ルーマニア国立バレエ(ブカレスト国立歌劇場)での混乱
既に多くのメディアで報じられているので、ブカレスト国立歌劇場バレエ団(ルーマニア国立バレエ)で大きな問題が起きていることは皆さんご存知かと思います。
Guardianの記事
Romanian opera row intensifies as culture minister resigns
http://www.theguardian.com/world/2016/apr/27/romanian-opera-row-artistic-director-johann-kobborg-steps-down
事の発端は、4月4日に、ブカレスト国立歌劇場の総裁代行George Calinが退任し、指揮者であるTiberiu Soareが総裁に就任したことです。就任の翌日、ルーマニア国立バレエのウェブサイトの芸術監督のところからヨハン・コボーの名前が取り除かれ、コール・ド・バレエの場所に名前がありました。これは、コボーが自身のFacebookで明らかにしました。
Soareが言うには、コボーはそもそも芸術監督という地位には書類上はなっていない、その事実を反映させた、ということです。(彼の契約は、プリンシパル・ダンサーとしてのものだったそうです)
結果的に、30人ほどのダンサーたちがこの仕打ちに抗議し、アリーナ・コジョカルが主演する予定だった4月9日の「マノン」の公演はキャンセルされました。
そして4月12日にコボーは辞表を提出。新しいマネジメントの下で、ダンサーたちは脅迫され、マネジメントが行ったことが、嘘を用いてアーティストたちのせいにされたから、という理由からです。.
その後、報道によれば、このオペラハウスの従業員(アーティスト、スタッフ)が、反対にコボーに対して抗議集会を行うようになったとのことです。コボーが芸術監督として着任した時に、それまでのルーマニア語ではなく英語が公用語化されたこと(これは事実ではないそうです)、そして金銭的な問題に対してに抗議しているとのことでした。
歌劇場のディレクターの一人が地元メディアに語ったことによれば、コボーは月給7,300ユーロという大きな金額の給料をもらっているのに対し、ルーマニア人のダンサーは1000~2000レイ(300~500ユーロ相当)しか支払われていないうえ、コボーは外国人ダンサーだけを採用し、ルーマニア人を蔑ろにした、とのことです。諸外国のバレエ団の芸術監督としては、コボーの給料は高すぎるものではありませんが、ルーマニアの所得水準が低いため、そのように受け止められていたと言えます。(そして外国人ダンサーの方が、元から在籍していた、よりダンサーとしての地位の高い団員より給料が高いとのことです)
その2日後に、ルーマニアの首相Dacian Ciolosがコボーとコジョカルに面会し、「素晴らしいアーティストは、どの国の出身であっても尊敬されるべきであり、世界に開かれているルーマニアにとって、外国人嫌悪はあってはならないこと」と自身のFacebookに書きました。
4月20日に、文化大臣のVlad Alexandrescuが、関係者の間で話がつき、コボーは芸術監督として復帰すると発表しました。George Calinが再び総裁代行として復帰し、その間に国際的な経験のある総裁を探すということで話はついたはずでした。ところが、引き続き、劇場の関係者の多くは反対デモを続け、オペラの方の副芸術監督でもあるSoareが、これは正式な同意ではないとプレスリリースで発表し、再びCalinが更迭される羽目となりました。
まず4月20日のオペラ「ファルスタッフ」の公演がキャンセルされました。23日の「真夏の夜の夢」「DSCH」のバレエ公演は開催されることになっていましたが、オーケストラが演奏をボイコットしたため、やはり公演が結果的にキャンセルされてしまいました。結果的に3公演がキャンセルされることになりました。
さらに、4月25日には、コボー、コジョカルを含む9人の関係者(総裁代行だったCalinも含む)が、歌劇場への立ち入りを禁止されてしまうという事態になってしまいました。
そしてついに4月27日には、Vlad Alexandrescuが文化大臣を辞任するという事態にまで発展したのです。
(以上、上記Guardianおよび下記ルーマニアメディア(英語)の記事に基づく)
Romanian employees’ strike cancels shows at the Bucharest National Opera
http://www.romania-insider.com/romanian-employees-strike-cancels-shows-at-the-bucharest-national-opera/169281/
Famous ballet dancers Alina Cojocaru and Johan Kobborg banned from the Bucharest National Opera
http://www.romania-insider.com/alina-cojocaru-johan-kobborg-banned-bucharest-national-opera/169395/
ヨハン・コボーがルーマニア国立バレエの芸術監督に就任したことで、レパートリーは英国バレエを中心に変化して多様化し、そして観客動員数も飛躍的に伸びました←売り上げは上がっているようですが、芸術監督が来てからチケットの値段が2倍に上がったことも理由にあるようです。海外からの有名ダンサーのゲストを招くようになり、コボーの貢献によりカンパニーのレベルも向上して高い評価を得るようになりました。昨年は、Dance Europe誌で「カンパニー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれるなど、彼のディレクターシップは大成功を収めたように思われていました。また、アリーナ・コジョカルは、ポワントをたくさんカンパニーのために寄付したり、チャリティ公演を開いたりして、母国のために尽くしてきました。
コボーが退任するとなれば、カンパニーの上演の質が保証されない、と多くの作品の権利者が上演許可を取り消そうとする動きまで出ています。
ところで、今回の件については、ヨハン・コボーが多くの出来事を自身のFacebookを中心に発表し、アリーナ・コジョカルがTwitterで追従するという形でソーシャルメディアで多くの動きが出ています。少々問題かと思われるのは、西側の報道や第三者たちによってナショナリズム、外国人嫌悪、ルーマニアという旧共産圏の国の閉鎖性という文脈で語られすぎているところがあり、これらに反応したり便乗した、第三者(一部ジャーナリスト、および英国人を中心としたファン)がSNSやバレエフォーラム上でヒートアップし、名指しでルーマニア人ダンサーなどを厳しく批判していることです。
内部のことは、結局内部の人にしかわからないわけですし、メディアに出ている英語の情報(ルーマニア語でも多くの報道が出ていますが、言葉の壁もあり、その内容は外国にはなかなか伝わりません。自動翻訳では正確な意味を捉えることは難しいと考えられます)と、コボーのSNS上の発言だけでは判断できないのではないかと思われます。劇場側の言い分もほとんど伝わってきていません。実際には劇場の750人の従業員の大半は、Soareを支持しているとのことです。しかし結果的に、劇場だけでなく、ルーマニアという国自体も、今回の件で大変イメージが悪化してしまったところがあります。
私自身も、こうやって記事を書いていますが、これがどこまで真実なのかわからないところがあり、今までこの件について書くことをためらっていました。
ここで、ブカレスト国立歌劇場バレエ団の日本人ダンサーの二人が、心境をブログで述べられています。ブログの内容にあるように、団員という立場もあり、公に言えないことも多いと思われるのですが、西側で報道されていることだけが真実ではないということです。勇気を出して、愛する劇場のために現状を書ける範囲で書いてくださった二人の勇気は素晴らしいと思います。
外国人嫌悪といったことは、少なくともバレエカンパニー内ではなかったようです。バレエ団の100人の従業員のうち、現在30人ほどが外国人です。コボーが芸術監督となってからは、外国人は大幅に増えましたが、以前から外国人ダンサーは在籍していました。
ダンサーにとっては、舞台に立って踊ることが仕事であり、それが、今回の混乱で公演が中止されたり、落ち着いて踊ることができないのは大変つらいことだと思われます。さらに、愛着を持っていたカンパニーが、このような形で内部崩壊に近い形になってしまうことや親しい同僚たちが非難されることも、大変悲しいことでしょう。
英国ロイヤル・バレエから移籍した、ダヴィッド・チェンツェミエックはブカレスト国立歌劇場バレエ団を退団し、5月より、母国ポーランドのポーランド国立バレエ団に移籍することを発表しています。
吉田周平さんのブログ
http://ameblo.jp/shuheivagyok/entry-12153356478.html
日高世菜さんのブログ
http://ameblo.jp/senachika/entry-12149890707.html
早く事態が解決して落ち着き、ダンサーたちも踊ることに集中できる日が来ることを祈ります。
Tiberiu Soareのインタビュー(英語字幕付き) ここでは、長年にわたり現在に至るまで、前総裁Razvan Dinca(汚職で昨年逮捕されています)によるものををはじめとした劇場内での金銭的な問題が続いていたことなどを語っています。オペラハウスの音響なども、間違った工事によって悪化したと。また、コボーが、劇場の予算の範囲を超えたお金の使い方をしていたと。それらを正すのが自分の役割だったと。
ここでSoareは、読者からの疑問に答えるとして、質問に対して回答をしています。
http://slippedisc.com/2016/05/bucharest-crisis-soare-speaks-out/
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コメント
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naomi様
この複雑かつ真実を容易に知る術もない問題につき、不用意には踏み込まない形で、かつ公平に両サイドの見解を紹介していただき、本当にありがとうございます。
ルーマニアには何の関係もない一人のバレエファンにすぎない私ですが、この問題には心を痛めておりました。英国ロイヤルファンの私は、どうしても英国人のツィッターやブログ、掲示板などから情報を得ているので、てっきりsoare氏はバリバリのナショナリストなのだ、と思い込んでおりました。
しかし、いつも愛読している日高さんや吉田さんのブログには全く違う事が書いてあります。もうそこでびっくりでしたが、英語力が足りない私は紹介されている動画を見ようとしても、英語字幕が消えるのが早すぎて(私が読むのが遅すぎる、とも言えます)、肝心のところにたどり着くまでに嫌になってやめてしまいました。
それからいろんなものを読んで、どうやらこれは刑法でいう背任罪がらみの話ではないか、という印象を受けました。ですから、軽々に発言する事ははばかられます。日高さんや吉田さんが実に誠実にルーマニアやカンパニーを愛して「誤解しないでください」と言っておられる事は私にはよく伝わりましたけれど、いろんな感じ方をする方がおられたようで、ブログは一時、大変な事になっていました。
人柄がよく、日本でも素晴らしいバレエを見せてくださった日高さんや吉田さんのお気持ちを思うといたたまれない気がしていましたが、soare氏のインタビューすら最後まで見ていない私が発言することはよい事ではない、と思っていたので、英語に堪能なnaomiさんが、どちらの立場に偏ることもなく、しかし、きちんとどちらの立場も紹介してくださった事に本当に感謝します。ありがとうございます。
バレエはお金がかかる割りには収入が少ない、という悲しい宿命を背負っています。その中でみんな理想を持ってがんばっていると思うのですが、その理想を達成しようとして、ついついお金の問題に足を踏み入れねばならなくなり、いろんなトラブルを引き起こしてしまう…。
本当に悲しいです。ルーマニアのカンパニーはじめ、ダンサーの皆さんが安心して踊れることを願っています。そして、そのためにも、いい公演のチケットはがんばって買い、バレエという芸術そのものを応援して行きたい、と思います。
MIYU
投稿: MIYU | 2016/05/02 12:15
MIYUさん、こんにちは。
この件に関しては、やはり内部の人間でない限り真実を知るすべはないので、どちら側にもつくことなく、極力公平な視点で、客観的に書ければと思って記事を書いてみました。とはいっても、やはりブカレストの吉田さんや日高さんのブログを読んでいたので、彼らの気持ちも考えながら。
おっしゃる通り、つまりはお金の問題になってきているのだと思います。コボー退任の件というのは、実のところはこの件のほんの一部の問題であって、それよりも、今までの劇場におけるお金の流れの大きな問題がメーンという感じですよね。ソアレ氏も動画で、オペラやバレエはお金がかかって、チケットの売り上げだけではどうにもならない、スポンサーがない限りやっていけない、そういうお金のない状態をやりくりしなければならない苦しさのようなものが伝わってきます。
おそらくコボーもバレエ団のために良かれと思って、新しい作品や振付家を呼んだり、海外からゲストを呼んだりしたんだと思うのですが、それが劇場の身の丈以上にお金がかかってしまったということも問題視されてしまったかと思います。それが、歪曲した形で西欧に伝わってしまったことが、問題を大きくしてしまって、バレエ団内の対立まで引き起こしてしまったのではないかと。
あと、今回の件では、SNSって怖いな~と改めて思いました。FacebookとかTwitterなどがなかったら、ここまで問題は大きくなることはなかったと思います。関係のない人たちまでもが問題に首を突っ込むようになってしまいますからね。私もそういうものを見るときは気をつけなくては、と思いました。
本当に悲しい出来事で、誰一人幸せになっていないと思うのですが、この問題が落ち着いて、皆さんがバレエに打ち込める日が来ることを祈るばかりです。そう、芸術にはお金を払って支えて行かないといけないんだと思いました!
投稿: naomi | 2016/05/03 01:13
外国語で書かれた記事やSNSばかりだったのでやっと事態を俯瞰できた思いです。
naomiさんが書かれた記事、頂いたコメント、それに返したコメントもすべて腑に落ちました。
仰る通り当事者しかわからない事とはいえ、馴染みの面々が登場して一バレエファンとしてとても心配でした。
劇場自体を含め関わった方々が芸術に専念できる日が一刻も早く来るよう祈ってます。
ご苦労されたであろう今回の記事、本当にありがとうございました。
投稿: F | 2016/05/03 05:39
Fさん、こんにちは。
お返事が遅くなりました!
本当にこの件は、ややこしくて、外部の人間には到底理解しきれないのですが、特にコジョカル、コボーのファンの皆さんにとってはとても気がかりなことですよね。
今までルーマニア国立バレエは成功を収めてきたように見えたので、あまりの突然のことに驚くばかりでした。しかもいろいろな話が出てきて。
部外者としては、どうすることもできないわけですが、バレエ団で働いている人たちの声を少し届けられて、誤解は解けたらいいな、と思ってこの記事を書きました。
そして事態が少しでも良い方向に収拾して、皆さんが踊りに専念できる日が早く来てほしいという思いは私も同じです。
投稿: naomi | 2016/05/05 02:22