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« セルゲイ・ポルーニンがロイヤル・バレエを電撃退団 Principal Sergei Polunin has resigned from The Royal Ballet | トップページ | 吉田都さん講演会「夕学五十講 挑戦し続けるこころ」(その2) »

2012/01/27

吉田都さん講演会「夕学五十講 挑戦し続けるこころ」(その1)

慶應丸の内シティキャンパスの定例講演会「夕学五十講」で、吉田都さんの講演会「挑戦し続けるこころ」が1月17日に開催されました。受講料が5000円とちょっと高めだったのですが、2時間たっぷりと話を聞くことができて、非常に面白かったです。丸ビルという場所柄か、男性の受講者も目立ちました。広い会場も満席で、実際の会場の定員を増やして対応したようです。

公演は対談形式で行われたのですが、聞き手の女性の方の名前を失念してしまいました。バレエの招聘に携わっている方ということで、とてもよくバレエについて、吉田さんについて知っている方のようです。残念ながらレジュメにもお名前が載っていなくて。

都さんのトークを聞く限りでは、とにかく謙虚で控えめで、真面目にひたむきにバレエに取り組んできた方というイメージそのものの方でした。また、今後は、踊りだけでは日本では生活できないバレエダンサーの実情をなんとか改善していくことに携わっていきたいということを強調されていました。待遇の改善が早く実現する日が来ますように。

ざっとしたトークの内容です。(録音は禁止だったので、聞き取りのため内容が正しくないことがあります)

バレエを始めたきっかけ
幼稚園で友達の発表会を見たのがきっかけ。バレエを始めたのは九歳からだったけどリトミックから始めたのですんなりと入っていけた。プロを目指していたのではなくプロのダンサーというのはどういうものかということも17歳でロイヤルバレエスクールに入るまでわかっていなかった。プロの生活とはこういうものかということも、サドラーズウェルズロイヤルバレエ団に入るまで知らなかった。

ローザンヌコンクールに出場したきっかけ
一つ上の先輩がローザンヌに出場したので、次は自分が出られるのかなと思った。17歳で年齢的にもギリギリだったので、国内コンクールの出場経験はあるしチャレンジしてみた。ローザンヌは将来性を見てくれるコンクールで、この子がこの先どのようになっていくのか、目線が優しくて良かった。今まで何回か審査員もやっているけど、バレエ団に入ってやっていけるのか、みんなとうまくやって行けるのか、どんな役でもやっていけるのか、と言ったところを見ている。先生方も審査員もレッスンなど細かいところをチェックしている。その時には,留学できたら、夢のようなことだと思ったけど、想像もできなかった。

ロイヤル・バレエスクール時代のこと
ロイヤルバレエスクールのメール・パーク校長から誘われて留学することになったが、ちょうど森下洋子、清水哲太郎先生とメール・パークと知り合いで、松山バレエ団の学校に通っていたため行くことにした。
最初の先生はロシア人なのであまりロイヤル的ではなく違和感なくすんなり入れた。しかし周りが全員イギリス人で下の学校から来ているため、踊っている分にはやりやすかったけど、出ると言葉の壁もありつらかった。九月入学で、日も短くて暗く、その前に太陽がいっぱいのモナコのサマースクールに参加していたので、ホームシックになった。

技術的には基礎がしっかりしていたので大丈夫だったが、表現力には苦労した。何を求められていれているのかもわからずにもがいていた。スクールではマイムやキャラクターダンスのクラスもあったが、普段から生徒たちがみんなすごく意見を言い合うし、ソロを踊るにしてもみんな違うように踊るので、訳がわからなくなって、自分がどうやって踊ればいいのか最初はすごく苦労した。

たまたまピーター・ライトが稽古を見にきていて、それが実はオーディションだった。オーディションとは知らずに普通にお稽古をしていた。この一年間、誰もが仕事を取らなくちゃとピリピリしていた。メール・パークにおめでとう、と言われた時、「日本に帰れるんだ」と思った。その時はホームシックで精神的に厳しく、一年間の留学だから頑張っていたけど、一人ぽかんとしてどうしようかと思った。その時帰国していたら全く違う性格になっていたと思う。あともう一年やってみて、ダメだったら帰ってくればいいとないと思って残ることにした。

サドラーズウェルズ・ロイヤル・バレエ(現バーミンガム・ロイヤル・バレエ)時代のこと

最初の一年は怪我をしてしまって踊れなかったので、戻ってきてからはやる気満々で、ピーター・ライトに後悔させないように一生懸命取り組んだ。今でも、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」のコール・ドの振り付けは全部覚えているほど。サドラーズウェルズ・ロイヤル・バレエはツアーカンパニーだったので、ついていくのが大変だった。ちょっとしたことだけど、ツアーに行くときにはどうすればいいのか全然分からず一人だけ遅れてしまったりしていた。トウシューズが支給されるのが当たり前だったのだけど、本当にいいのかしら、と思ったり、何もわからないことから学んでいった。あの時にいろいろな国に行って踊ることができたのは自分にとって大きかった。日本公演に出演できたのは嬉しかったし、シンガポールなど日本から近い国に来るだけでも、とても嬉しかった。

4年間でプリンシパルに昇進した。ソリストで踊った時には、よかったねと踊りを褒めてもらえたけれども、プリンシパルになるとできて当たり前で、そこから先に何を見せられるかを問われる。お客さんは名前でチケットを買うのでプレッシャーを感じた。高いものを求められたので苦労したし、それまでのものだけでは足りなかった。一番最初に踊った主役は「白鳥の湖」で、怪我をした人の代わりに急遽踊った。カバーにもなっていない時で、2週間で必死になって振り付けを覚えた。その時はエネルギーのペース配分ができなくて、自分の力を120%出して踊ってアーティスティックではなくぐったりとなってしまった。でも、どれだけ本番をこなすのかが、自分の中の積み重ねとなってロイヤルよりチャンスが多くあってとてもありがたかった。

ロイヤル・バレエへの移籍について

ロイヤル・バレエは何回かゲスト出演して、皇太后の前でも踊ることができた。同じイギリス内のカンパニーでもサドラーズウェルズ・ロイヤルとは全然違う。規模も大きいし、緊張して最初は恐ろしかった。サドラーズからのゲスト出演は少なかったし、サドラーズはフレンドリーで居心地のよいカンパニーで、このままではかなり自分をプッシュしなければならないと感じていた。環境はとてもよかったけど何か挑戦、チャレンジし続けなければならないと思った。最初はアメリカのバレエ団に入りたいと思った。ロイヤルとサドラーズウェルズは姉妹カンパニーだったので似ていると思ったけど、ロイヤルでは直接、作品の初演時のダンサーから教わることができるというのが大きい。先輩からエピソードを交えたり、ちょっと動いてもらったりしてもらった。「ラプソディ」はアシュトンから直接教わっていたレスリー・コリアから習うことができたし、「真夏の夜の夢」は今になって先生がおっしゃっていたことが理解できた。振り付けは一緒でもニュアンスが違っていたり、アクセントが違っていたり、実際には大きな違いがあった。

ピーター・ライトに相談して、彼がアンソニー・ダウエルに話してくれてスムーズに移籍することができた。かなり大きなチャレンジだったけれども、自分の気持ちを信じてよかった。

(つづく)

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コメント

貴重な記事を、どうも有り難うございます。とても面白く、大変興味深く読ませて頂きました。ところで、本年4月21日に吉田都さんが、京都大学で行った対談講演が、公開講義の一つとして

http://ocw.kyoto-u.ac.jp/opencourse/22

に掲載されているので、見ることができます。参考になればと思い、連絡を差し上げました。

京都大学での対談講演をお知らせくださってありがとうございます。動画で全編アップされているとは素晴らしいですね。拝見します。

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