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2014/03/10

元パリ・オペラ座総裁のジェラール・モルティエが死去

ザルツブルク音楽祭総監督や、パリ国立オペラ総裁などを歴任したジェラール・モルティエ氏が、すい臓がんのために3月8日に亡くなりました。70歳。

ジェラール・モルティエさん死去 元パリ国立オペラ総裁
http://www.asahi.com/articles/ASG397DNXG39UHBI01S.html

Gerard Mortier, Opera Visionary, Dies at 70
http://www.nytimes.com/2014/03/10/arts/music/gerard-mortier-opera-visionary-dies-at-70.html

Mort de Gerard Mortier, directeur d'opéra, iconoclaste et visionnaire
http://www.lemonde.fr/disparitions/article/2014/03/09/gerard-mortier-directeur-d-opera-est-mort_4380044_3382.html

Gérard Mortier, mort d’un bâtisseur de cathédrales
http://www.lalibre.be/culture/scenes/gerard-mortier-mort-d-un-batisseur-de-cathedrales-531c2804357024dca856a33a

Avant-garde opera director Gerard Mortier dies aged 70
http://www.theguardian.com/music/2014/mar/09/opera-director-gerard-mortier-dies

パリ・オペラ座のサイトに掲載された訃報。「トリスタンとイゾルデ」の4月8日の公演は彼に捧げられたものとなります。
http://www.operadeparis.fr/blogopera/hommage-gerard-mortier


ベルギーに生まれ、もともと法律を学んで学位を取ったモルティエですが、大学卒業後はフランダース音楽祭をはじめ、パリ・オペラ座、デュッセルドルフ、フランクフルト、ハンブルグの劇場で働き、1981年、38歳の若さで母国ベルギーの王立モネ劇場総裁に就任しました。大胆で現代的なプログラミングや演出家の起用を行い、オペラにおける演出の重要性を高めました。10年間の間風雲児として名を轟かせましたが、劇場の改装に巨額の予算をかけるなど4億ベルギーフランの赤字を出し、モーリス・ベジャールと決別して、ベジャールは1987年にスイスのローザンヌへと去りました。

1991年にはオーストリア・ザルツブルク音楽祭総監督に就任。ここでも、観客動員には成功しながらも、大胆なプログラミングを導入し、改革に辣腕を振るって保守的な観客をぎょっとさせました。音楽祭を去る時の「こうもり」は、ドラッグやナチスのごろつきを登場させたりしました。敵を作ることを恐れない、果敢な姿勢でオペラを現代化した功績は讃えられました。映画や文学を愛した彼は、異分野のアーティストを積極的にオペラにかかわらせるようにしました。

ルールトリエンナーレの芸術監督を務めた後、2004年にパリ・オペラ座の総裁に就任。「ヨーロッパで最も刺激的なステージ」を目指して斬新なプロダクションを次々と制作し注目を集めました。2006年の来日公演での『トリスタンとイゾルデ』では、ピーター・セラーズとビデオ・アートの第一人者であるビル・ヴィオラのコラボレーションによるステージを展開して、強烈な印象を与えました。この作品は、フランス音楽批評家協会賞グランプリも受賞しています。彼の時代において、オペラ座の最も安いチケットは5ユーロにするという思い切ったことも行われました。モルティエ自身は、バレエにはあまり詳しくなかったため、パリ・オペラ座時代は基本的にブリジット・ルフェーブルにバレエのことは任せていたようです。

2007年には、ニューヨーク・シティ・オペラの総裁に就任するも、財政上の問題で折り合わず1年半で退任(その後ニューヨークシティオペラはほぼ消滅)。2009年にマドリッドのテアトロ・レアルの総裁に就任しました。テアトロ・レアルでは、スペインの財政悪化で大幅に予算を削られながらも、引き続き斬新でスキャンダラスな作品を上演しつつ大成功を収めていました。最後の作品、映画で有名な「ブロークバック・マウンテン」のオペラを2008年から5年の年月をかけて音楽をCharles Wuorinenに委嘱するなどして制作して上演し、大きな反響を得ました。(ガーディアン紙の批評) 病で弱った体をおして、彼はこの作品の1月27日の初演に立ち会いました。任期は2016年まででしたが、昨年9月に、がんにかかっていることを公表して退任、アーティスティックアドバイザーの地位にとどまりながら、ベルギーに戻りました。ベルギーでは、治療を行いながら振付家のアラン・プラテル、映画監督で、テアトロ・レアルでオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を彼のもとで演出したミヒャエル・ハネケらの親しい友人たちとの日々を送っていました。

オペラ界のみならず、パフォーミングアーツ界は偉大な芸術家を失いました。

モルティエ氏が来日して講演を行った時の講演録が、昭和音楽大学のサイトにアップされていますので、ご興味のある方はぜひお読みください。
公開講座 2006年2月18日(土)
=オペラ劇場運営の現在・フランス=
「伝統と前衛、実験する歌劇場」
http://www.tosei-showa-music.ac.jp/orc/kougiroku/14/20060218-1.pdf
http://www.tosei-showa-music.ac.jp/orc/kougiroku/14/20060218-2.pdf
http://www.tosei-showa-music.ac.jp/orc/kougiroku/14/20060218-sitsugi.pdf

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