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2011/11/17

11/15 ユニバーサル・バレエ「オネーギン」Universal Ballet "Onegin"

Universal Ballet "Onegin"

http://universalballet.com/english/performances/performance_view.asp?nyear=2011&nmonth=11&cSort=12

Ballet in three acts
Choreography and libretto JOHN CRANKO
(after a novel by Alexander Pushkin)

Music by Pyotr Ys. Tchaikovsky
Arranged and orchestrated by Kurt-Heinz Stolze
Staged by Jane Bourne
Supervised by Reid Anderson
Set Design: Thomas Mika
Costume Design: Maren Fischer
Lighting Design: Steen Bjarke
Copyright: Dieter Graefe

Onegin Evan Mckie
Tatiana Hyojung Kang
Gremin Dongtak Lee
Lensky Konstantin Novoselov
Olga Naeun Kim
Mother Hyeseung Oh

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シュツットガルト・バレエのエヴァン・マッキーがゲストで「オネーギン」を踊るというわけで、韓国に駆けつけた。本当は初日から行く予定だったのだけど事情により火曜日からに変更。同じくシュツットガルト・バレエの新プリンシパルであるヒョジュン・カンのタチヤーナ役をやっぱり観たいということもあって旅行日程が二転三転してしまった。

それにしても、ゲストを迎えているとはいえ、自前の主演陣も加えて「オネーギン」の公演を8回も上演できるこのバレエ団の興行力はすごい。(初演は二年前)会場はゆうぽうとくらいの規模のLGアートセンターとはいえ、チケットの売れ行きも非常に好調であったという。実際この日はほぼ満席であった。そして公演全体のクオリティは、群舞に至るまでとても高くて、この客入りも納得であった。唯一難を言えば、舞台装置と衣装がオリジナルのユルゲン・ローゼのイメージが強いこともあり、こちらの衣装や装置はかなり安普請で魅力に乏しく、そのためにせっかくのパフォーマンスの良さが100%生かされなかったことであろうか。

「オネーギン」という作品は、タイトルロールこそオネーギンであるものの、タチヤーナ役も非常に重要で、オネーギン異状の難役ともいえる。その役に、今回この役を演じるのが初めての、シュツットガルト・バレエの新プリンシパル、ヒョジュン・カンを持ってきた。これは一種大冒険である。本場のダンサーでありながらオルガ役しか経験していない彼女がどんなタチヤーナを踊るかは非常に興味があった。私自身、彼女はオルガ役では観ているけど、どちらかというとコンテンポラリー作品での高い身体能力を生かした作品でのイメージが強かった。

ヒョジュンは容姿も地味なほうであるし、田舎の垢抜けなくて初心で、夢見がちな少女であるということにはとても説得力がある。いかにも都会的でエレガントな美青年オネーギンには鼻も引っ掛けられないのもよくわかる。鏡のシーンでは、実は手足が長いことがわかり、ぱっと花開いたように奔放に踊るところのラインがとても美しく、急に女性の色香を放ち始めたというのに、2幕の名前の日のパーティではおずおずとオネーギンに進み出ては相手にされず、萎れていく。さらに手紙を破かれたところでの身を震わせて涙を流す姿はもうかわいそうで仕方ない。だが、決闘でレンスキーを殺してしまったオネーギンを射抜く厳しい視線を向けるところで、彼女は確実に変わったのが伝わってきた。

3幕のタチヤーナは美しく花開いたとともに、いかにも賢夫人となった姿をヒョジュンは見せていた。人生において正しい選択を行い、優しい夫と幸せな生活を送っているのがよくわかる満たされた表情。彼に再会したときにも、すっと通り過ぎるかのように歩き去っていくけど、ほんの一瞬彼を振り返る、だからオネーギンは最後に希望を持ってしまうのだ。オネーギンから手紙が送られてきても、動揺はするものの理性が勝っているし、おやすみをするために夫が部屋に入ってくると、激しく抱きつき彼との愛を確認しようとする。オネーギンが駆け込んできても、最初はタチヤーナはクールだ。決してこの男には心を許してはならないと頑なに誓いを守ろうとする。だが、オネーギンの求愛に次第にタチヤーナの心は解けていく。ついに気持ちを抑えきれなくなったタチヤーナは横たわり、オネーギンに身を任せると大きく開脚して飛翔する。この一連の感情の動きを激情的に表現したヒョジュンの、身体をつかった演劇表現は初役とは思えないほど圧巻で、心を動かされた。ちゃんと、1幕の鏡のパ・ド・ドゥのリプライズとなっているのだ。ところが、身も心も解けていく自身に気がついてしまった賢い少女タチヤーナは、その少女時代の想いを永遠に封印する強い決意を持ち、オネーギンのほうに一瞥もくれずに手紙を突き返し、彼がなおもすがりつくと厳しい表情でそれを破り捨てて彼に立ち去るように命令する。タチヤーナは走り去ってしまったオネーギンを追いかけようともしないで、しかし激しく嗚咽し両手で顔を覆って涙を流すのだった。この一瞬の嵐のように通り過ぎた激しい想いを強い決心で葬り去ることができるタチヤーナは、これからも賢夫人として強く生きていくのだろうな、と思わせるラスト。タチヤーナ役の解釈はバレリーナによっても全然違うと思うけど、ヒョジュン・カンは、一人の奥手で真面目で夢見がちな女の子が、読書やグレーミンとの結婚生活で得た知性により、夢を見ないで強く生きるという自分の生き方を決めていく物語として成立させていたと私は感じたのであった。

それだけ深い解釈をした見事なヒョジュン・カンの3幕手紙のパ・ド・ドゥの衣装が地味なクリーム色であったことが非常に残念でならない。ユルゲン・ローゼデザインの繊細なブラウンの衣装で見たかった・・・。エヴァンはシュツットガルト・バレエの自前の衣装を持参してきたけれども、まだシュツットガルト・バレエでタチヤーナ役を踊ったことがないヒョジュンは自分の衣装を持っていないのだった。

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さて、今回のヒョジュン・カンのユニバーサル・バレエへのゲスト出演は、もともとはカン・イェナとのみ踊る予定だったエヴァン・マッキーの推薦によるものだった。逆に言えば、彼女からこれだけのものを引き出したのがエヴァンのパートナーシップの手腕だったといえる。「オネーギン」というバレエは、主役2人がテクニックに優れていて、自分なりのキャラクター観を持っていたとしても、ひとりよがりの演技だったり技術的に目立とうと思って踊ってしまっては観る者に何の感情も引き起こさない。

オネーギンとタチヤーナのお互いの持つ感情が、パートナーとすれ違うところが多い作品なのであるが、それが一瞬だけ交錯して昂揚感、そして愛の悲しみがあふれ出して胸が苦しくなるほどの想いを観る者にも引き起こすのが二つのパ・ド・ドゥ、1幕の鏡のパ・ド・ドゥと3幕の手紙のパ・ド・ドゥである。踊りで語られるシーンであるけれども、言葉よりも雄弁に踊りが主人公二人の気持ちの高まりと揺らぎをあらわしているのだ。ヒョジュンがタチヤーナ役が初めてだったのに、これだけ同じテンションで演技が持続し、感情の行き来が細やかに伝わってきて、特に3幕のクライマックスの幕切れへとなだれ込んでいくことができたというのがとにかくすごい。エヴァンだって、オネーギン役を踊ったのはシュツットガルトでは2回だけだったのに、オネーギンという役が彼の血肉となっているのがみえた。

エヴァンのオネーギン役デビューはシュツットガルトで観ることができたのだけど、そのときのオネーギンとはまたまったく違っていたというのがとても興味深かった。ミリアム・サイモンと踊ったときのエヴァンは、一見好青年で如才なく優しそうだけれどもセクシーで素敵なオネーギンだった。ところが、今回のエヴァンは、長身、美しく長い脚と美貌で周りを威圧する、スノッブで悪魔的なオネーギンだったのだ。

すばらしく長いラインとエレガントなしぐさには妖しいというほど色気が漂い、その圧倒的な美しさにタチヤーナはすっかり魅入られて魔法にかけられてしまったのだ。本の世界に生きていて現実の男性を知らないタチヤーナなんて、このオネーギンの前ではイチコロであろう。たとえ、読みふけっている恋愛小説を見て一笑に付されても、タチヤーナはひたすら彼との恋を夢見る。鏡のシーンで少女の妄想が暴走し、本当はとーっても嫌なやつというか、自分の美しさに溺れて中身のない薄っぺらな男であることにも彼女は全然気がつかない。ヒョジュンが演じるタチヤーナには、エヴァンのオネーギンはとても冷ややかで、こんなに冷たくしなくてもいいじゃないってくらい意地悪で嫌な男なのに、その意地悪加減がかえって魅惑的なのだから困ったものだ。現実には明らかに彼女を田舎の小娘だと馬鹿にしていたオネーギンが、鏡のシーンでは優しく魅力的この上ない夢のような理想の男性として表現されていた。サポートに関してはリハーサル不足でちょっと安全運転かな、ってところはあったが、あの長い脚、腕のラインがタチヤーナとハーモニーを奏でると本当に夢を見ているかのようだ。

エヴァンは大きな手の使い方がとても優雅で美しい。レンスキーにオルガを紹介されて、「美しいですね」ってマイムをするときの手の動きひとつとっても。鏡のパ・ド・ドゥでタチヤーナの耳にささやきかける時の手の添え方はセクシーだ。最初のオネーギンのソロで自分の顔の前に手をかざすしぐさ、手袋やカードの扱い方、その美しい手がタチヤーナの書き溜めた手紙をビリビリに破くときの乱暴さと対照的でなんともそれがタチヤーナにとっては切ない。

そして彼は恐ろしいほどものすごく色っぽい。鏡の中から出てくるときに、顔を傾けてタチヤーナの首筋にキスをする角度、ぴんと伸びた長い足先の描くつま先のカーヴ。しなるライン。長い腕とこまやかに神経の行き届いた指先。グラン・ジュッテのときの180度に美しく開いた脚、アントルラッセのときにしなやかに高く上がる脚。2幕でオルガをたぶらかすときの、彼女への強引すぎるほどの腕の引っ張り方、もてあそび方、彼女の首筋に触れる様子、田舎生活に倦んだ遊び人の雰囲気がたっぷりで、これで彼に落ちない女性はいないだろう。しかし、手紙を破かれても彼に向けて悲しみを込めて一生懸命に踊るタチヤーナに対する苛立ちは観ていて怖くなるほどで、バンと机を叩いて立ち上がるところも剃刀のように鋭くて実に恐ろしい。

そんなオネーギンだけど、レンスキーとの決闘に赴くところで、急にこれでよかったのだろうかという想いが彼の心を曇らせる。マントに隠した銃を撫でて見つめる様子も思いつめたようで。レンスキーに頬を張られて怒りに任せてピルエットをしてはひざを叩く音も大きく、クールに見えて実はキレやすく小心者のオネーギンの真の姿を現すものだった。決闘でレンスキーを撃ち殺してしまった後、タチヤーナの厳しい視線を浴びながら、ゆっくりと、レンスキーの目に見えない血で汚された美しい手で顔を覆い身体を斜めに向けて体を震わせ、自分の愚かさを嘆くようすには、深い悔恨の念が感じられて、自業自得の結果ではあるけれども思わずオネーギンに同情して涙が出てしまうほど。

さて、3幕のオネーギンの解釈は、ダンサーによってもっとも表現が分かれるところである。エヴァンが演じたオネーギンは、長い年月が過ぎた後でもまだ十分魅力的で美しい。むなしい漂泊の日々を過ごす間にもエレガンスや美貌は衰えず、あくまでも優雅さを保ちつつ女性たちと戯れるが、それだけに美しいだけで悲しい存在と成り果てている。グレーミン侯爵家の舞踏会でも居場所を見つけられず、横顔を見せながら俯いている姿には憂愁があってドラマティックなのだが、どうしてこんなにも素敵な男性がこんなに空虚で寂しそうにしているのだろうか。そこへグレーミン侯爵夫人として現れた気品にあふれた女性がタチヤーナであることに彼は気づいてしまって彼女から目が離せなくなる。ほんの一瞥だけを投げるタチヤーナの姿に、彼はかすかな希望を抱くとともに、ますます心は混迷を極めてしまう。舞踏会の踊りの波の中でもまれ自分を見失いそうになりながらも、彼はタチヤーナの寝室へと駆けていく。

そしてラスト、手紙のパ・ド・ドゥへ。ヒョジュン・カンのタチヤーナは、オネーギンの手紙を受け取っても、極力自分の思いは封じ込め、足元に何年分もの想いを込めたように跪かれても、オネーギンの腕から逃れようとする。心の揺らぎも見せずに頑ななタチヤーナ。ところが、今までの自分を飾りたてていたプライドをかなぐり捨てたかのようなオネーギンが、素の感情を初めて見せてタチヤーナに愛を告白する。お願いだ、どうかこの気持ちをわかってほしいと懇願し、拒む彼女の目を覗き込んでは首を傾げ、長い腕を差し出し、背中を向けるタチヤーナの腕をつかんでは引き寄せる。背後からタチヤーナを抱き寄せては彼女の顔の右から、左からささやきかける。その絶望的なまでに情熱があふれ出る求愛にタチヤーナもついに冷静さを失い、心がとろけそうになって、少女時代に夢で観た鏡のパ・ド・ドゥでのリフトを思い出すかのように高くリフトされ、そして舞う。だが、ここで我を取り戻しタチヤーナはテーブルへと歩いていき、オネーギンの顔を観ないようにしながら手紙を突き返して破く。全身から涙を流すように、エヴァンのオネーギンはなおもすがりつくが、ついには走り去っていく、その走っていく姿でさえもあまりにも美しく、しかしながら美しいからこそ、より絶望的であり、すべてを失った男の最後の姿として心に刻まれたのであった。


さて、ユニバーサル・バレエのキャストにも触れなければならない。レンスキー役は、日本公演で「ジゼル」のアルブレヒト役で好演したコンスタンチン・ノヴォセロフ。ワガノワ出身で両親ともマールイのダンサーだったというサラブレッドの彼は、身長は少し小柄な方だけど容姿端麗で脚のラインも美しく、踊りも正統派ワガノワ育ちを感じさせる端正さでロマンティックな詩人役にぴったり。演技自体は抑え目なのだけど、それまでが控えめだっただけに、決闘の前の月光のソロでの長いラインのしなやかな美しさと溜めの効いたドラマティックで悲劇的、自己憐憫的だけど深みのある踊りはとても印象的だった。やはりレンスキーは美しいダンサーが踊らないと。

オルガ役のキム・ナウンは明るく闊達で切れ味良いテクニックに優れたバレリーナ。オルガの軽薄さも実にうまく表現していて、この役にぴったり。オルガ役は、これくらいちょっとおバカさんに徹することができる人じゃないといけないのだ。ちょっと残念だったのが、決闘のシーンのタチヤーナとオルガ役の衣装で、ユルゲン・ローゼ版と比べるとだいぶ違っていてフードがなく前面が割れていて白い重ね着が見えるというものだった。このシーンの重苦しさとどうしようもない空しさを表現するには、オリジナルの衣装の方が良かっただろう。グレーミンはこれがちょっとびっくりするくらいハンサムなドンタク・リー。彼は今年の年末にNBAバレエ団に移籍するらしいので、日本でも踊る姿を観ることができるかもしれない。

群舞については、男女ともプロポーションに恵まれたダンサーが多くて技術的な水準が高い。1幕の男の子たちのソロの踊りもレベルが高く、みんな跳躍力に優れていて、女の子たちのスカートをめくって見せるいたずらっぽさが可愛い。ほかの日にレンスキー役を演じていたダイ・ジイェンが凄い超絶技巧を見せていた。グランジュッテで男女でディアゴナルに舞台を横切るところもみんなきれいに跳んでいた。2幕の冒頭の「名前の日」での若者たちや老人たちのユーモラスなやり取りには思わずくすくす笑わされたし、演技的にもみんなこなれている。3幕の舞踏会では、将校たちに口髭がないのに少々違和感を感じたが、東洋人には髭は似合わないのかもしれない。やっぱり舞踏会の衣装が惜しいというか社交界の華麗さを表現するには物足りないのがもったいない。1,2、3幕と群舞で出ずっぱりの、このカンパニー随一のハンサムボーイ、カン・ミヌにはどうしても目が行ってしまう。これだけ容姿に恵まれて長身ですらりとした東洋人ダンサーはめったにいないから期待したい!

というわけで、セットと衣装、音楽が生演奏でないことだけは残念であったが、それ以外は大いに満足できた「オネーギン」の上演であった。ゲストの主役二人がものすごく優れていただけでなく、カンパニーのレベルも高くて「オネーギン」の世界観を東洋人なりにうまく表現できていたと感じた。この後まだ5公演!も観られたわけだけど、大好きな「オネーギン」をこんなに観られて幸せだった。

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コメント

naomiさん

 チケットの手配始めソウルではお世話になりました。

入魂のレビューですね。私もソウルまで見にいって本当によかったと思っています。
日本のバレエ団も、やはり主役は、せめてオネーギンだけは、ゲストで上演してほしかった。。。と、
改めて思いました。
ソウルはホント近い!また機会があれば行きたいです。

ゆいーちかさん、こんばんは。

ソウル現地でご一緒できて楽しかったですね!セットや衣装の違いなどはあれど、見ごたえのある舞台でした。ホント、東京バレエ団の上演もせめて主演はゲストダンサーを呼ぶべきではなかったのではないかと思いました。
来年のシュツットガルト・バレエのソウル公演も楽しみです。近いですしぜひ行きたいですね~。

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