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2011/01/25

1/23 ベルリン国立バレエ「チャイコフスキー」Berlin State Ballet Boris Eifman's"Tchaikovsky"

ベルリン国立バレエ「チャイコフスキー」全2幕
2011年1月23日(日)15時~ 東京文化会館

http://www.nbs.or.jp/stages/1101_berlin/tchaikovsky.html


台本・振付・演出: ボリス・エイフマン
音楽: ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
装置・衣裳: ヴァチェスラフ・オクネフ

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チャイコフスキー: ウラジーミル・マラーホフ
分身/ドロッセルマイヤー: ヴィスラウ・デュデク
フォン・メック夫人: ベアトリス・クノップ
チャイコフスキーの妻: ナディア・サイダコワ
王子(若者/ジョーカー): ディヌ・タマズラカル
少女: ヤーナ・サレンコ

ヤーナ・バローヴァ、アニッサ・ブリュレ、エロディー・エステーヴ、ヴェロニカ・フロディマ、
マリア・ジャンボナ、ステファニー・グリーンワルド、針山愛美、ヨアンナ・ヤブロンスカ、
エリナー・ヤゴドニク、菅野茉里奈、アナスタシア・クルコワ、ワレリア・マナコワ、ニコレッタ・マンニ、
サラ・メストロヴィック、ナターリア・ミュノス、クラジィーナ・パヴロワ、クリスティアーネ・ペガド、
巣山 葵、寺井七海、ヴェレーナ・サーム

マルチン・アロヨス、ゲヴォルク・アソヤン、ミハエル・ファトゥラ、アルシャク・ガルミヤン、
ドミニク・ホダル、アレクサンドル・コルン、クリスティアン・クレール、マリアン・ラザール、
アルトゥール・リル、ウラジスラフ・マリノフ、エイメリック・モッセルマンズ、アレクセイ・オルレンコ、
ハビエ・ペーニャ・バスケス、ケヴィン・プゾー、スフェン・ザイデルマン、アレクサンドル・シュパク、
デイヴィッド・シミック、フェデリコ・スパリッタ、マルチン・シィマンスキー、ウリアン・タポル、
メフメト・ユマク


指揮: ヴェロ・ペーン
演奏: 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


新国立劇場バレエ団での「アンナ・カレーニナ」もとても面白かったし、昨年マラーホフが韓国国立バレエで客演してそれを観た人の感想も聞いていて、とっても楽しみにしていたエイフマン振付の「チャイコフスキー」。先週水曜日にはゲネプロを観ることもできて、リハーサルだというのに舞台の上に走るただならぬ緊迫感と熱情、そして渦巻く情念と苦悶をフルに感じて、その日はぐったりとして誰とも話をしたくなくなるほどだった。ゲネプロでは、オーケストラとのテンポが合わなかったり、白鳥の群舞のタイミングが違っていたりなどでやり直しが多く、休憩込みで3時間という長丁場だった。

****

作曲家チャイコフスキーの生涯をテーマにしたこの作品。使用される楽曲は、第一幕では主に交響曲第5番、第二幕では弦楽セレナードから始まって、イタリア奇想曲、そして交響曲第6番「悲愴」。バレエ曲は一曲も使われていない。これらのチャイコフスキーの圧倒的な楽曲に振付がぴたりと合っているところにまずはゾクゾクさせられた。今でも、交響曲5番と6番の音楽が頭の中をエンドレスにぐるぐると流れているほど取り憑かれてしまった。

ボリス・エイフマンの振付は、エイフマン独特の部分と、他の振付家の作品に似ているところという両方の面があるところが面白い。複数のダンサーによって高々とリフトが行われたり、大きく背中を反らせながら跳躍したりといったアクロバティックで高難度のテクニックがちりばめられている。また、コール・ドの使い方がユニークで、チャイコフスキーのバレエ作品をモチーフにしながら、物語そのものを群舞に饒舌に語らせている。次々と展開される群舞はどれもドラマティックでスリリングだ。黒鳥=オディールを象徴させているらしい、長髪で胸をはだけたちょっと悪趣味な姿の男性たちの踊りはマッチョでパワフル。一方、美しい白鳥たちのクラシックなコール・ドは、その真っ白で優雅にパドブレする姿が純粋な美を象徴しながらも時には禍々しさも感じさせる。(この白鳥たちのチュチュの繊細で美しいことといったら!)さらに最終シーン「スペードの女王」をモチーフにした場面では、服を一人筒脱ぎ捨てトランプの柄に切り抜いて肌を露出させた妖しい衣装に着替えた男性たちが登場する。どのシーンもクライマックスの連続で、集中力を強いられて息苦しくなるほどだった。

一方、ここはこの振付家によるこの作品のモチーフを使っているのでは、と思うところもたくさんあった。チャイコフスキーの影、ある時にはドロッセルマイヤーやロットバルト、そしてある時にはダークサイドを象徴させる分身が登場するのは、ノイマイヤーの「幻想~白鳥の湖のように」を思わせる。逆に、エイフマンの「チャイコフスキー」の方が先に創られた作品なのだが、同じくノイマイヤーの「ニジンスキー」ではニジンスキーが踊ってきたキャラクターが彼の心象風景を表すものとして登場している。この「チャイコフスキー」で、チャイコフスキーの理想の姿そして恋愛対象として「くるみ割り人形」の王子が出てきたり、パトロンであるフォン・メック夫人が彼を脅かすカラボスや、「スペードの女王」の伯爵夫人の姿をして出てきたりするところが似ている。ローラン・プティの振付けた「スペードの女王」、そして円卓の上の踊りは一瞬ベジャールの「ボレロ」を髣髴させたりして、20世紀のバレエのさまざまなモチーフが引用されているように感じられたのが面白かった。一歩間違えればバッドテイスト寸前で、通俗性を併せ持った、ゴシックな美しさがありながらもわかりやすい芸術性が持ち味のエイフマンは、現代作品の振付家としては難解ではなく、大衆性のある作風の持ち主である。

マラーホフのチャイコフスキー役は、一世一代のパフォーマンスだったといえる。彼のバレエ人生を代表する一作と言ってもいいだろう。この役に対して並々ならぬ思い入れがあるのが感じられ、入魂の演技ではあったと思うが、過剰さやナルシズムはそこにはなかった。存在していたのは、マラーホフではなく一人のダンサー、不要なものをすべてそぎ落とした、魂を丸裸にした一人の男だった。チャイコフスキー役は、さまざまな思いに引き裂かれ、現実と折り合いがつけられずに自我が崩壊していく役で苦悩が始終彼を支配している。ともすれば一本調子になってしまうところを、エイフマンが作り上げたチャイコフスキーというキャラクターが憑依したような、自らの芸術という魔に取り憑かれたようなマラーホフの演技が、緩急をつけて表現されていて観る者の魂を揺さぶった。加えて、踊りの方も、こんなに大変な役を連日踊ってよく消耗しないものだと思うほどで、柔らかい着地、限りなく美しい軌跡を描く跳躍、綺麗に伸びた手脚、クラシックの基本を守りながらそこから時には逸脱しようかという大胆さも覗かせていた。その痛ましい思いにいつしか観客も同化し、同じように憔悴しきって魂を奪い取られてしまうほどだった。特に1幕終わりでの結婚式でのシーンの、ヴェールに縛られてまるで抜け殻のようになって視線が虚空をさまようチャイコフスキーの姿には戦慄を覚えた。白いヴェールで顔を覆った花嫁にも、勝ち誇ったように男たちにリフトされる彼女の姿も実に不吉で、心底恐怖を覚えたシーンである。最後に、傾けたテーブルの上に逆さ磔のようになって、自らの芸術に殉死したかのようなマラーホフの姿も忘れがたい。

分身(ドロッセルマイヤー、ロットバルト)を演じたヴィスラウ・デュデクは、長身で澄んだ青い瞳、ちょっと俳優のショーン・ビーンに似ている容姿の美しいダンサーだ。マラーホフという稀代のパフォーマーの分身を演じるのは本当に難しいことだと思うし、さすがに彼を圧倒するような支配力はなかったものの、チャイコフスキーの理想化された姿を体現するような輝かしさと、そしてそれとは裏腹の真っ暗な闇を抱えて苦悶する姿が実に絵になっていた。

チャイコフスキーの妻アントニーナ・ミュリコワを演じたナディア・サイダコワは大熱演。マラーホフとのアクロバティックなパ・ド・ドゥ、さらには複数の男性との戯れなども、スムーズで流れるような動きを見せてくれた。マラーホフと同じテンションの演技でバランスがよく取れていた。結婚式のシーンでのヴェールで顔を覆った姿、純白の美しい花嫁姿が美しくも恐ろしく、破滅への序曲を奏でていた。繊細で儚げだったミュリコワが欲望をむき出しにしながら壊れていき、チャイコフスキーを踏みにじり、しまいには髪も抜け落ちたぼろきれのような不気味な姿になり果ててしまう。愛されたいと思う気持ちがエスカレートし、狂気を宿した瞳で迫り来る凄惨さには慄くとともに、悪女だと思われがちな彼女もまた、芸術の犠牲者であったことが伝わってくる。チャイコフスキーが生み出した限りなく美しくドラマティックな音楽は、かくも多くの人々の屍の上に咲いた花であったのだ。複数の愛人を作り子供まで作ったというミュリコワだが、少女の面影も残したサイダコワが演じると、淫蕩さのかけらもなく、ひそやかな花がむしりとられ腐ってしまったかのような悲しさが感じられる。

一方、チャイコフスキーのパトロンであったフォン・メック夫人は、彼に金銭的な援助を行い、文通は続けるものの、一度も彼と会うことはなかったという。彼の庇護者であったにもかかわらず、冒頭では怪物的な仮面をつけて腰を曲げたカラボスの姿で登場し、2幕では紙幣をばら撒いて彼に屈辱を与える。チャイコフスキーを助けようとする彼女の思いが、逆に彼には重荷として、そして支配欲として感じられてしまい、ますます苦悩を深めてしまうということが皮肉である。同性愛者であったチャイコフスキーにとっては、女たちの赤裸々な欲望を差し向けられることは、破滅への階段を上ることに他ならなかったが、同時にその苦悶が、美しくも凄烈な音楽を生み出す原動力ともなったのだ。「スペードの女王」の伯爵夫人の姿で登場するベアトリス・クノップも、サイレント時代の女優のようなクラシックな美しさとは裏腹に、黒後家蜘蛛のように脚をカジノの台に広げ、最終的に彼を死へと導く禍の女神のような強烈な存在感を放っていた。

女たちが欲望を剥き出しにした禍々しい存在である一方で、くるみ割り人形の王子は、理想的で穢れなき美しい青年として描かれる。つま先を綺麗に伸ばして横たわって眠る王子に目覚めのくちづけをするチャイコフスキー。柔らかく空気をはらんだような動きでバーレッスンをするディヌ・タマズラカルの優雅さ。だが、ヤーナ・サレンコ演じる愛らしい少女が現れると、王子は彼女とどこかへ消えてしまう。追い求めてもするりと手をすり抜けてしまう若さと美しさ。そして、王子は後半では賭博台の上でジョーカーとして登場して、鮮やかな跳躍で再びチャイコフスキーを惑わす悪魔となる。

チャイコフスキーを苛むかくも多くの苦しみと引き裂かれた想い、内なる魔物と煩悩。それらのディーモンと戦いながら、彼は痛切なまでの美しい旋律を生み出し、そして自らの芸術に殉じた。その死は殉教者のようではあったが、身を焼けつくすような苦悶からやっと解放された彼にとっては、死は一つの救済であったのかもしれないとも感じさせた。

繊細で柔らかくしなやかでありながらも、凄惨なまでの激しさを秘め、赤裸々なまでに魂を表出させ、すべてを出し切って憔悴しきったマラーホフの姿は、芸術と美に身を捧げた(エイフマンが考えたところの)チャイコフスキーの痛ましい生き様に見事に重なった。この役が、彼のダンサーとして、表現者としての生涯の一つの到達点であることを私たちの記憶に刻み付けた。

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コメント

こんにちは

私も賛成。
昨年の「贈り物」も良かったんですが
今年の「チャイコフスキー」には
圧倒されました。

何度目かのカーテンコールで
マラーホフのみが前に出てくるのも、実は素晴らしい演出だったと思いました。

素晴らしいものを観ました。

zuikouさん、こんばんは。

今回の「チャイコフスキー」は本当にマラーホフにとってははまり役で、ものすごい気迫に圧倒されましたよね。音楽のパワーも素晴らしかったです。指揮者のヴェロ・ペーンさんって有名な方みたいですよね。いいものを見せていただきました。

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