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2012年7月

2012/07/26

7/11, 15 シュツットガルト・バレエ「オネーギン」 Stuttgart Ballet "Onegin"

シュツットガルト・バレエの2011/12シーズンの終わりを飾る「オネーギン」の公演を観に、シュツットガルトまで行ってきた。7月には恒例の{バレエ・イン・ザ・パーク」というシュロスガルデン公園で大きなスクリーンを設営しての生中継の公演があって一大イベントとなる。去年に続き、今年もあいにくの雨だったけど、多くの観客が低い気温と雨の中集まった。後で別エントリで書くけど、今回はソリチュード宮殿の近くにあるジョン・クランコのお墓に墓参りをして、素晴らしい公演になることを祈ってきた。

オネーギン役はエヴァン・マッキー。パリ・オペラ座でのゲスト出演の成功を受けての凱旋公演。そしてタチヤーナ役は、エヴァンのオネーギンデビューの時のパートナーであるミリアム・サイモンではなく、アリシア・アマトリアン。なお、14日の公演は、当初予定されていたフィリップ・バランキエヴィチに代わって、オネーギン役デビューのアレクサンダー・ジョーンズが登場し、こちらも素晴らしい演技を見せてくれた。

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ONEGIN Evan McKie
LENSKI, Onegin's Freund Friedemann Vogel
MADAME LARINA, eine Witwe Melinda Witham

TATJANA Alicia Amatriain
OLGA Hyo-Jung Kang
deren AMME Ludmilla Bogart

FURST GREMIN, ein Freund der Famille Larina Damiano Pettenella

数年後にクランコ財団の著作権が切れてしまう「オネーギン」は世界中のバレエ団で幅広く上演されている作品であり、去年はエヴァンが主演した「オネーギン」をパリ・オペラ座バレエと韓国のユニバーサル・バレエで観た。しかしこの作品が生まれたシュツットガルト・バレエで「オネーギン」を観るのは特別の感慨がある。同じユルゲン・ローゼの装置や衣装でも微妙にデザインが違うし、コール・ドのひとりひとりに至るまでクランコの世界観が染み透っている。

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エヴァンのオネーギンは、彼が初めてこの役を踊った2年半前から、さらに磨き抜かれて来ている。プーシキンの「エフゲニー・オネーギン」はロシアの国民的文学で、ロシア人の女性は学校でプーシキンを学ぶと、一生ずっとエフゲニーに恋をする人生を送るという。そのプーシキンの本からまるでそのまま出てきたようなオネーギン。洗練されていて優雅で、高すぎるプライドによって世間と折り合いがつけられなくて、人生に倦んでいる男。その倦怠感と誇り高さがあますところなく表現されている最初のソロ。Y字型に高く突き刺さるアラベスクと、顔を包むようなエレガントな腕の動き、ゆっくりとしたぶれのないピルエット。エヴァンの踊りのスタイルには、ロシアの香りが漂う。タチヤーナには一瞥もくれず、自分だけの世界で踊るオネーギン。タチヤーナどころか、彼は他人には興味などないのだ。エヴァンのオネーギンは、一応表面は取り繕って感じの良い人を装うとしているし、虚無的ではないのだが、プライドの高さと世間体への顔向けの絶妙なバランスを取ろうとして圧倒的に突出した存在感を醸し出し、その結果タチヤーナは恋してしまうのだ。タチヤーナの読んでいる本を手に取り、少し小馬鹿にした表情をして返す彼の姿すら、タチヤーナにとっては憧憬を向ける対象となってしまう。繊細で、イノセントで少し甘さがあるアリシアのタチヤーナは愛らしく、震えるようなパ・ド・ブレにその恋心の高鳴りが響いていた。

そんなオネーギンも、タチヤーナの夢に出て来るときには、まさに夢の恋人そのものの姿をしている。鏡の向こうから現れる黒い影が彼女の首筋にキスをするところから、心は高鳴るばかり。しなやかなアリシアの身体は驚くべき曲線を描いて舞い上がる。十分なリハーサルができたようで、スムーズで流れるようなパートナーシップ。エヴァンは甘く優しい表情の中に少しだけセクシーな微笑みを浮かべて、自由自在にアリシアを操る。魔法使いのように。音楽性豊かにふわっとどこまでも高く舞うエヴァンのジュッテ・アントルラッセ。美しく脚が開いて足音のしないジュッテ。その魔術的な舞に幻惑されてしまう。この鏡のパ・ド・ドゥの秀逸なところは、オネーギンが立ったままのタチヤーナを高々とリフトして、彼女の目を開かせること。世界にはこんなに素晴らしいものがたくさん待っているんだよ、と彼女に見せているかのようだ。オネーギンとの出会いによって、もともと利発だったタチヤーナは、より多くの知性を獲得して魅力的な女性へと育っていく、そのことを暗示するようなリフト。オネーギンの腕の中で自由に、奔放に舞うタチヤーナ。うっとりとした余韻を噛み締めるタチヤーナを残して、オネーギンは鏡の中へと去っていく。腕をドラマティックに振り下ろして去っていく姿の、しびれるほどのスタイリッシュさ。この箇所ひとつをとっても、2年前のデビューからのエヴァンの進化が感じ取られる。高揚感に輝くアリシアの表情も幸せに満ちていて、思わずタチヤーナと我が身を重ねてしまう。

2幕のタチヤーナの名前の日の祝いの宴では、ふさぎの虫に取り憑かれたオネーギン。宴の喧騒をよそに、憂鬱そうにカード遊びをする姿も麗しい。エヴァンは大きな手と長い指が実に優雅なのだ。ついに泣き出してしまうタチヤーナに、オネーギンは手紙を突き返す。決して彼女に対していじわるをしているわけではなく、丁寧に返そうとしているのだが、受け取らない様子を見て軽く苛立ち、びりびりに破いてしまう。それも、仕方ないんだよ、というそぶりで。心が砕け散ったタチヤーナをよそに、無邪気で軽薄な妹オリガにちょっかいを出すオネーギン。悪魔のような魅惑的な微笑みを浮かべたオネーギンに相手にされて舞い上がってしまうオリガ、そして憤然とするレンスキー。レンスキーは怒りのあまりオネーギンに決闘を申し込む。レンスキー役のフリーデマン・フォーゲルは、踊りそのものは柔らかく美しいのだが、パートナーの存在などはまるで忘れていて、オリガとのラブラブな雰囲気もなくひたすらナルシスティック。月光のソロでも、死すべき自分の運命を嘆き悲しむのみ。決闘を申し込む時のレンスキーの怒りの表現はやけにリアリティがあったが、レンスキーの死は自業自得で、この決闘で真に傷ついたのはオネーギンの方と感じてしまった。決闘の場にやって来るときの、死神のような不吉な佇まいから、怒りを炸裂させての高速連続ピルエットまで、自らの禍を招いたとはいえ、オネーギンの方こそが敗者であることが感じられて胸が痛む。その極めつけが、決闘でレンスキーを倒したあと、タチヤーナの問い詰めるような表情に見つめられ、オネーギンはまるでレンスキーの血で汚れているかのように我が手を見つめ、そして愕然として顔を手で覆う。その憔悴ぶりには、涙せずにはいられない。

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(この公演は、「バレエ・イン・ザ・パーク」といって公園で無料の生中継が行われた。写真は、昼間のジョン・クランコ・スクール学校公演の中継時のもの)

3幕の舞踏会で整列した将校たちと貴婦人たちの姿のあまりのスタイリッシュさに、客席から拍手が湧き出る。この独特の厳かな雰囲気はシュツットガルト・バレエならではの光景だ。華やかな洗練という点では、パリ・オペラ座バレエで上演したこのシーンの方が上なのだが、この作品を生み出し、長年にわたって上演してきたバレエ団ならではの格式が漂っている。旅から戻ってきたオネーギンは、相変わらずすらりとしていてエレガントで美しい紳士なのだが、虚しい漂泊の日々が彼に苦悩と年齢以上の老いを刻みつけているのがわかる。過去を通り過ぎて行った女性たちの幻影に惑わされるオネーギンは、ロマンティックな狂気の囚人のようだ。グレーミンの邸宅に招かれても、顔を横に向けて憂愁に沈み、心ここにあらずという佇まいだが、その横顔もメランコリックで翳りを帯びて絵画の中にいるかのようんだ。ほっそりと長く優雅な首に気品あふれる姿態、見違えるようなあでやかな貴婦人となったタチヤーナを見て驚く彼は、背中を客席に向けながらも溢れんばかりの想いをその背中を通じて訴えかける。

オネーギンからの手紙を手にしたタチヤーナは揺れ動いている。14日にタチヤーナを演じたマリア・アイシュヴァルトはいかにも賢婦人といった風情で、オネーギンの求愛に心動かされることはあっても、最初から最後まで彼を拒絶する強い決意を秘めていた。アリシアのタチヤーナは、最後まで迷っている。年月を経てそれまでの虚飾と仮面を脱ぎ捨てて心を裸にし、全てを投げ出してタチヤーナの足元へ跪いて愛を迫るオネーギン。あの頃の彼とは違うその姿に、タチヤーナの心は蝋燭の炎のように揺らぐ。アリシアのタチヤーナは、外見は成熟した貴婦人のようでも、少女時代の精神を持ち続けているようにデリケートで、オネーギンの人生を賭けた想いに心が次第に溶けていくのが見える。エヴァンのオネーギンはここではとても激しい。エレガンスを崩さずに、激情を表現するのではなくその感情を自分自身のものとして生きてオネーギンそのものとして舞台の上で存在している、それができることがオネーギン役を演じるダンサーに必要な資質だが、エヴァンは見事に応えている。

12月のパリ・オペラ座で彼がオーレリー・デュポンと演じられたドラマは、二人とも自分自身を見失うほどの激しい感情の渦に身を任せ、舞台を焼け尽くすかのようにあまりにも鮮やかなパフォーマンスに打ちのめされたものだった。最後の手紙のパ・ド・ドゥでのアリシアのタチヤーナは細やかで繊細な情感あふれる見事なタチヤーナであったのだが、鮮烈さを刻み付けるほどの激しい情熱は見せなかった。しかしながら、彼女の柔軟な肢体から繰り広げられる美しい軌跡の跳躍に込められた万感の想いと、迷いに迷った上でオネーギンに人生から永遠に立ち去ることを命じる時の苦悶、彼が走り去った後おろおろと彷徨い、控えめな表情ながらさめざめと涙し悲しみをこらえる演技は、ずっしりと心に響くものであった。

9月末の東京バレエ団の「オネーギン」も待ちきれない。

2012/07/13

マルセロ・ゴメスのドキュメンタリー映画「Anatomy of a Male Ballet Dancer」募金プロジェクト

ABTのマルセロ・ゴメスを2年間追ったドキュメンタリー映画「Anatomy of a Male Ballet Dancer」が現在、製作されています。製作・監督を行っているのは、フィギュアスケーターのジョニー・ウィアのドキュメンタリー「氷上のポップスター」およびTVシリーズ「ジョニー・ビー・グッド」を製作した David Barba & James Pelleritoの二人。しかし、現在スポンサーが見つからず製作の資金が十分集まっていないため、キックスターターという米国のアーティスト基金サイトを通して制作費募金を募っています。

http://www.kickstarter.com/projects/293915341/marcelo-gomes-anatomy-of-a-male-allet-dancer
スクロールすると、日本語による説明もありますので、ぜひそちらもお読みください。

このKickstarterを使っている資金集めは最近ちょっとしたブームで、バレエ分野では、サンフランシスコ・バレエのマリア・コチェトコワのドキュメンタリー映画「Masha」が、このしくみを利用して製作資金を集め、このほど作品も完成して試写が行われたところです。
http://www.kickstarter.com/projects/bronwen/masha-a-portrait-of-ballerina-maria-kochetkova

Kickstarterは、一般の人からプロジェクトの募金を募り、期日までに目標金額が集まればプロジェクトが実際に進められて、出資者は募金金額に応じて、作品のクレジットに名前が表記される、出演者に会えるなどの特典が用意されています。支払いはアメリカのアマゾンの課金システムを使って行うことができ、万が一資金が集まらなくてプロジェクトが実現しなかった場合には支払いは発生しません。今回の募金の収益は、残りの撮影のための経費と、4回予定をしているマルセロとコリオグラファーらの野外舞台の設置のために使われます。どれほど小さな金額でも、製作者にとってはありがたいことだそうです。この作品を完成させるために、出来るだけ大勢の方々の善意が必要とのことです。

今回は、10ドルから募金を受け付け、25ドル募金すれば作品のデジタル・ダウンロードができます。100ドルで、最終編集前の試写に参加できます。(NYまでの旅費は自己負担)。250ドルで、マルセロのリハーサル見学の権利も得られます。支払方法も簡単だし、非常に良く考えられた仕組みです。

目標金額は3万ドル。8月3日が期日で、現在のところおよそ半分の金額が集まっていることのようです。

現役男性ダンサーのドキュメンタリー映像はほとんどなく、現在最高のパートナーとして世界中のバレリーナから引っ張りだこのマルセロの秘密、世界中でのゲスト出演、怪我への対応や今後のキャリアの方向性などに迫っているそうで、大変興味深い作品になることは請け合いです。

私もマルセロのファンであるので、ささやかながら募金の申し込みをしました。アマゾンのアカウントがあればとても簡単に参加できますので、ぜひとも彼のファンは募金に参加すると良いと思います。ファンがアーティストを支援するための素晴らしい試みだと思います。

2012/07/09

7/1 新国立劇場バレエ団「マノン」 National Ballet of Japan "Manon"

http://nnttballet.info/2012manon/index.html

原作:アベ・プレヴォ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ジュール・マスネ
音楽構成・編曲:リートン・ルーカス、ヒルダ・ゴーント
改訂編曲:マーティン・イェーツ
装置・衣装:ピーター・ファーマー(ニコラス・ジョージアディスの原デザインによる)
演出:カール・バーネット、パトリシア・ルアンヌ
照明:沢田祐二
指揮 : マーティン・イェーツ
管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団

マノン:小野絢子
デ・グリュー:福岡雄大
レスコー:菅野英男
ムッシューG.M.:貝川鐵夫
レスコーの愛人:寺田亜沙子
マダム:楠元郁子
看守:山本隆之
物乞いのリーダー:八幡顕光

新国立劇場バレエ団が前回「マノン」を上演したのは実に9年前、2003年のこと。アレッサンドラ・フェリ、酒井はなさんがともにマノン役を熱演した舞台の印象は鮮やかで、再演を待ち望んでいた作品。今回は、当時と出演者も大幅に入れ替わってしまったが、バレエ団としてのレベルアップが感じられ、少々お行儀が良すぎるきらいはあるものの、マクミランの世界が舞台上にてきちんと表現されていた。これほどのクオリティの上演の観客動員が振るわなかったのはつくづく残念である。どうも周りでも観に行った人が少ないようなのだが、これを見逃してバレエファンだと言えるのかと問いただしたくなってしまうほどの気持ちになってしまった。

6月24日の、ヒューストン・バレエのペアが主演した舞台も観た。サラ・ウェッブ、コナー・ウォルシュのペアはパートナーシップが大変優れていて、パ・ド・ドゥの流れるような滑らかな動き、ぴったりとした息の合い方が見事なことに感銘を覚えた。二人とも役にとても馴染んでおり、特にデ・グリュー役コナー・ウォルシュのひたむきな演技、一途な愛の表現には心を打たれた。知名度の点では劣るゲストであったが、カンパニーにも大きな刺激を与えたようで良い人選だったと思える。

さて、こちらの公演では、マノン役に小野絢子さん。可愛らしい印象の強い彼女が、魔性の女マノンをどう演じるか興味津々だった。同じマクミランの「ロミオとジュリエット」では、ジュリエットそのものとして舞台に存在して彼女の生を生ききって鮮烈な印象を残した。そして迎えたマノン役。小野さんは、バレリーナとしても、演技者としても一流であることをここで証明した。

修道院へ向かう馬車から降りてきたマノンは幼さの残る可憐な少女で、デ・グリューとぶつかって目が合った瞬間に恋に落ちる。天使のような純真さを見せながらも、しっかりお金の入ったカバンを抱えるしたたかさも覗かせる。男たちの視線を浴びて、自分がどれくらいの価値を持っているのかしっかりと感じ取っているのが分かる。小野さんは出会いのパ・ド・ドゥでは、上半身と下半身が別々に動く複雑な動きをスムーズに音楽にぴったりと寄り添うようにコントロールして、甘やかな高揚感を醸し出していた。寝室のパ・ド・ドゥでは、小野さんのベッドに絡みつく姿態のあどけない色っぽさとしなやかな背中に魔性の輝きがあった。特筆すべきは彼女の視線の使い方と目力の強さ、首の向け方で、マノン独特のコケットリーの中に、欲しいものは必ず手に入れたいという強い意志を感じさせるものであった。

さっきまでデ・グリューと甘い言葉を交わし愛し合っていたのに、ムッシュGMに宝石や毛皮を与えられると思わずそれらに惹きつけられてしまう享楽的なマノン。愛も欲しいけど贅沢な暮らしも欲しいの、という素直さは、欲望に流され欲深い周囲の犠牲となる女ではなく、モラルにとらわれずにあくまでも自分の意志で欲しいものを掴んでいこうという素直な強さを持つ現代的な女性であるマノン像と解釈した。2幕で華やかに着飾って現れ、デ・グリューの想いとは裏腹に、男たちの腕から腕へと渡されリフトされる自らの姿に陶酔するマノンは、自身の魅力がもたらすきらびやかな世界に幻惑されているようである。そんな彼女もデ・グリューに迫られればいかさま賭博をして駆け落ちしようと彼の情にほだされるし、キラキラ光るブレスレットを最初は自慢げに見せびらかしながらも、やがてデ・グリューに対して負い目を感じて苦しむ。そんなマノンのアンビバレントな心理を、小野さんはひたむきに細やかに演じきっていた。そしてマノンは兄レスコーのことが本当に好きだったんだろうな、とレスコーの死体にしがみつく様子を観て感じた。

3幕での汚れてやつれ果てた姿でも、小野さんのマノンには輝きがあって、看守に目をつけられてしまったのも納得できてしまう美しさがあった。華奢で小柄な彼女が看守の慰み者にされてしまうのは、小鳥が猫にいたぶられてしまっているかのようで、なんという痛ましさ。ルイジアナに流れ付いたマノンが、瀕死の状態で横たわっては走馬灯のように今までのことを思い出してはうなされ苦悶する様子は、バックに繰り広げられる回想シーンとうまく連動していた。ぼろぼろになっても、最後まで少女の愛らしさとイノセントさを残した小野さん。沼地のパ・ド・ドゥでは、残されたのはただただデ・グリューへの愛だけになって、息も絶えだえに最後の命の灯を燃やし尽くす姿、もう何も見えなくなっていく中で、ただひとつ残された光を掴もうとデ・グリューの腕に飛び込み回転する姿もマノンの強い想いが形になっていたようで、見事としか言いようがない。

デ・グリューの福岡さんは、小野さんの凄まじい演技や踊りと比較すると影は薄かったが、特に3幕でのエモーショナルな演技は心を打った。デ・グリューはマノンに翻弄され裏切られて苦悩しても、一途に彼女を愛し尽くす。悪徳に染まっていく彼女を見捨てずにどこまでもついていくデ・グリューがいたからこそ、マノンは破滅してしまったと思える、そんな業を背負ったキャラクターなのであるが、福岡さんは健康的すぎて、そこまでの屈折は感じられなかった。しかし、情熱のこもった踊りと演技はしっかり見せてくれていて、2幕のブレスレットのシーンでの踊りや3幕の看守を刺殺するときの踊りには強い憤怒と激情があり、何より沼地のパ・ド・ドゥでのマノンとの最後の抱擁から彼女の死を知るときの慟哭までの一連の愛にあふれる演技には胸を打たれ、思わず涙してしまった。サポート面がやや弱かった印象の強い福岡さんだが、今回は健闘していて、マクミラン独特の複雑なリフトもきっちりとこなしており、小野さんの踊りを流麗に見せていた。

レスコーは菅野さん。ゲスト出演日の古川さんほどの悪どさやクセの強さは感じさせず演技面のインパクトは弱かったが、酔っ払いダンスでは高い技術を見せてくれて、酔っ払う演技とオフバランスを多用したワイルドな踊りの絶妙なバランスを保っていた。レスコーの愛人役は、ゲスト出演日の湯川さんが貫禄があってあまりにはまり役だっただけに、寺田さんは不利だった。生き生きと踊っていた二人の娼婦長田さんと厚木さんと比べても印象が薄く、下っ端娼婦にしか見えなかった。ムッシュGMも、ゲスト日のマイレンの芸の細かさや厭らしさと比較すると貝川さんの印象はあまりにも弱くてミスキャストだった。看守役の山本さんはさすがの演技力で、ハンサムなゆえにより一層残酷さを感じさせた。客の一人を演じていたマイレンは、男装の少女娼婦と戯れている様子が可笑しくってついつい目を奪われてしまった。マノンが客の男たちに次々とリフトされるシーンの要所要所で、マイレンがきっちりとサポートをしているのが分かり、このような信頼できる男性が一人いると舞台が安定することが実感された。ベガーチーフの八幡さんの華やかなテクニックも素晴らしく、特に連続トゥールザンレールの鮮やかさには目を見晴らされた。(八幡さん、怪我したダンサーの代役でユニバーサル・バレエの「ロミオとジュリエット」(マクミラン版)のマキューシオ役でゲスト出演することになったとのこと)

今回、音楽のオーケストレーションが改訂され(2011年、フィンランド国立バレエで初演)、その編曲を行なったマーティン・イェーツが指揮を行なった。音楽のアレンジについては、聞き慣れている音楽とは違っていて少し違和感があったが、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏は素晴らしくて上演のクオリティを押し上げていた。

マクミラン作品独特の猥雑さ、頽廃、重厚なドラマを表現するのは日本人にとっては難しいところがあるのは否めないが、今回の上演では、新国立劇場バレエ団は健闘していた。小さな役に至るまで、ひとりひとりの登場人物にそれぞれの人生のドラマがあるのが感じられたのだ。ぜひともこの作品の上演を重ねて磨き上げ、よりドラマ性を深めていってほしいと思う。

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