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« マリインスキー・バレエ「オールスター・ガラ」の演目発表 | トップページ | シュツットガルト・バレエ2012/2013シーズン発表 Stuttgart Ballet 2012/13 Season »

2012/05/20

ジャン=ギヨーム・バール講演会「ダンス・クラシックの今:伝統と革新のはざま、逆説に満ちた世界」Jean Guillaume Bart's Lecture "Dance Classic at Present,Between Tradition and Innovation, A Paradoxical World"

ジャン=ギヨーム・バール氏講演会
「ダンス・クラシックの今:伝統と革新のはざま、逆説に満ちた世界」(青山学院大学文学部フランス語学科主催)
http://www.cl.aoyama.ac.jp/french/2012/conference.html

元パリ・オペラ座バレエのエトワールで、現在はオペラ座ほかで後進の指導に携わりつつ、初全幕振付作品「ラ・スルス(泉)」が昨年オペラ座で上演されたジャン=ギョーム・バール。彼のレクチャーが無料で聴けるということで青山学院大学へと足を運んでみた。

ジャン=ギョーム・バールは、指導者、振付家としてだけでなく、ダンス・クラシックについて相当の知見を持っており、極めてアカデミックな内容の講演を、多くの映像資料、そして自らの美しい実演をも交えて行なってくれた。映像を豊富に用いた周到な準備を経て、大変わかりやすい内容に噛み砕いており、主張も明解で論旨が一貫していた。

ダンスクラシックが古典美術から影響を受けていること、古典美術―絵画や彫刻のポーズにも見られるエポールマンの持つ意味、アンドゥオールの持つ意味についての話がとても興味深かった。また、ダンス・クラシックにおいて重要なのは腕の動きと視線であるという話も面白い。

テクニックに注目が集まるあまりに現代のバレエが失ってきたものについての話も示唆に富んでいた。シルヴィ・ギエムの登場は革命的なことであったけれども、彼女の持つ高い芸術性や、柔軟な身体を強靭なものにするための見えない努力が忘れ去られて、ただただ彼女のように踊りたいというダンサーばかりになってしまったのは、困った現象であったともバールは語っていた。行き過ぎたテクニックの追求により、ダンサー生命が短くなっている話や、身体的な条件に恵まれないために優れたダンサーが思うようなキャリアを得ることができないという問題点も指摘した。

「眠れる森の美女」や「海賊」「ドン・キホーテ」の様々な年代の映像を見せて、古い映像においては現代のようなスーパーなプロポーションやテクニックはないけれども、ダンサーの感情や品性が伝わってきているのがはっきりわかる、それに対して現代の映像では、まるで体操やアクロバットのようになっていて、芸術性が失われているのではないかというバールの指摘には思わず頷いてしまった。

これぞダンス・クラシックの理想、としてバールが見せてくれた映像は、ガリーナ・ウラノワの「エチュード」、モニク・ルディエールのリハーサルするシーン、そしてナタリア・マカロワとミハエル・バリシニコフの「アザー・ダンス」。それぞれが、思わずうっとりとして見入ってしまうほど情感豊かな踊りであった。

バールの考えるダンス・クラシックとは、ダンサーの感情が踊り全体に現れるものであり、時代を超えた普遍的な魅力があり、優雅で軽やかでドラマを感じさせるものであるということがよくわかった。また、芸術に完璧というものはなく、完璧を目指すことで失われるものがある、アートは未完成なものであり、「絶対を探求する」ことこそが重要であるという主張には説得力があった。最後に彼が見せてくれた二つのポール・ド・ブラの例では、二つ目の、気持ちを込められた美しい腕の動きに惚れぼれとしてしまった。

パリ・オペラ座というダンス・クラシックを伝承するカンパニーでありながら、今では積極的に現代作品を取り入れている場所で、バールの考えているところは、今や異端ですらあるのではないかという気もした。彼自身、ダンス・クラシックの今後の行方については悲観的だという。だが、ダンス・クラシックが生まれた場所として、オペラ座はその伝統を守り続けて欲しいと思っている人は多いだろう。ダンス・クラシックを重んじながらも、新しいダンスを生み出すにはどうすればいいのだろうか。その中で出た答えのひとつが、バールの振りつけた「ラ・スルス」であるというのはよくわかった。ぜひとも、この「ラ・スルス」を日本で観る機会を与えて欲しいと思う。

********
(以下、聞き書きであり、録音していたわけではないので、正確性には欠けるかもしれませんが、メモです)


講義の前半は、ダンス・クラシックの定義、ということから始まり、その歴史をざっと俯瞰。

ダンス・クラシックは、感情を運ぶ表現方法であり、理性と感情をテクニックで結びつけたものであり、光に満ちたポジティブなイメージ、絶対の探求という要素がある。ダンスにおいての道具が、ダンサーの身体であり、その身体を使えるようには長い時間がかかるものである。そしてダンス・クラシックとは、文明を得た人、つまりはルネッサンスを経た人々のダンスである。自らを取り巻くことがらを考察し発明する力を得た人々、自らの身体の可能性と限界についての知識を持ち、あらゆる感情をコントロールすることができる人々のダンス。造形的な形象としては、古代の彫像を模したものであり、それは均整という名の調和、形態を通して超越性を獲得したものである。

これらを象徴するものが、エポールマンである。ミケランジェロのような古代の彫像にもエポールマンは見られるし、ダ・ヴィンチの絵画もこれらの古典から影響を受けている。ルネッサンスの肖像画などにも、エポールマンが使われている。エポールマンとは、すなわち深さを生み出すポーズであり、古典的な芸術には備えられているものだ。水平と垂直のラインはダンサーに安定を保証してくれるものであり、垂直軸を起点として全ての動きが展開するものである。そして上体の位置が感情を表現する機能を持っている。(エポールマンを少し実演)

-ダンスの歴史-

16世紀の終わりに宮廷のダンス(バロックダンス)が登場し、ルイ14世の時代にはダンスとして真剣に取り組まれるようになってプロのダンサーの育成が体系化されるようになる。この時代に推奨されたのがエレガンスで、自然な状態を努力もしていないように見せることが重視され、エレガンスを示す5つのポーズが考えられる。それが、すなわち現在のバレエでも使われている5つのポジションである(と、バールがこれら5つのポーズを実演)

5つのポジションは、アンドゥオールを基本としているが、アンドゥオールが使われるようになったのは、横に開いている方が自然に横にも後ろにも移動できるからだ。また、アンドゥオールは機能的な役目の他にも、世界に向かって開く姿勢、観客に持っているものを与える姿勢をも示していて、心理的な側面も持ったポーズなのである。

バロックダンスの時代には振付も多彩となっていき、腕の動きも体系化される。体のポジションも、アン・ファス、アン・ナヴァン、アン・ナリエールなどが取り入れられる。18世紀には衣装も軽くなり、それに伴いテクニックも発達してきた。オペラと結び付けられたダンスが自立し、「バレエ・ダクシオン」が誕生する。18世紀から19世紀にかけてダンス・クラシックは発展し、ダンサーの跳躍が垂直方向に高くなり、ピルエットの技術も上がる。オーギュスト・ブルノンヴィルのスタイルにこれらは今も残っている。アンシェヌマンのつながりも豊かになってきたが、今のようにアクロバティックな踊りや理由のないアクションは存在していなかった。

次にロマン主義の時代がやってきて、女性ダンサーが前面に出るようになった。シルフィードの登場に象徴されるポワントの軽い動きが出てくる。19世紀後半にイタリアで華々しいテクニックが登場し、チェケッティがそれらのスタイルを広げ、プティパの作品の中にそれは現れている。20世紀始めにはディアギレフが率いたバレエ・リュスが登場し、男性ダンサーの踊りが再び発展するとともに、アブストラクト・バレエも生まれた。1917年のロシア革命で、ダンスは新しい方向へと向かう。体操から発生したアクロバティックな動きやスペクタクル化する。1950年代にはバランシンが細長い身体を強調する作品を作るととも、新しいダンサーの身体のあり方が登場した。


後半は、ダンス・クラシックとはそもそも何なのかということを考察すると共に、時代の変化によって失われてしまったものや、現在のダンスの傾向に対しての批判的な考察が登場した。

―そもそも、ダンス・クラシックとは何か?―

ダンス・クラシックとは、人間の形に対する敬意であり、感情を見せていく入れ物である。タマラ・カルサヴィナが言った言葉がある。観客の目は身体の一部に行くのではなく、ダンス全体を観るようにさせなければならない、大事なのは、ダンスを表現する力である、と。「眠れる森の美女」の1954年(65年の聞き間違い?)の映像(アラ・シゾーワ主演)と2011年の映像(スヴェトラーナ・ザハロワ主演)を見て、2011年の映像では視線が引きつけられているのは脚であるけれども、1954年(正しくは65年と思われる)の映像では、表情に目が引きつけられる。3,40年前に大事に考えられていたのは、感情表現であり、その思いの強さが体に出てきたものであった。

―テクニックの行き過ぎに対する危惧―

1980年代にシルヴィ・ギエムという驚くべきダンサーが登場した。彼女の解剖学的な可能性は比類ないものであった。だが、あまり知られていないことだが、彼女は非常な柔軟性を制御するために大変な努力をした。くるぶしを強化しなければならなかったし、柔らかすぎる背中を鍛えなければならなかった。ダンス・クラシックは身体の柔らかさと共に筋肉の緊張をも備えなければならないのだ。観客がギエムのテクニック的な面にのみ注目し、彼女の非常に高い芸術的な資質が語られないのは問題である。バレエ界の全てが、(テクニック的な意味で)ギエムのようになりたいと思うようになってしまった。このような身体を持っていないダンサーはそれだけでダンサーという仕事につけなくなってしまった。

ダンスは脚を高く上げるだけのものではない。19世紀に存在していた軽やかで速いダンスは一体どこへ行ってしまったのだろうか。柔らかすぎる体はバットゥリーには障害となってしまう。脚を腰以上に上げるということはかつては教師に注意されていた。19世紀において脚を高く上げるのは、フレンチカンカンのダンサーだけだった。ラインの調和はどこへ行ってしまったのだろうか。観客が大喜びするから、脚を高く上げるようになってしまったのではないか。バランシンの「セレナーデ」では、ア・ラ・スゴンドが使われない時には、腕と脚はパラレルになっていて、手と視線もパラレルとなっていた。(モニク・ルディエールがリハーサルする映像)今日のバレエは、ルディエールのような美しさを失ってしまったのではないか。ロシアで教えた経験もあるが、現在のロシアのダンサーの多くはバットゥリーを嫌がっていた。これは40年前には考えられなかったことである。バットゥリーはダンス・クラシックの重要なテクニックで、感情を伝えるものである。

―男性ダンサーにみられる傾向―

最近の男性ダンサーにおいては次の二つの傾向が見られる。ひとつは、両性具有的な男性ダンサーが出現したことである。男性と女性というダンスクラシックでは重要な区別が、現在では曖昧になってきている。彼らは驚くほど長く細い脚を持っているが、そのような脚で古典的なテクニックを使うことができるのだろうか。
また、もうひとつの男性ダンサーのカテゴリーとしては、アクロバティックでアスレチックなダンサーが挙げられる。このようにアスレチックなダンサーは、ダンサーとしての寿命がほかのダンサーと比較して短くなってしまう傾向がある。(と、ここで各年代における、いくつかの「海賊」「ドン・キホーテ」等の映像を上映。最初の二人が誰だったかは不明。ルジマトフのアリ、マラーホフ(ABTのランケデム役)、マトヴィエンコ(ラトマンスキー版「海賊」)、ワシーリエフ(「パリの炎」))
「ダンス・クラシックのダンサーになるには、このように超人的なテクニックが必要なのか」とバールは疑問を投げかける。最後の方の映像については、舞台の代わりに体操のマットを敷いても違和感がないのでは、と批判的であった。

―ダンス・クラシックまとめ―

ダンサーが観客の注意を自分に引きつけることができるのは、視線と、その視線を延長する手である。これによって、舞台空間の広がりを感じさせることができるからである。18世紀中盤に、ノヴェールは、「手が行き着く場所に目があり、目が行き着く先に心がある」と書いた。インドで数千年続く伝統舞踊でも、「手が行くところに目がある、目が行くところに精神があり、精神が行き着くところに感動がある。エモーションが湧き上がったところに感情がある」と同じようなことが伝えられている。ダンスを感動的にさせるものは、すべてが魂、そして視線によるものだとしている。ギレーヌ・テスマーは、ジゼルのリハーサルを終えた時に、ウラノワの伝えようとしたことがわかったと語っている。観客に伝わるのは、身振りではなく思考の力であると。

ーダンス・クラシックの今後―

しかし、現在においては、ダンス・クラシックのテクニックを使ったコンテンポラリー作品で問題が提起されている。(と、ウェイン・マクレガー振付によるオペラ座の現代作品2作品の映像を上映)ダンス・クラシックのテクニックを使ったダンスではあるが、ダンスはテクニックだけのものではない。テクニックは手段、道具にしか過ぎないのである。ダンス・クラシックとは、古典芸術の思想を反映し、品性を重んじていてポジティブなものであるが、先ほど観た映像では、顔の表情は体の声を聞いていないように見えて、古典芸術の思想とは対極的なものである。ダンス・クラシックの特徴である、ハーモニー、時を超えた感覚が数量的なものに代わってしまっている。それはダンスコンクールでも特徴的なものとなっており、芸術という数量化できないものが、テクニックによって数値化されてしまっている。偉大なアーティストは今日でも存在しているが、残念に思うのは、優れたアーティストであっても、身体的な資質、テクニックを備えていないために思うようなキャリアを描けないことである。ダンス・クラシックの将来については、悲観的にならざるを得ない。

(質疑応答)
Q.今回は音楽性についての話が出なかったのはなぜか

A.今回の講演は、ダンス・クラシックのアカデミックな話を中心にしたために音楽性の話は割愛した。今日において、体操的なダンスがありとあらゆるところで席巻し、6時の形からその後の展開をどうするかということばかりに注意が行ってしまっている。体に無理をさせてダンサー生命を縮めてしまう踊りより、もっと身体に優しい踊りをすべきであると考えている。現在は無理をしたことによって30歳くらいでキャリアを終えてしまうダンサーが多くなってしまっている。そのようなパラドックスについて話したいと思った。

Q.今回のテーマを日本でレクチャーしようと思った理由は何か

A.ダンス・クラシックは、言葉にできない表現、数量化できない表現を重視したものである。日本においては特に、名前のあるカンパニー、名前のあるダンサーが好まれる傾向が特に強く、その傾向に警鐘を鳴らしたいと思った。日本のバレエ関係者も沢山知っているが、日本のダンサーで優れた人もたくさんいる。どういうダンスが素晴らしいのかを改めて考えて欲しいと思う。

舞台を見た時に強い印象を与えられたのと感動するのは違うことである。動かない、ということもダンスの一つである。演劇的なこと、言葉にならないものを表現し、身体を歌わせることを学ぶ必要がある。バランシンの作品によって、体が歌うことを教えてもらい、身体が歌えることを教えてもらった。

また、完璧さを求めることはダンサーにブレーキをかけてしまうものである。目的があるから完璧ということを考えてしまうのである。アート、芸術に完璧というものはない。アートは未完成なものであり、アーティストは「絶対の探求者」であるべきである。絶対を探求しているうちに自分自身を見つけるのだ。筋肉の正しい使い方を学ぶのは早い段階から必要なことである。しかしながら、厳密さと正確さを混同する傾向がある。規律を守ろうとするあまり表現が失われてしまうことがある。毎日の鍛錬は必要なことであるが、自分を超える、自分の中の心の自由を目指していくことが必要だ。魂から動きが出ると、まったく違ったものになる。(と、ポール・ド・ブラを二つ実演。二つとも形は同じもので正確に動かしているのだが、二つ目には気持ちが込められているので、同じ動きでも全く違っていてとても優雅で美しいものとなっていた)


追記:この講義で紹介されたアラ・シゾーワの「眠れる森の美女」の動画を見つけました。昔風ではありますが素晴らしいです。

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コメント

naomiさん、ご無沙汰です。

バール氏講演会の素晴らしいリポート、ありがとうございました。
色々な意味で、大変興味深いものでした。

ここのところ、私の中でも、様々なことが疑問となって、
バレエ観劇を楽しめないことの方が多くなっておりましたので、、。
一つの回答を得た思いです。

女性ダンサーに関しては、
デコルテとポール・ド・ブラが、気になってましたので。
>二つ目には気持ちが込められているので、
同じ動きでも全く違っていてとても優雅で美しいものとなっていた。

いやーー!是非、観てみたかったですね。

naomiさん、興味深い講演のレポートをどうもありがとうございます。
とても良い内容の講演だったようで、それをまた、詳しくレポートして頂きどうもありがとうございます。その場で講演聞きたかった、と思いましたが、それも、このnaomiさんのレポあってこそです。
踊りをどう追求していくかについては、簡単に答えが出るものではないと思いますが、歴史的な経緯や、いろんなヒントを教えて貰えた様に思います。ジャン=ギヨーム・バール氏には、著作とかもあるのでしょうか。

おーこんなシンポジウムがあったんですね。
要約ありがとうございます! 

最近フランダースの斉藤亜紀さんの踊りを見て内面からにじみ出る物がいかに踊りを高次に昇華するかを感じることができました。アクロバット要素も否定しませんがとどのつまりやはり心が一番重要ですよね。

naomiさま、こんにちは。
以前、コメントしたことのあるみかんです。
素晴らしいレポートありがとうございます。
非常に深い内容で感銘をうけました。
私はフィギュアスケートが大好きなんですが
フィギュア界でも同様の議論(芸術性の喪失)が起きているのは
なんだか不思議です。
ジャン=ギヨーム・バール氏の講演会が
本になったらいいのになあと思いました。
現代芸術シーンでは
一番肝心な部分が抜け落ちていて
おそらくそれはバレエ界だけのお話ではないと思うんですよね。
大変重要なお話をこうやって書き起こしてくださって
naomiさまに本当に感謝しています。
ありがとうございました。

naomiさん

詳細なレポートをありがとうございます!!

私も友人に誘われ聴講しましたが、豊富な経験と知識に基づいた示唆に富んだ内容に感銘を受けました。

自分のとったメモを見ながら、naomiさんのレポートを読ませていただきましたが、こんなに詳細かつ正確に書かれていて、いつもながら素晴らしいなあと感じました。私も特に印象的であったことをいくつか挙げたいと思います。

1.ダンサーの身体は、感情と理性を体現するinstrumentであり、可能性と限界があること

2.肩を使った表現について naomiさんが詳細に書いていらっしゃいますね。

3.アンドオールの機能的役割と心理的な側面について 特にアンドオールすることにより、腕が開いていても閉じていても、観客だけでなく世界に向かってオープンでいることができ、また観客・世界   からも多くを受け取ることができるという点に素晴らしさを感じました。

4.シルヴィ・ギエムとその後のバレエへの影響について この点については、いつも残念に思っていたので彼の言及には思わずうなずいてしまいました。

5.モニク・ルディエールの軽やかで速く美しいムーヴメントについて 最近は細かいバットリーを嫌うダンサーも多いが、バットリーは、感情を伝える重要なエレメントであること。

6.男性ダンサーのダンスと表現の変化について 近年見受けられる感情を無視したアクロバティックなダンスを厳しく批判されていました。確か2人目は、ヌレエフだったのでは?身体の限界に挑戦し、観客をあっと言わせることに個性を見出すダンサーも多々いますが、そこに感情がなければ、感動は生まれませんよね。

7.視線の先に手があり、感情が生まれ、観客をひきつける。また、視線と腕の調和は、舞台の広がりを観客に想像させること。

8.ダンス・クラシックのあらゆるテクニックは、思考と感情を表現するinstrumentであり、harmonyが重要である。

日頃なんとなく感じていたこと、全く気付いていなかったことについて、的確に話されていて、よくオーガナイズされた映像資料・実演とともに、とても興味深く聞くことができ、あっという間の2時間でした。彼の振付けた「泉」についても伺いたかったし、「泉」で表現と身体の可能性をどのように深化・実現されたのかも聞いてみたかったです。

それにしても、彼の早期引退は本当に残念です。肩の表現、アンドオール、最後に見せてくれたポールドブラは、この上なく美しく、洗練されていたのですから!! 近い将来、日本でも「泉」を観ることができたらと願ってやみません。

akiさん、こんにちは。

お楽しみいただいて良かったです。そうなんです、最近のバレエ・ダンサーのパフォーマンスを見ていると気になって楽しめないことがありますよね。世間ではこんなにもてはやされているけどどうもしっくりこない、自分の目がおかしいのかな、って思ったりすることもあったのですが、今回の話を聞いてなるほど、と目からウロコが落ちました。
ジャン=ギョームの美しいポール・ド・ブラ、皆様に見ていただきたかったです!今回のレクチャー、映像で収録されていればよかったのにって思いました。

YUIOTOさん、こんばんは。

踊りをどう追求していくのか、ということは、おっしゃる通り簡単に答えの出るものではなく、バレエ自体も16世紀からの歴史があるわけなので、どんどん変わっていくところはこれからも変わっていくのでしょうね。そういう意味でも、歴史を学び、どう変わっていったかということを理解することには大きな意味があると思ったのでした。

ジャン=ギョーム・バール、まだ著作はないとは思いますが、相当熱心に研究をされているようで、予定されていた時間を大幅に過ぎてまで講義は続いたので(そして、日曜日の上智大学でのゴーティエをテーマとした講義にも行ったのですが)、そのうち出版されてもおかしくないと思います。

BAさん、こんにちは。

ロイヤル・バレエ・オブ・フランダースの斎藤亜紀さんの踊りをご覧になったのですね!ロイヤル・バレエ・オブ・フランダース、パリやロンドンで最近フォーサイスの作品を上演していてものすごく評判が良かったようですが、残念ながら日本にいると観る機会がなく。内面からにじみ出るものは、古典、現代作品を問わず踊りに現れるものですよね。

もちろん、超絶技巧は観ていて楽しいですし、そこまで超人的な領域に到達するまでの血の滲む努力を思うと素晴らしいことだと思います。心のこもった踊りには、すごいテクニックがなかったとしても観客側も心を動かされるし、そういう踊りをたくさん観られるといいなって願いますよね。

みかんさん、こんばんは。

私もフィギュアスケートは、生観戦はしたことがないのですが観るのは好きなので、おっしゃっていることがよくわかります。芸術性に優れたフィギュアスケートの演技も、感動的なものですよね。

ジャン=ギョーム・バール氏のお話、本当に良くまとまっていて、わかりやすくて面白かったので、ぜひ本かDVDになればいいのに、って思いました。彼は怪我で早く引退してしまったのが残念でしたが、その分素晴らしい第二のキャリアを歩まれていると思います。彼のように正統派なダンスール・ノーブルは今のオペラ座でも珍しくなってしまいましたが、彼が今回語っていたダンス・クラシックの伝統はオペラ座で貴重な財産として大事にして欲しいと思います。

確かにこういう議論はバレエだけの世界にとどまらず、芸術全般において問題となってきているところでしょうね。

hirokoinjapanさん、こんばんは。

金曜日のレクチャーにいらしていたのですね!コメントでお書きいただいた点は、私もこのレクチャーの中で特に印象に残った部分です。あの映像、やはりヌレエフでしたよね。

今回の講義は、純粋にアカデミックで、バール自身のダンサーとして、振付家としての経験から来る話はあまりありませんでしたが、元エトワールという栄光を借りずともここまでしっかりとして興味深い話ができるのは素晴らしいと思いました。「泉(ラ・スルス)」についての話も聞きたかったですよね。私は土曜日の上智大学で開催されたゴーティエのシンポジウムの方にも行ったのですが、そこで「泉」についての質問も出ました。構想してから実際に上演されるまで10年かかったとのことです。元の振り付けは失われてしまった作品だったため、一から振り付けし直して、それも現代的な要素もかなり入れたことで実現したそうです。「泉」は作品としても大変評判が良かったとのことなので、日本でも観る機会があることを願っています。

naomiさん、丁寧なお返事を頂き、ありがとうございます!

naomiさんがおっしゃるように、講義内容が本やDVDになるといいなと思いますし、またこういう機会があるといいですね。

上智大学でのシンポジウムでは、「泉」に関するお話があったのですね。教えてくださってありがとうございます。上演まで10年を要したとのこと、現代的な要素をかなり入れての実現と伺い、改めて伝統を次世代へ引き継いでいくことの難しさを感じます。伝統の本質をいかに理解し、しかも革新を恐れず、芸術性を追求していくということなのでしょうか。

レクチャーの後、naomiさんの記事を読みながら、内容を整理したり、考えを巡らせることができました。ありがとうございます!!

hirokoinjapanさん、こんばんは。

上智大学でのシンポジウムは、テオフィール・ゴーティエが台本を書いた6つのバレエ作品(「ジゼル」「ラ・ペリ」ほか)についての研究の話が中心だったのですが、ちょうど良い質問が出たのですよね。今のオペラ座では、やはり現代作品の新作が中心となっているので、ゴーティエの作品を復元上演するのは難しいということだそうです。ただ本当に「ラ・スルス(泉)」は評判も良かったとのことで、伝統を生かしつつも、革新的な部分も取り入れて、まさに今後のオペラ座の行くべき方向性を示している作品なのではないかと思います。

バレエとはちょっとずれちゃいますがこんなん見つけました。
http://www.theatertv.co.jp/movie/10760

とても良い試みですよね。 私も参加したかった。 若ければ!

BAさん、こんばんは。

とても面白そうなものをご紹介いただきありがとうございます。フォーサイスの「Impressing the Tzar」の四番目のパートを女子大生が踊るんですね。シアターテレビジョンはうちでは映らないのが残念です

時間が経ってからの投稿でスミマセン。

オペラ座の「眠り~」のDVDで宝石の踊り観てから、ジャン=ギョーム・バールさんのファンになりました。
講演会のことを知ったのが前日で、都合がつかず残念に思っていましたが、内容を載せていただいてありがとうございます。

私の先生はよく「テクニックではなく踊りを見せる」とおっしゃるので、バールさんのお話に通じるものがあるように思い、嬉しくなりました。

是非いつか日本でも「泉」の上演があることを期待しています。

おぐママさん、こんにちは。

「ジュエルズ」のDVDでの「ダイヤモンド」のジャン=ギョーム・バールの踊りは本当に美しくてエレガントで素敵でしたよね。このDVDでは彼の踊りが一番のお気に入りです。今のオペラ座には彼のような真のダンスールノーブルは居ないような気がします。

最近のダンサーの多くは確かに踊りよりテクニックを見せつけることが中心になってしまっているので、元エトワールである彼の言葉には重みがありました。おぐママさんの先生も同じことをおっしゃっていたのですね。素敵な先生ですね!

「泉」日本でも観られることを期待しています。

今日は。コメントするのは久しぶりです。

 このエントリ、とても良い刺激になりました。最近、何となく古典バレエを観たいという気持ちが薄くなっているのは、好きなダンサーが減ったからだと思うようにしているのですが、基本的な「美」が薄れているという気もしていたので、バール氏の指摘は腑に落ちました。

 東京は暑いそうですね。ご自愛のほど。

守屋さん、こんにちは。

はい、東京は今とても暑いです。一昨日まで涼しいシュツットガルトに行っていたので、気温差に参っているところです。

さて、このエントリを楽しんでいただきありがとうございます。私もジャン=ギョーム・バールのレクチャーを聞いて、腑に落ちたところがたくさんありました。古典バレエを見たい気持ちが薄れてきているというのは、私も感じているところです。彼のような人がバレエ界にいることは本当に貴重ですよね。

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