気がつけばエトワールガラが終わって一週間。その間、夏ばてなのか体調がすぐれなくてなかなか感想も書けませんでした。
「コッペリア」第2幕より Coppélia
振付:J.ギヨーム・バール、音楽:L.ドリーブ Jean-Guillaume Bart (1997)
ドロテ・ジルベール、ジョシュア・オファルト Gilbert/Hoffalt
純白の衣装が眩しい若い二人、踊りのほうもキラキラ感いっぱいでトップバッターにふさわしい華やかさ。ジャン=ギョーム・バールが振付けた「コッペリア」の日本初演ということだけど、装飾的なパを入れたり、足を入れ替えてのフェッテなどでテクニック的に難しそうになっているくらいしか違いがわからなかった。軽やかで脚先がすっきりと美しいジョシュア。ドロテは初日ではフェッテで踵がついてしまったところがあったけどすばやく立ち直るところが、根性を感じさせて逆に好印象。
「ロミオとジュリエット」よりバルコニーのシーン Roméo et Juliette
振付:K.マクミラン、音楽:S.プロコフィエフ Kenneth MacMillan (1965)
エフゲーニヤ・オブラスツォーワ、マチュー・ガニオ Obraztsova/Ganio
甘くロミオにぴったりの容姿のマチュー、小柄で愛らしいエフゲーニャと外見的にはロミオとジュリエットそのもののふたり。二人が作り上げる恋の高揚感は客席にも伝わってきて、幸福感に包まれる。マチューはしなやかな肉体の作り上げるラインは美しいのだけど、ポーズの決めが甘く、またヴァリエーションを本来のマクミランのものより省略していたり、膝をついてのサポートが不安定になったりといった瑕疵があったけど、役を生きるという意味ではしっかりとロミオが息づいていると感じられた。
一方のエフゲーニャは、もう可愛くて可愛くて。でも女優バレリーナとしてもすでに名高い彼女らしく、ジュリエットがそこにいて、呼吸をしていて恋をしているってことが感じられた。彼女のしなやかで繊細な上半身の動きはオペラ座から参加しているダンサーとはやはり違う。1ヶ月前に4回もロイヤル・バレエでマクミラン版の「ロミオとジュリエット」を観てしまった後だと、彼女の演技はマクミラン版ではなくラヴロフスキー版の表現なんだな、とも感じられる。だけど、そんなことは、このマチュー&エフゲーニャという組み合わせでの「ロミオとジュリエット」バルコニーシーンを見られたことの幸せと比較するとどうでも良くなってしまう。マクミラン財団のしっかりとした振り付け指導をしてもらった上での、この二人の「ロミオとジュリエット」の全幕が観たいって思う。
「フラジル・ヴェッセルFragile vessels」 Fragile vessels
振付:J.ブベニチェク、音楽:S.ラフマニノフ Jiri Bubenicek (2001)
シルヴィア・アッツォーニ、イリ・ブベニチェク、アレクサンドル・リアブコ Azzoni/Riabko/Bubenicek
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番の第2楽章が流れる中、イリ・ブベニチェクとアレクサンドル・リアブコの二人に高くリフトされるシルヴィア・アッツォーニ、この三人が構造物というかまるで建築であるかのような斬新な造形として屹立している。二人に巻きつくように降りていくシルヴィア。3人によるパ・ド・トロワは「三位一体」という言葉を思わせるほど完璧なバランスが成り立っていくところもあるが、シルヴィアが地上に降りた後では2対1というアンバランスになったりするなど、題名どおり「フラジャイル(壊れやすい)」危うさも感じさせる。中でも、シルヴィアがリアブコと踊っているところに割り込んでいってシルヴィアを連れ去ってしまうイリの暴力的なまでの強引さを感じさせて衝撃的でもあった。独創性に富んでいて、アブストラクトな中にも想像力を刺激し、物語性も感じさせるこの作品、イリの振付家としての才能は本物だと思う。
「プルースト~失われた時を求めて」より囚われの女 La prisonnière (extrait de Proust ou les intermittences du coeur )
振付:R.プティ Roland Petit (1974)
音楽:C.サン=サーンス
エレオノラ・アバニャート、バンジャマン・ペッシュ Abbagnato/Pech
「プルースト」のDVDでエルヴェ・モローが踊った美しいソロが入るかな、と思ったけどそれがなかったのはちょっと残念。だが、愛する女性の夢の仲間でも支配したいというダークな感情、狂気すら感じさせる支配欲を感じさせたバンジャマンの演技は良かった。特に時折キラリと光る瞳の中に宿る暗い熱情には、ぞくりとさせられた。眠ったまま夢見心地で踊り続けるエレオノラは、ドリーミーな中にも、男の支配欲から自由になりたいという苦悩を覗かせる表現に哀しみを感じさせた。いつも思うんだけど、ラスト、横たわる女の下に薄い幕がはらりと落ちるときのドレープが絶妙で思わず息を呑んでしまう。
「ディーヴァ」 Diva
振付:C.カールソン、音楽:U.ジョルダーノ Carolyn Carlson (1998)
マリ=アニエス・ジロ Gillot
マリア・カラスの「アンドレア・シェニエ」のアリアが流れる中、帽子を目深にかぶり、黒いゆったりとしたドレスにショールをかけてポーズをした姿で現れるマリ=アニエス。手袋を脱ぎ、ショールを外すと、彼女の広い肩がむき出しになって、ここがマリ=アニエスだよな、って思う。露わになった背中の表現力、堂々とした存在感はディーヴァそのもので、粋でカッコよいけど女らしい。
「薔薇の精」 Le spectre de la rose
振付:M.フォーキン、音楽:C.M.フォン・ウェーバー Mikhail Fokine (1911)
エフゲーニヤ・オブラスツォーワ、マチアス・エイマン Obraztsova/Heymann
エフゲーニャの少女役が、これがまた反則でしょうって思うくらいフリフリの衣装が似合っていて、夢見る少女そのものの、砂糖菓子のような愛らしさ。マチアスの薔薇の精を観るのはテレビで放映されたオペラ座のバレエ・リュス・プロを入れれば3回目。前2回に比べればずっと薫り高く、しなやか。まだ健康的なところが勝っているけれども、ほのかな妖艶さも出てきた。繰り広げられる跳躍は驚くばかりに高く、翼が生えているかのよう。これでもう少し"人間じゃなくて妖精"的なところが出てきたら完璧だ。マチアスはただの凄い若手ではなくて、ひょっとしたら後世まで語り継がれるダンサーになるのかもしれないと思わせるパフォーマンスだった。
「瀕死の白鳥」(日本初演)
振付:D.ウォルシュ、音楽:C.サン=サーンス
マリ=アニエス・ジロ
ステージの上には灰皿の載った小さなテーブル。街の喧騒のようなざわめきの効果音が続き、客席にスポットライトが上がったかと思ったら、そのスポットライトにはマリ=アニエス・ジロが。切り裂いたように大きく背中が開いた白いドレスにハイヒール、盛装した姿。舞台に上がった彼女はグラスを片手に、もう片方の手には煙草。パーティの会場の中で、誰かを探しているかのようだけど、その人は見つからない。美しいけど孤独な姿。「瀕死の白鳥」のメロディが流れ始め、背中を向けた彼女は煙草とグラスをテーブルに置き、左手の動きと背中だけで死を迎えようとしている白鳥の姿を表現する。たった一つの動きだけで、それが白鳥だとわかるところが凄い。ドレスのスリットから脚を覗かせて、ほんの一瞬だけ(このときだけ白鳥の正体を現したというべきか)激しく動いたかと思うと、音楽の終わりとともに静かに会場を立ち去る。「ディーヴァ」もそうだけど、長身で凛とした美しさと堂々とした存在感を持つマリ=アニエスだからこそなしえた表現ではあるけれども、この作品の発想は面白い。「瀕死の白鳥」は数え切れないほど多くの振り付けが作られていると思うけど、この作品と似ているものはおそらくないだろう。踊りといえる部分が一瞬しかないのに、その一瞬だけですべてを語ることができる秀逸な表現だった。
「牧神の午後」よりプレリュード(世界初演) Prélude à l’après-midi d’un faune
振付:D.ボンバナ、音楽:C.ドビュッシー Davide Bombana (2010)
エレオノラ・アバニャート、バンジャマン・ペッシュ Abbagnato/Pech
金髪を一本のお下げにまとめ、迷彩柄かアニマルプリントのような柄のユニタードを着たエレオノラが牧神、シャツに短パンのバンジャマンがニンフと男女を逆転させた、ポップでアヴァンギャルドな「牧神の午後」。牝猫のようにしなやかでワイルドなエレオノラがなんともエロティックでキュート。バンジャマンとエレオノラはとても息が合っていて、動きのシンクロ具合の絶妙さと共鳴加減もエロティックだ。途中でバンジャマンがシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になり、そして去っていく。残されたシャツをエレオノラが頭にかぶり、果てる。この表現はごく抑制されたものであっただけに、かえってセクシーな感じが高まっていて良かった。
「幻想~“白鳥の湖”のように」第1幕より "Illusions – like 'Swan Lake'"
振付:J.ノイマイヤー John Neumeier (1976)
音楽:P.I.チャイコフスキー
シルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアブコ Azzoni/Riabko
プログラムには、このパ・ド・ドゥは王の親友アレクサンドルとその恋人クレア姫とのパ・ド・ドゥとあるけれども、これは間違い。(この作品のDVDでは、確かにシルヴィアとサーシャはその役を演じていて、そのPDDを観ることができる) ルートヴィヒ2世そっくりに髪型を整えて口ひげを蓄えたサーシャには、すっかりあの狂王が憑依してしまって、痛々しいほどである。彼は確か、「幻想~“白鳥の湖”のように」の王役はまだ踊ったことがないはずだというのに。
そしてシルヴィアが演じるのは、彼の婚約者であるナタリア姫。王に自分を受け入れてほしいと懇願しているのに、白鳥に魅入られ自分を見失っている王は、ついには彼女の思いを受け入れることはなかった。狂気へと落ちていく王と、彼になんとか振り向いてもらいたいと願って彼の手にそっと自分の額を重ねる健気なナタリアのすれ違いの悲しみが胸に痛く、去っていくシルヴィアの姿に思わず落涙。物語バレエの一シーンを切り取っただけだというのに、すっかりこの二人の作り上げる濃密な世界へと連れて行かれてしまった。そして、「幻想~"白鳥の湖"のように」のDVDをまた観たくなった。もちろん、いつかこの作品をハンブルク・バレエの舞台で観るのが私の夢なのだけど。
「プルースト~失われた時を求めて」よりMorel et St Loup (extrait de Proust ou les intermittences du coeur )
モレルとサンルー
振付:R.プティ Roland Petit (1974)
音楽:G.フォーレ
マチュー・ガニオ、ジョシュア・オファルト Ganio/Hoffalt
白天使サン=ルーの役を「プルースト」のDVDでも演じていたマチューと、彼と同い年のジョシュアが演じる黒天使モレル。冒頭のマチューのソロは痛切で美しい。特に軸足をルルヴェにしたアラベスクには息を呑んでしまうほど。マチューとほぼ同じ体格ながら、少しだけ背が高くて、プロポーション的にはさらに恵まれているジョシュアの踊りも美しい。合わせ鏡のように対をなすようにアラベスクする二人の脚のラインは本当にうるわしい。
ビジュアル的にも完璧な二人なのだけど、ちょっと物足りないと感じたのは、ジョシュアに悪の香りがあまりしないからだ。今までこのパ・ド・ドゥで観た組み合わせ-DVDのマチューとステファン・ビュヨン、マッシモ・ムッルとイーゴリ・コールプ、ギョーム・コテとデヴィッド・ホールバーグ・・・みなモレル役のダンサーは白天使を背徳の道へと引きずり込む悪魔だったのだ。善と悪の微妙なバランスが生み出す危うさをもっと観たい。マチューのほうの切迫感も、DVDのときのほうがあったように思えた。とはいいつつ、やはり美しい肢体を持つ二人の才能あふれるダンサーががっぷり四つに組んで火花を散らす様子には興奮させられたのは事実。
「アパルトマン」よりグラン・パ・ド・ドゥ Appartement
振付:M.エック、音楽:フレッシュ・カルテット Mats Ek (2000)
マリ=アニエス・ジロ、イリ・ブベニチェク Gillot/Bubenicek
奇妙で、ちょっと笑えて、少し物悲しい「アパルトマン」のパ・ド・ドゥ、実は結構好きだったりする。去年の世界バレエフェスティバルでは、ニコラ・ル=リッシュとシルヴィ・ギエムが踊っていたけど、踊る人によって全然違った肌触りの作品となるのが面白い。今回のマリ=アニエスとイリは、骨太で、よりユーモラスでパワフルな表現になっていた。それにしても、手がニョキっと出てきたりするあの不思議な扉は魅力的だ。最後には脚が出てきて、マリ=アニエスがその脚に連れて行かれたかと思ったら、目の錯覚なのかもしれないけどイリの方がマリ=アニエスに乗っかっておんぶされて、バタバタと走り去ったような気がした。この二人のコンビってすごく大人っぽくて、センスがあって素敵だなって思う。
「スターズ アンド ストライプス」 Stars and Stripes
振付:J.バランシン、音楽:J.P.スーザ George Balanchine (1958)
ドロテ・ジルベール、マチアス・エイマン Gilbert/Heymann
パリ・オペラ座のダンサーが中心となったエトワール・ガラの最後の演目が、星条旗を背景にしたバランシンの「スターズ・アンド・ストライプス」でいいのか、って気はする。男性ダンサーがブーツの踵をバチバチって鳴らす振付が可愛くて好きなので、それがなかったのは残念。だがマチアスとドロテのパフォーマンスを見ると、そんなことはどうでもよく思えてきた。おもちゃの兵隊姿が本当に良く似合うマチアス、もう凄いことになっていた!足先をフレックスにしたままでの連続アントルシャの高さと滞空時間といったら、もう口がぽかんと開いてしまうくらいの驚異的なもの。あんなに高く跳べたら本当に楽しいだろうな。彼の良い点は、超絶技巧も決して技を競っているって感じにはなっていなくて、クラシックとしての美しさが保たれた上で、余裕のある遊び心が加えられていることなのだと思う。観ている間は圧倒的な幸福感に包まれた。マチアスののびのびと楽しいパフォーマンスに引っ張られるような感じで、ドロテも複雑なテクニックを楽々と繰り広げていってさらに幸せを増幅させてくれた。これが正しいバランシンなのかどうかはわからない。でも観る人誰もが「楽しかった!」とニコニコ顔で会場を後にできる二人のパワーとエンターテイナーぶりは素晴らしい。マチアスとドロテがこれからのパリ・オペラ座の新しい伝説を築いていてくれるのだろうと、彼らの輝かしい未来への期待感で胸がいっぱいになった。
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古典は「コッペリア」だけで、バランシンのネオクラシック、プティやマクミランの"現代の古典"的な作品、そしてノイマイヤーやエックの現在形から、ボンバナやウォルシュ、ブベニチェクといった新進気鋭の振付家まで、現代のバレエ界のエッセンスを上手く具体化したプログラミングが見事だった。中でも「バレエ・リュスへのオマージュ」と題しながらも実際のバレエ・リュスの作品はフォーキンの「薔薇の精」だけで、ほかの2作品は日本初演と世界初演という新しく大胆な作品を持ってきてくれたのがうれしいところ。これだけのダンサーと作品を集められたバンジャマン・ペッシュのプロデュースの才能は見事としか言いようがない。
苦言をあえて言うとしたら、ひとつはやはりオーチャードホールは見づらい会場であるということ。Bunkamuraが主催者に入っており、チケットの値段も抑え目になっているのでえ致し方ないことではある。が、この会場で見やすい席を見つけるのは本当に至難の業であり、見やすい席でないとせっかくの作品を100%楽しめないということも事実である。Bunkamuraあってこその企画ではあるので、実現の可能性の高い次回のエトワールガラは、オーチャードホールの改装も終わっていて観やすい会場での開催になっていることを祈りたい。
土日の公演の終演後に、写真集購入者にサイン会のサービスを行うのは、ファンにとってはありがたいことではある(たとえ500円増しであろうとも)。しかし、土曜日になっての開催告知で、初日に写真集を買ったリピーターにはサイン会に参加する資格がなかったり、ダンサーを二手に分けて全員分のサインが欲しければ2冊(=4000円)買わなければならないと仕向けるのはちょっと商売っ気ありすぎなのではないかと思った。たとえば写真集を買った人も500円足せばサイン会に参加できるとかすればいいのに、なんてちょっと思ったりして。サイン会に並ぶ長蛇の列を見て、公演後にこれだけの人数にサインするダンサーも大変だなあ、とも思ったり。
いずれにしても、エトワール・ガラは本当に素晴らしい企画であり、日本のバレエファンだけがこれを楽しめるとはなんて幸せなことだろうってしみじみ感じたのであった。次の開催の実現を心から楽しみにしている。
リハーサルや舞台裏の写真が満載の、フランス版オフィシャルサイト
http://web.me.com/icavalcanti/Etoiles_Gala/Etoiles_Gala_2010.html
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