BlogPeople


2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

ブログパーツ

  • HMV検索
    検索する
無料ブログはココログ

« マニュエル・ルグリが、ウィーン国立バレエ芸術監督の契約を2020年まで延長 | トップページ | ABTの2016年METシーズンのキャスト »

2015/10/17

「白鳥の湖」初演についての発見続き

10月7日に投稿した「白鳥の湖」初演失われていた資料が発見の続報について、New York Timesで記事が載ったので、ご紹介します。

※私は専門家ではないので、へぇ~と思ったことをメモ程度にまとめているため、あまり細かい突っ込みはご遠慮いただければと思います…。

http://www.nytimes.com/2015/10/14/arts/dance/swan-lake-discoveries-allow-for-a-deeper-dive-into-its-history.html

併せて、今回の発見をまとめた書籍がボリショイ劇場より発行されました。この書籍についての説明の動画(ボリショイ劇場のYouTube)がありますが、この動画に映し出されている本と解説も大変興味深いものです。

(この映像の中で、Sergei Konaev,氏は、当時バレエのリハーサルは2艇のヴァイオリンの演奏によって行われていて、チャイコフスキーはリハーサルを観るのを楽しんでいたと母親に語っていたと話しています)

前回の記事をおさらいつつ、今回のいきさつについて書いてみます。モスコワの芸術研究所の主席研究員であるSergei Konaev,氏が、ボリショイの古い建物で様々な発見をしました。1876年のリハーサルスコアが発見され、その中には、オリジナルの衣装、キャスト、その他の記述があったのです。これは、先週モスクワで行われたシンポジウムで発表されました。

そのシンポジウムに参加した音楽学の研究者でプリンストン大学の教授であるサイモン・モリソン氏(ボリショイバレエの歴史について研究)が、今回の発見について報告しています。

「セットや衣装の完全で正しい描写を与えてくれ、また何十もの演出のキューや指示、そして最後の洪水についての新しい詳細を教えてくれました。モスクワ帝室劇場のバレエマスター、Vladimir Petrovich Begichevがこのバレエのシナリオの作者であると解明しました。ライジンガーによる1877年のオリジナル初演においては、スコアはオリジナルの順番で演奏されていたということを確認しました。そして初演する予定だったバレリーナの名前が、チャイコフスキーが敬意を抱いていたプリマ・バレリーナの Lidiya Geytenであることも判明しました。彼女は、この音楽は自分のためのものではないと判断して降板するまで、このバレエのリハーサルに参加していました。また、1880年における、モスクワでの2回目の上演(Joseph Peter Hansen.演出)についても多くのことが話されました」

ライジンガ―も、Joseph Peter Hansenも、振付についてはさほど素晴らしいものではなくて、チャイコフスキーは主に、モスクワの舞台美術家Karl Valtsによる見事な舞台美術効果について熱狂したようです。Valtsもチャイコフスキーの音楽は素晴らしいと感じていたとのことです。Valtsは、自伝でこのように語っています。

「嵐のシーンでは、湖は堤防を越えて決壊し、洪水で舞台を埋めました。チャイコフスキーは、我々は本物の渦潮を再現し、湖を囲んでいる木の枝も折れて水の中に落ち、波にさらわれるべきだと主張しました」


この終幕の洪水は、「白鳥の湖」の1895年以降の多くの上演において省かれているものの一つです。(注:ヌレエフ版、クランコ版など洪水が出てくる演出はいくつかはあります)この大団円に物語に向っているということを、われわれに思い出させます。

1877年のスコアの最大の疑問は、いわゆる「黒鳥のパ・ド・ドゥ」と呼ばれているシーンにあります。ここの音楽は、チャイコフスキーは本来1幕で、王子ジークフリートがまだオディールにもオデットにも出会っていないところの場面のために書きました。チャイコフスキーは、3幕でオディールが踊った音楽はどの曲だったのでしょうか。

リハーサルのスコアにより、ジークフリートは、「村人1」とだけ表現されている若い女性と1幕のパ・ド・ドゥを踊ったことが判明しています。しかしこの女性は、この場面にのみ登場します。

オディールについては、3幕の舞踏会に現れるや否や、スコアではパ・ド・シスとしている複雑な踊りの組曲に参加します。新しい発見により、ライジンガーは、この組曲の最も驚くべき一曲、美しく悲痛なアンダンテ・コン・モートを使っていることが判明しました。これが悲劇的なクライマックスを導くと、バレエのスケールが宇宙的であると感じます。もし、この曲を、チャイコフスキーがもともとはオディールの踊りのために作ったと考えると、彼女のイメージが一変します。この音楽は、オデットのために書かれた曲同様、胸を刺すような、運命に翻弄される様子を描いているように聞こえます。

そして民族舞踊が続き、クライマックスの5曲目は、ジプシータイプのヴァイオリンソロを前面に出したルースカヤです。1877年においては、衣装を替えたオディールが、この曲を踊るために現れ、この音楽に合わせて踊ったオディールによってジークフリートは完全に誘惑されます。

この「白鳥の湖」のデータの集積を完全に吸収し検証するには時間がかかると思われます。新しい発見によって、このバレエの謎が解明されるというよりは、より迷宮の中に入り込むことになるでしょう。1877年のスコアを使って「白鳥の湖」を上演するという努力の成果は、現代においては、ブルメイステルによる1953年のモスクワでのプロダクションに現れています。しかしながら、今回の成果により、チャイコフスキーの本来の意図を舞台化するという試みの話はすでに浮上しています。

********
「白鳥の湖」のアンダンテ・コン・モートが、本来はオディールに使われていた曲だったということは非常に興味深いものです。この美しい音楽は、「白鳥の湖」の演出においてはいろんなシーンに使われています。4幕の悲しみに沈む白鳥たちに使われることもあれば、2幕冒頭の王子のソロでも使われることがあります。さらには、マシュー・ボーンの「白鳥の湖」では、王子が母の愛を求めてすがりつくシーンで印象深く使われていました。つまりは、チャイコフスキーは、オディールも非常に悲劇的な背景をもつ存在であると描きたかったのかもしれません。

音楽の順番が比較的チャイコフスキーの原典に近いブルメイステル版の「白鳥の湖」は、来年2月に東京バレエ団でも上演されます。
http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/topmenu/post-561.html

NBS WEBチケット先行販売:10月16日(金)9:00p.m.~10月22日(木)6:00p.m.
 [座席選択・対象S~D席]

一斉前売開始:10月31日(土)10:00a.m.~

お問い合わせ・お申込み
 NBSチケットセンター 03-3791-8888

白鳥の湖 [DVD]白鳥の湖 [DVD]

ワーナーミュージック・ジャパン 2012-03-07
売り上げランキング : 9267

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

« マニュエル・ルグリが、ウィーン国立バレエ芸術監督の契約を2020年まで延長 | トップページ | ABTの2016年METシーズンのキャスト »

バレエ(情報)」カテゴリの記事

コメント

naomiさん、こんばんは。

突っ込みどころは多そうですが、まあ、出版された本を見ないと何とも言えないですね。
本の内容とは直接には関係ない点について一言。

映像の中でもいくつかのことが述べられていましたが、
naomiさんが引用されたところ:
<チャイコフスキーはリハーサルを観るのを楽しんでいたと母親に語っていたと話しています>
解説者は、この二重奏編曲が作曲家のお墨付きを得たものであると言いたいのでしょうが、
僕は、母親についてアレッと思ったので映像内の英訳を見てみました。↓

Tchaikovsky wrote to his mother, that it had been fun to watch the ballet master composing dances with that arrangement of a ballet score for two violins.

確かに母親と書いてありますねえ・・・
ボリス・ムコセイは受け狙いのギャグのつもりで母親と語ったのか?
間違った資料を参照したのか、あるいは、資料を誤解したのか?
はたまた英訳のミスなのか?

やすのぶさん、こんにちは。

私はその辺の細かいことについては、よくわからないのですが、お母さんに手紙を書いたというのは史実ではないということなのでしょうか?

チャイコフスキーの伝記を読むと、彼の母は彼が14歳の時コレラで急逝します。
《白鳥の湖》作曲の20年も前のことです。死んだ母さんには手紙は書けないですね(笑い)

でも、このネタ自体は本当だと思います。たぶんチャイコフスキー全集の書簡集
にでも含まれているんでしょう。
小倉氏の本には、怪しげな訳文ですが、次の記載があります。
<《白鳥の湖》の総譜は完成したものの、初演は予定より遅れてようやく
翌1877年2月に第1幕の舞台稽古に入った。この稽古の模様を
チャイコフスキーはモデスト(彼の弟)に宛てた手紙で、次のように語っている。
‟今日、バレエの第1幕の初めての稽古が演劇学校のホールで行われた。
1本のヴァイオリンの音に合わせて、世にも珍しく、また意味深げな、
感動的な様子で踊りを作り出すバレエ・マスターをみるということは、
どんなに滑稽なことか、モデスト、君に見せたいくらいだったよ。
それと同時に、観客を心に描いて微笑みを浮かべながら、立ち、
そして軽く飛び跳ね、回転して楽しむ踊り手たちをみていると、
とても羨ましい気持ちになった。劇場では、みんな僕の音楽に
有頂天になっている。・・・・・”>
「白鳥の湖の美学」p22、小倉重夫、春秋社

こんな、つまらぬ話に僕が反応したのは、セルゲイエフが西欧に
持ち出したステパノフ舞踊譜では、第2幕の出会いの場での
オデットのマイムで『湖は母の涙で出来た』というセリフが
ありますが(今度のラトマンスキーもこれをやるのでは?)
プティパ=イワノフ版の台本にはそのような記述はありません。
初演台本を引用した時に『湖は祖父の涙で出来た』
という話から変えられたのでしょう。このマイムはロイヤルでは
今でもやっていますよね。

現在のロシアではワガノワが振り付けたものを基に全て踊りに
変えられています。

面白いと思ったのは、両方に共通する、母への思い入れ
(無意識のすり替え)がロシア人の心の底には強く存在する
のではないかな、なんてことを思い浮かべたからです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« マニュエル・ルグリが、ウィーン国立バレエ芸術監督の契約を2020年まで延長 | トップページ | ABTの2016年METシーズンのキャスト »