ABT ラトマンスキー版「眠れる森の美女」
アメリカン・バレエ・シアター(ABT)は、アレクセイ・ラトマンスキー振付の「眠れる森の美女」を3月3日に、カリフォルニア州コスタ・メサのSegastrom Center for Artsで初演しました。
World Premiere Day! All very best to dear colleagues/friends @ABTBallet. t my prince @marcelogomes47 #Sleepingbeauty pic.twitter.com/0KmOSiTRvr
— Diana Vishneva (@dianavishneva) 2015, 3月 3
http://www.scfta.org/events/detail.aspx?id=11607
今回の再振付を手掛けたラトマンスキーは、1890年のプティパによるマリインスキー劇場での初演にできるだけ近い形で実現させようと心がけました。具体的には、初演以来の年月にかけて、より現代的でいわゆる「バレエ」というものに近づけてきたのを、本来の姿に戻そうとすることです。.
ラトマンスキーは、1903年にニコラス・セルゲイエフが記録したノーテーション(舞踊譜)を使って、この再振付を行いました。ステパノフ記譜法によって記された舞踊譜自体、解析するのが極めて難しく、何か月もかけてラトマンスキーとその妻タチアナは象形文字のような記号や音符を解読しました。まるでジグソーパズルのピースを合わせるような作業だったようです。
この舞踊譜では、脚の高さやポジション、フレーズの方向については明確に記録されていましたが、腕のポジションについてはほとんど情報がありませんでした。それでも、ラトマンスキーは、振付の豊かさーステップの集中、そしてそれを合わせたときの驚くべき創造性に富んだ様子に魅了されました。「現在よりも身体能力には依存せず、脚の位置は低く、リフトも今のように多くありませんが、一つのフレーズの中にあるステップの数は今よりも多く、組み合わせも新鮮で興味深く、ディテールに富んでいます」
ラトマンスキーは、自身の振付家としての役割を取り除こうとし、オリジナルに忠実なものを創ろうとしました。「一つのパッセージを解読したり、今日のダンサーにうまく踊らせることが難しくても、舞踊譜に沿った形でやる方法を探りました。それに従って進めれば、非常に多次元で、現在観ているようなバレエよりも生き生きとしていて複雑な踊りを得ることができます」
ABTのダンサーにとって、これはとても難しいことでした。動きは、踊られているほとんどのバレエと比較して身体能力を使うものではないにもかかわらず、「信じがたいようなスタミナ」が必要な振付でした。ダンサーが一息をつけるような、ヴァリエーションやフレーズの間の休息が少ないのです。そして、ほとんどの出演者にとって、過去に彼らが踊った「眠れる森の美女」の記憶を上書きするための多大な努力が必要でした。
初日に主演したディアナ・ヴィシニョーワは、今まで少なくとも6つの異なった「眠れる森の美女」のプロダクションを踊ってきたけれども、今回がスタイル的に最も挑戦を必要とするものだと語っています。「今までの、ある一定の高さに脚をアラベスクやパッセに運んだり、腕の運び方にもっと振幅があるのに慣れていると、新しい振付になじむのは大変です」
ラトマンスキーは、出演者たちが苦労しているのを乗り越えさせるために、全く新しい振付家の作品に挑戦すること、全く新しいスタイルでの実験だと考えるように伝えました。プティパのバレエの振付的な豊かさをよみがえらせるのにあたって、彼は、プロダクションをオリジナルその通りに細かく再現させるつもりではないという意図もあったので、とても興味深いことです。
「眠れる森の美女」の復元と言えば、1999年にマリインスキー・バレエがセルゲイ・ヴィハレフによって復元した4時間にもわたる版が知られていますが、今回のラトマンスキー版は、それとは異なっています。今回は、上演時間の長さや出演者の人数においても、もっと現実に沿うものとなっており、また振付のソースにおいても、折衷的なものとなっています。セルゲイエフの舞踊譜においては、西側でこのバレエが初めて上演された時の断片が挿入されています。3幕のパ・ド・ドゥのフィッシュダイブや王子のヴァリエーションがその例です。ラトマンスキーは、これらを自身の版に取り入れ、また彼ならではの、21世紀の感覚に従ったマイムやストーリーテリングによって色付けを行っています。
リハーサルの間、彼は、貴族役や農民と言った出演者たちにも、バレエ的な人格を排したものではなく、一人一人の人間として演じるように伝えました。2幕の目隠し遊びをする場面、王子の友人ガリソンが侍女を不注意でつかんでしまった時には、侍女役に「少し痛いけど愛の気持ちを込めて」彼をひっぱたくように指示しました。
プロダクション制作にあたっては、ラトマンスキーとデザイナーのリチャード・ハドソンは、ディアギレフのバレエ・リュスの1921年のロンドン公演のためにレオン・バクストがデザインしたプロダクションを発想の源としました。「私は、デザイン画や写真や現存する衣装を観て、これは素晴らしいと感じました」
バレエ・リュスの歴史を知っている方にとっては既知のことですが、1921年のバレエ・リュスの「眠れる森の美女」のプロダクションはバクストの華麗なデザインで知られているものの、失敗に終わり、バレエ・リュス自体を解散の危機に追いやりました。現在は「眠れる森の美女」は古典バレエでも最も人気のある作品の一つですが、1921年においては、ロシアの外ではほとんど知られていませんでした。ディアギレフは、皮肉にも彼の観客たちには、イノベーションとアヴァンギャルドなシックさを期待するように育ててきており、「眠れる森の美女」は彼らの期待には沿えなかったのです。
この高価なプロダクションの失敗により、ディアギレフは破産に追い込まれましたが、今回のラトマンスキー版「眠れる森の美女」は、ABTとミラノ・スカラ座の共同制作となっており、ハドソンは、1921年のデザインを完全に復元するわけではありません。現代的な生地をつかうことによって、衣装の重さも製作費も軽減されており、縫製も、現代の長身で細身のダンサーの体型に合うように配慮されています。
今回の「眠れる森の美女」は、過去の精神を生かしつつも、完璧に再現することを狙ったわけではありません。ラトマンスキーは、時代の流れとともに隠れてしまったプティパの振付の中の生命力とエネルギーを発見したと確信しています。「この眠れる森の美女を創ることで、プティパが、今まで自分が理解していた以上に、どれほど素晴らしい名匠であったことを知ることができました」
こちらの記事では、衣装デザインを行ったリチャード・ハドソンのインタビューと、衣装をダンサーたちが試着している様子、デザイン画、そしてオリジナルの衣装の写真のスライドショーがあります。
http://www.ocregister.com/articles/costumes-652786-bakst-production.html
レオン・バクストがバレエ・リュスの「眠れる森の美女」のためにデザインした衣装は300点以上でしたが、このバレエの興行上での失敗により、ディアギレフは多大な借金を負うことになりました。この衣装は彼の借金のかたに取り上げられ、そのいくつかは、個人のコレクター、そして世界中の美術館によって購入されました。(先日、日本で行われたバレエ・リュス展においても、オーストラリア国立博物館に所蔵されている「眠れる森の美女」の衣装が出展されたので、それをご覧になった方は多いと思います)
今回のプロダクションの制作にあたり、バクストのデザインの完全な復元を行うわけではないということが最初に確認されました。1920年当時からは、照明の技術も変わっており、そのまま復元しても衣装は魅力的には見えないということが大きな理由です。
「衣装を完全に複製するのではなく、インスピレーションを得ました。バレエ・リュスの専門家の友人がいて、リサーチを行ってくれました。いくつかの衣装のデザインは失われていたので、一から作らなければならないものもあります。使われた色も、バクストのものとは異なっています。ダンサーの体型も当時からはかなり変わっていて、プロポーションを変える必要がありました。チュチュの長さも、バクストのオリジナルより短いものとなっています。」
「生地や素材も、1920年代にバクストが用いたものよりずっと軽いものになっています。私はロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に行き、舞台芸術部門にあるオリジナルの衣装を見せてもらいました。非常に重い生地をつかっており、現在では使われることのない毛皮も使われていました。生地そのものはすべてニューヨークで購入しています」
「生地としては、たくさんの錦織、シルクそしてラメを使いました。このプロダクションではたくさんの金と銀が使われています」
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「デザインを始めたときから、少し古風なものを創りたいと思いました。1920年代にデザインされた衣装にインスピレーションを得ることで、それはできたと思います。古風というのは、絵本、フェアリーテールのような感じにするということです。『眠れる森の美女』が誰よりも子供たちにアピールするということが大事だし、もちろん大人の鑑賞に堪えることも重要です」
そして実際の公演のレビューも出ています。
ABT's 'Sleeping Beauty' at Segerstrom a lush return to tradition
http://www.latimes.com/entertainment/arts/la-et-cm-abt-sleeping-beauty-review-20150305-story.html
初日の主演を務めたディアナ・ヴィシニョーワとマルセロ・ゴメスは素晴らしかったようです。ヴィシニョーワは1幕では16歳というより12歳という無邪気で愛らしいオーロラで、とても温かみのあるキャラクターだったそうです。彼女の高い身体能力は見せびらかされないように気を使われていました。
デザインは、まさに飛び出す絵本のようなもので、大変華麗でしたが、かつらなどが多用されているのは、好き嫌いも分かれたようです。妖精たちは目で演技をしていてそれがとても効果的だったとのこと。1月にミュンヘン・バレエでラトマンスキーが振付けた「パキータ」でも、この目線の演技は重視されていました。
他の日程では、マルセロ・ゴメスはカラボス役も演じることになっており、これもぜひ観てみたいと思います。
70人のバレエ団のダンサーの他に、子役を含む100人もの出演者がいたという大変豪華なプロダクションでした。9月には、ミラノ・スカラ座でも上演され、こちらでは、スヴェトラーナ・ザハロワとデヴィッド・ホールバーグが主演する予定です。
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コメント
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naoimiさんこんにちは、
たいへん興味ある古典へのアプローチの仕方です。
このような巨大な作品では、欲張った完全復元をめざすよりも
現代に適合した形でポイントを絞って再創造するほうが
舞踊譜の解読自体に全力を注げて、プティパの振り付けの才能を
より具体的に復原しやすいのかもしれませんね。
ヴィシの12才というのは、さもありなんという感じです(笑い)
バレエの魔術ですね。
ボリショイの映像を見る限り、ザハロワではそうはならないのでは?
ここでは、ガリフロンは家庭教師ではなくて友人?
投稿: やすのぶ | 2015/03/08 11:31
やすのぶさん、こんにちは。
興味深いのが、振付はプティパの1890年原振付を基にしたノーテーション、衣装は1921年のバレエ・リュスのもの、そしてそれをさらに現代的な要素を加えたということで、バレエの歴史を一つの作品の中で辿って行っているというプロセスです。ただ古いものをそのまま現代によみがえらせたのではないというところが素晴らしいコンセプトだな、と思いました。
ヴィシニョーワ以外のキャストでも観た人が、やはりオーロラ役をだれが踊るかによってだいぶ違った草品になりそうだと言っていました。きっとザハロワだとまた全く違っているでしょうね。彼女は我が道を行く人ですからね。ひょっとしたら、またザハロワ&ホールバーグでDVD化、というのもあるかもしれません。スカラ座は頻繁にDVDを制作しているので。
投稿: naomi | 2015/03/08 21:20
naomiさま
こんばんわ。
なんと!ラトマンスキーが復刻版を手がけていたんですね。
この復刻版は、私にとってとても思い出深い作品です。
実は2000年のボリショイ来日公演に出演していました。
もちろん踊っていませんが(笑)
ふたりの「ディアナ」がオーロラで素敵でした。
ABTもぜひ見てみたいです。
投稿: mico | 2015/03/09 22:44
micoさん、こんにちは。
2000年のキーロフの復元版「眠れる森の美女」に出演されたのですね!それは素晴らしいご経験ですね。舞台上のエキストラでしょうか?私はこの作品は映像で3幕しか観ていませんが、華麗な衣装でしたよね。しかもディアナ・ヴィシニョーワのオーロラだったんですね。それは間違いなく一生モノの体験だったかと思います。
ABT版の眠り、私も観てみたいです。
投稿: naomi | 2015/03/10 01:24