2/17 新国立劇場バレエ団「ラ・バヤデール」
音楽 レオン・ミンクス
編曲 ジョン・ランチベリー
振付 マリウス・プティパ
演出・改訂振付 牧 阿佐美
指揮 アレクセイ・バクラン
管弦楽 東京交響楽団
ニキヤ 小野絢子
ソロル ワディム・ムンタギロフ
ガムザッティ 米沢 唯
ハイ・ブラーミン マイレン・トレウバエフ
ラジャー 貝川鐡夫
マグダヴェーヤ 福田圭吾
黄金の神像 八幡顕光
アイヤ 今村美由起
つぼの踊り 寺田亜沙子
第一ヴァリエーション 寺田亜沙子
第二ヴァリエーション 堀口 純
第三ヴァリエーション 細田千晶
http://www.nntt.jac.go.jp/ballet/performance/150217_003720.html
「ラ・バヤデール」は、牧阿佐美改訂の古典作品の中で、「ライモンダ」とならび、オーソドックスで出来の悪くない演出と言える舞台の一つ。ニキヤと奴隷とのパ・ド・ドゥや太鼓の踊りなどの割愛があったり、メーンキャラクター3人+大僧正以外は存在感も演技も薄いのでドラマの厚みがないという問題点はあるが、大きな破綻はない。
今回はシーズン・ゲストダンサーのワディム・ムンタギロフを迎えているのだが、公演数が4回と非常に少ないうえ、ムンタギロフ出演2回のうち1回は平日昼間の公演で学生の大きな団体が入っていており、もう一公演も平日の夜のため、勤め人が観に行くにはなかなか厳しい。もちろん、若い人にバレエを観てもらうことは大事なことではあるし、平日マチネの需要も最近は大きいようではあるのだが、4回しか公演がないのにそのうちの一回がスクールマチネ、しかも、今世界的にももっとも注目される男性ダンサーをゲストに迎えているのに、その出演回数の一回がこの半貸し切り公演というのはいかんせん勿体ない。いかに、この劇場が、バレエファンを大事にしていないというのが伝わってきてしまって残念だ。キャストの発表も毎度のことだが非常に遅く、ガムザッティ役ですら公演が迫ってからの発表だった。
初日はムンタギロフに加え、ニキヤ役に小野絢子さん、ガムザッティ役に米沢唯さんというバレエ団のトップバレリーナを加えた豪華なキャスト。やはりガムザッティ役には、ニキヤ役と対等に張り合えるレベルのバレリーナをキャスティングしないと盛り上がらない。この点で、こちらの配役は非常に成功していた。2人が火花を散らし、丁々発止で演技そして踊りをぶつけ合う姿をたっぷり堪能できた。
小野さんのニキヤは、儚さの中にも芯の強さが伝わってくる踊り。神に身を捧げた巫女でありながら禁断の恋に胸を焦がす業の強い女性であり、恋人ソロルが現れたらパッと表情が輝く一方で、誇り高くもあり、横恋慕する大僧正に対しては凛としてはねつける。恋敵ガムザッティが彼は私のものよ、と迫ってくると、追い詰められながらもナイフを手に取る様子に想いの強さと激しさがある。小柄で華奢な小野さんだが、しなやかな動きの中に強靭さを感じさせ、それがニキヤの強い意志へとつながっていっているのだ。特にソロルとガムザッティの婚約式での花籠を持った踊りでは、悲しみをあふれさせた始まりから、花籠を贈られての歓び、胸の鼓動が早まる昂揚感と報われない想いがまじわってのクライマックス、そして絶望と様々な感情を、アダージオからアレグロへと変化していく体の動きを通じて鮮烈に見せた。清純なイメージの強い小野さんも、すっかり大人の表現力を身につけて、役に魂を吹き込み役を生きられるようになった。
一方の米沢さんも、鮮やかなガムザッティ像を見せてくれた。彼女のガムザッティ像は、可愛らしさがある反面、とても傲慢でわがままなお姫様だ。ソロルに恋心を寄せる一方で、ニキヤに対しては、この踊り子風情が私に刃向うなんて、とニキヤをとても見下している。そのため、ニキヤがナイフを持って立ち向かった時には、心底怒りを感じ、1幕最後の「殺してやる」マイムでも、殺意に心を煮えたぎらせ、目の中に強い炎を燃やしていた。普段は愛らしく優しげな顔立ちの米沢さんだが、今回はメイクを工夫して、目をくっきり描き、ガムザッティの強さと怖さを表現。婚約式では、ソロルに脚を見せて誘惑する一方でニキヤの悲しみの舞を冷やかに見つめ、「あなたが蛇を入れたのね」とニキヤに指さされても、ふん、知らないわ、と平気な顔で立ち去ることができる。悪役という新境地を米沢さんは見事に開くことができた。鉄壁のテクニックを誇る米沢さんは、難易度の高いガムザッティのヴァリエーションも余裕でこなす。くっきりとした輪郭のイタリアンフェッテ。グランフェッテも、涼しい顔でいつの間にかダブルやトリプルが入っている。音楽性にも優れているし、華やかさも十分で、婚約式のクライマックスを盛り上げてきた。
新国立劇場を代表するプリマに挟まれた形のワディム・ムンタギロフ。彼の良さは、ただ一人の外国人ゲスト、しかもトップスターという状況にあっても、カンパニーから浮くことなく、目立ちすぎることもなく、バランス感覚に優れていて自然体であること。若くて貴公子然としている彼は、戦士ソロルを演じるには優男であるようにも感じられたが、踊りのテクニックは輝かしい。吸い付くような着地、美しいつま先、浮かび上がるような跳躍、そしてソロルらしさを出すために、特徴的な、大きく背中を反らせて着地するポーズを綺麗に決めてくれた。一つ一つの動きにエレガンスがあるし、動きはダイナミックで柔らかい。長身なので、小柄な小野絢子さんと組む時には少しバランスは悪いところもあるが、パートナーリングも上手く、驚くほどの高さでリフトをすることができる。演技もごくナチュラルで、やりすぎでないけれども、しっかりとコミュニケーションが成立し、パートナーとともに物語を紡ぎあげることができるところに大変好感が持てた。
何よりも、ソロルと言えば影の王国のコーダのマネージュである。ここの6連続ドゥーブル・アッサンブレはチャブキアーニによる追加振付を踏襲しているものだと思うのだが、ソロル役ダンサーにとって最も重要なところだと思っている。ここがムンタギロフは素晴らしかった。見事な空中二回転に続く美しい着地の連続をきっちりと決めてくれて、ソロルならではの勇壮さを感じさせてくれた。
影の王国での小野さんも心を打つものがあった。情熱的な2幕での彼女と打って変わって、死によって浄化され、魂だけになったような透明感を持ちながらも、動きはなめらかで伸びやかで美しい。ヴェールを持ってのヴァリエーションは、この牧版の特徴か、アラベスクで回転をした後でパ・ド・ブレでフィニッシュするので少し難易度が下がっているものの、小野さんはバランスを完ぺきに保っていて、歌い上げるように踊っていた。2人の魂が触れ合っているように感じられていたから、神殿崩壊後、スロープをあがっていくニキヤの魂を追いかけるソロルが力尽きてしまう、このヴァージョンならではの最後が、彼らの表現とは整合性がないのではないかと感じてしまった。ニキヤを裏切ったソロルは結局許されないという結末は面白い解釈だと思うけど、このペアに関しては合っていない気がする。
新国立劇場バレエ団自慢のコール・ド・バレエによる影の王国は、思わず息も止まるほどの神秘的な体験をさせてくれる。3段のスロープを、アラベスク・パンシェしながら降りてくる32人のダンサーたち。よく見ると、一人おきにエポールマンの方向を変えているので、その結果ジグザグのアラベスク模様を描くことになって、これがまた大変美しい。まさに一糸乱れぬ動きで、見事としか言いようがない。
ただ、欲を言えば、衣装が純白ではなくて銀色の模様が入っていることと、照明が明るすぎるのが不満であった。12月にボリショイ・バレエの来日公演でも「ラ・バヤデール」があり、こちらも美しかったものの、揃いっぷりでは新国立劇場の方が一枚上だった。だが、ボリショイの場合、スロープが4段というのが凄いのと、青くて海の底に沈んでいるかのような照明の中でダンサーたちが白く浮かび上がる様子が実に幽玄で、まさに黄泉の世界を思わせていたことが記憶に新しいからだ。しかしこれはダンサーの責任ではない。
ここのコール・ド・バレエは、世界の中でもトップを争うほどの揃い方であり、また機械的に、一ミリの狂いもないようにそろえたという感じではなくて、一人一人の息遣いを感じさせるような人間的な美しさも感じさせるのが素晴らしいのだ。
影の王国の3人のヴァリエーションもそれぞれ称賛に値するものだったが、中でも第三ヴァリエーションの細田さんの音楽性とたおやかさは光っていた。ソリストレベルでも、このバレエ団のメンバーの粒がそろってきたのを実感できた。
八幡さんのブロンズアイドルはさすがの安定感。仏像らしい動き、まるで空中で止まっているかのようなバロン、そして回転の正確さと日本では最高峰のパフォーマンス。そしてもう一人、印象に残ったのがマイレン・トレウバエフ演じる大僧正。個性的な演技で毎回楽しませてくれる彼だが、彼の演じたハイ・ブラーミンは、熱烈なまでにニキヤに恋しており、ひたすら熱く彼女に迫っていた。胸にしまったニキヤのヴェールをいとおしそうに持つ姿にも愛情を感じさせた。毒蛇にかまれたニキヤに薬を差し出す表情の演技も細かく、彼女が死んだ時の慟哭も激しかった。おそらくは、神殿が崩壊したのも、神の怒りに触れたのではなく、大僧正が失恋のあげくに地震を引き起こしてすべてを破壊させてしまったのではないかと思うほどだった。思わずセリフが聞こえてきそうなマイレンの演技で、舞台はさらにドラマティックになるので、これからもずっと舞台に立ち続けてほしいと願わずにはいられない。
東京交響楽団の演奏は見事なものであり、特に3幕のハープやヴァイオリンソロの響きの美しさで、影の王国の世界にどっぷりとつかることができた。アレクセイ・バクランのロシアの魂を感じさせる熱い指揮も多きに貢献したのは言うまでもない。
この後、他に2キャスト「ラ・バヤデール」を観たが、いずれも非常に充実した、素晴らしい上演であり、新国立劇場バレエ団のレベルの高さを改めて実感したのであった。クラシックバレエの神髄を感じさせるこのような上演が、今回4回しかなかったのは、繰り返しになるが、実にもったいないことであると言える。
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コメント
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お忙しい中、この公演の記事を書いて下さいまして、ありがとうございます。本当に嬉しく拝読しました。
私も同じ公演を観まして、同じ思いでおります。これがたった4回とは本当にもったいないですし、ダンサーの皆さんが気の毒です。野球のようなスポーツばかりにお金を出す企業が、このような素晴らしい芸術面のスポンサーになってくれないものか。。。
今回の課題として、私は主役の好演に比べて、周囲の演技の薄さがどうしても気にかかりました。例えばソロルの同僚であるべき人たちが、時にそうは見えなかったのです。踊りは良くても、立っている時、主役を見ている時に、何を感じているのかの心情が見えませんでした。さらに言うと、表現に、身分の差が見えてこないということも感じました。ガムザッティと女官に対する応対は違うべきと思うのですが、その差が私には見えませんでした。一方、しっかり演技を付けられている場面は、逆に学芸会のように様式的だとも思いました。これは、ダンサー個人個人が、自分で解釈した心をベースにした演技ではないからだ、と思いました。踊りの技術的には格段の進歩が見られる新国立劇場バレエ団に、この点をもっと改善して欲しいと思います。新国立劇場は演劇も上演するという観点で他の各国の劇場と違いがあるのですから、相互成長のコラボレーションを図って欲しいと思います。
投稿: LEE | 2015/03/04 21:37
LEEさん、こんにちは。
LEEさんも、公演初日をご覧になったのですね。とても満足できる素晴らしい公演でしたが、おっしゃる通り、周囲の演技は確かに薄かったのではないかと思います。一つには、このヴァージョン自体があまり演劇性を重視していないのかな、と感じるところがありました。真ん中のダンサーが演じている時のリアクションなどがあまり見られないですし、そういう指導をしていないのかな、と感じました。なのでメーンキャラクター以外は、ダンスは素晴らしいですけど、それ以外の部分での存在意義があまり感じられないのですよね。
新国立劇場のバレエ研修所では、一応、演劇研修所の講師による演劇の授業もあり、セリフのある作品を上演する、なんてこともやっているようなのですが、なかなかロイヤル・バレエのようにはいきませんよね。技術は高いのですから、この部分は確かに強化すべきなのかな、と思いました。
投稿: naomi | 2015/03/05 01:25