Different Drummer The Life of Kenneth MacMillan その1
昨年秋に出版された、ケネス・マクミランの伝記「Different Drummer The Life of Kenneth MacMillan」をようやく読み終えた。まだ邦訳が出ていないのだけど、700ページ以上の大作ではあるものの、とても面白い内容だった。何回かに分けて、ここでざっとした内容を紹介していきたい。なお、本国イギリスでのこの本の売れ行きが良いため、ペーパーバック化が予定されているとのこと。
この伝記を著したジャン・パリーはObserver紙の舞踊批評家であり、またBBCのプロデューサーでもあった。ケネスの最後の作品「ジューダス・ツリー」に好意的な評を書いたことで彼に認知される。ケネスの未亡人であるデボラ・マクミランに彼女は資料を提供され、協力を得ている。またリン・シーモア、ジョージナ・パーキンソンらダンサー、ケネスの娘シャーロットに取材した。そしてケネスと親交のあったファイナンシャル・タイムズのダンス批評家クレメント・クリスプらがこの本のドラフトに目を通し、当時の批評を引用することに同意している。「Differenet Drummer」は、彼の振付作品のタイトルでもあるが、集団に溶け込もうとしても拒絶され、疎外感を味わっていた彼の人生を表現する言葉でもある。
この本のごく一部が、ケネス・マクミラン財団のサイトで読める。また、このサイトでは、彼の全作品の紹介、貴重なリハーサル映像などたくさんの資料を見たり読んだりすることができる。
http://www.kennethmacmillan.com/
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1992年10月29日、ロイヤル・オペラハウスで「マイヤリング(うたかたの恋)」の6年ぶりの再演が行なわれた初日、イレク・ムハメドフがルドルフ皇太子、ヴィヴィアナ・デュランテがマリー・ヴェツェラを初めて舞台で演じていている最中のこと。気分が悪いと言って客席から立ち去っていたケネス・マクミランの姿が見つからなくなっていて、芸術監督のアンソニー・ダウエルはじめスタッフが捜索を始めた。やがて舞台裏の暗い廊下で倒れ冷たくなっているマクミランが警備員に発見され、駆けつけた救急隊により死亡が確認されたのだった。カーテンコールにおいて彼の死はロイヤル・オペラハウスの観客に伝えられ、満場の観客が突然の彼の死を悼んだのだった。
マクミランの人生は、苦悩に満ちたものだった。それは、彼が幼い時から少年時代に負った心の傷によりもたらされたものだった。大恐慌の1929年にスコットランドの貧しい家に生まれたケネス。彼の父は第一次世界大戦に従軍し、ドイツ軍の毒ガス攻撃により肺を病み火傷を負うなど、大きな傷を負った。上の姉は出生時の医療ミスにより耳が不自由だった。母の深い愛情を受けて育った4人兄弟の末っ子のケネスは、ダンスの才能を認められ家を離れてバレエ学校に通っていた12歳の時に、心臓発作で母が亡くなったとの知らせを受ける。母の死に目に会えなかったことを悔やんでいた彼に、父親は冷たくなっている母にキスをすることを強いて、泣いてはいけないと厳しく伝えた。踊るのは男らしくないと息子がダンスを学ぶことに反対していた父は、姉たちにも厳しく当たり、ケネスと仲良しの上の姉は兵士たちとダンスホールで遊んでいたことで家から追放された。少年時代にケネスが受けた性的な抑圧と母親の急死のトラウマは、彼の作品に色濃く反映されている。
ケネスの作品の中には、これらのトラウマに基づいた暗い情念、裏切り、抑圧、愛と死、疎外感、そして妄執が満ちている。また、父の戦争に由来した苦しみは、ナチスから隠れるユダヤ人家族をモチーフにした「隠れ家The Burrough」や、「グロリア」など後年の作品に表れている。また、「ロミオとジュリエット」の仮死状態のジュリエットとロミオが踊るパ・ド・ドゥには、母の遺体にキスを強いられた経験が色濃く反映されている。
ニネット・ド・ヴァロワに才能を認められ、1945年にサドラーズ・ウェルズ・バレエスクールに入学したケネスは卒業後サドラーズ・ウェルズ・バレエ(現ロイヤル・バレエ)に入団。長身でエレガントな彼は、将来のスターと期待される。だが、キャリアの初期から絶えず不安に苛まれていたケネスは、主役級の役にも抜擢されながらも、舞台恐怖症から舞台上で踊ることができなくなり、その一方で振付家としての頭角を現す。当時サドラーズ・ウェルズに在籍していたジョン・クランコと親しくなったことや、舞台恐怖症の恐怖から逃れるために映画館に通って多くの映画を観たことが、彼に大きな影響を与えた。また、当時からのの盟友としてはピーター・ライトの名前も挙げられる。1952年に初めての作品を振付けてから、彼の振付家としての才能は傑出していた。55年に振付家に完全に転向した彼のダンサーとしての映像は、フレデリック・アシュトンと共にアグリー・シスターズを演じた「シンデレラ」のDVDで観ることができるが、アシュトンは常にマクミランをライバル視していた。1965年の「ロミオとジュリエット」が大成功を収めてまもなくのこと。アシュトンは、ロイヤル・バレエの芸術監督を退任する際には、次期芸術監督にマクミランを推す声が強かったにもかかわらずそれを却下して彼をカンパニーから追い出す。「ロミオとジュリエット」を振り付けようとしたもののうまくいかなかったアシュトンの嫉妬が根底になったと思われている。
ボリショイ・バレエがガリーナ・ウラノワ主演でロンドン公演にてラヴロフスキー版「ロミオとジュリエット」を上演して、熱狂的な反応を引き起こした。当初ロイヤル・バレエはこのラヴロフスキー版を上演したいと思ったものの、権利を獲得することができずに、マクミランが振付を行なうことになる。1960年の衝撃的な作品「Invitation」で主役の少女に抜擢されたリン・シーモアがジュリエット役として初演するはずであったが、ロイヤル・バレエは、注目される新作の初日にはスターの力が不可欠だったとして、土壇場でマーゴ・フォンテーンとルドルフ・ヌレエフの主演へと変えてしまった。子供をあきらめてまでジュリエット役に取り組んでいた、当時新婚だったシーモアの結婚生活はこのことがきっかけでやがて破綻。ケネスのミューズであったシーモアとの関係には大きな影が落ち、二人の愛憎を思わせる関係が悪化する。また、ケネスを育て上げたニネット・ド・ヴァロワにも後年「眠れる森の美女」上演をめぐって裏切られるという出来事もあり、彼の人生は裏切りに満ちたものでもあった。
1964年にケネスは「大地の歌」をロイヤル・バレエに振り付けようとするものの、マーラーの宗教音楽はバレエにするには相応しくないというカンパニーの上層部により計画は却下される。同じ頃、クランコがフォンテーンとヌレエフのために「オネーギン」を振付けるという申し出も却下された。「大地の歌」も「オネーギン」も、シュツットガルト・バレエでマリシア・ハイデ主演で初演され、マクミランとクランコの傑作は後にロイヤル・バレエのレパートリー入りするのであった。
アシュトンにより実質的にロイヤルを追い出されたケネスは、1967年から70年まで、ベルリン・ドイツオペラの芸術監督に就任する。が、ここでも彼はさらに苦悩を深め、アルコール中毒になり心臓発作を起こす。ドイツ語を話せない彼は、ドイツ人のスタッフやダンサーたちとうまくコミュニケーションが取れずに孤独に苛まれる。さらに、シュツットガルト・バレエの芸術監督となって成功を収めた盟友ジョン・クランコを訪ねようとする際に、東ドイツを通過するためのビサを持っていなかったために銃を持った兵士に取り囲まれ死の恐怖を味わうという経験もする。また、若く美しい金髪の男性ダンサー、フランク・フレイの魅力に取り付かれ、彼を重用したことで、カンパニーの反発を買い、一方で同バレエ団に招いたリン・シーモアに対して、ケネス自身の抑圧的な父親と同じような束縛的な態度を取ってしまう。内外3年間の辛いベルリンでの生活を終え、1970年にケネス・マクミランはロイヤル・バレエの芸術監督に就任する。
(続く)
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コメント
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Naomiさま
こんにちは!興味深いお話・・・続きを楽しみにしています。
6月のロイヤルはマクミランが2演目、アシュトン1演目とロイヤルバレエならではの演目ですが、益々楽しみになりました。
マイヤリングの初演の日に舞台裏で亡くなられたなんて・・・マクミランの魂が乗り移ったような演目なのですね。
投稿: エミリー | 2010/02/21 11:34
エミリーさん、こんにちは。
なかなか本のエッセンスを取り出すのは難しいんですが、本当に波乱万丈の人生だったんですよね・・胸が痛いです。
6月のロイヤル、チケット代の請求が今からとても怖いわけですが、おっしゃる通りロイヤルらしい演目なので本当に楽しみですね~。マクミランは再演の初日に向けて非常にナーバスになっており、また当初予定されていたダーシーからヴィヴィアナにイレクのパートナーが替わったことで色々と憶測を呼び、と様々なストレスが心臓に負担をかけたようなのですよね。マイヤリングも全キャスト観たくなっているほど楽しみです!
投稿: naomi | 2010/02/21 20:53