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2011/05/04

4/29 シュツットガルト・バレエ「椿姫」Lady of the Camelias/Die Kameliendame 

DIE KAMELIENDAME
Ballett in drei Akten von John Neumeier nach dem Roman von Alexandre Dumas d. J.

Choreographie John Neumeier
Musik Frédéric Chopin
Bühnenbild und Kostüme Jürgen Rose
Uraufführung 04. November 1978, Stuttgarter Ballett

Marguerite Gautier Sue Jin Kang
Armand Duval Marijn Rademaker
Manon Lescaut Alicia Amatriain
Des Grieux Filip Barankiewicz
Prudence Duvernoy Katja Wünsche
Gaston Rieux Jason Reilly
Olympia Anna Osadcenko
Monsieur Duval Rolando D'Alesio

YouTubeでスージン・カンとマライン・ラドマーカーが踊る「椿姫」の黒のパ・ド・ドゥの動画を観て以来、この二人の「椿姫」の全幕を観るのが夢だった。去年の4月には韓国でのスージン・カンのガラでこのペアによる黒のパ・ド・ドゥを観ることができたけれども、ますます「全幕を観たい」という飢餓感が募ることになったのだ。

ようやく念願かなって、ノイマイヤー振り付けのバレエ「椿姫」が生まれたシュツットガルト州立劇場で「椿姫」を観ることができた。そして、その感動は予想を超えたものであった。

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主役二人だけではない。劇中劇のマノン役にアリシア・アマトリアン、デ・グリュー役にはフィリップ・バランキエヴィッチ。ガストンにジェイソン・レイリー、プリューデンスにカーチャ・ヴュンシュ、オランピアにアンナ・オサチェンコと主要な役にはすべてプリンシパルを投入。さらに、マノンの信奉者の一人と2幕の群舞として新プリンシパルのアレクサンダー・ジョーンズ、舞踏会のコール・ドにもう一人の新プリンシパルであるヒョ・ジュン・カンも出演していて、舞台上には総勢9人のプリンシパルが出演しているというから凄い。こんな豪華なキャストは二度とないのではないかと思うほど。バレエ団がこの「椿姫」の再演にかける並々ならぬ意気込みが感じられた。


スージン・カンは、裏社交界の花形に相応しい、咲き誇る薔薇のような華やかさと強さ、凛とした気品を漂わせている。その一方で華奢な肉体と繊細で柳のようにしなやかな動きで、病でやがて斃れようとしているマルグリットの寄る辺ないか弱さも体現していた。こんなに初々しくイノセントな男の子が、私のことなんか愛していいの?って戸惑いながらも恋にからめとられていく意外な純情さ。愛に生きる女としての矜持と誇り高さ。マノンの幻影に惑わされ、高級娼婦といえども金で愛を買われるわが身を憐れむ哀しい様子。マルグリットという女性の心の襞、揺らぎを、体の隅々まで使って肌理細やかに、鮮やかに表現したスージンの儚くも輝ける美しさは、たとえようがないほど。

そんな輝くばかりの大輪の花を咲かせていた彼女も、アルマンに深く傷つけられ病み衰え、ついには一人寂しく死んでいく。やつれた姿を濃い化粧で飾り立て、よろよろと最後の「マノン」の舞台観劇へと出かけていく姿の悲しさ、そしてそこでアルマンによく似た金髪の青年の姿を見つけて思わず駆け寄ってしまうさまのやるせなさ。マノンとデ・グリューの恋物語の終わりに自らを重ね合わせようとするも、重ねた手を振り解かれ、一人置き去りにされたマルグリットには、もはや昔日の華やかな姿の面影もなく、誰にも看取られることなく、あまりにも寂しい最期を迎えようとしていた。でも、アルマンが彼女の書き残した日記を閉じるとタイミングを同じくするように、まるで椿の花が落ちるときのように、ドラマティックに命を閉じたマルグリット。その死に様は、彼女は鮮やかに人生をまっとうしたのだと感じさせていた。スージンの凄まじいまでの演技力、それも顔の表情ではなく手や脚、首の角度の微妙な動きで心情を綴ることのできる類まれなる能力が、マルグリットの人生を物語の登場人物としてではなく実際に呼吸して愛して傷ついて血を流す一人の女性として描ききることをなし得たのだと思う。

そのスージンが育て上げ磨き上げた芸術品が、マライン・ラドマーカーが演じるアルマンである。痛々しいまでの若さ。初心で、まっすぐで、融通が利かなくて、おこりんぼで。輝く金髪い眩しい美しい青年。向こう見ずで、未熟で、ひとつのことに夢中になると周りが見えなくなってしまうアルマンに、マラインは外見もキャラクター造形も、これ以上似合う人はいないのではないかと思うほど。1幕の青のパ・ド・ドゥでは、アルマンは一目惚れしたマルグリットへの熱い熱い気持ちを臆面もなくぶつける。ふたりのやりとりはまるで言葉を交わしているかのようで、気持ちが高まりあっていく様子が手に取るように見えてくる。恋というものを、もう一度してみてもいいかもしれないわ、って大人の余裕でかわそうとしていたマルグリットが、徐々に本気になり始めている心の移り変わりもつぶさに感じ取れる。2幕の白のパ・ド・ドゥ、高くスムーズなリフトの連続の中で、穏やかな美しさに秘められた情熱と昂揚感を感じていると、このまま時がずっと止まっていればいいのに、と涙が出てくるほどの幸福感に包まれてしまった。

何より、マラインの踊りの技術の向上の目覚ましいことには目を瞠った。ここ3年ほど彼の踊りを観続けていて、彼が確実に進化しており、クラシックバレエにおいても磨きぬかれたテクニックの持ち主となっていることは確信していた。にもかかわらず、改めてアルマンという難役において彼が完璧な踊りを見せていたことに驚かされたのである。ノイマイヤーの振付は、パ・ド・ドゥではリフトを多用している一方で、ソロの部分では時にはクラシックバレエの範囲を逸脱するような、バランスを崩したりアクセントをつけることによってあふれ出るような強烈な感情を表現しているが、マラインのパフォーマンスはノイマイヤー振付のその部分をまさに体現していた。オランダ国立バレエの「眠れる森の美女」では滑らかで柔らかく優雅だったマラインが、アルマン役ではくっきりとした輪郭、切れ味のシャープな踊り、アルマンのひたむきで、時には過剰なまでの熱情を体現するかのように猛スピードの疾走感で舞台の中を駆け抜けていった。数年前に彼がスージンと「椿姫」を踊ったときの映像がYouTubeにアップされているが、その時とは同じ人とは思えないくらいに技術は磨かれ、そして挟み込まれる超絶技巧がアルマンの激情、抑え切れない気持ちを臆面もなく剛速球で伝えてくる。特に2幕最後に、マルグリットからの別れの手紙を読んだ後のソロは凄まじく、アルマンの慟哭と怒りが、鋭い軌跡を描く跳躍や回転、そして疾走で胸に痛く伝わってきた

進化するふたりの姿は、3幕の黒のパ・ド・ドゥで結実していた。数年前の映像と違って、マラインはサポートもずっとスムーズになり、表現は陰影を増していた。その前のシーンで、オランピアを抱くときの彼は今まで観たすべてのアルマン役の中でもっとも激しくて暴力的なほどの荒々しさだった。それだけに、オランピアが去った後の彼は、激しい自己嫌悪感に苛まれて苦しんでいるのが伝わってきた。

傷ついた心と怒りををぐっと抑えるように顔をうつむき気味に沈んで舞台の上手に佇んでいるアルマンの元を訪ねる黒衣のマルグリット。すでに衰弱していて立っているのがやっとの彼女が、もうこれ以上私のことを苦しめないでと訴えに来る。スージンはか細い肢体で、わずかに残った力を振り絞るかのように訴えかけるとそのまま後ろへと倒れそうになる。そこへ、マラインが彼特有の猛ダッシュで彼女を掬い上げるようにサポートし、そして二人はシンクロするように踊り身体を激しくぶつけ合い最後の情熱を燃やし尽くす。怒りと悲しみ、苦悩と愛、さまざまな感情が抑えられない熱情に押し切られていまひとたびの閃光を放っているが、その光は暗闇の中の一瞬の光芒である。死の香りを放ちつつアルマンへの想いを抑えられないマルグリットと、若さがと生命感がみなぎりほの暗い甘さを漂わせながらも力強いアルマンがぶつかり合って生み出される翳りの濃さが、このパ・ド・ドゥの真髄だろう。息遣いが聞こえる。黒のパ・ド・ドゥの終わりの方で、生命の灯の最後の焔を燃やすように、残像を残しながら腕をゆらめく儚い炎のように大きくはためかせるスージン。もう傷つけないよと手を差し出すアルマンの手を取って頬をそっと寄せると、最後の熱い抱擁へと倒れこむ。ふたりの想いは、最後のこの一瞬だけ交錯し、そしてすれ違っていき、最後にマルグリットの日記をアルマンが閉じたときに今一度ひとつになる。だけど、そのときには、もうマルグリットはこの世にはいない。二人の想いがひとつになった瞬間の光芒の陰影を帯びた眩しさをこの上なく美しく輝かせることができたスージンとマラインのパートナーシップには、本物の芸術だけが持つかけがえのなさ、胸を締め付け息をするのも忘れてしまうほどのこの上ない儚い美しさがあった。

あんなに激しく愛し合い、つかの間心が一つになった二人は、その余韻も冷めぬうちに別の道へとわかれてしまうことになり、死ぬまでめぐり合うことはなかった。ぐでんぐでんに酔ってマルグリットに今までの代償だとばかりに札束の入った封筒を押し付けるアルマンの目は虚ろで、自分の感情を押し殺しながら封筒を取れ、と彼女に強く迫っていた。そして自分の愚かな行為を悔やみながら、素早く走り去る。このシーンについては、ハンブルク・バレエの来日公演で観たアレクサンドル・リアブコの、自己憐憫をこめながらヒステリックな笑みを浮かべ去っていく姿があまりにも強烈だったのだが、そこまでの細かい表現はしなくてストレートにすごい速さで去っていくマラインはまったく違う、彼らしい若くて未熟なアルマンなのだと改めて思ったのだった。

だがやはり、「椿姫」はアルマンの物語ではなく、マルグリットの物語である。彼女が斃れた時とシンクロするように彼女の遺した日記をアルマンが閉じたときに幕が下りる。アルマンは物語の語り手であるに過ぎず、アルマンの目を通したマルグリットの人生こそがこの作品の主題であったのだと改めて感じた。スージンはそれほどまでに鮮やかにマルグリットを生き切ったのだ。


主役ふたりのことで、こんなにも延々と語ってしまったが、最初に書いた通り、この日のキャストはプリンシパルが9人も出演したという豪華なもの。他の日にはマルグリット役を踊っているアリシア・アマトリアンが劇中劇そしてマルグリットを惑わす存在であるマノン役を演じた。
(つづく)

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