Soirée Lifar - Ratmansky
Samdei 24 Septembre 2011 a 14:30
Phedre 67 Representation
Musique : Georges Auric
Action Dansee : Serge Lifar
Redeau, decor et cotumes : Jean Cocteau
Choreograpie regulee par : Claude Bessy
Ballet cree par Le Ballet de L'Opera de Paris le 14 Juin 1950
Phedre: Marie-Agnes Gillot
Thesee : Nicolas Le Riche
Oenone: Alice Renavand
Hippolyte : Karl Paquette
Aricie : Myriam Ould-Braham

(「プシュケ」の緞帳)
Psyche 2 Representation
Musique : Cesar Franck
Choreographie: Alexei Ratmansky
Decors : Karen Kilimnik
Costums : Adeline Andre
Lumiers : Madjid Hakimi
Psyche: Clairemarie Osta
Eros : Benjamin Pech
Venus : Amandine Albisson
Les Duex Soeurs : Caroline Bance, Christelle Granier
Quatre Zephirs : Mallory Gaudion, Daniel Stokes, Simon Valastro, Adrien Couvez
Île-de-France National Orchestra and the Radio France choir, conducted by Koen Kessels
パリ・オペラ座の2011/12シーズンオープニングはセルジュ・リファールの1950年作品「フェードル」と、アレクセイ・ラトマンスキーが新しく振付けた「プシュケ」。初日がストで中止となってしまったため、この日の上演は2日目であった。
ギリシャ神話をテーマとして、61年前の作品と出来立てほやほやの新作を対比させるというのが今回の趣向。「フェードル」に関しては、パリ・オペラ座の歴史上にこんな作品があったという歴史を振り返るための、博物館的な上演だったのではないかと感じた。バレエ・リュスの流れを汲むタマラ・トゥマノワが初演し、かつてはマリシア・ハイデも主演した作品、しかもデザインはジャン・コクトーだったという事実自体に価値があったというか。その売り物であるはずのコクトーのデザインが現代から見るとえらく古色蒼然としていて趣味がよろしくなく、また振付も当時としては斬新だったかもしれないけれど今ではかえって古臭く、マイムを多用しカクカクとしていて非バレエ的な動きが多いことから、今回の上演に対する批評は芳しくなかった。
参考:Fedephotoのギャラリー
オペラ座のギャラリー
http://www.operadeparis.fr/cns11/live/onp/actualites/index.php?lang=fr#news4374
しかしながら、個人的にはこの作品の持つ大時代的な大袈裟さとか、60年代のアニメのようなキテレツでキッチュな色彩感覚の衣装、横向きのポーズを多用したギリシャ的というよりはエジプト的な動き、どことなく漂うバレエ・リュスの香りなどけっこう楽しめたのである。この作品専用の幕(コクトーがデザイン)の写真がFedephotoにないのは残念だけどこれはおしゃれ。幕が開くと、舞台後方中央にはギリシャ文字を配し、青いカーテンで覆った舞台のようなものがあり、そこで別の場所で進行する物語とか、人物の登場でジャーンと幕が開いたりするのが面白い。でも、事前にストーリーを予習していかないとちょっとついていけないかもしれない。
原作はラシーヌ。王妃フェードルが夫である王テゼーの留守中に、義理の息子であるイポリートに邪な恋愛感情を抱いてしまっている。一方でイポリートはテゼーに反逆した一族の生き残りであるアリシーに恋をしている。テゼーが死んだと聞いてフェードルは愛をイポリートに告白してしまうが、唖然とするイポリート。そこに夫テゼーの帰還の知らせを聞いて、フェードルは生きることに絶望して死のうとするが、乳母のエノーヌに止められ、エノーヌはイポリートこそフェードルに邪な欲情を抱いていたということにしようと提案。結局その通りに帰還したテゼーにフェードルが話したところ、イポリートは呆れて弁解もしない。イポリートは追放される。フェードルは良心の呵責からイポリートへの命令を取り消してもらえるようテゼーに頼むが、逆にテゼーから、イポリートがアリシーを愛しているという話を聞き、激しく嫉妬する。エノーヌは海に身を投げ、イポリートも津波に飲み込まれて死ぬ。フェードルは己の罪をテゼーに対して認め、毒を呷って死ぬ。(参考:Wikipedia)
ギリシャ悲劇のヒロインにふさわしく、堂々とした女王の姿にひそむ怪物性を表現したマリ=アニエス・ジロは適役。己が義理の息子に抱いた欲望ゆえに周囲の人間も巻き込みながら破滅していく様子を圧倒的な表現力で熱演していた。フェードル役は実際に踊る場面は比較的少なく、上半身、特に腕の動きで女王らしさや苦悩を表現しなければならず演技力が問われる役で、カリスマ性がなければ演じられないがその点マリ=アニエスは完璧であった。
イポリートは輝かしく美しい若者という設定のようで、キレンジャーのような真っ黄色の全身タイツにマント、金髪のカツラをつけたカール・パケットはなるほど美しかった。同じような扮装の若者たちを従えてカクカクと跳ね回る動きはかなり可笑しいが、大きな跳躍としっかりとしたダンステクニックには貫禄もあり。その恋人アリシー役にミリアム・ウルド=ブラム。こちらは薄いピンクの全身タイツに白いミニスカート、長い金髪のポニーテールかつら。フランス人が「まるでセーラームーンみたい」と評していたが本当にこの二人が並ぶとアニメのようである。イポリットとアリシーのパ・ド・ドゥは美しく、ミリアムのクラシックダンサーとしての端正さと優雅さ、軽やかさが発揮されていて踊りの見せ場としては一番だった。
乳母エノーヌ役は踊るシーンも多くて実際はかなり重要な役。コンテンポラリーに関してはオペラ座一の実力を持つアリス・ルナヴァンが、リファールによる独特の大時代的で大仰ながらもギリシャ的な動きをものにしていて、目を引き付けるものがあった。しなやかなでプロポーションに恵まれた身体から繰り出すテクニックもコントロールが効いていて素晴らしく、これだけの実力を持つ彼女が未だスジェなのが理解できないほどである。
テゼー役のニコラ・ル=リッシュは舞台の後半になって、青い幕の中からでーんと登場。紫のボディタイツに、まるで肉襦袢のような甲冑を身につけ(一歩間違えたらプルシェンコの「Sex Bomb」の衣装みたい)、白塗りの姿なのだが、それでも様になるのはさすがニコラというべきだろう。王としての威厳あふれる踊りであった。
波に飲み込まれて死んでしまったイポリートの姿を舞台の上に映し出すところなどかなり間抜けな感じで、悲劇的なシーンなのにドリフターズのコントみたいと思ってしまったくらい。テディベアの着ぐるみの衣装をつけた女性ダンサーたちが登場するシーンなどは時代考証などを考えてもまったくもって意味不明だし、評判が芳しくないのもわかる気がするが、世にも珍しいものを観ることができたということでは、大変面白い経験であった。アヴァンギャルドなオーリックの音楽も楽しめた。
パリ・オペラ座のサイトに掲載されている動画
http://www.operadeparis.fr/cns11/live/onp/opera_video/index.php?lang=fr&video_id=484
一方の「プシュケ」は今回のために新たに振付けられた新作。今や世界でももっとも売れっ子の振付家となったラトマンスキーが初めてオペラ座に創った作品だ。同じギリシャ神話でもこちらはハッピーエンドのラブストーリー。ニンフのプシュケの美しさに嫉妬した女神ヴィーナスが、息子のエロスをプシュケが決して見てはならぬとしたにもかかわらず二人は恋に落ち、そしてついにプシュケは彼の姿を見てしまう、しかし結局愛は勝つというストーリー。
ラトマンスキーの振付は、クラシック・バレエのボキャブラリーを巧みに使いながらも、現代的なタッチで再構築してオリジナルな形態をつくりあげていくというもの。群舞の使い方が上手で、ある時は神秘的な神話の世界、そしてある時は動物や花たちとともにある地上の世界、さらには恋人たちの人間世界というふうに多彩な世界観を表わすのに、めくるめくフォーメーションの変化をつけていて目を楽しませてくれる。プシュケの恋路を邪魔する二人の姉たちはパンクな服装ではっちゃけた踊り。動物の着ぐるみ(着ぐるみというよりはもっとボディラインを明確にするデザイン)を着た男性ダンサーたちと、花びらの形を模した鮮やかな色合いのキュートなチュチュに身を包んだ女性ダンサーたち。時には優しく、時には力強い、空気のように軽やかな4人の西風(ゼファー)。
そしてラトマンスキーはパ・ド・ドゥの振付に才能を発揮している。眠るプシュケが目覚める瞬間。プシュケがエロスを見てはならぬことから最初は視線を交わさない二人。見たいけど見てはならない、そのもどかしさ。しかし思わずその姿を見てしまってからの驚きと恋の燃え上がりを表現する甘美なパ・ド・ドゥには心も吸い寄せられる。複雑なサポートも多いけれども、そんなに複雑そうに見えなくて流れるようなのがいい。
何よりもこのパ・ド・ドゥを美しくたらしめているのが、セザール・フランクのさざなみのようでいて、徐々に盛り上がっていく音楽。大所帯のコーラスを使用したものなのだが、人間の声の持つ力が、他愛のない物語のこの作品にミステリアスさと深みを加えていてうっとりさせられる。コーラスの姿は舞台を観ている最中には見えないのでカーテンコールで幕が開くと、大人数のコーラス隊が登場したのに驚かされたのだが、間違いなくこの作品を素敵なものにした功労者であろう。この音楽は本当に素晴らしい。
衣装とデザインに関しては賛否両論が出ているようだ。鮮やかな色使い、独特の着ぐるみ、長いひげとかつらをつけた西風たち、金色に輝くドレスのヴィーナスに関しては好き嫌いは出るだろう。オペラ座のダンサーはあまり着ぐるみ系の作品に慣れていないのか、動きもちょっと恥ずかしげだ。舞台美術についても、ヴィヴィッドでアヴァンギャルドで、背景に巨大な動物や城、森が登場し大きな木が降りてきたりするセンスは大胆でキッチュであり、好みが分かれるところだ。舞台美術のデザイナーはアメリカ人とのことだが、なんとなくラトマンスキーのロシア的な、現代性と土着性が感じられて私は結構気に入った。
クレールマリ・オスタの小柄な体躯はニンフには向いていて、なかなか愛らしいと思ったのだが、動きはカウントをしっかりと取りながらやっているのがちょっとわかってしまった。段取りどおりにきっちりと踊っている印象。今シーズンで彼女は引退とのことだが、テクニック的には衰えは見られない。バンジャマン・ペッシュはセクシーな印象のあるエロスで、魅力的なれど二人のケミストリーを感じさせるまでにはいたらなかった。ヴィーナスという大役に抜擢された若手のアマンディーヌ・アルビッソンには威厳があり、堂々とした女神ぶりだった。
オペラ座のサイトで少しだけ映像を見ることができる。
http://www.operadeparis.fr/cns11/live/onp/opera_video/index.php?lang=fr&video_id=483
ラトマンスキー作品の持つロシア的な気質が、果たしてパリ・オペラ座というカンパニーに向いているのかは疑問の余地を残すところではあるが、美しく楽しくオリジナリティのある作品を創ることができる彼の才能は本物だと思う。この「プシュケ」は他のカンパニーで上演してみると、またまったく違う味わいが出てきて面白いのではないだろうか。
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