Diaghilev: A Life (セルゲイ・ディアギレフの伝記)
20世紀初頭にバレエ・リュスを率いて、バレエのみならず芸術の世界に一大革命をもたらしたセルゲイ・ディアギレフ。彼の伝記はすでに何冊か出ているのだけど、昨年10月に英国で発売されたSjeng Scheijen作のものを読んだ。Sjeng Scheijenはオランダ人で、この著作もオランダ語から英訳されたもの。したがって英文は比較的読みやすいものに仕上がっている。ただし、本文444ページ、注釈まで入れると552ページという長編であるため、結局読了するのに1ヵ月半かかってしまった。
ディアギレフの生涯やバレエ・リュスの作品については多くの書物ですでに広く知られているので、ここで改めて紹介するまでもない。そもそもこの本は、バレエ・リュスのバレエ作品そのものについてはさほど詳しく書いているわけではない。筆者は膨大な史料を読破して、主にセルゲイ・ディアギレフの人間関係にスポットライトを当てている。中でも、彼が友人や家族、そしてコラボレーターたちと交わした書簡の数々が紹介されていて、彼の人柄が仔細に伝わってくる。よくもここまで多くの書簡が100年経過した後も残っていたものだと思う。(電子メールの時代の今、こういうやり取りの記録が後世に残るものなのかどうか、ちょっと考えてしまった)
ディアギレフが、美術家バクスト、ブノワ、ピカソ、コクトー、作曲家ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、サティ、そしてシャネル・・・超一流の芸術家たち、そしてもちろんニジンスキー、フォーキン、マシーン、バランシンらダンサーや振付家たちとのクリエーションを通して、バレエが単なるダンスではなく、総合芸術であるという事実を確立させたことは知られている。この本を読むことによって、どういった経緯を経て彼がこれらのアーティストを発掘したり、出会ったりしたのかがよくわかる。その一連の流れを通して、アートの歴史の中でバレエ・リュスとそのアーティストたちがどのような位置づけや結びつきだったのか、クリエイションの瞬間が立体的に見えてくることにわくわくした。
敬愛するチャイコフスキーの葬儀に出席したことから、トルストイとの邂逅、作曲家を志してリムスキー・コルサコフに作品を見せたものの才能がないと言われたこと、そしてニジンスキーの彫刻を作ろうとしたロダンや、オスカー・ワイルドなど、綺羅星のごとくさまざまな芸術家たちが彼の人生の中には登場する。
ディアギレフが稀代のインプレサリオとして、舞台芸術の新たな地平を築くことができたのは、芸術に対して貪欲な姿勢と徹底的なこだわり、人と人とを結びつける抜群の才能そして人間的な魅力があったことにほかならない。まずは作曲家を志し、次に”新しい芸術”誌を発行し、パリでのロシア美術展を成功させ、それからオペラの興行、バレエ興行へと発展させていったディアギレフは芸術全般への造詣が非常に深く、先進性があった。それが吉と出ることもあれば凶となることもあった。
彼は抜群の嗅覚を発揮して、多くのアーティストを発掘できたのだが、舞台を作り上げる上でも常に過酷なまでに完璧を期し、そのために多くのアーティストと対立した。初期の成功を支えた振付家のフォーキンや、長年の友ブノワをはじめ、裏切られたと感じて彼の元を離れていった者は大勢いた。
さらに、常に彼に付きまとった財政上の問題があった。ウォッカ事業で成功して裕福なはずだった彼の父が破産して、ペルミに引越ししなければならなくなったことから始まり、ディアギレフの生涯は金銭的な困難に終始見舞われていた。ニジンスキーは、ギャラすら支払ってもらったことがなかったほどで、劇場やアーティストへの支払いに滞ったこともしょっちゅうであった。芸術に向ける情熱と完ぺき主義ゆえ、舞台の完成度のためには費用を惜しまなかったことが財政困難に拍車をかけた。
それでもなお、彼の周囲には才能溢れるアーティストたち、そしてパトロンたちがいた。彼らとともに革新的な芸術を生み出すことにできたのは、独特の人間的な魅力があったからだろう。彼を実の子供たち以上に愛情たっぷりに育ててくれた継母のエレーナ。それを望みながらもロシアに二度と帰ることのなかったセルゲイだったが、彼女のことを常に思い続けた。そしてロシア革命で捕らえられた義理の弟をなんとか助けようと奔走し、また子供が病気になった団員のためにカンパニーの最後に残されたわずかな資金を渡したりしたのだ。
また、ディアギレフを語る上で欠かせない話といえば、ホモセクシャリティのこと。同性愛者たちのコネクションによって人脈をロシアからパリへと拡大していき、インプレサリオとしての成功をつかんだともいえる。パリでの有名な遊び人同性愛者貴族ロベルト・ド・モンテスキューを通じて、彼は多くのスポンサーと知り合い、またチャンスをつかんでいった。そして若き日の恋人であったいとこのジーマから、ニジンスキー、マシーン、リファール、アントン・ドーリンなどの恋愛関係についても、事細かにエピソードが残されている。
ディアギレフにとって最高の女性は継母のエレーナであり、ミシア・セール、ココ・シャネルなど彼の人生に登場する女性の友人は、後援者でもあった。それ以外の女性は、ニジンスキーと結婚したロモラなど邪魔者に過ぎなかったというのは面白い。彼が見出して知識を授け、ダンサーとしてそして振付家として育てあげたマシーンも、バレエ・リュスの女性団員と恋愛関係に陥ったことから追放されてしまった。
ディアギレフと女性との、笑えてちょっとお気に入りのエピソードがある。「シェヘラザード」のゾベイダ役で名を上げ、初期のバレエ・リュスの成功に手を貸したイダ・ルビンシュタインは、バレリーナとしての正式な訓練を受けていなかったものの、演技力があった。彼女は莫大な資産を持っており、パリのアパートメントに虎やパンサーをはじめ多くの動物を飼っていて、全裸でこれらの動物たちと戯れていたという。ある日ディアギレフが彼女との新しい契約を話し合うために、彼女のアパートメントをたずねたとこれ、パンサーが彼に襲い掛かったためにディアギレフは恐怖の悲鳴を上げたという。イダは震え上がっている彼の姿に大爆笑して、パンサーの首根っこをつかんで他の部屋へと放り投げた。この一件で、ディアギレフは彼女と決別したという。
(ジョルジュ・バルビエが描いた、「シェヘラザード」でのニジンスキーとイダ・ルビンシュタイン)
ディアギレフの晩年にイダは自分のカンパニーを立ち上げ、自分のためにラヴェルに「ボレロ」を作曲させてニジンスカに振付を依頼した。また、ストラヴィンスキーに「妖精のくちづけ」を書かせてバレエとして上演したが、ニジンスカ、ストラヴィンスキーというかつての同志を使ってバレエ・リュスに対抗したカンパニーを立ち上げたことに、ディアギレフは激怒したのだった。金銭的に困窮していたディアギレフは、もはやストラヴィンスキーという大物の作曲家に作品を依頼できなくなっていた。
水の上で死ぬと予言されていたために船旅を避けていたディアギレフが亡くなったのは、皮肉にも水の都ヴェニスであった。彼の死に哀悼の意を表し、彼への思いを綴ったブノワ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフの手紙、そして長年の友人で秘書としての役割を果たしていたワルター・ヌーヴェルからストラヴィンスキーへの美しく感動的な手紙でこの本は結ばれている。金銭的な問題で何度も辛酸をなめながらも、彼らがディアギレフを心から敬愛していたことがわかって胸が熱くなった。
大長編ではあるけれども、ディアギレフの人となり、そして彼を取り巻く人間模様が生き生きと伝わってきた本だ。邦訳を期待したい一冊である。図版も豊富で、ピカソが描いたマシーン、バクストやディアギレフ、コクトーやマティスが描いたマシーン、そしてコクトーが描いたニジンスキーなど著名画家が描いた振付家やダンサーの肖像がたくさんある。「アルミードの館」のニジンスキーとパブロワのポスターなど、美しいカラーの図版も8ページにわたって掲載されている。
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