシャットアウトして観ることにした。ローソンで売っていたDVDつき前売り券を予約までして買ったんだけどそのDVDすら観ないで。

原作を読んでいなければ、万人ウケするような、すごく良くできた、面白い映画だと思う。テンポが良くてダレることもほとんどなく、滑るようなギャグもなく、おまけにハートウォーミングで感動的な部分もありつつも、不条理な幕切れになっている。役者の演技も良い。インストア・イベントと相川さんの待つカフェを往復する根岸の滑稽なことと言ったら、もう!

しかし、なんで"資本主義の豚"が出てこないんだ~!!!

これが最大の不満点。資本主義の豚は温水洋一に演じて欲しかったのに。

友達の台詞を借りると、社長風に言えば
「ファーック!!あたしゃこんな映画じゃ濡れねーんだよ!」
ってとこかな。

松山ケンイチの根岸&クラウザーさんは素晴らしく良い。憑依型とかカメレオン系役者と言われるのもよくわかる。根岸のナヨナヨクネクネしてちょっと気色悪い動きや、内股で両手と腰が反対方向に左右にゆれるさまが凄くって、こんな奴絶対にいないし、いたら相当キモいと思いつつも嫌いになれないキャラクターを好演。
松雪泰子の社長は、ものすごいハマりっぷりで最高。舌でタバコを消したり、高笑いしたりキックを浴びせたり、根岸の部屋を強引にデスメタル部屋に改造したり、ノリノリで演じているので観ていて気持ちよい。
大倉孝二 、岡田義徳らのDMCファンたちが、めちゃめちゃいい味を出しているし、彼らをモデルにしてキャラクターを作ったんじゃないかなって思うほど。狂言廻しとしてもうまく機能している。ジャギとカミュが原作そっくりで良かったのに、出番が少なすぎたのは残念。

鈴木一真のアサトは、寒い、寒すぎるのだけど、これもうまいキャスティング。全体的にキャスティングはとても良い線を行っている。加藤ローサの相川さんは、ちょっとイメージが違うというか、相川さんはもっと天然ボケなのでは、と思う。でも悪くはない。九州出身の宮崎美子が母親役っていうのもいいし。ただ、クラウザーさんを囲んでのシュールな朝食風景の切り取り方は、もっとやりようがあった気がした。そのへんの見せ方が、監督や撮影監督の腕の見せ所だと思うんだけど。

音楽については、カジヒデキが作曲をしているオシャレポップス(笑)は素晴らしい出来。オシャレポップスをかなり笑いものにしている作品なのに、こんなにちゃんとした音楽を作ってくれたカジヒデキは偉い。「甘い恋人」も原作のイメージにぴったりすぎて凄い。

デスメタルについては、一家言ある私からすると残念ながら全然デスメタルじゃないんだけど、全国公開東宝配給の商業映画だから、仕方ないのかな。一応バックバンドにマーティ・フリードマンが入っているんだけど、メガデス自体デスメタルじゃないし。ジーン・シモンズを引っ張り出してきたのは凄い。ジャック・イル・ダークとの対決シーンはちょっと物足りないところもあるけど、ジーン・シモンズならではの圧倒的な存在感があったのは良かった。

新幹線の運転席にいたり、他に乗客もいる電車に乗っているクラウザーさんの姿ってすごくシュールで可笑しくていい。このシュールさを、もっと映画の中で出して欲しかった気がする。

最大の問題は、原作ではなんだかんだ言っても、根岸=クラウザーさんはデスメタルへの愛があったというか、「ぼくがやりたかったのはこんな音楽じゃない!」と言いつつもデスメタルからは決して逃れられないというか、その魅惑にズブズブにはまって抜けられないでいるのに、この映画ではそれが感じられなかったことだろうか。

原作にあった過激さが足りないのは、全国公開東宝配給の商業映画だから仕方ないのだろう。あの笑えるほどの過激さ、エログロさがあってこそのDMCだと思うけど。

社長の手下の「ぐりとぐら」が犬なのでは、可笑しさ半減どころか限りなくゼロにしちゃった感じで残念。こんな設定に変えた奴はSATSUGAI。

(以下ネタばれ全開でいきます)


最後の最後でクラウザーさん=根岸というのが相川さんにはバレてしまったというのが根本的な間違い。いつ相川さんにバレてしまうのか、ドキドキしながら見守るというのが、原作の楽しみであったのに、これでは原作レイプといわれても仕方ない。それどころか、母親にまでもバレているっぽいし。

いくらなんでも「No Music, No Dream」には萎えた。DMCってそんな話ではないはずなのでは?そんな言葉をあの社長が根岸に送るとは到底思えないというかあり得ない。あたしゃそんな言葉じゃ濡れないんだよって言われるのがオチでしょう。オシャレポップスを愛する一方、意に沿わないデスメタルで生計を立てている、それどころか人気者になっちゃったという矛盾というか不条理がこの原作の肝なので、その不条理を解消して、葛藤も終わりにして終わりというのでは、やっぱり原作レイプだろうな。


やっぱり資本主義の豚がいないのがつまんない!


続編があったら絶対に観に行くと思う。が、まずは脚本家を替えて欲しい。どうやら、感動パートは脚本家が担当したようだったから…。

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2008/09/11

「ダークナイト」The Dark Knight

IMDBのユーザーレイティングで歴代第3 位という高評価、そしてもちろん、故ヒース・レジャーの遺作ということで期待たっぷりで観た本作品、見ごたえがあった。映画というものを映画館で観ること自体すごく久しぶりだったということもあるけど。やっぱり映画館で映画を観るっていいなあと思わせてくれた作品。

監督 クリストファー・ノーラン
脚本 ジョナサン・ノーラン、クリストファー・ノーラン
撮影監督 ウォリー・フィスター

ブルース・ウェイン/バットマン クリスチャン・ベール
ジョーカー ヒース・レジャー
ハービー・デント アーロン・エッカート
アルフレード:マイケル・ケイン
レイチェル マギー・ギレンホール
ゴードン ゲイリー・オールドマン
ルーシャス・フォックス モーガン・フリーマン

「バットマン」シリーズは今まで3作しか観ていないのだけど、一番大切なのは何かというと、世界観と撮影のルックだと思っている。1作目のティム・バートンによる、陽の射さない暗くてゴシックなゴッサム・シティがどのように表現されているかということ。この点に関しても、素晴らしい。作品のテーマのひとつでもある、光と影が見事な対照を成して、光が明るければ闇は一層暗く表現されていて、美しくも禍々しい。また、ジョーカーの衣装やメイクなどの色彩感覚も実に禍々しく狂気を感じさせて見事である。

常人には理解不能な、絶対的な悪、テロリストとしてのジョーカー。そのジョーカーがもたらす恐怖が支配するゴッサム・シティに存在する唯一の光であった、正義感の強い若き地方検事ハービー・デント。光と影、この二つのキャラクター造形、特にハービーのキャラクター作り、そして彼が使う、とある小道具の設定が実に秀逸。清廉潔白で志の高い人物であればあるほど、ふとした大きな怒りや憎しみ、そして復讐心でたやすく天秤が傾き、コインの裏と表のように正邪が逆転しやすいということ、そして自分の選択に自信が持てなくなって運命を天に任せたくなるということを象徴させている。

「運命を、そして善悪を自ら選択する」というテーマは、終盤にあるフェリーでのエピソードでも象徴的に登場する。その時に人々が選び取った選択肢こそが、この残酷で混沌とした世界の中に射す、一筋の希望の光であり、人間性に対する信頼を示すものとして燦然と存在するものだ。しかし、その選択は容易に導き出されたものではないし、多数決で得られた答えは、必ずしも正しいものではないということも示している。

ジョーカーが病院を爆破していく、黙示録のようなテロのシーンは、まさしく9.11の世界貿易センターが崩壊していく様子と重ね合わせることができるだろう。

絶対的な悪としてのジョーカー。正義の使者でありながらも同時に糾弾される存在でもあるダークヒーローたるバットマン。悪と戦うために自ら悪の汚名を着るバットマン。我こそがバットマンであると名乗り出たハービー。これらのキャラクターは、お互いに自分たちの大義名分たる倫理、正義のために戦争を起こす米国、テロを起こすイスラム原理主義者、そのどちらともに重ね合わせることができるというのが、この映画の凄いところである。

ジョーカーが持っている根源的な憎しみの源である裂けた口、なぜそんな顔になってしまったのかを説明するエピソードが毎回違っているというのがまた恐怖を倍加させる。何者かに取り憑かれているかのようなヒース・レジャーの怪演ぶりが凄まじい。彼は完全なメソッド・アクターであり、身体の歪ませ方から声の出し方、震わせ方まで狂気が最初から最後までみなぎっている。禍の神として君臨するジョーカー、それを演じたことがヒース・レジャーの早すぎる死のきっかけのひとつになったかと思うと、痛ましい限り。

マイケル・ケインやモーガン・フリーマンといった名優(冒頭の銀行のシーンで登場するウィリアム・フィチトナーも印象的)を脇で使っている贅沢さもさることながら、ジョルジオ・アルマーニが手作りしたというクリスチャン・ベールのスーツ、そしてゼニアによるアーロン・エッカートのスーツのスタイリッシュさも見事なもので、映像のルックの美しさに貢献している。かくのごとく細部まで気を配って作られたこの作品は、隅々まで緊張感が持続し、2時間40分という長尺さも感じさせない。ブルース・ウェインの恋人レイチェル役がマギー・ギレンホールという渋いキャスティングが、ノーランが男女の関係ではなく男同士の関係に強い関心を持っていることを示しているんだな、とちょっと深読みできるところも面白い。

追記:エディソン・チェンが出ているのは気がつかなかった。残念!

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2008/05/07

「つぐない」Atonement

「つぐない」(2007年、英)Atonement

監督:ジョー・ライト
脚本:クリストファー・ハンプトン
音楽:ダリオ・マリアネッリ
原作:イアン・マキューアン
      (『贖罪』(01) Atonement 新潮文庫刊)
出演:キーラ・ナイトレイ、ジェームズ・マカヴォイ、ロモーラ・ガライ、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、シアーシャ・ローナン、ブレンダ・ブレッシン

作家志望の13歳の女の子ブライオニーがリズミカルに打つタイプライターの音が響くオープニング。屋敷の中を歩き回ったり、広大な敷地を駆け抜けて行く彼女を追うカメラ。ブライオニーの想像力が生み出した嘘と戦争に引き裂かれた恋人たち-セシリアとロビー-ではなく、ブライオニーこそがこの物語の主人公である。そして、この映画は、物語(ストーリーテリング)の魔力がもうひとつの主人公。ブライオニーは、物語の世界に魅せられた、想像力が豊かで多感、夢見がちな少女。そんな彼女が、偶然、噴水の水に濡れた姉セシリアの姿、使用人の息子ロビーが間違って渡してしまった性的な内容の手紙、そしてロビーとセシリアが愛し合っている場面を目にしてしまったこと、さらには従姉ローラがレイプされてしまうところまで見てしまうのだから、想像力に火がついてしまうのも無理はない。ブライオニーの偽証で恋人たちは引き裂かれる。

罪を贖うように、ブライオニーは大学進学をやめ、看護婦見習いとなって一時は作家への夢を断とうとする。しかしながら、ストーリーテラーとしての業は、一生彼女から離れなかった。そうやって、この映画は、ブライオニーのストーリーテラー(物語を作る人)としての視点と、恋人たちの視点という二つの視点から、時間軸をずらしながら多重的に展開するのである。そして、ストーリーテラーとしてのブライオニーの人生の集大成が、ラストに見事に結実する。そう、この映画は"贖罪"というテーマのほかに、映画を通して現実には実現しなかった物語を"物語ること"というテーマが存在しているのだ。映画を観る醍醐味のひとつはストーリーテリングに存在しているのであり、ここまで見事にそれが実現された作品はなかったのではないだろうか。

ブライオニーを演じた3人の女優が素晴らしい。中でも13歳のブライオニーを演じたシアーシャ・ローナンの演技は、こんな女の子、現実にいるよね、と感じさせてくれた。多感さ、幼さゆえの残酷さ、美しい姉やちょっとませた従姉ローラに張り合いたい気持ち、ロビーへの仄かな憧れ、一つ一つの小さな出来事に心が揺らぐ様子、役を生きていたといえる。初めての正装に身を包み、張り切って夕食会に出かけていく上気した気持ちから、地獄の底に落とされ、それでもセシリアに会いたいと戦地で彼女を想い続けた一途なロビーを演じたジェームズ・マカヴォイも、不器用で誠実な魅力を見せてくれた。キーラ・ナイトレイは演技という点ではちょっと不利な役だったけど、悲恋物語の主人公にふさわしい古典的な美しさに説得力がある。

もうひとつ見事なのが撮影で、冒頭のブライオニーを追いかけるカメラから、イギリスの風光明媚な地方の初夏の暑い日差し、ひんやりとした水、上気するセシリアの頬、衣擦れ、風の揺らぎ、ブライオニーの青い瞳などを切り取った前半。フランスで従軍したロビーがたどり着いた“ダンケルクの撤退”での長大な長廻しショットの見事さには息を呑む。馬が撃たれ、水や食料を求める兵士たち、傷ついて倒れている兵士たち、撤退できる歓びを歌う兵士たち、打ち捨てられた観覧車、ボロボロの艦船…それらをワンショットで捉えて、戦争の無残さや一人一人の兵士たちの息遣いを伝えている。マルセル・カルネの映画にロビーのシルエットが重なる戦場での息抜きの一瞬のカットも美しかった。

映画ならではのひねり、想像の翼が、美しく哀しい物語をさらに昇華させたエンディングが忘れがたい。それはブライオニーの自己満足であったとしても、生涯をかけたせめてもの贖罪なのだった。

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2008/05/04

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」There Will Be Blood

原作:アプトン・シンクレア『石油!』
監督、脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
主演:出演:ダニエル・デイ=ルイス アカデミー賞主演男優賞
音楽:ジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)
撮影:ロバート・エルスウィット アカデミー賞撮影賞

http://www.movies.co.jp/therewillbeblood/

2時間半を超える長尺作品、しかも実は私、ポール・トーマス・アンダーソンという監督の作品があまり得意ではなく「マグノリア」などは大嫌いでどうしようと思っていたので、観るまで凄く不安だった。でも、久々のダニエル・デイ=ルイスだし、と思って思い切って観に行って良かった。強烈に引き込まれる作品で、まったく退屈することなく見入ってしまった。これぞ、映画だと思った。なんといっても、全然ポール・トーマス・アンダーソンっぽくないところがいい。最初の10分ほどはまったく台詞がなく、映像の力だけでぐいぐいと引っ張られる。

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド=血は、石油と同一化する。何回か流れ出る血は、地面から噴き出る石油と同じどす黒い色をしている。ダニエル・デイ=ルイスが演じる石油採掘業者のダニエルは、石油のためには、人をだまし、裏切り、切り捨てる。そんな彼でも、子連れ狼のように連れて回る息子のH.W、そして途中で突如現れる弟のヘンリーには肉親の愛情を示しているかのように思えていたのだけど…。血とは、肉親の血のつながりのことも意味している。

ダニエルのあまりにも強烈な人物像。幾分かオーバーアクト気味に感じられながらも、強欲で人を信じず、挙句の果てには事故で耳が聞こえなくなった息子も捨て、神すら利用する孤独なモンスターのような男を、なぜかたまらなく魅力的に演じたダニエル=デイ・ルイスが悶絶するほど素晴らしい。その存在感により、この作品がギリシャ悲劇のような普遍的な物語に仕上がっているように思えてくる。そんなにストレートな作品ではなく、どこか黒い笑いが秘められているところがまた恐ろしいのだけど。ダニエル=デイ・ルイスの片頬で笑う笑みの皺の一本一本までもが魅力的。

この怪物ダニエルに対抗できるもう一人のモンスターが、ポール・ダノ演じる神父のイーライ。最初は家族想いの真面目な好青年に見えているのに、ダニエルの正体を暴くところからだんだん怪しく見えてきて、その胡散臭さと狂信性が炸裂する悪魔祓いの儀式のような教会のシーンでやられた。アメリカという国に存在しているキリスト教原理主義とか、テレビで布教する伝道師の源流みたいなものを感じさせるのだけど、そんな単純なキャラクターでもない。

このモンスター二人ががっぷり四つに組みあう最後のシチュエーションがあまりにも鮮烈。誰があんな場所で、あんな結末を想像しただろうか!その前の、教会でダニエルにイーライが罪を認めさせるシーンのサディスティックさもさることながら。この二人の男は、長年にわたって憎みあいながらも、なぜか強烈に惹かれあっており、その運命を交錯させずにはいられないものがあったのだ。
(女性のキャラクターがほとんど登場せず、弟との関係もなんとなく怪しかったり、息子が美少年だったりと、ダニエルにはどこか同性のみをひきつける妙な魅力がある)

ダニエルが息子H.W.に見せる愛情もとても複雑なもの。石油採掘の儲け話をするときには、可愛らしい息子をそばに寄り添わせ、自分は家族を大切にしておりこれはファミリービジネスだと強調しながらも、まだ幼い彼を、危険な採掘現場で働かせる。採掘場の事故に息子が遭った時も、息子よりも採掘場を心配し、聴力を失ってしまった息子を電車に乗せて実質的に捨ててしまう。それでも、彼が帰ってきたときには愛しているという。誰も信じることができない彼がすがった唯一の絆が、肉親の情だったわけなのだけど…。

ダニエルは、人として許されない行為を何回も繰り返した罪深い人間。そんな彼が、神に救われることはあるのだろうか?それとも、神を巧みにだますことができてしまったのか?そして、そんな彼を無理やり神にすがらせようとした神父のイーライもまた、その神に救われるのか?最終的には、キリスト教というよりは、人間にとっての普遍的な"神”の存在を問う、荘厳で、しかも挑発的な悲喜劇に仕上がった。

レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドによる不協和音的な爆音も素晴らしく、エンドロールのブラームスのヴァイオリンコンチェルトとともに、人間の営みと存在の不条理さと哀しさ可笑しさを奏でていた。

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2008/04/22

ジーン・シモンズが「デトロイト・メタル・シティ」に出演♪

大好きなマンガ「デトロイト・メタル・シティ」が松山ケンイチ主演で映画化されるのは知っていたけど、本物のKISSジーン・シモンズが、ジャック・イル・ダーク役です!きゃ~!

http://cinematoday.jp/page/N0013581

これはすごいな~

そして、写真を見ると、出演者のビジュアル、相当がんばったみたいで原作そっくりです。松山ケンイチくんのクラウザーさんや根岸もだし、松雪泰子の社長も原作同様強烈だし、けっこう期待していいのかもしれません。(でも、大好きなキャラクターである"資本主義の豚”さんが写真に写っていない…)

それにしても、ジーン・シモンズは洒落のわかる男でいいなあ♪WOWOWで放映されていた「スクール・オブ・ロック」といい、老いてますます元気良くてカッコいいです。

何を隠そう、私は10代の頃はヘヴィメタル少女でして、KISSはちょっと全盛期を過ぎていたけど(しかしコンサートは2回ほど行ったことがある)、当時はメタリカとかメガデスとかアンスラックスとかアイアン・メイデンなど大好きでした~(年がばれますね)。去年も、メガデスの来日公演に行って大感動して来たのです。
「デトロイト・メタル・シティ」はコアなメタルファンの中には、設定が受け入れられない人もいるようですが、これくらい不条理でバカバカしくて洒落が効いていて、しかも甘酸っぱさを持っているこの作品のテイストが私は好きです。

映画『デトロイト・メタル・シティ』は2008年夏に全国公開
オフィシャルサイト http://go-to-dmc.jp/

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2008/03/13

バーミンガム・ロイヤル・バレエのツァオ・チー、映画「Mao's Last Dancer」に出演

バーミンガム・ロイヤル・バレエの来日公演「美女と野獣」の野獣役で活躍したツァオ・チーは、元バレエダンサーLi Cunxin(李存信)のベストセラー自伝「Mao's Last Dancer」の映画化作品に、成人したLi役で出演するのだそうです。「Mao's Last Dancer」は、2003年に出版されベストセラーとなり、現在では20カ国で出版されており、オーストラリアで「今年の一冊」賞に輝いた作品だそうで。

http://www.brb.org.uk/4433.html

バーミンガム・ロイヤル・バレエから出たプレスリリースによると、ツァオ・チーは6ヶ月間バレエ団を休んで、撮影に入るとのことです。デヴィッド・ビントレーのコメントつき。

この Li Cunxinさんは、11歳の時、文化大革命のため政府の役人に見出されて北京舞踊アカデミーで学んだ後、アメリカに渡りました。16年間ヒューストン・バレエで活躍した後、中国への帰国を拒んで亡命、オーストラリアに移住してオーストラリア・バレエのプリンシパルとなったそうです。主なキャストとしては、Liの弁護士役にカイル・マクナクラン(「ツイン・ピークス」)、母親役に、「ラストエンペラー」や、「ラスト、コーション」でトニー・レオンが演じたイーの妻を演じたジョアン・チェン、ブルース・グリーンウッド(「ナショナル・トレジャー」)、そして「センターステージ」のヒロインを演じたアマンダ・シュルもLiの最初の妻役で出演するようです。Liの少年時代は、2007年のローザンヌ・コンクールに出場してコンテンポラリー賞を受賞したオーストラリア・バレエ学校のChengwu Guoが演じます。さらに、オーストラリア・バレエからマデリン・イーストー、スティーヴン・ヒースコートも出演する上に、香港バレエ団からもダンサーが出演するとのこと。オーストラリア映画として、撮影は主にオーストラリアで行われる模様です。

監督は、「ドライビング・ミス・デイジー」のブルース・ベレスフォード、脚本は「シャイン」のジャン・サルディ、プロデューサーは「シャイン」「クロコダイル・ダンディー」のジェイン・スコット、「HERO」「LOVERS」のGeng Lingだそうで、スタッフも豪華ですね。原作も面白そうなので、注文してみようと思います。子供向けの易しい版も出ているみたいです。

「中国人の天才バレエダンサーの映画、撮影開始」(ヴァラエティ・ジャパン)
http://www.varietyjapan.com/news/business/u3eqp3000002qcmz.html

http://www.if.com.au/PR/View.aspx?newsid=798

http://www.hollywoodreporter.com/hr/content_display/international/news/e3ibebff426749f11d6cd125e8db80d41ba

佐久間奈緒さんのパートナーとして素晴らしいパフォーマンスを見せたツァオさんがしばらく舞台を離れるのは残念ですが、このような映画の主役級で出られるのは嬉しいですよね。しかも、オーストラリア・バレエのダンサーも多数出演するようで、本格的なバレエ映画になりそうです。日本でも公開されますように。

なお、イアン・マッケイがアンヘル・コレーラのバレエ・デ・エスパーニャに参加するために退団し、ツァオ・チーも半年間離れてしまうバーミンガム・ロイヤルですが、一昨年の世界バレエフェスティバルや、去年のオーストラリア・バレエの来日公演に出演したマシュー・ローレンスが移籍したとのことです。BRBとオーストラリア・バレエは浅からぬ縁があるようですね。

Mao's Last DancerMao's Last Dancer
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2008/03/12

ラスト、コーション Lust、Caution(色、戒)

しばらく忙しかったり体調を崩したりで、なかなか映画を見に行く時間もなかったのだけど、あまりにも参っていたので、出張の代休を取って映画を観に行った。今年に入って観たのは、「俺たちフィギュアスケーター」「バレエ・リュス~踊る歓び、生きる歓び」「エリザベス・ゴールデン・エイジ」そして「ライラの冒険~黄金の羅針盤」

で、やっと観にいけたのが、「ラスト、コーション」。アン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」は言うまでもなく2006年の個人的ベストワン映画だし、トニー・レオンのファンなので楽しみにしていた。そして、期待は裏切られるどころか、すっかり打ちのめされて帰ってきた。

ネタバレです。

麻雀卓を囲む4人の美しい上流婦人たち。その中でもひときわ、若く美しく華やかなマイ夫人。ほっそりとした長身にぴったりと沿ったチャイナドレスに身を包んだ、匂い立つような妖艶な姿態よりも、そして日本軍の傀儡となって権力を握る男イーに激しく抱かれ、上気した肢体よりも、はにかみながら憧れのリーダー、クァンを見つめているすっぴんの純情な女子学生のチアチーの表情が心に残る。チアチーの青春とその終焉が、この作品の裏テーマなのではないかと思った。

青臭く幼い大学生たちのレジスタンスごっこが、こんな結末で終わるとは、あのときの、青春を謳歌している彼らは思わなかっただろう。でも、悲劇的な結末が透けて見えるからこそ、ほんの一瞬、革命劇の成功で舞い上がって、バスの中ではしゃいでいた彼らの姿が、まぶしくいとおしく思えてくるのだ。

イー役のトニー・レオン、チアチー(マイ夫人)役のタン・ウェイも、決して台詞が多い役ではない。この二人がこの役に選ばれたのは、ひとえに、まなざしの持つ力にほかならない。トニー・レオンは、「悲情城市」で聾唖の役を演じたことからも、どんな役者よりもまなざしで演技ができる人。同胞を裏切っている残酷な権力者、誰も信じない猜疑心の塊のような男がふと見せる孤独、哀しみを目だけで表現できるのは彼しかいない。

タン・ウェイも、女スパイとしての決意を持ってクァンへの恋心を葬り去ったまなざしの強さ、その中に揺らめく情念を見せながらも、使命を遂行することを決心した強さを、最後まで彼女は瞳の中に輝かせていた。帽子の縁から覗く、射るようなまなざしの強さが忘れがたい。マイ夫人という人妻に扮するために、チアチーはクアンではなく、愛してもいない同胞相手に処女を捨てなければならなかった。なのに決して泣き言は言わず、抱かれながら運命を強いまなざしで受け入れていたチアチー。

まなざしというのが、この映画の中でひとつのキーワードになっている。何よりもクラクラしたのが冒頭の麻雀のシーン。麻雀卓を囲む4人の女たちの、交錯する視線。何気ない会話の中に見える、探り合い、羨望、嫉妬。濃密な空気。そこに登場し一瞬だけ顔を見せるイー。30年代の上海へと引きずりこまれた一瞬だった。

最初の作戦が失敗し、上海に渡ったチアチーは、華やかなマイ夫人の影を微塵も感じさせない、貧しさに疲れた地味な女子学生になっていた。それなのに、再びイーに近づく任務を帯びたときには、チアチーは再び、あでやかな、だけど少し生活に疲れたマイ夫人に化けていた。「痩せたのね」「君も変わったよ」という台詞のやりとりに、敵同士であるはずのイーとチアチーの心が通じ合ってしまっているのが現れている。

チアチーは、香港での学生時代、抗日劇に主演した女優だった。そしてその女優としての素質を見込まれて、マイ夫人に化け、イーを誘惑して暗殺する使命を負っていた。自分を偽り、女優のようにマイ夫人を演じて、役柄に没入した。チアチーが映画を愛し、しばしば映画館に行くのも、女優だから。そのターゲットであるイーは、日本軍の手先として拷問を行っている冷徹な男だが、その仮面の下に悪になりきれない優しさや弱さが隠されている。そして、世界で唯一人、彼が信じられる、と思ったのがマイ夫人ことチアチーだったという皮肉。そして、その告白を聞いたことで、チアチーの心の中にイーという存在が踏み込んでいったのだった。

こんな二人が、本当に信じあえるもの、それは肉体の交わりだけであった。だからこそ、この映画の中ではベッドシーンが重要な役割を担っている。初めてイーがチアチーを抱いたとき、彼はじらそうとするシアチーを殴ってドレスを引き裂き、目を背けたくなるほどのあまりにも暴力的な情欲を噴出させる。コートを投げつけて彼が冷たく去って行った後、チアチーが目を潤ませて笑みを浮かべ、余韻に浸っていたのはなぜか。そして二度目のベッドシーンで延々と続く、激しいアクロバティックなまでの交わりは、あまりにも痛々しかった。こうすることでしか、真実の姿を見せることができない偽りのふたりが、哀しい。生きている実感を得るために、すべてをぶつけ合い、激しく愛し合う。だけど、エロスはそこにはなくて、ただただ哀しい。3度目のベッドシーンも激しく、暗闇が苦手というイーの目をチアチーはシーツで覆い、そして傍らには彼の拳銃。死と隣り合わせのぎりぎりの性愛。

組織のボスとクアンを前に、チアチーは、イーの心の奥底深くに入りこむために、どれほど心が血を流し叫び声をあげているか、赤裸々に告白する。彼女の心が血を流しているのと同様に、イーの心も踏み込まれた苦しさのあまり離れられなくなっていることも。別れ際にキスをしたクアンに「どうして3年前にしてくれなかったの」と言うチアチーの台詞は、彼らの青春の終わりを告げるものだった。チアチーがあんなに強い決意を持って任務についているのに、彼女にはレジスタンスって意識は微塵もない。ただ憧れのリーダーに従うまま没入した、大学生の革命ごっこの続きだった。それなのに。

宝石店でイーに6カラットのダイヤモンドの指輪を贈られ、一瞬喜びの表情を浮かべながらも「逃げて」と強いまなざしで告げたチアチー。そこに、与えられた運命から逃げずに受け入れる彼女の強さを感じた。宝石店から人力車に乗って、車夫に笑いかけられ、夕食の支度の話をする人々の日常の営みの声を聞きながら、思い起こすのは香港の大学で初めて舞台に立ち、客席にいた革命ごっこの仲間たちに笑いかけられた日。自決用の毒薬を握りつぶす。もうマイ夫人を演じる必要はない、その安堵は、石切り場の処刑場でクアンと交わした最後の微笑みのときにも続いていた。彼らが処刑された朝の10時、チアチーがいなくなった部屋でそっと涙を流すイーも、自分の先が長くないことを悟っていたはずだ。

※イーって野郎は、もっと極悪人であって欲しいなんてちょっと思ったんだけど、これくらいの甘さは、トニーだから許すかな。

20代後半とは思えない幼い素顔と純粋さの中に潜む色香、長身でほっそりとしているのに柔らかそうで、程よく肉のついた腕。少女と人妻、強い決意を秘めた革命家と、危険な誘惑者、愛欲に溺れる女。その両極端の魅力を併せ持ったタン・ウェイの起用なくては、この作品の成功は得られなかったに違いない。そして、その天使のような儚い、一瞬の夢のような、でもたしかな肉体を持つ魅力は、日本料理店でイーに彼女が聞かせた美しい歌を歌うところで最高潮に達していた。

そして、この作品のテーマは、「ブロークバック・マウンテン」と重なりあう。

つらく厳しい生の中で、誰からも決して理解されない、一瞬だけきらめいた愛、そして死。

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2008/01/23

ヒース・レジャー死去

今ニューヨークタイムズを読んでいたら知りました。ショックで言葉もありません。

マンハッタンの女優メアリー・ケイト・オルセン(警察の発表で撤回されました)自宅アパートで倒れており、原因はまだこれから究明されますが、薬物の過剰摂取か自殺の疑いが濃厚とのことです。 (追記:今のところ自殺に結びつくような証拠は見つかっていないようです。また、薬物はすべて、処方箋薬だそうです)
ブラッド・レンフロも亡くなったばかりなのに。

まだ28歳でした。これからというときだったのに。

魂の名作「ブロークバック・マウンテン」での切ない名演が忘れられません。

ご冥福を心からお祈りします・・。

http://cityroom.blogs.nytimes.com/2008/01/22/actor-heath-ledger-is-found-dead/index.html?ex=1358744400&en=13b55eec181b315a&ei=5088&partner=rssnyt&emc=rss

追記:もう少し詳しい記事がここにあります。離婚後荒れていたという話もありましたが、近所の人にとってはとても好人物だったようです。本当に悲しいことばかり起きますね。

http://www.nytimes.com/2008/01/23/movies/23ledger.html?_r=1&ex=1358744400&en=c0703aea69ab5306&ei=5088&partner=rssnyt&emc=rss&oref=slogin

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2007/12/15

映画「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」今日15日公開

以前から紹介してきました映画「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」が本日、15日より公開されます。

Poster_2


公式サイトを見たところ、

■シネカノン有楽町2丁目
12/15(土)~12/21(金)まで 9:15~
12/22(土)より 10:00~
» http://www.cqn-cinemas.com/yurakucho/

モーニングショーですが、上映館が増えていました。

メーンの劇場は、
■シネマライズ 12/15(土)~12/21(金)まで
■ライズX(ライズエックス) 12/22(土)~
11:35 / 14:10 / 16:45 / 19:20
» http://www.cinemarise.com

シネマライズでやっているうちに観に行きたいな。(前売り券は購入済み)

04


公式サイトでは、首藤康之さん、金森穣さん、荒井祐子さん、有吉京子さんがコメントを寄せています。

また、ギャラリーでは美しい写真の数々を観ることができるので、ぜひご覧ください。昔のバレリーナはみなハリウッド黄金時代の女優のように、美しいだけではなく雰囲気があるのですよね。一部薄井憲二バレエ・コレクションもあると思います。

さらに、プログラムのページでは、映画に登場する作品のタイトルが出てくるだけではなく、当時のプログラムの写真も。

バレエを愛するすべての人に、それからバレエに関心がなくても二つの戦争を乗り越えて今も輝いている人たちの姿を観たい人に、ぜひ観て欲しい素晴らしい映画です。

輸入盤DVDを観たときの感想がありますので、ぜひお読みください。
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2006/09/ballets_russes.html

バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓びバレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び
アリシア・マルコワ, アレクサンドラ・ダニロワ, イリナ・バロノワ, フレデリック・フランクリン, ダニエル・ゲラー他

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2007/12/04

イーサン・スティーフェル、映画「センターステージ」続編撮影中

ABTのイーサン・スティーフェルのほかジュリー・ケント、サシャ・ラデツキーらが出演してバレエファンに話題となった映画「センターステージ」の続編「Center Stage 2」が現在ヴァンクーバーで撮影中と、アメリカのバレエ雑誌Dance Magazineが伝えています。公開は2008年の予定。監督は「ドリームガールズ」の助監督を務めたSteven Jacobson。

イーサン・スティーフェルは「センターステージ」に続き、続編にも同じプレイボーイの役で出演するそうで、ダンサー兼教師として登場するとのこと。ヒロインはRachele Smithという新人で、小さな町からニューヨークのバレエスクール(SABがモデル)に入学し、バレエのほかヒップホップも好きであるためにクラスメートにいじめれる役だとか。そして、イーサンもこの映画でヒップホップも踊るそうです。

「ファンタスティックだったよ!成功しているかどうかはわからないけど、他のダンサーとのコラボレーションは素晴らしかった。このようなまったく新しいことを学べるのは、僕の現時点のキャリアにとっても、チャレンジでありエキサイティングだったと思う」とはイーサンの弁。

「センターステージ」では、イーサンとジュリーの「ロミオとジュリエット」バルコニーシーン、「スターズ・アンド・ストライプス」そしてウィールダンの振付作品などバレエシーンがふんだんに登場しましたが、今回も期待できるかもしれません。他にはどんなダンサーが出演するのか、楽しみです。「センターステージ」のヒロイン、アマンダ・シュルは結局サンフランシスコ・バレエを辞めてしまいましたが、共演したゾーイ・ザルダナはこの作品がきっかけで「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ターミナル」、それから現在のGAPの広告に出演したりして売れっ子になっています。また、サシャ・ラデツキーも現在はABTのソリストとして大活躍中です。

*******
他に話題としては、デンマーク・ロイヤル・バレエの「くるみ割り人形」(ケネス・グレーヴ振付の新作)の12月9日の公演に、パリ・オペラ座のアレッシオ・ガルボーネがゲスト出演するというニュースがありました。アレッシオは他にも、ローマ歌劇場バレエで「ペール・ギュント」(ツァネラ振付)に出演したり、Maggio Fiorentina で「ラ・シルフィード」のジェームズ役を踊ったり、ロベルト・ボッレのガラに出演したりと、オペラ座を休んでいる間も精力的に活動しているようです。貴重なクラシック要員なので戻ってきて欲しいですけどね。

センターステージセンターステージ
アマンダ・シュール.イーサン・スティーフェル.ピーター・ギャラガー ニコラス・ハイトナー

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2007/11/24

パリ・オペラ座「ル・パルク」先行販売、中国映画祭「四大天王」など

楽天ポイントのプラチナ、ゴールド、シルバー会員対象に楽天チケットのパリ・オペラ座「ル・パルク」の先行発売が今日から始まっていました。コメントで教えていただきました(ありがとうございます)。私はゴールド会員ではなかったんですが、家人が最近楽天でワインばかり買っているもので、ゴールドだったので取ってもらいました。とりあえずルグリの日だけ。それにしても、B席でも19000円って改めて高いですね。。。ニコラ&プジョルの日は、一番安い席を買うかしようか、どうしようかしら。

19日に公演が行われたのでオペラ座のストはもうないのかと思ったら22日はまた中止だったのですね。この連休を利用してパリへ観に行っている人もいるのに。観られなかった方々は本当にお気の毒です。交通関係は収束に向かっているようですから、本当に早くちゃんと再開することを祈ります。

***********
さて、今日は草月ホールで中国映画祭2007に行ってきました。実は東京国際映画祭で「鉄三角」を観たり、東京フィルメックスでジョニー・トー監督の「放・逐」(傑作!)を観たり、映画祭づいているのです。全部香港映画ですが。なかなか映画を観る暇がないのですが、もともと映画が本職で・・・。

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私が勝手に世界3大美形俳優の一人と呼んでいるダニエル・ウー(呉彦祖)の初監督作品。それも、彼が仲良しのテレンス・インはじめ俳優仲間と4人組のロックバンドを組むというドキュメンタリー作品、と見せかけて、モキュメンタリーというか、映画を作るためにバンドを結成して偽ドキュメンタリーにしたというもの。なんと1年半も、映画制作を隠してバンドとして活動したそうで。人気俳優のダニエルが何故今頃になってバンドを、って思われたようです。

バンドを組んだはいいけど、まともに歌えるのがテレンス・イン一人で、レコーディングからしてもう悲惨なもの、しかもレコード会社との契約がうまくいかなかったため、発売前の楽曲をネットに作為的に流出させて話題を呼ばせるなんて手法を使ってみたりして、非常に手が込んでいる。それから、ライヴのための衣装をあつらえるところなんか、衣装のあまりのゲイゲイしい趣味の悪さと怪しい衣装デザイナーや振付師に大爆笑。いつもはクールな悪役や、美貌の貴族とか演じているダニエル・ウーが実際は音痴で踊りもへたっぴなのにまた大笑い。インタビューも、ジャッキー・チュンやニコラス・ツェー、カレン・モクなどの有名どころを呼んで香港芸能界について、辛口トークをさせるなど、芸能界の問題点もさりげなく見せてみる。(ジャッキー-・チュンが、40歳過ぎて今更四大天王もないでしょ、って言っていたのが笑えました)

そして、グループ内での対立とか、色々な事件がおきて。いったいどこまでが本当でどこまでが嘘なのか、考えながら見るのも楽しい。基本的にコミカルなバカ映画なのだけど、芸能界への皮肉もたっぷりで、相当面白かったです。しかも、麗しいダニエル・ウーのティーチインつきですごくしあわせでした。明日も行く予定です。

*********
夜は、録画を溜めるばかりで全然観ていなかったグランプリシリーズの録画をちょっと見ました。ジュベールが欠場で個人的にテンションが下がっていたエリック・ボンバールで2位になったセルゲイ・ボロノフというロシアの若い選手が金髪でとても美形でスタイルも良く、スケーティングも、4回転も飛べそうな高いジャンプ、ミスなしの美しい動きと素晴らしかった。彼に限らず、男子のフィギュアの選手は美しい人が多いのですね。が、一人ぶちゃいくなブレオベールの演技がユーモラス、とっても楽しくって、ますます好きになってしまいました。明日のロシア大会はお気に入りのジョニー君が出るので、ますます楽しみです。その前にHDDを空けておかなければなりません。

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2007/11/13

ベルリン・フィル「春の祭典」プロジェクトNY版

ドキュメンタリー映画「ベルリン・フィルと子どもたち」では、ベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督サイモン・ラトルと、振付家のロイストン・マルドゥームが、恵まれない子供たちにダンスレッスンをして「春の祭典」を踊らせるというプロジェクトを展開しました。作品を作っていく過程、子供たちが芸術へ目覚めていく様子、子供たちの持つ可能性のきらめき、音楽の歓び、踊ることの歓びがつまった、とても感動的で素晴らしい作品となっています。

そして、このプロジェクトが、同じチームで今度はニューヨークで行われることになりました。

http://www.nytimes.com/2007/11/11/arts/11atam.html?_r=1&ref=dance&oref=slogin

ハーレムなどアップタウンの公立学校に通う、7歳から17歳の子供たち130人が、11月18日に、サイモン・ラトル指揮、ベルリン・フィル演奏、ロイストン・マルドゥームが振付けた「春の祭典」を踊ります。カーネギー・ホールで行われる「Berlin in Lights」というフェスティバルの最終日を飾るそうです。

http://www.carnegiehall.org/berlininlights/events/eventDetail.aspx?evt=8172

稽古などはすべてハーレムの学校などで行われ、まったくダンス経験のない、それどころかアートに触れる機会も少なかった子供たちが、マルドゥーム、ラトル、そしてドイツから来た二人の教師によって芸術の喜びを知るというプロジェクト、生で観たらさぞすごいことでしょうね。

なお、このプロジェクトには、裕福な個人や財団、企業をはじめ、ニューヨーク市とジェローム・ロビンス財団などが協賛しているそうです。日本では、たとえば東京都がそんなプロジェクトにお金を出すとは到底思えませんよね。

なお、映画「ベルリン・フィルと子供たち」は、11月11日(日) 午後10:00〜午後11:46 にNHKハイビジョンで放映されました。


「ベルリン・フィルと子供たち」のDVDのコレクターズ・エディションには、ダンス「春の祭典」本編と、ベルリン・フィルによる5.1ch録音の演奏編という特典がついていますが、これが本当に最高のパフォーマンスです。おすすめです。

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ドキュメンタリー映画, ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団, サイモン・ラトル, ロイストン・マルドゥーム, トマス・グルベ

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2007/09/25

映画「ニジンスキー」

東京バレエ団の「ニジンスキー・プロ」や展覧会「舞台芸術の世界」を観たこともあってまたちょっとしたバレエ・リュスのマイブーム。ちょっと前に観ていた映画「ニジンスキー」のビデオを引っ張り出して再見した。この映画、「愛と喝采の日々」「ダンサー」のハーバート・ロス監督作品なのだけど、ビデオもDVDも国内では出ていないので、ちょっと知る人ぞ知るという映画になっている。

「ニジンスキー」
1980年 イギリス
製作総指揮:ハリー・サルツマン
製作:スタンリー・オトゥール/ノラ・ケイ
監督 ハーバート・ロス
原作 ロモラ・ニジンスキー『その後のニジンスキー』
脚本 ヒュー・ホイーラー
撮影 ダグラス・スローカム
音楽 ジョン・ランチベリー
美術 ニコラス・ジョージアディス
配役 ディアギレフ(アラン・ベイツ)
   ニジンスキー(ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ)
   ロモラ(レスリー・ブラウン)
   フォーキン(ジェレミー・アイアンズ)
   カルサヴィナ(カルラ・フラッチ)
   チェケッティ(アントン・ドーリン)
   マリヤ・ピルツ(モニカ・メイソン)
   ガンズブルク男爵(アラン・バデル)
   ストラヴィンスキー(ロナルド・ピックアップ)
   バクスト(ロナルド・レイシー)

ニジンスキーを演じるのは、当時24歳でABTのソリストだったジョルジュ・デ・ラ・ペーニャ。アルゼンチンとロシアの血が入っているという彼は、ちょっとエキゾチックで甘いルックスのため実際のニジンスキーにあまり顔は似ていないけど、踊っている姿の妖しく両性具有的なところは通じるところがある。伝説的なニジンスキーを実際のダンサーが演じるのは、相当プレッシャーもあっただろうけど、テクニックは非常に高く、ニジンスキーらしさがある。ダンスシーンもふんだんに挿入され、「薔薇の精」などはかなり長くしっかりと捉えられている。彼の美しい「薔薇の精」を観て、ロモラが恋に落ちるという設定になっているのだけど説得力がある。他にとてもセクシーな「シェヘラザード」、「遊戯」「牧神の午後」「ペトルーシュカ」「ダッタン人の踊り」「カルナヴァル」など代表的なバレエ・リュス作品を見ることができるし、踊りのシーンは登場しないものの、「青神」の衣装合わせなども登場する。作品の挿入の仕方も、狂気に囚われつつあるニジンスキーが「ペトルーシュカ」を踊るなどかなりリンクしている。ラスト、拘束着を着せられ暗い部屋でぽつんとしているニジンスキーは、ペトルーシュカそのものである。「牧神の午後」では実際に舞台上でマスターベーションしていてかなり鮮烈な印象を残す。「春の祭典」はこの当時は復元されていなかったため、ケネス・マクミランが振付け、選ばれし乙女を踊るのは、現在ロイヤル・バレエの芸術監督であるモニカ・メイスン。シャトレ座での初演の大騒動についても再現されている。

ロモラ・ニジンスキーを演じるのは、「愛と喝采の日々」などハーバート・ロス監督作品でおなじみのレスリー・ブラウン。この映画はロモラの原作に基づいているのだけど、それにしても相当嫌な女として描かれている。グルーピーの走りみたいなもので、「薔薇の精」を観て「この男を私は絶対に手に入れる」と決意し、自分のお金や人脈を駆使して、実際にそれを実行し、その結果、ニジンスキーは破滅することになるのだから悪女の中の悪女だろう。それからカルラ・フラッチがタマラ・カルザヴィナを演じていたりとバレエ・ファンにはなかなか魅力的なキャスティング。ディアギレフを演じるアラン・ベイツは相当そっくりに変装している。ラスト近く、ロモラがニジンスキーを復帰させてと頼みに行ったところ、彼の新しい愛情の対象であるセルジュ・リファールが佇んでいるところなんて、なんと残酷なことよ。また、ミハイル・フォーキンを演じているのはジェレミー・アイアンズで、この映画が映画デビューということになっているようだ。

1917年のニジンスキーの最後の舞台が描かれておらず、最後は冒頭と同じ拘束着をまとった狂気のニジンスキーの姿で終わるなど、後半生はほとんど触れられていない。でも、彼が踊ったり生み出したりした作品を通じて、ニジンスキーという人物の前半性を知るには絶好の作品といえる。彼が活躍した1910年代の風俗も丁寧に描かれているし、同性愛的な描写もさらりとはしているものの、しっかりと表現されている。どのように彼が追い詰められ、狂気に蝕まれていったのか、といったところもわかりやすく演出されている。国内版のビデオやDVDが存在せず、輸入版の中古のビデオを買ったのだけど字幕がないのが残念。ぜひとも国内版DVD化を希望する作品。

詳しい説明は、鈴木晶さんのサイトにあるのでこちらもどうぞ。
http://www.shosbar.com/balletomania/dance&film/nijinsky.html

NijinskyNijinsky
Alan Bates , George De La Pena , Leslie Browne , Alan Badel , Herbert Ross

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2007/09/19

『デス・プルーフ in グラインドハウス』

連休で実家に帰ったら、父がタランティーノの新作「デス・プルーフ」が面白いので見に行けという。シドニー・ポワチエが出ているんだって。でも早速観に行ってシドニー・ポワチエの姿を探したけどどこにもいない。前半のバーでのガールズトークに登場するセクシーなDJ”ジャングル・ジュリア"を演じているのがシドニー・タミーア・ポワチエ。シドニー・ポワチエと「冒険者たち」の名女優ジョンナ・シムカスの娘だという。ったくお父さんったら。

アメリカでは、タランティーノ篇『デス・プルーフ』とロドリゲス篇の『プラネット・テラー』という2本の映画が『グラインドハウス』という1つのタイトルのもと同時上映された。でも日本では、この同時上映は限定公開で、一本ずつバラでの公開となってしまい、出張で日本にいなかったこともあって同時上映は見逃しちゃった。2本立てで上映されるB級アクション映画へのオマージュとして作られているこの作品、わざとフィルムに傷をつけたり、コマを落としたりの工夫がされている。

映画自体は、一言でいえば「く、くだらない」。でも、めっちゃ面白かった。どこを切ってもタランティーノ印で嬉しくなっちゃう。

前半エピソードは、3人の美女がバーでガールズトークを繰り広げる。延々と音楽についての薀蓄を語っているところや、男子の品定めについておしゃべりしているところを、キャメラは長廻しで捉えている。このトークが退屈という声もあるみたいだけど、「レザボア・ドッグス」でのマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」についての語りを思い起こさせて思わずニヤリ。しかも、トークのメンバーの中にいつの間にか、すっかりおっさんになってしまったタランティーノ本人がいるし。ラテン度濃い女の子たちの無駄にエロい肢体、特に脚を舐め回すキャメラ。中でも"バタフライ”ことアーリーンがカート・ラッセル相手に繰り広げるラップダンスのエロティックなことといったら、もう。音楽のセンスも最高にいい。

ところがこのカート・ラッセル演じる怪しげな”スタントマン・マイク”がとんでもない変態サイコ男なのだ。自慢のスタント仕様というか「デス・プルーフ(耐死仕様)」車で美女を惨殺することが彼にとっての何よりのエクスタシー。目をつけた女性を乗せては無残に殺戮することが快楽であり、セックスの代償行為、それどころかそれ以上の快感を伴うのだ。

最初に彼の毒牙にかかるのが、「プラネット・テラー」では片足マシンガンのヒロインを演じるゴス女優のローズ・マッゴワン。こちらでは金髪美女で、ものすごく可愛い。が、彼の車に乗せられたが最後、あまりにも無残な死が待っていた。そして残りの3人の女の子たちも・・・。

後半は14ヵ月後。次にマイクが目をつけたのはスタントウーマン二人に、ヘアメイク、そして女優の美女4人組。前半は音楽ネタなら、後半はカーアクション映画のマニアックトーク大会に。「アンジー(アンジェリーナ・ジョリー)が出ていた下らない映画じゃないほうの『60セカンズ』」について熱く語ったり。そして、スタントウーマンのゾーイ(本物のスタントウーマンで「キル・ビル」ではユマ・サーマンのスタントを務めたゾーイ・ベルが本人役で出演)は、「バニッシング・ポイント」について熱く語る。ついでに、「バニシング・ポイント」に登場したのと同じ白い車が売りに出ているのを知って、試乗し、ある大胆な行動に出るのだ。それは、映画と同じ、超高速で走行するクルマのボンネットにまたがることなのである!

そんな彼女たちをスタントマン・マイクが見逃すわけはなく、早速次の餌食としてデヘデヘ興奮しながら執拗に追い掛け回すのだが・・・ここであっさりとやられるような彼女たちではない!超ハイテンションのスリリングな決死のカーチェイスが繰り広げられる。そして驚愕の展開へとなだれ込むのだ。

超高速で走行するクルマのボンネットの上に横たわるゾーイの肢体を、ここでも舐め回すように撮影するキャメラ。だが、CGではなく実際に決死のスタントを美女が演じているとあればますます大興奮。命綱をCGで消しただけだというから本当にすごい。文字通り手に汗を握る展開。だけど、そこからとんでもない方向へ映画は逸脱しちゃう。さすがカート・ラッセルをここで起用しただけのことはある!いやはや参った。

カート・ラッセル、あそこまで狂っちゃって、そして行くところまで行っちゃって今後の俳優生命大丈夫か?と心配したくなるほど。クルマから突き出た女の子の足を、つばをつけた手で撫でる変態チックなところも怪しかったけど、期待以上のことをやってくれちゃったよ。これぞB級映画魂というもの。とってもキュートな女優役のリーの衣装がチアガール姿というのも、サービス精神満点でいいけど。強くてセクシーな女の子たち、最強。

興奮の坩堝と化した映画館の場内は、やがて大爆笑へ。いやあ、参った。く、下らないけど最高!スカッと爽快!ガールパワーは最高♪THE ENDのクレジットが入るタイミングも絶妙で開いた口がふさがらない。否が応でも「プラネット・テラー」への期待が高まってしまう。映画館で観るべき、体験すべき一本。

デス・プルーフ in グラインドハウス
監督:クエンティン・タランティーノ
出演:カート・ラッセル、ゾーイ・ベル、ロザリオ・ドーソン
(2007年/アメリカ)

http://www.grindhousemovie.jp/

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2007/07/10

映画「バレエ・リュス 踊る歓び 生きる歓び」公開

以前当ブログでご紹介した映画「Ballet Russes」ですが、ついに日本でも劇場公開が決定しました。読売新聞のPop Styleで紹介されていたのですが(本紙でも紹介されているはずですが、日本にいなくて読んでいません)、「バレエ・リュス 踊る歓び 生きる歓び」というタイトルで、公開は今年の年末を予定しているとのこと。

乗越たかおさんのブログで、もう少し公開について詳しく書いてあります。それによると、
>シネマライズ、ライズエックスにてお正月ロードショー!他全国順次公開
>配給:ファントム・フィルム 宣伝:ムヴィオラ

とのことだそうです。これは、バレエの歴史を知る上では欠かせない、本当に素晴らしい作品なのでバレエファン必見です。劇場公開はとても嬉しいニュースです。本国の公式サイトはこちらです。

先日ABTの「ロミオとジュリエット」でローレンス神父を演じた、93歳の現役ダンサー・フレデリック・フランクリンもバレエ・リュスの生き証人として出演しています。

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NYCBのプリンシパルで、芸術監督ピーター・マーティンスの息子でもあるニラス・マーティンスが、ツアー先のサラトガでコカイン所持で逮捕されてしまったそうです。(産経新聞の記事
偉大な父と比較するとちょっともっさりとしたダンサーではあるとはいえ、看板ダンサーのニラスがツアー最中にこんな不祥事を起こしてしまうとは、大変なことですね。しかも芸術監督の息子ということだし。

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2007/04/21

「パンズ・ラビリンス」El Laberinto del fauno

今年のアカデミー賞の撮影賞、美術賞、メイクアップ賞を受賞し、外国語映画賞、作曲賞、脚本賞にもノミネートされた作品。「ミミック」などのホラー映画や「ブレイド」「ヘルボーイ」などのアクション、そして同じくスペイン内戦を舞台にした「デビルス・バックボーン」で知られるギレルモ・デル・トロ監督の作品。

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1944年、内戦が繰り広げられているスペイン。内戦で父親を失った少女オフェーリアは、身重の母と、新しい父であるファシスト軍の"大尉”の基地がある山まで旅する。妊娠中毒症で体調の悪い妻の身体を気遣うよりも、跡継ぎ息子は自分のそばで生まれるべきだとする、超マッチョで残忍な大尉を父と思うことはできないオフェーリアは、現実を逃れ小説の世界に魅せられていた。虫の姿をした妖精に導かれたオフェーリアは、牧神パンのいる迷宮へと導かれる。パンの話では、オフェーリアは遠い昔に地下の魔法の世界に君臨し、夢見た地上で亡くなったお姫様の生まれ変わりだと言う。本当にお姫様であることを証明するための3つの試練に耐えられれば、魔法の世界に帰れるのだ。オフェーリアは、困難な試練に立ち向かうが、彼女を取り巻く現実の世界は、恐ろしいファンタジーの世界よりもずっと過酷でつらく哀しいものだった・・・。

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この映画の表現、イマジネーションの肥沃さには舌を巻く。眼が手にある白い化け物の屋敷には、ゴヤの後期の「黒い絵」を思わせるグロテスクで残酷な絵が飾ってあり、子供たちの靴が大量に積まれていて、人食い鬼であることを連想させる。食卓の葡萄のシャーベットのような輝きを見ると、オフェリアが禁を破ってつい食べたくなってしまう気持ちがわかる。オフェリアの試練を伝える本の、空白のページにみるみるデカタントな文字や絵が描かれていく様子も美しいし、母が出血している時に本からも血が流れているといった表現もショッキングながら美しい。この血のシーンや、ラストの血は、少女の破瓜のメタファーであるようにも思える。パンに渡された、マンドレイクルート(これが根っこのくせに人間のような形をしていて、うねうね動いたり悲鳴を上げたりするのだ)を牛乳に浸し、オフェリアが血を数滴与えるところもそう。徹底的なフェティシズムに貫かれている映画なのだ。

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美しいファンタジー映画ではある。幻想の場面に出てくるクリーチャーたちの、グロテスクだが美意識が感じられる独創的な造形。ダークでゴシックで魔術的な、悪夢のように恐ろしく時には残酷だけどどこか懐かしい迷宮。不思議の国のアリスのようなグリーンのドレスとエプロンを身に着けたオフェリアの無垢な愛らしさ。しかし幻想の世界が美しければ美しいほど、現実のあまりの苛酷さが際立つ。

小さな女の子が生きていくには、あまりにもつらい環境。継父である大尉は、残虐を絵に描いたような男で、ゲリラの疑いが少しでもある人間は、容赦なく拷問を加えた上で殺す。趣味が拷問と殺人じゃないかと思えるくらいで、トンカチや錐、ペンチといった道具を手に持ったときのぞっとするような嬉しそうな表情といったら。

小さな女の子が主人公の映画ではあるけど、正視できないような残酷なシーンもたくさんあるし、大尉は虫けらのようにサディスティックに人を殺しまくる。だけど、おそらく実際のスペイン内戦では、これ以上の残虐が行われたのだろうなと思わせられた。だから、これらの残酷描写は必然的なものであったのではないかと思う。(が、さすがに子供には見せられない)

オフェリアは、パンに課せられた試練に立ち向かうために戦う。ぐちゃぐちゃの泥まみれになったり、気持ち悪い虫に体中を這いまわされたり、眼が手のひらにある恐ろしい化け物に追いかけられたり、大変な目に遭う。だけど、そんなことは、現実のつらさを思えば・・。だって、ここではまだ戦うことができるのだから。どうにもならない絶望的な現実を乗り越えるために、オフェリアはおとぎ話の中で戦い、そしてその戦う姿勢は、やがて現実でも貫かれる。最初は現実逃避だったかもしれない。リアルの世界は、とても生き抜くことはできないくらい、つらいのだから。だけど、幻想の世界も決して甘くはない。

リアルと幻想、この二つの世界が少女の中で溶け合いひとつになり、奇跡をもたらす。

この映画は一種「女性映画」という側面も持っている。主要な女性の登場人物は3人。オフェリアと、オフェリアの母カルメンと、大尉のメイド頭であるメルセデス。カルメンは、内戦の中で生きていくために、残忍で、彼女自身よりもお腹の子供の方が大事だと思うような大尉と結婚する。終盤にオフェリアにカルメンはマンドレイクを火にくべながら言い放つ「魔法なんて存在しない。人生はつらくて哀しいものなのよ」

一方、メルセデスはどんな試練をも乗り越えられる強さと優しさを持ち合わせた、女豹のような女。大尉に仕えているが、実はゲリラが送り込んだスパイである。スパイであることはオフェリアに見抜かれるけど、オフェリアと信頼関係で結ばれ、「いつかあなたを迎えに来るから」と言って去り、そしてその約束を守る。大尉の恐怖政治におびえる使用人たちの中で、ただひとり堂々と渡り合える毅然とした女性。オフェリアにとってはひとつの理想像であろう。

オフェリアはファンタジーの世界の中での冒険、そして凄惨な現実の中で、恐ろしいほどの速さで成長する。母性すら獲得していく。自分が正しいと信じた道は、たとえ母や牧神パンに間違っていると言われても、貫き通す強さが輝いている。最後に彼女が行った選択。小さなかわいい女の子がこんな道を選ぶことができるなんて・・・涙があふれる。それでも残された小さな希望は、現実と幻想が交錯したフェアリーテールならではのもの。

見事な環をなした構成。恐るべき美意識と完成度の高さ。公開は秋(恵比寿ガーデンシネマ)とかなり先。眼をそむけることはあっても絶対に観てほしい映画である。

http://www.panslabyrinth.jp/

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2007/04/15

「善き人のためのソナタ」Das Leben der Anderen

今年度のアカデミー賞外国語映画賞受賞作。その栄誉に相応しい傑作だと思う。

監視国家だった1984年の東ドイツ、ベルリン。国家保安省シュタージのヴィースラー大尉は、ヘムプフ大臣に命じられ、反体制の恐れがある劇作家ドライマンと恋人である女優のクリスタを毎日24時間監視することを命じられる。凄腕の役人であるヴィースラーは、だが彼らを監視するうちに、彼らが愛する芸術と自由に魅せられていく。ドライマンは、演出することを禁止された親友イェルマンの自殺に衝撃を受け、東ドイツにおける多発する自殺についての文章を書き、西側の雑誌に匿名で発表する。この動きをヴィースラーは察知していたにもかかわらず、見逃していたのだ。やがて、文章を書いた犯人探しが始まるとともに、ヴィースラー自身の身にも危機が迫る・・・。

そして、それから数年後、ベルリンの壁は崩れ、世界は変わっていく。


ヴィースラーの人物像の描き方が秀逸。冒頭、政治犯の尋問で48時間もの間眠らせないで、自白させる鮮やかな手腕を見せ、その様子を学生たちに講義しながら、「あまりにも非人道的」と言った学生のところに×印をつける。だが、すべてを仕事に捧げてきた彼の日常はあまりにも寂しく殺風景なものだった。ドライマンとクリスタが誕生日パーティで多くの友人たちと楽しい時間を過ごした後、愛し合う様子まで聞くことになったヴィースラーに、変化が訪れる。権力をかさにしたヘムプフ大臣によってリムジンの中で陵辱されたクリスタが、ドライマンのアパートに届けられたとき、ヴィースラーはわざとその様子がドライマンにわかるように呼び鈴を鳴らす。その一方で、アパートに初めて娼婦を呼び、ことが終わって帰ろうとするときに「もう少しいてくれないか」と頼むようになるのだ。

ドライマンの部屋からヴィースラーはブレヒトの本を盗み、激しくも美しい愛に心を奪われる。イェルマンが贈った楽譜「善き人のソナタ」を、ドライマンが彼の死を悼んで弾いた時、ヴィースラーの目には涙が浮かぶ。

その曲を本気で聴いた者は、悪人になれない、と言われたこのソナタ。

それにしても、なんとヴィースラーという男は切ないことか。東ドイツという国家の体制を信じて、すべてを任務のために捧げてきた。中年となった今もひとりぼっちで、殺風景なアパートで孤独に生活している。通りすがりの子供にも、「あなたはシュタージでしょう」と言い当てられる始末。そしてようやく、監視を通じて、人生の喜びに触れることができたのだ。自分自身ではなく、他の人の人生の喜びを覗くことによって。
この映画の原題はDas Leben der Anderen(他人の人生)という。喜びが自分にもたらされたものではなく、他人のものであっても、それを見て、感じることだけでも幸せになれるということは、哀しいことであると同時に、人生の喜びとはどういうものかということを考えさせてくれる。

そして、彼が取った行動。それは果たして、ドライマンやクリスタを幸せにしたことなのかどうかはわからない。だけど、そこで彼が取った選択は間違っていなかったと信じたい。ドライマンとクリスタに存在していた喜びは、すべて彼から奪い取られていたものだと思ってしまった。しかし・・・・。

ラストのヴィースラーの笑顔と、誇らしげな口ぶり。彼が、他人の人生を見ているだけでなく、自分自身の立派な人生を生きることができたと、自分自身で確信できた幸福な瞬間だった。それは、この映画を、カタストロフィを予測しどきどきしながら観ていた私たちをも至福へと導く。

「それは私のための本だから」


壁が崩れ、すべての監視記録を閲覧できるようになったという新生ドイツはすごい国だ。その記録に残った赤い指紋とコードナンバーから、ドライマンは自分たちを守ろうとした人間の存在を知る。このあたりの演出も心憎い。


どんなに権力に押しつぶされ、裏切られ、自由を奪われたとしても、人間には心がある。そしてそんなひどい世の中でも、芸術が人の心を潤してくれる。たとえ愛するものを、すべてを、命を奪われたとしても、真摯な人間の生き方は人々に影響を及ぼし、世界は変わっていく。そういう希望を感じさせてくれた映画であった。さて、自分はそのような人間になれるものなのだろうか。


ヴィースラーを演じたウルリヒッヒ・ミューエが素晴らしい。冒頭で冷酷に任務を遂行しているように見えても、人間味が隠されていることを感じさせる。非常に寡黙で台詞も少なく、表情の変化もそれほどあるわけではないのに、少しずつ彼の内面が変わっていくことを、抑えた演技で見せて行ってくれる。素晴らしい、美しい目の表情だけで。明確な表情を見せたのは、ラストシーンだけというのが効いている。あの晴れやかで素晴らしい笑顔が、この映画の成功に最大の貢献をしていると思う。
日本では未公開だったコスタ=ガヴラスの傑作「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-(Amen)」の、ユダヤ人強制収容所のナチス親衛隊兼医師役も人間味を感じさせて感動的だった。

クリスタというキャラクターも非常に複雑である。そもそも二人が監視されることになったのは、クリスタの舞台を観て彼女の魅力に惹きつけられたヘムプフ大臣が、彼女をモノにしようと考えたことから始まった。ヘムプフ大臣は卑劣にも強引に彼女と関係を結び、脅迫し、そして雑誌記事への関与をドライマンが疑われた時には、彼女の口を割らせようとする。人気女優の彼女に、二度と舞台に立てなくなると脅して。女優という仕事への誇りとドライマンへの愛に引き裂かれるクリスタを演じたマルティナ・ゲデックもとても良かった。「マーサの幸せレシピ」のマーサ役だったのだが、まったく違った印象。ドライマン役のセバスチャン・コッホといい、役者の力がさらに作品のクオリティを上げている。

東京での公開は20日まで。まだの方はお早めに。

http://www.yokihito.com/

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2007/04/08

「ラブソングができるまで」/Music and Lyrics

サンディエゴ出張中、夜の空き時間を利用して映画館へ。ちょうど時間が合っていて、ヒュー・グラントとドリュー・バリモアが出ている作品ならきっと間違いがないだろうと思って、予備知識ゼロで見ることにする。

ヒュー・グラント演じるアレックスは80年代に一世を風靡したアイドル・グループPOP!のメンバー。バンドは92年に解散し、相方は映画にも出演してスターであり続けたが、アレックスはすっかり過去の人となってしまう。同窓会や遊園地での営業に精を出し、いい年となった今もぴっちりしたパンツを穿いて子供やオバサンたちの前で腰を振っている。「あの人は今・・」的な番組への出演のオファーが来て出演を承諾したところ、思いがけないチャンスが到来。人気絶頂の歌姫コーラが彼のファンで、彼女のために曲を書いてほしいというのだ。締め切りは数日後。このチャンスに飛びついたアレックスだったが、実のところ何年も曲を書いていないため、早速歌詞に行き詰る。そこへ、観葉植物の水遣りにやってきた女性ソフィーが歌詞のヒントをくれた。ソフィーとアレックスは曲に取り組み始めるが。。。

ようやくできた曲をコーラは気に入ってレコーディングするが、仕上がった曲は、二人との意図とはまったく違った、セクシーでオリエンタルなものに変えられてしまっていた。起死回生のチャンスを、アレックスとソフィーはどうする?

****************
冒頭にPOP!のプロモーションビデオが1曲まるまる流れるけど、これが、80年代を知る人間からすると大爆笑モノ。あの時代の特徴である、逆立てた長めの髪のヒュー・グラントが、照れも見せずに堂々とアイドルらしく歌い踊っているものだから!この映像を観られただけでも入場料の元が取れたかもしれない。
(ドリュー・バリモア公認ファンサイトにPV映像全編が載っているので、ぜひどうぞ。必見!)
そのスター時代から、すっかり過去の人になってしまって落ちぶれたアレックスだが、だからといって過去の栄光にしがみついているわけではなく、割り切って生活のために昔の名前を使って淡々と生活している。このあたり、ヒュー・グラントの飄々としたキャラクターがうまく生きているってワケ。でも、やっぱりせっかくのチャンスはモノにしたいし!

一方、そんなアレックスの前に現れたソフィーは、天才的な詩の才能を持つ女性。この仕事を引き受けることをためらいながらも、どうしても助けてほしいと嘆願され徹夜で曲作りに取り組む。こんなにも才能を持つ彼女が、なぜそれとはまったく関係ない人生を送っていたのか。それには深い訳があった。文才溢れる生徒だった彼女は、自分がかつて恋していた教師が書いてベストセラーになった自伝的な小説に、自分とそっくりの女性が登場しているのを知る。その本では、ソフィーは才能がないからっぽの最低の女とこき下ろされていたのだった。深く傷ついた彼女は、筆を折り、文章や詩を書くことを一切断ち切って生きていたのだ。このあたり、すごくビターで思わず涙を誘われてしまう。

自分の過去にどう決着をつけるか?自分の創造した作品とその世界観をどれほど大切にするか?そのことをテーマにした少し辛口の部分もある。何しろ、完全に負け組の烙印を押されてしまった不器用なふたりなのだから。しかし、ヒュー・グラントのひょうきんさ、ドリュー・バリモアのスウィートさがうまくブレンドされて、とても可愛いくて素敵なラブコメディに仕上がっている。売れなくなったアレックスにずっと仕えているマネージャーや、アレックスの大ファンであるソフィーの姉など、脇のキャラクターもすごく人間味があって楽しい。コーラのイメージはクリスティーナ・アギレラと浜崎あゆみを足して2で割った感じかしら。オリエンタルかぶれがかなり笑えてしまう。

それにしても、ドリュー・バリモアという女優は、過去にあれだけいろいろなことがあったのに決して汚れなくて、いつまでもとろけそうに可愛い笑顔とピュアな魅力を持っているなと思った。コメディでは抜群のうまさを発揮するヒュー・グラントとの組み合わせはかなり最強に近い。安心して観ていられる、胸きゅんなラブコメディ。

日本では4月21日からの公開ということで、デートムービーにはかなりいける作品だと思う。

http://musicandlyrics.warnerbros.com/
http://wwws.warnerbros.co.jp/musicandlyrics/

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2007/02/19

映画「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」

結合性双生児の美しい兄弟によるロックバンドを描いた作品ということで、宣伝ヴィジュアルがかっこいいしと思って公開直後に観に行く。

う~む一言で言えば"惜しい”映画。

この映画、ヴィジュアルと音楽は確かに完璧である。実際に双生児であるバリーとトムを演じたハリーとルーク・トレッダウェイはロックスターにふさわしい容姿が美しく、しかもこの映画の舞台である70年代っぽい部分をよく体現している。しかも歌も本人たちが歌っていてすごく妖しくいい雰囲気。この二人が生まれ育った、イギリスの田舎の岬、”The Head"の寒々しく荒涼とした風景。湿った空気を感じさせる映像。撮影の アンソニー・ドッド・マントルは ラース・フォン・トリアーの「ドッグヴィル」やダニー・ボイルの「28日後...」、フォレスト・ウィテカーがアカデミー賞にノミネートされている「ラスト・キング・オブ・スコットランド」や一連のドグマ作品などを撮影している人だそう。バリーとトムが落書きをする奇妙なイラストのセンスも良い。見た目はほんとうに素晴らしい。

語り口としては、フェイク・ドキュメンタリー形式となっている。かつて存在したザ・バンバンというバンドと、その中心的なメンバーであった双子を、現代の視点からドキュメンタリー化しているというメタ映画なのだ。びっくりしたのが、途中でケン・ラッセル監督本人が登場して、彼らを主人公にした映画"Two-Way Romeo"を撮影していたなんて話までする。この"Two-Way Romeo"という作品、タイトルといい、耽美的な雰囲気といい、すごく良い感じ。ザ・バンバンの70年代的な音楽性もすごくカッコいいし、苦悩が伝わってくる歌詞にも独特の美学があってたまらなく魅力的だ。

双子をロックのプロモーターに売ってしまったという父親、唯一の理解者であった姉(リトル・ヴォイスのジェイン・ホロックスが演じているんだけどいつの間にかこんなにおばさんに・・)、取材ということで近づいてトムと恋に落ちた女性ジャーナリストローラ、兄弟の脳を診察した医師、マネージャー、興行主といった関係者へのインタビューが出てきて、まさにドキュメンタリー映画という仕立てになっている。監督は「ロスト・イン・ラマンチャ」のキース・フルトン&ルイス・ペペで、あちらはテリー・ギリアムの映画製作が空中分解する様子を描いたドキュメンタリーであったわけで、その路線を継承しているってワケだ。実のところ、ザ・バンバンというバンドも、トムとバリーという双子の兄弟も1974年ごろ実在していたらしい。ただし、名前を借りているだけのようだ。

しかし、このフェイク・ドキュメンタリーという手法が成功しているかといえば、とても成功しているとは言いがたいのが難点。結合双生児の兄弟という魅力的な素材を扱うのに、オブラートが何枚もかぶさった感じになってしまって、その実像はすっかりぼやけたものとなってしまっている。スターになった彼らが、さまざまな苦悩に苛まれ、お互いを切り離したいという願望に取り憑かれ、破滅していく理由がよくわからなかったというのが最大の欠点。ローラに裏切られたとか、兄弟の片方の頭に腫瘍(その腫瘍は実は胎児という説が出てきて、そのグロテスクなメタファー映像は刺激的でよかった)ができて攻撃性が人格に加わったとかいろいろあるんだろうけど、それだけで、あそこまで苦悩するものだろうか、と思ってしまう。

ロックにすべてをぶつけている、ロックをやるしか生きていく術はないという純粋さはガツンと伝わってくるが。

せっかく素材やヴィジュアル、世界観が魅惑的なのに、とてももったいない結果に終わってしまったのが残念。ラストの、双子の顔がひとつに融合したように重なって正面を見据えるショットはすごくいかしていた。魂のすべてを音楽にぶつけているという意味では、本物のロックであることは間違いない。

監督:キース・フルトン&ルイス・ペペ
脚本:トニー・グリゾーニ
原作:ブライアン・オールディス
撮影:アンソニー・ドッド・マントル
音楽:クライブ・ランガー
出演:ハリー・トレッダウェイ、ルーク・トレッダウェイ、ブライアン・ディック、ショーン・ハリス、ケン・ラッセル

http://brothers-head.com/

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2007/02/15

映画「ヘンダーソン夫人の贈り物」

舞台や芸能が舞台となっている映画が好き。ちょっと前だと「ネバーランド」、最近では「王の男」など。そしてこの「ヘンダーソン夫人の贈り物」は、夫の遺産で劇場を買い取って、イギリス初のヌードショーを始めた肝っ玉おばさんの話である。面白いに決まっている。

ジュディ・デンチ演じるヘンダーソン夫人のキャラクターが最高。大胆さと繊細さを持ち合わせ、時には傲慢だったり無礼だったりするけどふとした優しさもある、素敵な女性である。自分がお金持ちだったら、こういう人になりたいな~ってすごく思う。夫の葬式では気丈に振舞っても、ボートを漕ぎながら一人号泣する。豪快に飛行機を飛ばしたと思ったら、それは戦争で21歳で亡くなった一人息子のお墓に行くためだったりする。支配人のヴィヴィアンと対立してもう劇場にには足を踏み入れないわ、とキレてしまった後、中国人に変装してこっそりと劇場に潜入しようとするが却って目だってつまみ出されたり、白クマの着ぐるみを着てオーディション受けたりととってもお茶目。憎まれ口の達人。このヘンダーソン夫人は実在した人物で、本当にこれらの行為をやってしまった人らしい。すごすぎる~

受けて立つ支配人のヴィヴィアンも一筋縄ではいかない。ジュディ・デンチに対抗できるだけの芸達者ということで演じるのはボブ・ホスキンス。ヴィヴィアンとヘンダーソン夫人の関係がすごくおかしい。約束の時間に大幅に遅れた挙句、ヴィヴィアンをユダヤ人だとキメつけた彼女の無礼な態度に立腹するという最悪の出会い。劇場運営には素人の彼女に口を出させないようにする抜け目のなさ。しかしやがてこの二人は、長年連れ添った夫婦のように、喧嘩と仲直りを繰り返しながらも、ベストパートナーとなっていく。ヴィヴィアンの抜け目のなさは、観客がねずみを舞台に放ってひと騒動おきたのを見ると、今度はわざとねずみを仕込ませたりするところにも現れている。

そんな彼に、妻がいたことを知って大人気ないやきもちを焼くヘンダーソン夫人。いくつになっても、女である。

戦争が激しくなり、コメディレビューとしてスタートしたウィンドミル劇場の客入りが悪くなっていった時に、一発逆転のアイディアとしてヘンダーソン夫人が提案したのは、ヌードショー。唖然とするヴィヴィアンだったが、ヘンダーソン夫人は古い知り合いの検閲長官をいとも簡単に煙にまいて、裸のモデルが動かないでポーズをとるという額縁ショーならOKという許可を取り付けてしまう。公園の中での特設テントで豪華なお茶に招待して、うまいこと検閲官を丸め込む手管手錬がお見事!そして、これはいやらしいことではなく芸術であり、誇りを持って仕事に取り組むべしと脱ぐことを躊躇するモデルたちをヴィヴィアンとヘンダーソン夫人が説得するところは感動的である。ヴィヴィアンをはじめとする男性陣も、彼女たちを脱がせるために全裸になるところは、超笑えるけど。実際、ステージの上でポーズをとる彼女たちは、なまめかしくも彫刻のように美しく、芸術作品そのものだ。戦場に出かける前の兵士たちが劇場につめかけ、戦局が厳しくなりロンドンがたびたび空襲にあっても、ウィンドミル劇場はたった一軒、営業を続けた。地下にある劇場は安全なため、女性たちやスタッフも引っ越してきて、まるでひとつの家族のようになる。

やがてロンドン市街が空襲により焼け野原と化してきて、閉鎖を命じられても、ヘンダーソン夫人は決して劇場を閉めようとしない。たった一人の息子の遺品は、古ぼけたヌード写真。21歳で戦死するまで一度も生身の女性の裸を見ることがなかった彼を不憫に思った母が、兵士たちに女性の裸を合法的に見せることを思いついたのだった。このことを、兵士たちや役人の前で淡々と語るヘンダーソン夫人。戦争が奪い去ったかけがえのないものたちを思い出させる、素晴らしいシーン。

そしてウィンドミル劇場は、戦争が終わってもずっと営業を続けて、額縁ショーは続いていった。ヘンダーソン夫人も、ヴィヴィアンも、劇場の女の子たちもみんな素敵だけど、主役は、やっぱり彼らを惹きつけた、ウィンドミル劇場だったんじゃないかと思う。だから私たちは劇場に魅せられるんだなってしみじみ思った。Show must go on!
女の子たちの裸も、どこか昔風でちょっとふくよかだったりするのがまたとても魅力的。劇場のスターとなったモーリーンの、凛とした美しさと儚さも印象的だった。

ダンサーの一人として(2番目に多く登場するパフォーマーで、一番良く踊っている)、マシュー・ボーンの「白鳥の湖」でこの間まで王子を踊っていた元ロイヤル・バレエのマシュー・ハートが出演している。台詞もあれば歌まで歌ってしまうし、インディアンから白タイツの王子様までいろいろとコスプレも。登場シーンは一つ一つは短いけど、芸達者なのがよくわかる。

この映画とマシュー・ハートについては、きょんさんの日記でも詳しく書かれていますのでぜひどうぞ。

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2007/01/22

映画「オーロラ」

ニコラ・ル・リッシュが準主役、パリ・オペラ座全面協力、ということでバレエファンを客層の中心と想定した作品ではあるけど、そのバレエファンの皆様からの受けがとても悪いので、前売り券を持っていたにもかかわらず観るのを躊躇していたら、観るのが遅くなってしまいました。ちなみにシャンテ・シネは1月26日まで、Bunkamuraル・シネマは2月9日までの上映。

http://www.aurore.jp/

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踊ることを禁じられている国の王女、オーロラは踊るのが大好き。しかし国の財政は傾き、国を救うために16歳のオーロラは政略結婚を強いられる。ところが彼女が恋した相手は、名もなき画家だった・・・。

ってあらすじだけど、結局なぜこの国では踊ることが禁じられているのかが最後までわからなかった。重要な設定なのにその説明がないのはちょっと問題があるのではないか?圧倒的な気品と美しさのキャロル・ブーケ扮する王妃も結婚する前は踊りの名手だったのに、王と結婚するために踊りをあきらめたということになっているから、なおのこと、この設定についてはきちんと説明すべきである。

おとぎ話でありファンタジーなのに、光や色彩の設計が間違っている作品だ。お話自体はけっこう暗いのだけど、その現実を忘れるための、オーロラの夢の世界は光に溢れ、色鮮やかでなければならないと思う。なのに、冒頭の屋外でオーロラがのびのびと踊るシーンでも、濁っていて光と色彩に乏しい魅力のない映像になってしまっている。せっかくロケーションはとても美しいのに。終盤の雲の上のシーンですら、空の上なのに色あせたような光量が足りない世界で、地上の悲しみとの対比がうまくいっていない。各国の王子が自国自慢の踊りを見せるところも、とにかくライティングが暗く、宮廷の華やかな踊りという感じがしなくて寒々しい。

現代のお話ではないから、室内のシーンが暗かったりする分には問題はないと思うのだけど、映像に重厚さもないから、なんだかチープに見えてしまう。それに最後の飛翔シーンのCG、これはひどい。

さらにはカメラワークにも大いに問題がある。踊りを見せるのにダンサーの上半身だけを映してどうする。特に雲の上のシーンでは、雲が足元をすっかり覆ってしまっているので足先が全然見えない。カロリン・カールソンによる振付だから完全なクラシックバレエではないけれども、クラシックのダンサーを起用した意味がまったくなくなってしまう。

ダンスのシーンで言えば、見せ場は二つ。カデル・ベラルビ演じるアブダラ王子の国の踊り。振付もべラルビが行ったという。メーンのダンサーを務めたマリ=アニエス・ジロの凛々しいカッコよさと肉体美にうならされる。彼女にかしづくブベニチェク兄弟はちょっとしか映らないけれども、一応判別可能。もう少しジロ中心のカメラにしてほしかったが、ジロのただならぬ踊り手としての実力は十分わかる。この後に出てくるシパンゴ国の暗黒舞踊は、まあ悪い冗談でしょう。

それと、前述の雲の上での踊り。それまで一切踊るシーンがなくて、ニコラを起用した意味はいったいなんだったんだろうか、と思ってしまったがここで本領発揮。素晴らしいトゥール・ザン・レールやマネージュを見せてくれて、エトワールの貫禄ここにあり、と思わせた。それだけに、雲で足先が見えないのが残念。オーロラのマルゴ・シャトリエはまだオペラ座学校の生徒だから、ニコラと渡り合うのはちょっと難しそうだったが、初々しくお姫様らしい魅力はあるからいいのでは。

よくよく考えてみると本当に救いのないお話である。王様は自らどんどん不幸に孤独になる道を選んで、いったい何がしたかったんだろう・・。後味もあまりよくない。

だけど、実のところ前評判ほど悪いとも思わなかった。踊りたい、というオーロラの強い想いだけはちゃんと伝わってきているし、マルゴもその部分はちゃんと表現しているから。ただし、物語の中盤でいろいろな悲劇が襲ってきた後、その悲しみを突き抜けて大人の女性へと成長していくところをもっと見せてほしかったと思う。ふぁんたじーが主体のこの物語では、それは難しかったか。ダンサーも本物だけが持つ吸引力がある人たちを使っているから、その部分は見ごたえがある。そして、キャロル・ブーケ。出番はそんなに多くないけど、年を重ねてなお美しさを増している彼女を観られて良かった。先日逝去されたダニエル・シュミット監督の「デ・ジャ・ヴュ」での彼女の美しさたるや、世界でも1,2を争うほどだったけど、50歳の今もこんなにきれいだなんて。

以下は雑談です。
オーロラととても仲のよい、ここまで仲良いなら何かあるんじゃないかと思ってしまうくらいの弟ソラル役の子がすごく可愛い。でもキャスト紹介には載っていないの。3人目の王子を演じたヤン・ブリダールが、あまりにもよい人過ぎて、かなり気の毒。オーロラも、この人と結婚していれば幸せだったかもしれないのにね。

それと、前売り券を劇場で買うと、その劇場でしか観られない券を売ってきた。友達と一緒に観ようねって約束したのに、別々の劇場でしか使えないので、一緒に観られなかったのがすごく残念。だって、この映画、見終わった後で突っ込みを入れまくるのが楽しかっただろうに、と思わせたもの。

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2007/01/15

あるいは裏切りという名の犬 36 Quai des Orfevres

フィルム・ノワールというのは以前から大好きなジャンルである。フランスのノワール、しかもドパルデュー&オートゥイユという渋い役者二人の映画が日本で公開されるのだからきっと良い作品に違いないと思って劇場に足を運んだ。

ところが、銀座の劇場は、すでに満席。次の回は7時15分。どうしようか悩んで、他の映画館で近い時間帯に上映されている作品がないか銀座~日比谷を一通り歩き回ったけどなかった(「オーロラ」だけは見ようと思えば観られたのだけど私の持っている前売り券はBunkamuraでしか使えないのだ。困ったものだ)

仕方なく時間潰しをして7時15分の回を見る。この回も日曜の夜というのに客の入りが良い。(後で理由がわかった。金曜日の番組「虎ノ門」で取り上げられていたらしい。ただし、井筒監督のお気には召さなかった模様)

この映画は、元警察官であったオリヴィエ・マルシャルが、実際の警察の中での出来事を元に映画化した。中でもレオには、実際に服役させられた監督の親友というモデルが存在している。

刑事ふたりがぶつかり合う映画というのには傑作が多い。「インファナル・アフェア」然り、「L.A.コンフィデンシャル」然り。男たちの行き場のない憎しみと愛がボディブローのように鈍くぶつかり合い、周りを巻き込みながら、ブラックホールのように地獄をもたらしていく。

パリ警視庁に二人の警官がいる。探索出動班のレオ・ヴリンクス(オートゥイユ)と強盗鎮圧班のドニ・クラン(ドパルデュー)。レオは正義感が強くて仲間の信望も厚い。ドニは権力志向が強い。同じ警視庁でもこの二つの部署は張り合っているし、二人は、警視長官候補として強烈なライバル意識がある。そんな二人が、連続強盗事件を追うことになる。作戦は失敗し、スタンドプレーをしたドニは調査委員会にかけられる、が、逆にドニはレオを陥れ、レオは投獄される。とともに、ドニは裏工作に成功して警視長官の座に着く。さらにレオは服役中に、捜査に巻き込まれた最愛の妻カミーユ(ヴァレリア・ゴリノ)を失う。7年後に出所したレオは、当然復讐を誓うのであった・・・。

大変見ごたえのある映画だった。光と影を駆使した、やや粒子の粗い映像が、男たちの心理を映し出す。夜のパリの官能的な姿。何よりも主演の二人の演技。ストーリー上、必然的に主人公がレオで、悪役がドニ、観客はどうしたってレオに肩入れをする。だけど、そんなレオだって100%清廉潔白なわけではなく、すねに傷を持つ身で仕事の中身は決して家族には語れない。オートゥイユはあくまでも渋く、人間の弱さを見せながらも、職人的な仕事師らしい彼ならではのやり方で復讐の計画を実行していく様をサラリと見せていく。ドニにしたって、下手な役者が演じれば単なる憎まれ役で終わってしまうところを、ドパルデューの悲しみを湛えた終盤の目の演技。本当に地獄はこちらが抱えてしまったということが良くわかる。

レオは仲間たちにもとても愛されている警官で、彼の仲間のエディがドニのせいで殉職した時も、同僚たちは当然彼の味方となる。レオが服役中でカミーユが亡き後も、レオの娘がちゃんと成長したのもおそらく同僚たちのバックアップがあったからだ。ちなみに娘を演じたのはオートゥイユの実の娘で、たしかに顔がそっくりなんだけど、すると母親はベアールなのかしら? 
←違いました。いずれにしても、娘以外のすべてをドニに奪われてしまってからも、レオにはたくさんの味方がいる。

一方、レオ投獄後、ドニは権力は手にするものの、よからぬ噂が付きまとうし、警視長官に就任してからも、レオの部下のディディに小便をかけられたり、目を掛けていた女性警部のエヴにも、前任の警視長官にも「貴様のような男は駐車場で頭に銃弾を浴びて死ぬことになる」と軽蔑され、挙句の果てには妻にまで冷たい言葉を浴びることになる。哀れなる男。自業自得といえばそれまでだ。そんな男でも、最高の権力を手にすることができたわけだが。

しかし、実はレオとドニはカミーユを奪い合った仲であり、だからこその激しすぎるいがみ合いなのであったのだ。このことが後半に大きな影を落としていく。(このあたりをあまり前面に出さないでさりげなく表現していくところが、フランス映画らしい)

主人公を演じた二人が素晴らしいのは言うまでもないが、脇のキャラクターまで息遣いや心の動きが手に取るように見えるのが素晴らしい。女性の登場人物がこの手の映画では同でもいい扱いをされることが多いけど、レオの妻カミーユはしっかりとした女性で、夫が投獄されても(職業は医師?)きちんと仕事をし、元恋人のドニに耳を貸さない気丈な美しい女。銃を持つ姿が颯爽とした女性警部エヴの生き方はカッコいい。ただ一人ドニの緘口令にそむいて地方に飛ばされながらも凛としている。家族以外に唯一レオが心を許す元娼婦のマヌの包み込むような優しさと、矜持。

でもやっぱりこの映画の泣かせどころは、レオの部下ディディだろうな。これぞ、男の中の男。こんなにも哀しい男の友情ってあっただろうか。思わず途中から涙が止まらなくなってしまった。

復讐はどのように果たされるのか?それは見てのお楽しみだが、実にお見事。クライマックスの胸の高鳴りは半端じゃない。

渋い映画ではあるけれども、激しい銃撃戦などのアクションもあり、ハリウッドの刑事映画が好きな人も満足できるはず。と思ったら、ジョージ・クルーニー&ロバート・デニーロ主演でハリウッドリメイクされるらしい。監督は「チョコレート」のマーク・フォスターが予定されているとのこと。デニーロがレオ、クルーニーがドニ役らしいけど、逆の方がしっくり来るような。

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2007/01/09

映画「007 カジノ・ロワイヤル」

父親が大の007ファンで、ロンドンに住んでいた頃から親に連れられて毎回観に行っている。最初に劇場で見たのは「私を愛したスパイ」。年がばれますね。

ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じると聞いて個人的には期待値がすごく高くて、一刻も早く観なくちゃと思いながらも結局2007年になってしまった。通常私はシネコンで映画を観るのだけど、ちょっと郊外なので、冬休み期間になると昼間のスクリーンは子供向け番組中心になっちゃって、この作品は小さなスクリーンに追いやられ、見ようと思って出向くと満席で、今回は3度目の正直である。

ダニエル・クレイグといえば私にとっては「愛の悪魔~フランシス・ベーコンの歪んだ肖像」で、ベーコンの若い愛人役を演じていたのがとても印象的だった。とてもセクシーだったのを覚えている。その後は「ロード・トゥ・パーディション」など、悪役のイメージが強かったけど。
秋にニューヨークの地下鉄で最初に007のポスターを見たとき、映画のポスターと気が付かなくて、誰この素敵な人、と思ったらそれがカジノ・ロワイヤルのダニエル・クレイグだった。

さて、この映画は掴みのモノクロの暗殺シーンがスタイリッシュ。ダニエル・クレイグはこの映画の間中、目の青さがとても印象的で、特にモノクロだとその青さが際立つ。金髪に青い目というのは、冷たい印象を与えるのであって、今回は、あえてその容貌を持つクレイグを起用することで、ボンドの冷酷さを強調しているのだと思った。

が、この「カジノ・ロワイヤル」はいわばエピソード1で、ジェームズ・ボンドがどうやって007になって行ったかを描いているので、最初のうちは相当人間臭い。冒頭のアフリカでのチェイスシーンの壮絶な生身のアクション。仕事上のミス。毒を盛られて死に掛ける。ヴェスパーと恋仲になってあっさりと上司宛に「辞めます」とメールを送っちゃう。隙が多くて人間的な面も多く、まだまだ成長途上だと感じさせる。が、生身の肉体の痛みをかんじさせてくれるのがいい。やっぱりアクションはカーチェイスとかじゃなくて、身体性を感じさせてほしい。

個人的に最大の見所は拷問シーンかな(笑)。素っ裸にされて縛り上げられ、美しい肉体を見せているのだけど下半身を集中的に攻撃されて叫び声を上げちゃう。時には「そこじゃない、ここ」とジョークを飛ばす余裕もあって思わず笑っちゃったんだけど、かなり萌えましたわ。

さすがだな、と思ったのは、何をされても暗証番号だけは絶対に言わない、という強固な意志を示したこと。たとえヴェスパーが殺されたとしても、口は絶対に割らない。任務が第一。ここでようやく、殺人許可証を持つ男の冷静さの萌芽が見えたと感じられた。

ダニエル・クレイグはきわめて生真面目なボンド。前任者のピアース・ブロスナンとは正反対の印象。生真面目すぎてプレイボーイには見えないというか、まだ自分の魅力に気が付いていない。モンテネグロでヴェスパーが用意したタキシードを身に着けて、見違えるように素敵に磨かれたように見えた。シリーズへの出演を重ねて、さらにどれだけ研ぎ澄まされていくかが楽しみ。人が殺されるのを目の当たりにして、血が取れないとシャワーの中で泣いているヴェスパーの指を舐め、肩を貸してあげるところは、すごく優しそうでぐっときたのだけど、その優しい部分をこれからは殺していかないといけないのね、と思うと切なくなる。ラストシーンの「ボンド、ジェームズ・ボンド」と名乗る時の青い瞳の酷薄さがたまらない。

ヴェスパー役のエヴァ・グリーンは、デビュー作「ドリーマーズ」ではアンダーヘアーまで見せて相当エロい身体の持ち主なのだけど、それを封印してお堅い会計士を演じていた。いつもはかなり濃いアイメイクをして武装しているけど、すっぴんになるととても無防備で可愛くてかえってそっちの方が色っぽく見える。ボンド映画ではヌードはないというのが鉄則だし。なぞめいた魅力はあったけど、この役を演じるには少々若すぎるかも。

007というとさまざまなガジェットや派手でスケールの大きいアクションが出てくる印象が強いけど、今回はとても渋いスパイアクションになっていた。個人的にはこれくらい渋い方がスパイ映画らしくて好き。繊細さや脆さを感じさせながらも、殺人マシーンの本性も覗かせるダニエルはホント素敵だった。

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2006/12/25

「リトル・ミス・サンシャイン」

アリゾナ州に住むフーヴァー一家は、へんてこな家族である。父リチャードは「負け犬になるな」という成功哲学の持ち主で、このノウハウを売って一獲千金を狙っている。息子ドウェーンはニーチェに心酔し、空軍士官学校に合格するまでは一言も口を利かないという沈黙の誓いを立てて、9ヶ月間も黙ったまま日夜鍛錬に励んでいる変人。娘のオリーヴは幼児体型のネガネっ子で特別に人目を引く容姿ではないけど、美少女ミスコン出場を夢見ている。そしてリチャードの父親(おじいちゃん)は、セックス中毒&ドラッグ中毒で老人ホームを追い出された不良老人。そんな家族をまとめるのに必死な母シェリルの元に、さらにトラブルが。兄のフランクが自殺未遂したという。自称全米一のプルースト研究家の彼は、ライバルの学者に恋人(男性)を奪われたのに逆上して職場と家を追われ、さらに奨学金も彼に取られたのだった。一人では再び自殺の危険性があるため、シェリルは兄を引き取り、ドウェーンの部屋に同居させることにする。もちろん、マッチョな祖父は「ホモ野郎」とフランクを軽蔑しているし、ドウェーンは筆談でみんな大嫌いだ、と言う。

そんなところへ、オリーヴが補欠になっていたミスコン「リトル・ミス・サンシャイン」の予選で繰り上がり、カリフォルニアで行われる本選に出場できることになる。「負け犬になるな」がモットーのリチャードの一押しで、一家は、おんぼろの黄色いミニバンで一路会場を目指すが、その間にはさまざまなトラブルが・・・。


アメリカ人の成功に対する強迫観念、ステロタイプ、勝ち組と負け組という二者択一的な考え方、そして美少女ミスコンとさまざまなことを皮肉っているシニカルな映画なんだけど、なんだかとても心あたたまる作品。とはいっても、通り一遍のハッピーエンドではないし、この家族に関して解決していることはほとんどないんだけど、希望を感じさせてくれるんだな。

父親リチャードが成功哲学に取り付かれ、負け犬にはなるな、と強調すればするほど、彼らが負け組人生まっしぐらなのが強調されるという皮肉。でも負けてもいいよね、家族が幸せだったらば、ってことなんだよね。

一人一人のキャラクターが強烈に面白い。お尻にいまだにナチスに受けた銃弾が残っていることを自慢し、マッチョな不良老人のおじいちゃん。彼が愛する孫娘オリーヴに振付けたダンス、これには抱腹絶倒!さすがはセックス&ドラッグな爺だけのことはある。ドウェインも面白い。部屋にはでっかりニーチェの肖像画で、しかも不気味な似顔絵のついたTシャツをずっと着ている。本当はしゃべれるのにあえて言葉を発しなくて、筆談でも「Welcome to Hell」とフランクに突きつけたり、「I hate everyone」ってeveryoneに下線を引いたり、なんというかニヒルで世の中を嫌っているんだけど、実は悪い奴ではなくて妹思い。色白で前髪が長い独特の風貌が素敵。ゲイの伯父フランクがまた、プルーストの研究家はみんなゲイだというステロタイプを逆手に取っていて可笑しい。周りが彼の手首の包帯のことを事故とごまかしていたのに、オリーヴに聞かれると、男性同士の恋のもつれで自殺未遂したなんてあっさりとカミングアウトしちゃう。でも、情緒不安定なはずの彼が一番落ち着いているのが可笑しい。母親のトニ・コレットにしても、父親のグレッグ・キニアにしても、いかにも負け組みな二人って感じで、演技がナチュラルで素晴らしい。

しかし誰が見ても驚くであろう部分は、美少女ミスコンのグロテスクさだろう。未だ未解決のジョンベネちゃん事件を生み出す土壌はここにあったのね、と思ってしまう。幼い少女たちが、大人のモデル顔負けの派手な化粧にヘアスタイルでセクシーな衣装を身につけ、しなをつくって観客に媚まくり。やばいものを見てしまった感ありあり。そんな中で、お腹がぽこんと出て地味なオリーヴは当然浮きまくり。この危機に彼女が出した秘密兵器とは・・・これまた破壊力すごすぎ。見てのお楽しみということで!

単純にいい話ね、とは割り切れない邪悪な部分を残しながらも、あったかい気持ちにさせられちゃう映画。東京国際映画祭で主演女優賞(オリーヴを演じた天才少女アビゲイル・ブレスリン)と最優秀監督賞、観客賞を受賞し、来たるゴールデングローブ賞の作品賞と主演女優賞(こっちはトニ・コレット)にノミネートとすごぶる高い評価を得ているのも納得。

監督:ジョナサン・デイトン / ヴァレリー・ファリス

キャスト
オリーヴ:アビゲイル・ブレスリン
リチャード:グレッグ・キニア
ドゥエイン:ポール・ダノ
おじいちゃん:アラン・アーキン
シェリル:トニ・コレット
フランク:スティーヴ・カレル

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2006/11/30

東京フィルメックス「オフサイド」

東京フィルメックスのイラン映画3本目。

イランのワールドカップ出場がかかったアジア予選の対バーレーン戦。スタジアムに向かう多数のバス。その中に、男の子の格好をしているけれども、華奢で小柄でかわいらしく、どう見ても女の子、という子が一人いる。スタジアムへ向かう人たちから、何をしているんだ、と注意される。そう、イランでは女性はサッカーをスタジアムで観戦することは禁じられているのだ。

警備員や兵士に呼び止められそうになって、走ったり逃げたり、ダフ屋からさらに高い値段でチケットを買う羽目になったり。でも、この少女は結局捕まってしまい、スタジアムの外の一角に、同じように試合を見ようとしてつかまった少女たちとともに集められる。

スタジアムのすぐ外だから、当然試合の歓声は聞こえてくるし、男装したりして苦労してここまで来たからには、彼女たちはどうしても試合を見たい。兵士たちだって、内心試合を見せてあげもいいかなと思いつつ、彼女たちを釈放したことがばれたら大変なことになってしまうものだから、それはできない。代わりに、試合を見ながら実況中継してあげたり、精一杯の親切心を見せる。そしてトイレに行きたいという一人の女の子を見張るために、一人の兵士がトイレに付き添うのだが・・・。

サッカーを愛する気持ちは、世界各国共通のものだな、って思った。「半月」では女性は歌うことを禁止されていたし、この映画ではサッカーのスタジアム観戦が禁止されている。ところが、スタジアム観戦が禁止されているのは、本音は別にあるとしても、建前としては、汚い野次や怒号から女性を守るということになっている。女の子たちを見張っている若い兵士たちにしても、けっして悪者ではなく、彼女たちを守ってあげたいという気持ちがすごく良く出ていた。だけど、女の子たちは、一見男性と見分けがつかないように、髪を短く切っていたり、兵士の制服を入手して着ていたり、顔にペイントをしていてかなり勇ましいし、たくましい。彼女たち、試合は見られなくても、一緒にサッカーについても盛り上がる仲間が見つけられて、途中からはとっても楽しそう。兵士たちと女の子たちの間には、不思議な絆のようなものができてくる。

イランがワールドカップ出場を決めた後の、護送車の中、そして街の熱狂的な盛り上がり方といったらももう、ホント最高だね。その中で一人、沈んだ表情の女の子がいたけど、それには理由があった。このあたりのドラマのもって行き方もうまい。スポーツというユニバーサルな題材を扱いつつ、イランという国における女性の扱いの問題をあぶりだす。かといって、必要以上に深刻になるわけではない。そんな社会の中で力強く生きていく女の子たちの姿にはスカっとさせられた。さわやかで、気持ちよくて、ちょっとほろりとさせられて、誰が見ても楽しめる映画。特にサッカー好きの人は必見!

来年劇場公開も決まっているということで、もう一度見てみたいと思った。

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2006/11/28

東京フィルメックス「半月」

土曜日は東京フィルメックスでイラン映画3本立て。(前の週の日曜と月曜にはジョニー・トー監督の「エレクション」「エレクション2」も観ている)

いやあ、イラン映画の底力を感じましたわ。みんなそれぞれ全然違っていて、面白いし、独創的で他の作家には作れないようなものをやっている。

バフマン・ゴバディの「半月」。「酔っ払った馬の時間」「亀も空を飛ぶ」というとんでもない傑作2本を撮っているイランの監督。前の2作品は、戦争の中で生きていく子供たちのシビアな現実を、あるときにはスペクタクル的に、あるときには幻想的に描いていて、心にずしんときた。

主人公の音楽家、マモの名は、天才音楽家モーツァルトにちなんだ、「My Mozart」を縮めたもの。この映画が、モーツァルト生誕250年を記念する映画祭のために制作されたためである。

物語はこうだ。年老いたクルド人のミュージシャン、マモは、イラク領のクルディスタンで35年ぶりのコンサートを開く許可を得る。息子たちを呼び寄せ、バスでイラクとの国境に向かうが、その旅は困難を極める。コンサートには”天上の声を持つ”一人の女性歌手ヘショを出演させたいと考えているのだが、イランでは女性が歌を歌うことは禁止されているので、ようやく見つけたヘショをバスの床下に隠して国境を越えようとするのだ。しかしそれは国境警備隊に発見されてしまい、やっと集めた楽器も壊されてしまい、一行はトルコ側の国境に迂回することを余儀なくさせられる。やがて、ヘショは怖気づいて一行を離れてしまい、マモは次第に弱っていく・・・。

過酷な現実と、その中で命以上に重要な役割を果たす”歌”、携帯電話やインターネットなどのテクノロジー、そして幻想性、寓話性。すごい。イラン映画では女性が歌う描写は禁止されているのだが(そもそも女性は歌を歌ってはいけない)、歌を歌って追放された2千人もの女性ばかりの村の、めくるめく映像美には圧倒された。色鮮やかな衣装に身を包んだ圧倒的な数の女性たちが、そこかしこから出てきて踊るのだ。歌うシーンは検閲対策のためにカットされているが、それでも現在、この映画はイランでの公開の許可は下りていない。

クルド人を取り巻く深刻な現状や、表現への抑圧、老いと死を描いている映画ではあるのだが、同時に、暖かいユーモアにも包まれている。ミュージシャン一行は、大変な困難に直面しながらも明るいし、バスの中にはノートパソコンがあってインターネットでトルコへの道順を検索したり、携帯電話で西欧にいる家族に電話したりしている。

棺桶が象徴的な意味で使われている。たとえこの身は滅びたとしても、自分をコンサートの会場に連れて行って欲しいというマモの最後の願いを表わすものだ。どこまでも続く雪山の中、凍えながらも会場へと徒歩で歩いていく老人の姿は、胸を打つ。音楽を奏でること、歌を歌うことというのは、人間の根本的な表現欲求のひとつなのだと実感させられた。

そして、タイトルの「半月」とは、いなくなってしまった女性歌手の代わりに、突然空から降りてきた不思議な美女の名前である。彼女は救世主であると同時に、死神でもある。雪山の中に現れるバイクの一団。橇。摩訶不思議な世界。リアルと幻想の交錯。刺激的な時間であった。

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この上映の後、ゴバディ、マニ・ハギギら三人のイラン人映画監督を交えてのトークショーがあった。ゴバディいわく、この映画を撮るさいにも、一人で雪山を歩くほどの困難があったとのこと。それだけの苦労をしても、この映画はいまだにイランでは上映できない。前作「亀も空を飛ぶ」はかなりヒットしたにもかかわらず、他の娯楽映画にスクリーンを奪われてしまった。海外からの資金によってやっと映画を撮ることができているとのこと。過酷な現実を戦っているクルド人同様、彼らも表現のために戦っているんだと思う。そんな戦っている人には見えない、穏やかでいい顔をした3人であった。

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2006/11/24

ロバート・アルトマン監督逝去

アルトマン監督、高齢ながらも現役バリバリで仕事しているというイメージが強かったので、びっくりしました。81歳だったとのこと。

遺作は「『A Prairie Home Companion』(邦題『今宵、フィッツジェラルド劇場で』、2007年3月、ル・シネマ&ル・テアトル銀座ほかで公開予定)だそうです。これはメリル・ストリープ、ケヴィン・クライン、トミー・リー・ジョーンズ、リンジー・ローハンとまたオールスターキャストを揃えた作品ですね。今年のアカデミー賞の名誉賞を受賞したのだけど、すでにかなり体調が悪かったらしいです。心臓移植手術まで受けられていたと授賞式で話しておられました。

私はそんなにたくさん観ているわけではなくて、「ロング・グッバイ」「ザ・プレイヤー」「プレタポルテ」「ゴスフォード・パーク」「バレエ・カンパニー」くらいです。映画業界を描いた「ザ・プレイヤー」やファッション業界の「プレタポルテ」はすごく面白かったわ。かなりイジワルな作品ですが、やられた!と思いました。群像劇を撮らせたら、この人の右に出る人はいませんでしたね。これだけ多くの登場人物をうまく組み合わせて描ける人は、今後も絶対に登場しない気がします。

(追記:よく考えてみたら「クッキー・フォーチュン」「ドクターTと女たち」も見ていた)

バレエファンとしては、「バレエ・カンパニー」というのがあります。私自身はけっこう面白いとは思うだけどバレエ好きの皆様にはいまいち不評でしたね。。現実に存在するバレエ団(ジョフリー・バレエ)の日常と、虚構のドラマをうまく織り交ぜていると思うのだけど。ちょっと、登場するバレエ作品の振付が、「青い蛇」はじめちょっとアレだったからでしょうか。芸術監督役のマルコム・マクダウェルがえらくいかしているし、愛玩犬のようなジェイムズ・フランコ(彼がダンサーではないのが残念)が可愛かったです。

いずれにしても、巨匠の一人がまた一人いなくなって、残念な限りです。ご冥福をお祈りします。

佐藤睦雄さんのブログでアルトマンについて詳しく書いてありますので、興味のある方はどうぞ。

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2006/11/17

「愛と喝采の日々」

ずいぶん前にテレビで放映されていた時に観たはずだったけれども、すっかり忘れてしまい、DVDが出た時に買ったのだけど観る暇がなく、やっと観た。

THE TURNING POINT
監督:ハーバート・ロス
出演:ディーディー:シャーリー・マクレーン
   エマ:アン・バンクロフト
   ユーリ:ミハイル・バリシニコフ
   エミリア:レスリー・ブラウン

かつて一流のバレエ団のトップダンサーで良きライバルだったディーディーとエマ。ディーディーは妊娠してバレエの道をあきらめ、地方で3人の子供を育てながら夫とバレエ教師をして幸せな生活を送っている。エマは結婚しないでバレエ一筋に生きて、今もトップのバレリーナだけど、そろそろ若手に道を譲らなければならない年齢。ディーディーの娘エミリアは才能を発揮してエマと同じバレエ団に入団し、めきめき頭角を顕す。エミリアに母のように慕われるエマに嫉妬するディーディー。あの時、バレエを捨てなければ、今はエマの地位にいるかもしれないのに。一方エミリアはロシア人のスターダンサーに恋をする・・。

今はダーシー・バッセルのように、子育てをしながらもトップのバレリーナとしても生きているスターが何人もいるけれども、この映画が作られた1977年というのはそういう時代ではなく、バレエか、結婚かということで、「赤い靴」と同じテーマがそのまま生きていたのだ。

シャリー・マクレーンとアン・バンクロフトという一流の女優二人(いい年したおば様方)が、10数年前のことをいまだに根に持って取っ組み合いの大喧嘩をしちゃうというくだりには、思わず失笑してしまう。アン・バンクロフトはすごく男前な感じでカッコいいのだけど、現役のバレリーナにしてはちょっと老け過ぎ。トップスターでも肩たたきをされている残酷な現実をちゃんと見せているのはえらい。この方はもう故人となられてしまった。

レスリー・ブラウンが演じたエミリア役は、当初ゲルシー・カークランドが演じる予定だったのを、ゲルシーが脚本を読んでこれはくだらない、といい、それでも出演することを強いられたら拒食症になってしまってやっと降板できたといういわくつきの映画。実際このときゲルシーはミーシャとお付き合いしていたのだけれども、うまくいかなくなってきた頃で、映画の中でエミリアはユーリに捨てられてしまうから、この役を演じるのはつらいだろうなと思ってしまった。
それはさておき、エミリアのキャラクターは大胆かつ可愛らしい。ユーリと「ロミオとジュリエット」のバルコニー・シーンをレッスンしているうちに盛り上がってしまい、あのロマンティックなスコアが流れるところでベッドインしちゃう。それだけ、マクミラン振付のバルコニーシーンには女性を酔わせる力があるということなのだが。とても美しく、女の子が夢見、あこがれてしまうようなシチュエーション。ミーシャの上目遣いは「キラー・スマイル」っていうくらい、たまらなく魅力的。エミリアは夜遅くに帰宅して、「ユーリと一緒にいたの。でもピルを飲んでいるから大丈夫」なんて母親のディーディーに言っちゃうんから、やるなあ、である。こういうイケイケな娘だから、スターへの階段を上がっていけるんだな、と感心することしきり。

プレイボーイだったユーリに振られ、エミリアはロシア人のふりをしてしこたま酔っ払い、へべれけの状態で「ジゼル」のウィリを踊る。だけど当然ヘロヘロで倒れそうになったり、出番を間違えたり。もし自分が観客だったらすごく怒るだろうけど、映画として観るとすごく笑える。

バレエのシーンがふんだんにあって、しかも超一流の出演者ばかりなのが嬉しい。タイトルバックは「ラ・バヤデール」の影の王国。主要キャラクターであるからして、ミーシャのダンスがいっぱい観られる。「眠れる森の美女」から始まり、「ジゼル」、それから凄まじいエネルギーが炸裂する「海賊」のアリ。凄い。ガラ公演ではこのほかに、ブフォネスの「白鳥の湖」、マルシア・ハイデとリチャード・クラガンによるクランコ振付の「伝説」、スザンヌ・ファレルとピーター・マーティンスの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」。そしてアルヴィン・エイリーが振付けたモダンの作品をレスリー・ブラウンが踊るのだけど、これがなかなかすっきりとしていて良い。
ラストはミーシャとレスリーによる「ドン・キホーテ」の3幕のパ・ド・ドゥだが、映画なのにしっかりとほとんど全部見せてくれるので嬉しい。全盛時のミーシャなので、疾風のようだ。もうこれだけで十分おつりが来る感じ。

バレエ・リュスの名花、アレクサンドラ・ダニロワも往年のバレリーナ役で出演していて、美しく老いた姿を見せてくれる。

映画そのものの出来としてはあまりよくないと思うけど。(だって、要はおばちゃんたちの喧嘩なんだもの。しかも、たった一言で仲直り。でもアカデミー賞にいっぱいノミネートはされた) バレエファンにとっては大満足の映画。

鈴木晶先生のサイトに、詳しい解説があります。

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2006/11/16

Sad Movie/サッド・ムービー

シネコンに行ったはいいものの、ちょうどいい時間に始まる映画がなくて、お気に入りのチョン・ウソンが出ているので観た。4つのエピソードがそれそれの"別れ"を描く作品。

消防士と、テレビの手話通訳の女の子の話。
キャリアウーマンの母と、小学生の息子の話。
ニート青年と、スーパーのレジ打ちの女性の話。
聾唖で遊園地で働く女の子と、絵描きの青年の話。

消防士と手話通訳は恋人同士だけど、彼女はなかなか彼がプロポーズしてくれないのでやきもきしている。
小学生の男の子は、忙しい母になかなか構ってもらえないとふくれていたところ、母が病気で入院する。
ニート君は甲斐性がなく、恋人に別れましょうと言われ、別れさせ屋という商売を始めて繁盛する。
聾唖の女の子は、手話通訳の妹で、着ぐるみを着て働いている。顔にやけどの跡があり、絵描きに恋をしているけど素顔を見せられない。

俳優の演技はみんなとてもいいし、洗練されている演出なのだけど、4つの物語をひとつの映画でやると薄っぺらい感じになってしまうのが残念。一番すべっているのは、別れさせ屋の話で、このエピソードはなくてもいいと言ってくらい、効果が全然ない。唯一、外国人にたどたどしい英語で、なぜ彼女が別れたいのかを説明するところは笑ったけど。

(ネタバレです)

消防士と手話通訳の話は、けっこうイライラさせられてしまった。彼女があまりにも結婚を焦り過ぎていて、可愛げがないのだ。消防士は殉職してしまうのだが、迫り来る炎を背景にヘルメットを脱ぎ、監視カメラに向かってプロポーズをする。チョン・ウソンはとても素敵なんだけど、しかしこの状況でこんなこと、絶対ありえないと思うのだけど・・・。人をむやみに死なせて観客を泣かせようとするって、とても安易だと思う。プロポーズすることより、生きて帰ってくることの方が大事なんだってば!

病気になってしまったママと息子のエピソードはなかなかよかった。子供がけっこうひねくれていて、ママが病気だといつもそばにいることができるから嬉しい、って日記に書いちゃうところが正直でよろしい。が、ここでの別れさせ屋の使い方はちょっと・・・。なんで彼に頼むかなあ。 最後に笛を使うところはうまい演出だったけどね。

一番いいな、と思ったのは着ぐるみを着た聾唖の女の子と画家のエピソード。着ぐるみを着ているときの彼女の演技がとってもお茶目で可愛いのだ。聾唖であること、そして顔に火傷があるからなかなか彼に恋心を告白できない、せつない気持ちがすごく伝わってくる。そんな彼女を応援する、遊園地の7人の小人さんたちが微笑ましい。愛がついに成就して、でも同時にさよならもやってきてしまう、その輝かしくも悲しいシーンが打ち上げ花火のように美しい。ついに意を決して着ぐるみを脱いで、彼に似顔絵を描いてもらい。最初はきれいに化粧した顔で。そして、次にメイクを落とした素顔で。このエピソードだけでひとつの映画になるのにもったいない、と思った。

どれかひとつ、縦軸になるようなエピソードがあればもう少し余韻が残ったのに。本当は別れさせ屋の話がそうなるべきだったんだろうけど、ちょっと失敗してしまったようだ。手話通訳の女の子もせっかく毎日テレビに出ている人なのだから、同じ番組をみんな見ているとか、ちょっとした工夫が足りないのだよね。チョン・ウソンをはじめ、イム・スジョン、ヨム・ジョンア、シン・ミナ、そしてチャ・テヒョンと売れっ子を揃えているのにもったいない。

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2006/11/07

「トリスタンとイゾルデ」TRISTAN + ISOLDE

ワーグナーのオペラやシェイクスピアの戯曲の基にもなった悲恋の物語を映画化ってことだけど、音楽はワーグナーを使っているわけではない。製作総指揮が"光の魔術師”リドリー・スコットとトニー・スコットの兄弟ってわけで、映像はとても凝っていて深みがある。この物語の時代背景であるローマ帝国崩壊後の暗黒時代のイギリスらしい、ほの暗い中の陰影美が表現できている。幻想的な夜の結婚式、葬送船。加えてケルト/アイリッシュな音楽やダンスも雰囲気を盛り上げ、ゼッフィレッリの「ハムレット」や「オテロ」で知られるマウリッツィオ・ミレノッティによる繊細で典雅な衣装が素敵。

運命に引き裂かれてしまった恋人たち、トリスタンとイゾルデ。トリスタンは幼いときに両親をアイルランド軍に殺され、イギリス王マークによって育てられて彼の片腕として活躍している。一方、イゾルデはアイルランド王の娘。アイルランド軍との戦いで、毒を塗られた剣によって倒れたトリスタンは死んだものと思われ、葬送船に乗せられる。瀕死の彼を乗せた葬送船がアイルランドに流れ着く。身分を偽ったイゾルデの薬草の知識と懸命の看護で、トリスタンは命をとりとめる。愛し合うようになる二人だが、イギリスにイゾルデを連れて帰ろうとするトリスタンに対し、イゾルデは一緒になれない運命と言い残る。アイルランド王はイギリスの領主たちに剣術の試合を持ちかけ、勝った者に領地と娘を差し出すという。マーク王の代理で参加したトリスタンが優勝し歓喜するイゾルデだったが、それはマーク王に彼女が嫁ぐという意味であった。いうまでもなく、マーク王はトリスタンの命の恩人であり、父親代わりである。禁じられた恋に苦しむ二人。そして、娘を差し出すことそのものが、アイルランド王の大いなる陰謀なのであった...。

「スパイダーマン」でのハリー・オズボーン役など、いつも陰のある役を演じているジェイムズ・フランコ。ここでも、尊敬するマーク王の妻となったイゾルデへの禁断の想いで苦悩している。いつも眉間に皺を寄せている表情で、ちょっと演技は一本調子なところもあるが、時折見せる、捨てられた子犬のような目が母性本能をくすぐる。加えて、細身ながら肉体が鍛えられていて、派手さはないものの隠花植物のような美しさがある。イゾルデのフォフィア・マイルズはすごい美人ってわけではないけれども、ブルーの澄んだ瞳に金髪、ふっくらとした肉体が古典的で、役柄にはとても合っていて好感が持てる。

が、この映画はなんといってもマーク王のルーファス・シーウェルでしょう。イゾルデの結婚相手が、最初に登場した婚約者のように嫌な奴だったら、きっとこんなに語りつくされるような物語にはならなかっただろう。マーク王は高潔で寛容で、血のつながりがある甥のメロートより、亡き友人の息子であるトリスタンを買って副官に据えるほど、彼のことを信頼し愛している。もちろん、イゾルデのことも深く愛している。そんな立派な人物に見える役者が演じなければ、意味がない。そしてルーファス・シーウェルは見事にその期待にこたえているのである。人民に愛され、カリスマ性があり、しかも目力のあるハンサム。だが幼いトリスタンを助けるために片手を失っており、そのことに引け目を感じている。堂々とした演技である。私はSF映画「ダーク・シティ」の超能力者や、「マーサ・ミーツ・ボーイズ」のちゃらんぽらんな男を演じていた彼が結構好きだったのだけど、それがこんな立派な人を重厚に演じるとは、嬉しい驚きである。

トリスタンとイゾルデの恋愛は、アイルランドではとても純粋だったのが、イギリスでは不倫の関係となってしまう。だが、イゾルデの情熱は炎のように燃え盛っている。あんなに王に優しくされながらも、トリスタンを激しく求めている。もともと、瀕死の彼を救うために、全裸になって冷え切った彼の体を温めたほどの女性である。マーク王への忠義から、イゾルデとの恋を封印し必死に忘れようとしてるトリスタンへも、積極的に近寄って、再び情熱に火が付いてしまうのだ。あんなにところかまわずやりまくっていればばれちゃうって・・・。オリジナルの”純愛”のイゾルデよりはずいぶんと現代的で、ストレートな描写だこと。嫁いで来たイゾルデがトリスタンに「初夜がつらいわ」と悲しそうに語ってその後でマーク王に抱かれた後は、もう肉欲一直線で恋の苦しさは全然感じさせられない。優しい夫を裏切っていることに一片の罪悪感もないようだ。一方、トリスタンのほうは、一人で激しく苦悩して、ずっと眉間に皺を寄せた暗い表情をしているのである。後ろめたさがあるからこそ、激しく燃えるわけなんであるが。

それなのに、イゾルデに「君を幸せにしたいから、そうするためには私は何をすればいいのだろうか」と言い、「私は良い夫か」とトリスタンに相談してしまうマーク王。いい人過ぎる。というか、見ている側としては若い二人よりも彼に感情移入してしまうのだった。ってゆうか、イゾルデはちょっとおバカさんでは?あんなに真摯に愛してくれる王よりも、うじうじと悩んでいるトリスタンを取るなんて。しかも、それが、イギリスという国の危機にまで結びついてしまうのだ。思わず「トロイ」の姫と、オーランド・ブルームが演じた超ヘタレなパリスバカ王子を思い出してしまうのであった。

アイルランドと通じていた裏切り者の領主に二人の密会場面がばれ、イギリスの同盟は危機に陥る。そしてもちろん二人の関係がマーク王に知られることになる。息子同然に可愛がっていたトリスタンに裏切られたわけである。そこで見せたマーク王の驚くべき寛容さ。もはや、二人のバカップルの恋愛より、彼の方に肩入れしてしまうのであった。悲しいラストシーンの後でも、二人よりも王様の今後の方を思いやってしまった。史実によれば、マーク王はその後は生涯妻を持たなかったそうだ。

あとは、予算の制約ゆえ大規模な戦闘シーンはないものの、肉体と肉体の荒々しいぶつかり合いを感じさせる戦いの場面には迫力があった。「グラディエーター」「ラスト サムライ」「ブレイブハート」 のアクション振付スタッフがこのあたりを構成したということで、なるほどな、と思った。

若い二人の恋愛の悲劇を期待するとちょっと違う部分もあるかもしれないけど、別の意味で大変見ごたえがあって楽しめた作品。

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2006/11/04

「父親たちの星条旗」Flags of our Fathers

圧倒されるような思いで観た。一片の救いもないような映画である。生還し英雄に仕立て上げられたことで運命を狂わされる3人の若者。硫黄の臭い漂う戦場での、容赦のない残酷な戦い。何度も何度も繰り返される、目を背けたくなるような死、死、そして死。

観客にとって優しい映画でないことは間違いない。主役3人以外の登場人物が多く、名前と顔を一致させることに一苦労。バリー・ペッパー、ポール・ウォーカー、ジェイミー・ベルといったいい役者の、顔がはっきりとわかるようなカットが少ない。だけど、映画を見進めた上で彼らが辿ったあまりにも残酷な運命を知るにつれて、きりきりと胸が痛む。

衛生兵ドクの視点で語られているところが(原作者が彼の息子であったということもあるけど)すごくよく生かされている。なぜならば、一番多くの死を目撃する立場であるからだ。

この作品のすごさを、うまく表現するのは本当に難しい。人間関係を把握した上でもう一度見れば、きっともっと打ちのめされることであろう。

イーストウッドの伝えたかったことの一部しか私には伝わっていないかもしれない。だけど、私に伝わってきた一部だけでも、圧倒的なエモーションとして迫ってくる。

中でも、アダム・ビーチ演じるネイティブ・アメリカン(インディアン)のアイラの苦悩する姿には、胸がつぶれるような思いをさせられた。ヒーローとして祀り上げられる一方で、変わらぬ差別を受け続け、そして何度も何度も戦闘や仲間たちの死が悪夢のようにフラッシュバックする...こんなことに耐えられる人はそうはいないだろう。ヒーローにはふさわしくない、あまりの悲惨な末路。

仲間を一人も後には置いては行かない、という綺麗事は、最初の10分で覆され、その真実はずっと一貫として続いていく。戦争で傷ついた3人が、戦意を高揚し、戦争債を売り出すための偶像として利用されるという残酷さ。

国家という巨大な権力にねじ伏せられ、自分の力ではどうしようもなくなってしまった運命に翻弄され、もがき苦しんでいく個人。戦争で死んでいった、そして生還しても苦しめられた、多くの無名の戦士たち。彼らを冷静な視点で描きながらも、同時に温かく見守っているイーストウッドの優しさも感じることができる。

死んだ人も、生き残った人も、ズタズタにされていく戦争というもの、そして国家というものについて、今一度思いをめぐらす。

この映画を的確に表現する言葉はそう簡単にはみつからない。

佐藤睦雄さんのレビュー、人物紹介が素晴らしいので、ぜひ目を通してください。

あと瓶詰めの映画地獄 ~俄仕込みの南無阿弥陀佛~さんのレビューも。

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2006/10/24

「スネーク・フライト」

かねてから、バカ映画ぶりが大評判となっていた「スネーク・フライト」みてきました。こんなバカな映画が初登場一位になるアメリカって捨てたもんじゃない。

話は実に単純で、ハワイで殺人を目撃したサーファー少年が、組織に追われ、FBIの捜査官サミュエル・L・ジャクソンに護衛されて証言を行うためにLA行きの飛行機に乗るのだけど、この飛行機では、サーファー少年を暗殺するために1万匹の毒ヘビが積み込まれており、時限爆弾よろしくフェロモンで凶暴化したヘビが乗客を襲ったり電気系統を破壊したりして大パニック!

大体、目撃者一人暗殺のためにヘビ1万匹用意ってどうよ。

サミュエル・L・ジャクソンが超~かっこいい。職業意識の塊、プロの中のプロ。仕事師のようにヘビをやっつける手腕の確かさもいかしている。ハードボイルドだ。が、クライマックスではそんな彼もブチ切れてとんでもない行動に!ひえ~この事態でこんな行動に出るのはあなたしかおりませぬ。

しかしジェダイマスターまで演じて押しも押されぬスターなのにどうしてこんな超B級映画に?その心意気やよし。

空調のスイッチを入れるために貨物室を這い回るサミュエルも、なんだかヘビっぽくて素敵。

ヘビが乗客を襲うシチュエーションはお約束どおりだけどすごくおかしくて場内もかなり笑っていた。エッチしようとトイレにしけこんだカップルのおっぱいにガブリ!小用を足そうとした男性の大事なところをパクリ!ついには大蛇が現れて乗客を頭から丸呑み!
実はもう少しバカをやってくれるかと思ったけど、案外まっとうなパニック映画になっていた。でもパニックの組み立て方はものすごくうまい。手を変え品を変え危機が訪れ、息を付く暇もない。 

客室乗務員の皆様がすごくプロ意識を持っていて、危険を顧みず乗客を助けようとしていたことにちょっと感動。あと超高飛車なラッパーとか、美人なんだけどお犬様の扱いが困ったお姉さんとか、子供だけで乗り込んだ兄弟など、乗客もそれぞれ個性豊かで、それぞれの人物が丁寧に描かれている。ヘビマニアの博士もすごくおかしい。クライマックスはとんでもないオチになっているし。基本的にはお約束に沿った展開なのに、そのお約束をうまく利用してさらに笑いを誘う手腕は確かだ。この監督は、「マトリックス・リローデット」の助監督であり、さらに、小品ながらもとても面白かった「セルラー」を監督した人だけど、なるほどな、と思った。

最初に出てきたエディ・キムって韓国人のすごく悪いやつとか、飛行機の乗客の東洋人キックボクサーとか、活躍を期待していたのに案外出番がなかったのがちょっと残念。

結構人もたくさん死んでいたりするのに、終わり方がめっちゃさわやかかつ能天気なのがバカ映画らしくていいわ。

「ユナイテッド93」と併せて観ると更に味わいが増すと思う。

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2006/10/22

「ブラック・ダリア」

大好きなエルロイの原作を、デ・パルマが映画化するというので何をおいても見に行かなくちゃいかん、と劇場へ。微妙な評価はあちこちで聞いていたんだけど。。。


なんだか原作の設定だけ借りたデ・パルマ映画(というジャンル映画)になっていた。原作は恐ろしく男臭い話になっているのだけど、この映画では、死体を切り裂かれ損壊された美女ブラック・ダリアに囚われ、狂気に陥る男たちの心理を描こうとは微塵も思っていなくて、デ・パルマスタイルで撮影することと、エロいレズビアンを描くことに注力している。

"ブラック・ダリア”ことエリザベス・ショートの生前の様子を、原作よりもずっと重点的に描いている。また、このエリザベス役のミア・カーシュナーが恐ろしく魅力的で、まさしくブラック・ダリアそのもの。黒髪に大きなグレーの瞳。これだけの頽廃的な美しさがスクリーンの向こうに漂ってきたら、リーでもバッキーでも取り憑かれるわな。しかも、彼女が出演した怪しげなレズビアン・フィルムが、やたら良くできているわけで。モノクロームの画面に映える、エリザベスの灰色の瞳の訴えかけるもの、あの不安定な美に取り憑かれるのは良くわかる。彼女の魅力を前にしては、ヒラリー・スワンクもスカーレット・ヨハンセンも形無しである。

「エリザベスはレズビアンだったのかも」という女優の卵の証言で(またこの彼女の衣装が妙に派手派手なオリエンタル風味なのがすごく妖しくて素敵)、レズビアン・バーでバッキーは調査活動をするのだけど、このレズビアン・バーの描写がすごく気合が入っていていやらしくて良い。k.d.ラングそっくりの、ちょっと年増の歌手もすごくいい(と思ったら、k.d.ラング本人だったらしい!)。

多分デ・パルマが描きたかったのは、美しいレズビアン女性なのであって、後は彼独特の映像のお遊びだけできれば満足したのでは、と。だから、この映画はあの怪作「ファム・ファタール」をちょっと連想させる。

ブラック・ダリアの惨殺死体が発見されるまでの、ビルをまたぐようなカメラワークや、追われる女性を描いたカメラが長廻しでライス国務長官に似た黒人美女と男性が銃撃戦に巻き込まれるまでのカットなどはいかにもデ・パルマ的で楽しい。キャメラワークはさすがに魔術的といってもいいくらいでいつもながら素晴らしい。

キャストに関して言えば。。。うーんいい役者をそろえてはいるんだが。アーロン・エッカートはうまい人だけど、脚本に難があるのか、清潔感がありすぎてリーのダークサイドが表現されていない。ジョシュ・ハートネットもお坊ちゃん過ぎるし、ぜんぜん狂っている様子が伺えない。(裸のお尻のカットがあったのはデ・パルマの趣味?) ヒラリー・スワンクは思ったより美人に撮れていたし、ビッチな演技も当然すごく達者なのだけど、ブラック・ダリアには全然似ていないのと、少しこの役には年をとりすぎている。スカーレット・ヨハンソンはきれいだし胸は大きいし、40年代の女優風には見えるのだけど、幼児体型なのがわかっちゃうのがな~。それにいかんせん脚本が。。。何のためにいるのか良くわからないような存在感のないキャラクター。ヒラリー・スワンク演じるマデリンの母親役フィオナ・ショーの狂った演技はすごく良かった。 この狂気がどこにも伝播していかないから物足りないのだろう。

話の展開にしても、説明的なせりふが多すぎて、原作を読んでいても変えられた設定が多く混乱するし、特に後半は端折りすぎていったい何が起きているのか全然わけがわからない。終わり方もすごく唐突だし、あれでいいのか、と思う。原作のあのやるせなさが全然伝わってこないし。途中までは割といい感じだったのに、主要なキャラクターの一人が消えてからは、どんどん演出も悪くなっている。

ただ、ディテールの一つ一つはとても凝っていて、視覚的にはとても楽しい。ストーリーが、とかキャラクターとか考えないで画面に酔うには良いのではないだろうか。まあ、デ・パルマですから。

デヴィッド・フィンチャーが予定していたモノクロ3時間半ヴァージョンというのが観てみたい。

うるるさんの感想はこちらです。
Elieさんの感想はこちらです。

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2006/10/02

「弓」キム・ギドク監督作品

今ちょうどバレエがオフシーズンのため、すっかり映画ブログになっています。バレエファンの皆さんスミマセン。


キム・ギドクといえば私にとっては特別な映画監督である。以前彼の「悪い男」の宣伝も担当したことだし。いろいろあって映画の仕事から離れたけれども、思い入れが強すぎるゆえ、しばらく、彼の映画を観ることもできなかった。ようやく、やっと観てもいいかな、と思って映画館へ。しかも、実は2週間前に観に行こうと思ったのに、劇場で入場券を買おうとしたら財布を忘れたことに気がついたのだ!なんという間抜けぶり。

この映画「弓」は、キム・ギドク映画を観てきた人なら、今までの彼の映画の中で多用してきたモチーフがまたもや登場し、キム・ギドク印映画だと思うことだろう。海に浮かぶ船の上で暮らす老人と少女。二人は世界とほとんど隔絶した生活を送っている。二人とも口が利けないわけではないようだが、せりふは一言も言わない。「魚と寝る女」の設定に非常に似ているし、「春夏秋冬そして春」も、湖に浮かぶ寺が舞台であった。

同じようなモチーフが使われているのに、ここでも、キム・ギドクにしかない奔放な想像力が炸裂している。

タイトルにもなっている”弓”の象徴性。
弓は老人が、外の世界からやってきて少女にたかる釣り客たちを追い払うための、武器となっている。が、同時に、この弓を使って老人は天上の音楽のような美しい音色を奏で、少女はその音色で眠りにつく。外の世界と少女を隔て、同時に守るために、弓は存在しており、弓は、この老人そのものである。

「弓占い」というモチーフが斬新で鮮烈だ。
船の横に吊るしてあるブランコに少女が乗り、老人はブランコの奥、船に描いてある観音像をめがけて矢を射る。一歩間違えたら少女の命を奪いかねない危険な行為であるが、老人と少女は信頼関係で結ばれており、少女はいつも微笑を浮かべて老人を見つめる。老人が放った矢がどこに刺さるかを見て、少女が運命を占うのだ。ゆらゆら揺れるブランコに乗った少女。彼女をかすめて突き刺さる矢。死とすれすれの状況ですら、二人の関係の濃密さと信頼を象徴させる美しいものとなっている。

だから、弓は決して少女には当たらない。

少女を演じたハン・ヨルムが、なんともエロティックで魅力的だ。「サマリア」では、天使のような援助交際女学生を演じていた女優である。「サマリア」では事故死してしまうのだが、本物の天使になってしまったと思わせてくれた清楚な少女だった。ここでは、上目遣いの強い目の力とめくれ上がってぽってりと色っぽい唇が、クラクラするほど魅惑的なのである。弓を構えた時の凛々しい目つきも信じがたいほど美しい。ほっそりとした素足にかすかに浮かぶ青あざまでもが魅惑的だ。

老人と少女が暮らしているこの船は釣り船の機能を果たしており、世界との接触は、時々やってくる釣り客のみである。「魚と寝る女」にも釣り客が登場していた。釣り客たちは、俗世間の象徴である。

少女は6歳の時からこの老人に育てられ、10年が経ったらしい。毎晩たらいで少女の体を丁寧に洗うなど、老人は少女を大事に育てているが、それは決して無償の愛からではなく、少女に欲望を抱いているのは明らかである。少女が釣り客にちょっかいを出される時には、老人は怒りから弓矢を放つ。

今までは、子供ということで二人の間に何もなかったが、少女が17歳の誕生日を迎えた日に、老人と少女は結婚することになっている。カレンダーに結婚の日を記し、その日に向けて毎日カレンダーにバッテンをつける老人の嬉しそうなこと。結婚式の準備のために、衣装や支度を少しずつそろえて、その日を心待ちにしている。少女が眠りにつく前には、二段ベッドの上の段から彼女の手を握り締める。

一方、少女の方は、無邪気でありながら時に恐ろしいほどの挑発的な表情を向ける。何も話さない少女が、釣り客たちに誘惑的な目線を向けると、彼らは彼女の危うい魅力の虜となり、老人の弓矢の登場となるわけである。

そんな毎日が過ぎていく中、二人の生活に変化が訪れる。釣り客の中の一人の青年に、少女が恋をするのである。この映画は、途中までいつの時代の物語なのかわからないのだが、途中で釣り客がデジカメで写真を撮るので現代だとわかる。少女が恋する青年は、ピアスをしていて、いかにも今風の若者だ。彼が、少女と老人の二人だけの世界から、もっと広い世界へと橋渡しをしようとする役割を果たしている。最初にやってきたときに、自分の使っていたヘッドホンとミュージックプレイヤーを彼女にプレゼントする。それが、彼女に訪れた文明開化なのであった。だが、青年のベッドにもぐりこもうとした少女を見た老人は怒ってそのプレイヤーを壊してしまい、少女の老人に対する態度も、その日を境に変わってしまう。

プレイヤーのついていないヘッドホンをつけ、大事に仕舞われていた鮮やかな花嫁衣裳をまとい、少女は青年が去っていった海を見つける。プレイヤーのついていないヘッドホンからは、音楽がとめどなく流れている。

青年は、少女が実は6歳の時に誘拐されて、この船に連れて行かれたことを知り、そして両親が彼女を探していることを突き止める。結婚式を目前にした老人は、彼女を手放すことを最初は拒むが、青年が弓占いをしてくれと頼む。初めて、少女を前にした老人の腕が震え、狙いが狂いそうになる。そして少女と青年は老人を残し、船を去り地上を目指すのだが…。


小船の上での結婚式。鮮やかな花嫁衣裳の、めくるめく色彩美には幻惑される。結婚式が愛の成就の儀式であることを思い出させる。
老人は少女が幼いときに誘拐し、10年間、一度も地上を踏ませず、学校にも行かせず、いわば洋上に監禁した状態だったと言える。犯罪行為以外の何ものでもない。その上、彼女が17歳になったら結婚して男と女になろうとしていたのだ。孫といってもいいほどの若い娘と。しかも、その日が待ち切れず、途中でカレンダーを勝手に進め、しまいには破り捨てて結婚式を強行するのだ。
なのに、どうして、それが間違ったことには見えないのだろうか。
少女が、結局、ゆがんでいるかもしれない老人の愛を受け入れているからであり、世間とは隔絶した二人だけのサンクチュアリで、心が通い合っていたからだろうか。
(もちろん、ここで、売春宿に愛する女を送り込んだ「悪い男」の主人公ハンギのことを考えずにはいられない)

物語の結末はここでは言わない。しかし、あまりにも鮮烈なラストには驚愕するとともに、このような終わり方はキム・ギドクの映画にしかありえないと感じさせられた。そう、やはり弓と矢は老人の、少女へと向ける最悪で最高の愛の象徴だったのだ。彼の思いが生も死をも超えて、まるで奇跡のように少女に伝えられ、新しい人生が始まる。

奔放な想像力が生み出した至福の虚構の世界に酔いしれる、それが映画の醍醐味だとしたら、これ以上の作品はなかなか無いと言い切れる。やはり映画界にはキム・ギドクは必要だ。引退するなんていわないでほしい。

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2006/09/30

「ゆれる」

「ゆれる」西川美和監督:脚本 香川照之 オダギリジョー 真木よう子 伊武雅刀 蟹江敬三 新井浩文 木村祐一 天光真弓 

吊り橋から転落した智恵子の死は事故だったのか、それとも、兄、稔に突き落とされたのか?弟、猛は現場の近くにいたけれども、彼女が転落した瞬間は見落としていたのか、それとも...。

とてもよくできた映画であり、見ている間ずっと緊張感が持続する。若い女性が脚本を書き撮ったとは思えないほど、人間の暗い側面と心理が描かれているし演出も達者だ。何よりも、出ている役者が全員素晴らしい。いい映画だと思うし、絶賛評が出てくるのは当然だ。

ただし、ちょっとだけ苦言を言いたいと思う。ストーリーテリングを進める上で、せりふにあまりにも依存しすぎるのが気になった。智恵子が田舎の鬱屈した生活に息が詰まりそう、もう未来はないと語ったり、稔が刑期を終えようとしているのに父が年を取って迎えにも行けないと、バイトの男性(新井浩文)が言ったり、せりふが少し説明的過ぎるのだ。せりふに依存しないで世界を作ることができる力量がある監督=脚本家だと思うので少々もったいない。真木よう子もそのあたりがせりふがなくとも演じられる女優だと思うし。また、この映画は、主要な登場人物だけで世界が閉じている気がする。人の噂があっという間に広まりそうな田舎町で居心地が悪いというところが描かれていないし、事件が起きてからは、殺人容疑者の家族ということでもっといろいろとありそうな感じがするのだが、その辺はまったく省略されている。意図的にそれはなされているとは思うのだけど、それにしても、すごく閉じた世界での出来事で、社会とのつながりがほとんどないという感じがした。

でも、それは、全体から見れば些細な瑕と思われる。

前述の通り出演者の演技はみな素晴らしい。特に名演技を見せてくれたのは、兄である稔を演じた香川照之。よくできた兄という役柄を引き受け、頑固で偏屈な父と一緒に田舎のガソリンスタンドを切り回し、誠実で働き者で、異性に対しては不器用である。東京で売れっ子のカメラマンとして華やかな暮らしをしている弟、猛とは光と影のような対照的、だけど実は表裏一体をなしている人間だ。優しくまじめで頼れる兄貴、という表の顔の裏に存在するダークサイドも感じさせてくれる。吊橋の上で智恵子に歩み寄っていく時、智恵子は「やめてよ近づかないで」って叫ぶ。なんとなく、女には好かれないようなちょっと不気味な面を覗かせているのだ。接客をしている時の笑顔も、弟に向ける笑顔も、なんだか張り付いたような卑屈な笑顔で、心から笑っていないように感じられる。唯一、本当に心から笑っているのは、ラストシーンのところだけ。ぞくぞくするような見事な演技。

母の葬式で実家に帰ってきた猛は、帰りに幼馴染で、ガソリンスタンドで働いている智恵子を車で送り、ついでに抱いてしまう。稔が彼女に好意を持っているということが、彼の欲望に拍車をかけた。遅い時間に家に戻ってきた猛は、彼女と飲んでいたということにして誤魔化すのだが、実の顔は、明らかに二人の間にあった出来事を見抜いていながらも、それを取り繕うかのようなうそくさい笑顔なのだ。

猛役のオダギリジョーは、これ以上はないってほどのはまり役。カッコよくて垢抜けていて、ちょっと刹那的でいかにも都会の匂いをさせているセクシーな男。だけど、面倒なところは全部兄が引き受けたということで彼に引け目を感じているし、人間のよくできた兄を尊敬している。逆に、兄が面倒なことを全部引き受けるという役割を果たしていることで、兄は弟に対して絶対的な優位、支配関係に立っているともいえて、それが、この二人に緊張関係をもたらしている。そのあたり、香川照之もオダギリジョーも表現するのがうまい。

智恵子を演じた真木ようこは、本来この役には美人過ぎるくらいとてもきれいな人なのだけど、田舎でくすぶって婚期を逃しつつある(年齢的には全然若そうなのだが、田舎の傾向として)焦燥感と垢抜けない部分を感じさせていた。猛が「おれ、部屋に上げてもらおうかなー」って言った時の反応も絶妙だったし、よかったと思う。

主役3人以外にも、兄弟の父を演じた伊武雅刀、兄弟のおじであり弁護士の蟹江敬三、ガソリンスタンドの店員役の新井浩文、智恵子の母天光真弓とよい役者が揃っている。。


智恵子のアパートで、猛が彼女を抱くまでのカット割りや演出が実に達者だ。まな板の上での切りっ放しのトマト、ベッドの横に並べられた猛の写真集、これらが、人物以上に多くのことを物語っている。

だが、根本的に、この映画は稔と猛の話である。智恵子をはさんだ三角関係になると思いきや、途中で智恵子は死んでしまい、実際のところ、この映画の中での彼女の役割は触媒でしかなくて、核ではないのだ。智恵子をめぐる物語はとてもあっさりとしている。当然、智恵子の死に二人はショックは受ける。けれども、そんなことよりももっと大きな問題があると二人は感じ、それは、兄弟としてどのように接し、何をすべきかということ。

智恵子が転落した瞬間を、猛が目撃したのか、していなかったのかは明らかにされていない。しかし稔は彼女を突き落としてしまったと認めてしまい、彼は逮捕され、裁判が始まる。最初猛は兄を無罪に導こうと、有利な証言をするが、稔には、無罪になろうという意思が存在しないように見受けられた。裁判で、そして兄と弟の面会で、二人がお互いに対して思っている気持ちが残酷なまでに赤裸々にぶつけられ、猛は稔に不利な証言をして、稔は有罪となる。

それにしても、あまりにも心をえぐるような言葉の数々。赤裸々なやり取り。判事は、解剖された智恵子の遺体からは精液が検出されたといい、稔は、自分が女性にもてるほうではなかったと悲しそうに告白する。

面会室での猛と稔の応酬の激しいこと。これだけの激しい感情のぶつけ合いができるということは、それだけ、二人の間の兄弟愛や絆が存在していたから。多くの愛を求め、それがかなえられないと、それは失望となって、相手を裏切る行為へとエスカレートしていく。この兄弟は、普通の兄弟よりも強い愛情で結ばれており、その前提が崩されようとした結果、弟の気持ちはぐらぐら揺れて、弟の証言で兄が投獄されることになったわけである。その激しさには、兄弟愛をも超越した特別な感情の存在すら感じられてしまう。


猛は出所した兄を迎えに行くが、刑務所に着いたときには彼はもういなかった。家とは違う方向へと歩いていく稔をようやく見つけて、道の反対側で走りながら「お兄ちゃん、一緒に帰ろう」と叫ぶ猛、その声が聞こえない稔。バス停のところで、バスが到着する一瞬前に猛に気がついたのか、笑顔を見せた稔。どんな意味の笑顔だったのか、猛に気がついていたのか、彼は果たしてバスに乗ったのか、実際のところ智恵子はどうやって死んだのか。何一つ明らかにされていない。だけど、明らかにされなくていいのだ。稔と猛の心の揺らぎは刻み付けられているのだから。

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2006/09/24

「マッチポイント」ウディ・アレン監督作品

ウディ・アレンはニューヨークの人だったのに、ついにそこを脱出して今はイギリス在住だという。制作はBBCだし、舞台もイギリスの上流階級のお話。 恋愛映画かな、と思わせて途中からはサスペンスで、最後はコメディ?

さすが階級社会のイギリスだけあって、セレブの生活ってすごい。運転手の送迎は当たり前で、郊外の広大な別荘ではポロ用に馬を飼っていたり、ロイヤルオペラに寄付していつでもオペラがボックス席で観られるし、お嬢様の趣味でギャラリーまで始めたり、できないことはないんじゃないかと思ってしまう。

アイルランドの貧しい家出身のテニスプレイヤー、クリスが、プロを引退してテニスコーチになる。生徒の中に上流階級の青年トム・ヒューイット(これって、ダイアナ妃の愛人と同じ名前じゃないかしら)がいて、オペラの話をしたことから気に入られる。彼の家はロイヤルオペラハウスに多額の寄付をしているため、オペラに招待されたところ、彼の妹クロエがクリスに一目ぼれ。やがて家族ぐるみの付き合いをするようになって、クロエとクリスは婚約。だが、クリスは、悪魔的な魅力を持つトムの婚約者、ノラの虜になる。

やがてクリスとクロエは結婚し、クリスはクロエの父の会社に就職して目をかけられる。豪華な新居に暮らし何一つ不自由ない生活だけどなかなか赤ちゃんができない。一方トムは、女優の卵でアメリカ人であるノラを、彼の母親が気に入らなかったために別れ、別の女性と結婚する。偶然美術館でノラに再会したクリスはノラとの不倫におぼれる。不妊治療に通ってもクロエとの間に子供はできないのに、ノラはクリスとの子を身ごもってしまう。そして妻と別れることを迫られたクリスは...。

(ネタばれでいきます)

若くて貧しくて野心にあふれた青年が、邪魔になる相手を殺してしまうという物語は、今までに語りつくされてきた。「死の接吻」しかり「太陽がいっぱい」しかり。一歩間違えると、火曜サスペンス劇場になってしまう。しかし、単にそこで終わらない、ひねったところがウディ・アレンらしい。

物語自体がテニスの試合になぞらえている。クリスの語りで始まる説明は、ネットの上端にボールが当たったとき、それが向こう側かこっち側かどちらに落ちるかで勝敗が分かれるという話。最後は、運がいいか悪いかで決まるのだ。絶体絶命のピンチになっても、最後まで勝負は諦めてはならないということでもあるし、人生も最後までどうなるかわからないという意味もある。

ジョナサン・リース・マイヤーズは美貌の持ち主なんだけど、どこかひねくれた感じと影があって、いかにも貧しい家出身の青年という感じ。でも、頑なに奢られることを嫌がったり、おいしい提案があっても一度は遠慮してみせるなど、プライドはしっかり持っている。だからこそ、上流階級のヒューイット家に気に入られたのではないかと思われる。一方、同じ貧しい家出身のノラは、トムの母親にあからさまに嫌われている。アメリカ人で女優志望で、セクシーすぎるから。しかしこの二人は、お互いに同質のものを嗅ぎ取って惹かれあってしまうってわけだ。 スカーレット・ヨハンセンはエロいです。この人、実はそんなに美人じゃないし背が低くてスタイルも良くないのに、なんでこんなにめちゃくちゃいい女に見えてしまうんでしょうかね。ぽってりした唇とか、視線の使い方かな。それがフェロモンってことなんだろうか。

ウディ・アレンはアメリカ人なのだけど、イギリスの上流階級のゆるぎなさというものに対しては、かなり好感を持っているように思える。クロエはいかにもお嬢様でおっとりとしていて、性格が良い娘で、クリスの不貞についてもあまり気がつかない。彼女の兄のトムにしても、親に対する些細な反抗でノラと付き合うものの、結局母親に逆らえずに別の女性と結婚する。彼らの父親も、普通だったら財産目当てでうちの娘に近づいた、とクリスを警戒するだろうに、彼を気に入ってとても大事にするし株で損を出したと聞いたら補填しようとする。芸術に対しても、パトロンとして気前よくお金を提供してきた。本物のお金持ちというのは、お金があるだけじゃなくて、品格があるということを体現しているヒューイット一家である。

一方、ノラについては、誰が見てもクラクラするようないい女という感じの色っぽい美女なのだが、ひとたびクリスがクロエと別れてくれないとなると、電話をかけまくったり会社にまで押しかけていったりと、せっかくのクールなファム・ファタル振りが台無しになってしまう。そのノラの態度に振り回され、精神的にも追い詰められて余裕をなくしてしまうクリス。クロエがずっと子供を欲しがっていて不妊治療にも連れて行かされていることについても、うんざりしているし、馬脚を現したって感じの小物ぶりだ。そのへん、ジョナサン・リース・マイヤーズは実に演技がうまい。 美男美女の恋の駆け引きを期待した観客に、ウディ・アレンが舌を出しておちょくっているのがわかって小気味良い。

ノラと隣家の老女が猟銃で殺されたってことで、捜査に当たる刑事二人組のとぼけっぷりが面白い。こいつらが出てきた時点で、シリアスな終わり方にはならないってわかってしまうけどね。そして、オチは、冒頭のテニスボールがネットに当たるシーンと見事な対を成すものであった。

でも、結局、人生は終わりになるまでどう転ぶかわからないっていう話。今回はたまたまついていたけれど、それがクリスにとって幸運だったのか不幸だったのかは、なんともいえないってわけだ。

ロイヤルオペラハウスに家族で出かけたりするシーンが多いこともあって(「椿姫」は舞台もちょっとだけ登場する)、全編にオペラのアリアが効果的に使われている。特に老女とノラをクリスが殺害するくだりの使われ方はドラマティックかつちょっと皮肉でよかった。

監督:ウディ・アレン
出演:ジョナサン・リス・マイヤーズ 、スカーレット・ヨハンソン 、エミリー・モーティマー 、マシュー・グード 、ブライアン・コックス

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2006/09/23

映画「Ballets Russes」/「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」

アメリカで劇場公開される前からずっと見たいと思っていたこの映画を、念願かなってようやく観ることができた。そして、予想以上の素晴らしい出来に、涙してしまうほどであった。すべてのバレエ好きに観てほしい、傑作ドキュメンタリー。

2000年に、元バレエ・リュス・ド・モンテカルロのダンサーたちがおよそ40年ぶりに同窓会を開いたところから、この映画は始まる。80歳から90歳にもなった元ダンサーたちへのインタビューと、当時の映像を元に構成。舞台映像も、今はほとんど踊られることのないマシーン振付作品が多く登場して興味深い。

1929年にディアギレフが没し、バレエ・リュスを再興すべく、1931年にバレエ・リュス・ド・モンテカルロが生まれた。バレエ・マスターのジョージ・バランシンのアイディアで、3人のベイビー・バレリーナを中心にしたカンパニーである。元コサックのド・バジル大佐と、ユダヤ人で、アウシュヴィッツへ向かう列車の中で亡くなってしまう劇場主のブリュムが率いた。このドキュメンタリーのインタビューにも登場するイリーナ・バロノワは、当時なんと13歳、タチアナ・リャーブンチンスカは15歳だったけれども(すでに亡くなっていたタマラ・トゥマノワも13歳)、テクニック的にはすでに完璧だったという。バランシンは、元妻のアレクサンドラ・ダニロワに、27歳はもう年寄りだから役はないと言い放ったという。バランシンはすぐに首になり、1939年にバレエ団は分裂し、二つのカンパニーが生まれた。片方はレオニード・マシーンが率いるバレエ・リュス・ド・モンテカルロで、もうひとつはド・バジルのオリジナル・バレエ・リュスである。

銀行家であり興行師のデンハムはマシーンのバレエ・リュスを呼んでアメリカツアーを行い、バジル大佐のバレエ・リュスはオーストラリアをツアーする。二つのカンパニーがヨーロッパに戻ったところで、第二次世界大戦となり、二つのカンパニーは一緒にアメリカに逃れ、両方ともダンハムが興行を仕切って別々にツアーを行う。年間100公演以上の苛酷なツアーで、休む暇もなくダンサーたちは全米を旅し、ベイビーバレリーナたちのステージママたちもツアーに同行した。バジル大佐とデンハムが喧嘩別れし、米国で興行が出来なくなったオリジナル・バレエ・リュスは南米ツアーで成功を収めるが、あまりにも苛酷なツアーで疲弊し切ったカンパニーはボロボロとなり、バジル大佐は破産し、ついにこちらの命運は尽きる。一方、レオニード・マシーンのバレエ・リュス・ド・モンテカルロは、アリシア・マルコワとアレクサンドラ・ダニロワの2大看板で華やかな成功を収め、ダンサーたちはハリウッド映画に出演するなどして、大スターとなる。が、その儲けをマシーンが蕩尽する一方、彼の振付作品はことごとく失敗し、やむなくマシーンはバレエシアター(現在のABT)に作品を提供するようになって解雇される。その後バランシンを振付家として招いて成功を収めるも、バランシンも自分のカンパニーを持つようになって去っていく。芸術監督が空席のまま、デンハムがディアギレフよろしく芸術面も仕切ろうとするが、新しい作品を生み出すことはなく、カンパニーは今までのレパートリーを繰り返して飽きられる。さらに、デンハムがニーナ・ノヴァクという若いダンサーに入れあげて実力不足の彼女をマルコワの代役に据えるなどやりたい放題をした挙句、ダンサーたちはみなバレエ・シアターやNYCBへと去ってしまい、ついに1960年代にカンパニーは消滅する。

印象的なエピソードとしては、1950年代のアメリカ初の黒人バレリーナ、レイヴン・ウィルキンソンの話がある。肌の色を理由に何回かオーディションに落とされたが、実力を認められて入団する。しかし南部をツアーした時にKKKが舞台に押しかけて脅し、結局バレエ・リュスを去らざるを得なくなり、それどころが米国のカンパニーでは踊れなくなってオランダ国立バレエに移籍したという。その後はメトロポリタン・オペラで活躍しているとのこと。

インタビューされるダンサーたちは、先に書いたように、すでに80歳から90歳以上にもなっているというのに、みなとても若々しく、多くは今でも舞台に立っていたり、バレエ教師を務めたりしている。元バレリーナだけあって、みんな今でもとても華やかで美しい。ナタリー・クラフスカは当時のパートナーと「ジゼル」を照れながら踊るのだけどその可愛らしいこと。(が、残念ながら映画が公開される前に亡くなったようだ) 苛酷なスケジュール、ほとんど給料が払われないような状態、田舎町から町へと旅する生活、戦争と苦労も並大抵のことではなかっただろうに、当時のことを思い出すのが楽しくて仕方ないようだ。少年少女にかえったかのように瞳がキラキラしている。今もABTの舞台に時々登場しているフレデリック・フランクリン(現在93歳)の若々しさといったらもう、信じがたいほどである。彼はABTの「ペトルーシュカ」や「シェヘラザード」の監修をしたりと、バレエ・リュスの遺産を現代に伝えていくことに身を捧げていて、実に生き生きとしている。

2000年に、40年ぶりに再会したダンサーたち。当時を懐かしむ姿がとても素敵だ。最後に、現在も活躍している彼らの姿が映し出される。ダンサーだけあって、みんな背筋が伸びて美しい。アリシア・マルコワはイングリッシュ・ナショナル・バレエで日本人らしきダンサーを指導している姿が映し出されたが、彼女も撮影が行われた後亡くなってしまった。近代バレエの貴重な証言を収めたこの作品は素晴らしい資料であるとともに、バレエという芸術へのこの上とない賞賛となっている。バレエを見たことがない人でも、バレエを見たくなってしまうし、バレエ好きだったらもっともっとバレエ・リュスについて知りたくなってしまう、そんなバレエとダンサーたちへの愛に満ちた作品。マルコワ、クラフスカ、リャブーンチンスカ、スラヴェンスカなどは、この映画の完成を見ずに亡くなっている。

映像特典もとても豪華で、主要なダンサーたち自身の解説によるバイオグラフィー、本編に収め切れなかったインタビューや「白鳥の湖」「ジゼル」など舞台映像が1時間、200点にも及ぶ美麗なスチール写真など素晴らしい資料となっている。

映像のクオリティもとても高い。ぜひとも、日本での劇場公開と日本盤のDVD発売をお願いしたいところだ。(このDVDはリージョン1。英語字幕はあるが、特典映像には字幕はつかない)

監督:Daniel Geller Dayna Goldfine
出演:Frederic Franklin/Nathalie Krassovska/Irina Baronova/Alicia Markova/Marc Platt/Tania Riabouchinskaya/Mia Slavenska/Maria Tallchief/George Zoritch

公式サイト:http://www.balletsrussesmovie.com/

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2006/09/22

映画「46億年の恋」金森穣トークショー付上映会開催

チャコットのDance Cubeからの情報です。

映画「46億年の恋」の冒頭で華麗なるダンスシーンを披露した、コンテンポラリーダンサーにしてNoism06を主宰する振付家である金森穣さんが、シネマート六本木での『46億年の恋』ロングラン公開を記念してトークショーを行うとのことです。

「46億年の恋」は何といっても三池崇史監督作品なので絶対に見なくちゃ、と思っていたのですが良いチャンスだわ。

日時:2006年10月1日(日)19:00の回
登壇予定者:金森穣
お問い合わせ先: シネマート六本木 03-5413-7711
46億年の恋公式HP http://www.cinemart.co.jp/46/

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2006/08/24

「ユナイテッド93」

2001年9月11日の同時多発テロでは、4機の飛行機がハイジャックされた。2機は世界貿易センターに、1機はペンタゴンに突入した。そして、もう一機はどこに突っ込むこともなく、クリーヴランドに墜落した。それがユナイテッド93便だ。

この映画を見る前に、原作といっていい本「ユナイテッド93 テロリストと闘った乗客たちの記録」を読んだ。猛スピードで畑にほぼ垂直に墜落した飛行機は木っ端微塵になり、生存者は一人もいなかった。それどころか、一見して遺体すら見当たらないほどであった(それはあまりの衝撃に、人体が断片化してしまったからであり、よく言われている陰謀説のように誰も乗っていなかった、ということではない)。したがって、この飛行機の中でいったい何が起きたのか、目撃者はいない。飛行機電話や携帯電話で乗客とやり取りをした家族ほかの人間と、管制官、そしてフライトレコーダーだけが記録となって残っている。よって、映画で描かれていることがどこまで真実に迫っているかはわからない。ただ、前述の証人たちがいて、彼らの話に基づいて、できるだけ真実に近いところまで迫ろうとしている映画である。

主人公はいない。固有名詞はほとんど登場しない。一人の人物に焦点を当てることもない。音楽もドラマもほとんどない。ただ、自分が事件の目撃者であったかのように感じさせられる、そんな映画である。

9月11日の朝、4人のイスラム系の男性が祈りを捧げ、コーランを読むところから始まる。一見普通の若い男性たちにしか見えない。いつもの朝、パイロットやフライトアテンダントがフライトの準備をする。待合室で待つ人々。乗り込む乗客。一人の客は遅れそうになり、ぎりぎりでやっと間に合って飛行機の扉が閉まる。この飛行機が二度と着陸することがないと知っている私たちは、あの時彼が間に合わなければ、と思う。機長からは明るい挨拶のアナウンス。

映画の前半は、主に管制官室で繰り広げられる。突然、不審な動きをする飛行機。管制官の応答に答えない飛行機。代わりに不審な声が聞こえてくる。そして、レーダーから消えた飛行機。それも一機や二機ではない。管制官はパニックに陥る。裏を取るために他の管制センターに連絡を取る。どの飛行機が正常で、どれが異常なのかもわからない。ハイジャックを疑うものの、ハイジャック信号も飛んでこないし、犯人からの要求もない。大混乱に陥ったところ、CNNをつけると、小型飛行機らしきものが世界貿易センターに突っ込んで大爆発が起きている映像が大写しになっていた...

この管制官たち、さらには軍人の中には、本人役で出演している人たちが何人かいるという。本職の俳優ばかりではない人たちばかりだ。あちこちの管制センターに話が飛ぶので、全貌を把握するのが難しい。でも、考えてみれば、実際にこの事件が起きた時も、何がどうなっているのかわからなくなって、みんなパニックに陥ったわけだ。そう考えると、逆に凄くリアルさが感じられて怖い。前半のやりとりだけでも、ものすごく緊迫感がある。

そして、管制官たちは、生中継で、2機目が突入するところを目撃してしまう。何もドラマティックな演出も効果音もない。一同はその瞬間、凍りついたようになる。そして、本当にとんでもないことが起きたことを悟る。

軍に出撃命令が下されるが、米国の空の上には何千もの航空機が飛んでいる。撃墜は大統領の許可がなければできない。重要な判断を下すべき人間が休暇で不在。肝心な時に役に立たない人ばかりでますます混乱に拍車がかかっている、その様子が実にリアルだ。

機内。ファーストクラスに座った4人のテロリストたち。しかし、彼らもまた、計画を実行するのを躊躇している、極度に緊張している者もいれば、早く取り掛かりたくてうずうずしている者も。しばらくは平和な時間が流れ、談笑する乗客や客室乗務員たち。その平穏がついに破られる。ようやくタイミングを見計らって、一人の乗客を見せしめに殺し、爆弾らしきものを巻きつけて乗客を脅すテロリスト、そしてコックピットに侵入して手早く機長や副操縦士を始末し、操縦桿を握るテロリスト二人。機長と副操縦士が殺されるシーンをほとんど写さず、客室乗務員がコックピット方面を見ると、扉の隙間から二人の死体が転がっているという演出には、心底心凍るものがある。それが、何を意味しているかということが、彼女には、瞬時にわかってしまったから。もう生きて帰れないということ。

機内電話から家族に電話して、WTCの突入を知る乗客。客室乗務員は航空会社に電話するが、かかった先は整備室。伝言ゲームのように、知らなければ良かった絶望的な状況が伝わっていく。大パニックに陥る者はいない。帰ってこれないことを悟り、愛する者に別れの電話を掛ける乗客たち。そして、これ以上の被害を食い止めるということより、黙って殺されるよりは一矢を報いたい、生き残れるわずかな可能性に賭けたい、と乗客たちは作戦を練り、反撃を開始した。

凄くリアルだと思ったのが、乗客の反乱に気づいたテロリストたちが、心底怯えきっていたこと。彼らも怖いのだ。ミッションを完了できないことを恐れていたのだ。おまけに、人数は圧倒的に不利である。爆弾が偽物だと見破られた。大勢でテロリストたちに飛び掛る乗客たちは、生き残るために必死で、正視できないくらい残酷にテロリストに襲い掛かる。まるでゾンビのように。そしてコックピットでのもみ合い。テロリストもすっかり正気を失っていて、制圧できそうになったその時に、画面は真っ暗に。それまで一度も登場人物の名前が出てこなかったが、エンドロールに、実際にこのユナイテッド93便に登場していた乗客たちの名前が現れる。無名だった一人一人の乗客乗員に名前があり、人生があり、家族がいたということを、ここで実感させられて切ない気持ちになる。

終わったあとも、席から立ち上がって現実に帰ることができなくなるような映画だった。だって、目の前に、現実のように、悪夢のような出来事が起きていたのだから。

密室劇のような濃密な2時間弱。乗客たち、そして乗務員たちは決してヒーローとしては描かれていない。窮地に追い込まれた彼らは、わずかな可能性に賭けるためには、どんなことでもした。人間の、生き残ってもう一度家族に会いたいという気持ちは、すごい力を持っているのだと感じられた。無名の、普通の人たちが、戦ったのだ。一方テロリストたちも、悪魔ではなく、ひとつの使命のためにこんなに恐ろしいことをしてはいるものの、感情を持ち、恐怖心を持ち、家族を愛した人間であった。普通の青年であった彼らを、このような行いに駆り立てたものはなんだったのか。それが、今まで世界で続いている戦争の原因なのである。

これみよがしなメッセージも大げさなドラマも、感動もない。だけど、テロリズムとは何か、同時多発テロとはなんだったのか、その状況に放り込まれた人間はどうなるのか、いろいろなことを考えさせてくれる。携帯電話で家族に別れを告げた後、隣の若い女性に「あなたも大事な人にかけなさい」と携帯を渡した中年婦人。このシチュエーションには、ドラマティックな演出はなくても、誰だって観たら涙を流さずにはいられない。

「ユナイテッド93 テロリストと闘った乗客たちの記録」のほうは、ニューヨークタイムズの記者が、その時何が起きたかを時系列的に検証しながらも、この飛行機に乗っていた人間全員の周辺に取材をし、一人一人の生き様を記録した本である。死んだ人のことを悪く言う人はいないだろうから、乗っていた人間は全員素晴らしい人だという風になってしまうのはある程度仕方ない。それを割り引いてみても、かなりすごい人たちが乗っていたのは確かだ。教養があり、ボランティアに取り組み、スポーツのチャンピオンだったり、大企業の役員だったり、起業家だったり、大学生だったり。この本の中でも登場し、そして米国では流行語にまでなった「レッツ・ロール(さあ、かかれ)」は映画の中に登場することはするが、派手に扱われることはなかった。

この本を先に読んでいたことで、映画の登場人物が実際は誰だったかを理解する助けになったと思う。犠牲者全員の顔写真が掲載されているが、よくぞこれだけ似た人を探してきたものだと思う。(唯一の日本人、久下さん役の俳優はあまり似ていなかったが、ちゃんと日本人の俳優が演じていた)
そして彼ら40人だけでなく、WTCの中やペンタゴンの中で亡くなった人たちにも、同じようにかけがえのない人生があったということも思い起こさせられた。

本の中で印象的だったのは、墜落現場の検視官の話であった。一度も会ったことのない犠牲者たちのことを思い続け、久下さんの家族にも会ったという。いまだに、現地で遺体の一部が落ちていないか、探し回っているそうだ。

この映画の立場は、エンドロールに現れている。「9月11日のテロで亡くなった全員にこの映画を捧げる」。それには、テロリストたちも含まれている。

最悪の状況の中でも、最善を尽くした人たちがいたことを忘れてはならないし、犠牲となった彼ら乗客乗員たちが、911をきっかけとして更なる戦争が起きていることを望んでいないだろうことも忘れてはならないと思う。後味のいい映画ではないけど、一人でも多くの人に見てほしい。

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追記:このエントリーに対するコメントのうち、9.11陰謀論などに関するコメントは予告なし、問答無用で削除します。こういうことを書く行為こそが、私はテロリズムだと考えています。主要な陰謀論の根拠に関してはすべて目を通しておりますので、わざわざお知らせくださらなくて結構です。
映画と陰謀論はまったく関係がありません。

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2006/07/24

『メタル ヘッドバンガーズ・ジャーニー』

なぜへヴィメタル・ファンは忌み嫌われるのか、ということをテーマに、12歳の時からの筋金入りのメタル・ファンである文化人類学者、サム・ダンが監督したドキュメンタリー作品。多分彼は映画監督としては素人だと思われるけれども、メタル・ファンとしての熱い思いと、学者としての理論的でクールな視点がうまい具合にバランスが取れていて、抜群に面白い。私はもともとへヴィメタルファンだったので、あまり客観的に見られないのだけど、多分、ファンでなくても面白いんじゃないかと思う。だって、こんなにさまざまな視点で研究できて、ほとんどギャグ一歩手前のことが満載の音楽ってないもの。

へヴィ・メタルのルーツ、クラシック音楽の影響、自殺とバイオレンス、悪魔崇拝、ライフスタイル、同性愛とセクシュアリティ、社会性、歌詞の検閲、ファッションなどの切り口で一つ一つ考察していき、ヘヴィメタルを研究している学者、ジャーナリスト、ファン、グルーピー(!)そしてもちろん、さまざまなミュージシャンにインタビューをしている。

インタビューされているミュージシャンは、ブラック・サバスのトニー・アイオミ、アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソン(この人は髪を切ったせいか、今でもとっても若々しい)、ロニー・ジェイムズ・ディオ(ホビットみたいにちっちゃい)、モトリー・クルーのヴィンス・ニール(昔のセクシーさはいずこへ、いまやすっかりおっさん)、モーターヘッドのレミー(全然変わらず)、アリス・クーパー、ロブ・ゾンビ、スレイヤーのケリー・キング&トム・アラヤなどなど。

なかでも面白かったのは、80年代に、アル・ゴア元副大統領の妻のティッパー・ゴアが、へヴィ・メタルの歌詞の規制を、と一大キャンペーンを展開した時に証人として呼ばれた、トゥイスティッド・シスターのディー・スナイダーの話。その奇抜で不気味な女装姿からは想像できない、冷静でとても賢い人で、当時の資料映像を見ても、政治家連中をこてんぱんに言い負かすところが痛快。

それと、ブラック・メタルが一番盛り上がっているところであると言うノルウェイへの旅。何しろ税関で、「ヘヴィメタルのドキュメンタリーの撮影で来たんです」って言うと、税関の人が「ああ、ブラック・メタルね」って言うくらいの国民的認知度なのだ。
しかし、それだけ有名なのは、悪魔崇拝にハマったミュージシャンが複数の教会に放火したという事件があったというオチがついているわけだが。実際に放火して服役していたミュージシャンもまったく反省していないところが恐ろしい。それだけ、ノルウェイというのはキリスト教の呪縛が深いところなのか。 とにかく、おそるべしノルウェイ人!

ミュージシャンもファンも、ここまでやるのか!と驚いてしまうくらいのなりきり方が面白い。ホラー映画のゾンビみたいなマスクを常にかぶっているスリップノットとか、とてつもなく悪趣味なアルバムジャケットのカンニバル・コープスなど。ナイフで「スレイヤー」って腕に刻み込んじゃうファンもいる。少なくとも、あらゆるロックのファンの中で一番熱狂的で、ライフスタイルに音楽を取り入れているのがメタルファンだろう。

自分たちは虐げられた存在という意識が強いのか、メタルファンの結束の固さにも驚嘆。ドイツで4万人ものマニアが集まるというフェスティバルでも、メタルファンだというだけでたちまち友達のノリである。そしてサムももちろんその中の一人で、フェスが始まる前から二日酔い状態だったりする。さらに酔っ払ってインタビューを受けているメイヘムのメンバーの飛ばしていること!

学者らしく、各ジャンルごとの相関図が出てくるのも興味深い。それぞれのジャンルについてもう少し説明を加えた方が、メタルの素人には親切だとは思うけど。(パンフレットには、詳しい解説がついている)

取り上げているジャンルもどちらかと言うとデス系が多くて、正統派のハードロックやオルタナティブ系は少ないのだけど、これは多分、デス系が一般的に一番邪悪なヘヴィ・メタルとして世間一般に忌み嫌われているからではないだろうか。

ロニー・ジェイムズ・ディオ、トニー・アイオミ、ブルース・ディッキンソン、もちろんディー・スナイダーなどは本当にとてもクレバーで長年真摯に音楽と向かい合ってきたのがよくわかる。ハマースミス・オデオンのような巨大なアリーナで歌っていても、客席が縮んで思えるほど親密な感じになるというブルースの話は興味深い。彼の声を持ってすれば、たとえPAなしでも、大きなスタジアムで一番後ろの席でも聞こえるだろう。

メタル・マニアのサムではあるが、決して自分の考え方を押し付けるわけではなく、好きでなければ聞かなければいい、自分が好きなのはこれだという姿勢が潔い。また、ネガティブな側面にも目を向けて、どんなに好きでもやっぱりこれはイカンだろう、という物差しももっている。音楽への愛があふれていて、見ていてなんだか嬉しくなっちゃう映画。帰りはメガデスのベストアルバムを聴きながら帰宅。

http://www.metal-movie.com/

ぼのぼのさんのブログにさらに詳しい感想があるので興味のアル方はぜひ

またshitoさんのブログの感想も、いちいち頷いてしまいました。これもおすすめです。

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2006/06/15

「太陽」アレクサンドル・ソクーロフ監督作品

この映画、なんと昭和最大のスーパースター、あの昭和天皇が主人公。しかも、監督はロシアの巨匠ソクーロフで、天皇を演じるのはイッセー尾形。

友人がこの映画の権利を買ったものの、扱っている題材が題材なだけに、右よりのかたがたからの妨害も予想されるなど公開が危ぶまれていた。しばらくどうなったのかわからなかったのだが、ようやく8月に無事劇場公開が決まったというわけで、試写会に呼んでいただけた。

公開がまだ先の映画なので、詳しいことは書かない。とても面白い映画なので、ぜひ観ていただきたいと思う。


太平洋戦争末期。日本軍の敗色は濃厚で、閣僚たちも、本土決戦とか軍用犬を使った自爆作戦とかすごく悲壮な感じになっている。昭和天皇はこれ以上の戦いを望んでいない。時々防空壕から出て、唯一焼け残った研究室に行き白衣を着用して、平家蟹の標本を惚れ惚れと見ながらその美しさについて侍従に延々と語る。マッカーサーに呼び出された時にも、ナマズについて熱く語って呆れられるなど、昭和天皇は生物学マニアなのである。

昭和天皇を演じたイッセー尾形の演技が素晴らしい。私の記憶の中の昭和天皇はすでに老年となっていたわけだが、その記憶に残されたその姿にそっくりである。独特の口をもごもごとさせる癖、「あ、そう」という口癖。顔つき。彼は神である、ということになっていたのだけど、侍従たちに「私の体はキミと同じだ」といっては困らせる。人間ではなく神であるということになっているのだから、人間らしくあってはいけないってわけで、あまり表情や感情は表に出さない。しかしとても無邪気で愛すべき人物で、写真撮影のときに、チャップリンに似ていると思い込んだ米兵たちに「ヘイ、チャーリー」なんて無礼にも呼びかけられても、ニコニコとしていて、チャップリンのまねをしたりする愛嬌がある。そして、時折放たれるそこはかとないギャグ。あるときは侍従たちを相手にs、そしてあるときはマッカーサーを相手に。実際のところ、昭和天皇は実に人間的な人なのであった。

この天皇像を見ていると、マッカーサーがこの男は戦争犯罪人では断じていない、と判断したのがよくわかる。善なる人間が戦争を終わらせて、日本という国を救ったというところが描かれている。

マッカーサーに会いに行く時に、天皇はあまりにも悲惨な焼け野原と傷ついた人々を目にする。空襲の地獄絵図が夢に出てくるが、さすが海洋生物マニアらしく、戦闘機や焼夷弾は魚の姿をしている。この地獄をもたらしたのは誰なのか、自分ではないのか、と自問自答する。

昭和天皇が人間宣言をしようと決意をし、そして皇后に会うシーンが、淡々としていながら感動的だ。不器用に皇后(桃井かおりがこれまた好演)の胸に頭を埋める。
「私は神であることの運命を拒絶した」という彼の言葉への皇后の返事がまた、

「あ、そう」

である。素晴らしい。

ソクーロフ独特の、もやがかかったようなほの暗い映像が、美しい。そのもやのかかった暗闇の中に、月が大きく輝き、天皇陛下は神格を返上することを決意するところは、皮肉にも神々しい。「太陽」とはもちろん、天皇、そして神の比喩である。侍従たちの反対をよそに、「沈んでいる国民には、太陽が必要である」と天皇は、人々の前に姿をあらわすこと=米軍に撮影されることに同意するのだった。そして天文学者を呼んでは、極光(オーロラ)を見たいとダダをこねる。

実際のところ、どこまでが真実なのかはわからない。おそらく、多くの部分はソクーロフと脚本家のユーリ・アラボフが