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2011/02/05

シュツットガルト・バレエ50周年関連記事いろいろ The Stuttgart Ballet is celebrating its 50th anniversary

今月はシュツットガルト・バレエ50周年を記念して、ガラ公演はじめいろいろなイベントが予定されています。シュツットガルト・バレエの公演のほかにも、NDTII、ハンブルク・バレエ(「ニジンスキー」)、ロイヤル・バレエ・オブ・フランダース(「Impressing the Tzar」)がシュツットガルト州立劇場に招かれて公演を行います。

シュツットガルト・バレエ50周年を特集した記事もいろいろ掲載されているのですが、中でも素晴らしいのはこれ、ドイツのラジオ局のサイト
http://www.swr.de/kultur/veranstaltungen/-/id=3230/cat=1/pic=1/nid=3230/did=7545986/pv=gallery/1lhc9fb/index.html
過去から現在に至るまでの、シュツットガルト・バレエの貴重な写真をたくさん見ることができます。

上記からリンクが張ってあるこちらにも、もっと写真があります。
http://www.swr.de/swr4/bw/regional/stuttgart/programm/-/id=259138/nid=259138/did=7574674/pv=gallery/1xr9um7/index.html

こちらの記事(ドイツ語)では、シュツットガルト・バレエの50年間の歴史についての記事が載っています。
http://www.tanznetz.de/kritiken.phtml?page=showthread&aid=35&tid=19397

現在の地に1600年からバレエ団が存在していたものの、当時はオペラの中にあるバレエシーンを踊る役割のみを担っていました。今回の50周年とは、1961年1月16日に当時33歳だったジョン・クランコがバレエ団を引き継いでからちょうど50周年にあたるということです。同性愛スキャンダルが原因でロイヤル・バレエを去ったジョン・クランコがシュツットガルトに来る前の当時のスタッフで今も残るのは、現バレエ・ミストレスのジョルジェット・ツィングリーデス(82歳)一人だけです。クランコによって見出されたマリシア・ハイデをはじめ、ビルギット・カイル、リチャード・クラガン、エゴン・マドセン、ハインツ・クラウス、レイ・バラ、スザンヌ・ハンケなどのスターが育ち、"シュツットガルトの奇跡”と呼ばれる躍進がありました。「オネーギン」「ロミオとジュリエット」そして「じゃじゃ馬ならし」などの傑作が生まれました。1971年には、彼の死後に"ジョン・クランコ・スクール”と名づけられることになるバレエ学校が設立されました。

また、クランコが芸術監督を務めていた間、シュツットガルト・バレエには、イリ・キリアン、そしてジョン・ノイマイヤーが在籍し、やがて振付家として巣立っていきました。クランコが芸術監督に就任してすぐに、盟友ケネス・マクミランの「大地の歌」がシュツットガルトで初演されました。ピーラー・ライト、ジョージ・バランシンらの作品もレパートリーとなりました。1973年にクランコは太平洋上の飛行機の中で心臓発作を起こし、45歳の若さで亡くなりました。

クランコの後を継いだグレン・テトリーは追悼の意味を込めて「ヴォランタリーズ」を振り付け、芸術監督に就任しましたが、観客は彼のモダンな作風よりもクランコの物語バレエを好み、1976年にテトリーは去り、後を継いだのはクランコのミューズであったマリシア・ハイデでした。クランコ亡き後も、バレエ団の主要なスターたちは移籍せずに残り、伝統を引き継ぎました。ハイデは20年間バレエ団を率いて、カンパニーのレパートリーにクランコの作品群を据えました。それに加え、「ジゼル」「白鳥の湖」「ラ・シルフィード」などのクラシック・ロマンティック・バレエ作品も定期的に上演されるようになりました。ハイデ時代にキリアン、ウィリアム・フォーサイスらがここで新作を振り付け、1978年にはここでノイマイヤーの「椿姫」が初演されました。また、ウヴェ・ショルツ、レナート・ツァネラなどの振付家が育って自らのカンパニーを見つけては去っていきました。1987年にはハイデは「眠れる森の美女」を振り付け、43歳になっていたリチャード・クラガンのためにカラボス役を創造しました。

クランコの作品の権利を引き継いだディーター・グラフとパートナーのリード・アンダーソンはカナダへと移り、アンダーソンはナショナル・バレエ・オブ・カナダの芸術監督に就任していましたが、90年代にシュツットガルトに戻り、ハイデの後を継いで96年に芸術監督となりました。新しいシュツットガルト・バレエを創造しようとしたアンダーソンは、ウラジーミル・マラーホフ、ロバート・テューズリーらのスターをもたらしただけでなく、マウロ・ビゴンゼッティ、ウェイン・マクレガーイツァーク・ガリリら若い振付家を招聘し、またクリスチャン・シュピックやマルコ・ゲッケらを育てました。さらに、現在プリンシパル・ダンサーでもあるダグラス・リーやブリジット・ブライナーも振付家としての名声を確立しつつあります。

ハイデの時代にシュツットガルト・バレエはオペラから完全な独立を勝ち取りました。今でも、クランコ的なダンサー~テクニックに優れているだけでなく、演技力と強い個性を併せ持ったダンサーたちを擁しています。

「シュツットガルト・バレエにはレパートリーはなく、アイデンティティがある。この劇場で初演された多くの偉大な作品、そしてクラシック・バレエの世界的な遺産がここの空気として存在している、それはクランコが作り上げたもの」とジョルジェット・ツィングリーデスは語っています。知的で好奇心にあふれオープンな観客に恵まれ、継続的に新しい空気も導入しているシュットガルト・バレエの観客動員力は非常に高いのですが、同時に、ヨーロッパで最もチケット代が高いバレエ団でもあるそうです。しかし、それは観客がバレエ団を愛している証拠のひとつでもあります。

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