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2010/02/24

Different Drummer The Life of Kenneth MacMillan その2

さて、この本を読んだ後、以前シアターテレビジョンで放映されたマクミランのドキュメンタリー「Out of Line」を見た。これは、「パゴダの王子」のDVDの映像特典につけられたもので、もともとはテレビ放映用に作られたようだ。(「三人姉妹」の海外盤にも、映像特典としてついている)。

晩年のマクミランおよび妻デボラへのインタビューをはじめ、ニネット・ド・ヴァロワ、リン・シーモア、アレッサンドラ・フェリ、さらにはファイナンシャルタイムズの評論家で彼の友人でもあったクレメント・クリスプ、そして彼の最大の敵の一人でもあったNew York Times、のちにNew York Postの評論家クライブ・バーンズのインタビューがある。

また、「パゴダの王子」の振り付け指導に臨む若き日の熊川哲也(道化役を踊る予定が、実際には怪我のために出演できず)、ダーシー・バッセルらの姿を見ることができるし、「隠れ家」(アレッサンドラ・フェリ出演)、「ロミオとジュリエット」(フェリ、ウェイン・イーグリング)、「マノン」(ジェニファー・ペニー、アンソニー・ダウエル)、「マイヤリング」(リン・シーモア)、「Invitation」(リン・シーモア)、「パゴダの王子」(ダーシー・バッセル)「グロリア」「イザドラ」などの映像を見ることができる。中でも、「Invitation」や「隠れ家」「イザドラ」の映像は多分ほかでは見られなくて貴重なものだと思う。

この映像は1時間以上もあるもので、マクミランの足跡をわかりやすく伝えている。評論家たちとの間の問題、ロイヤル・バレエの理事会との衝突などについてもマクミラン自身が語っているし、ダンスを習っているときに学校で感じた疎外感、極貧の少年時代、ベルリン時代の疎外感からアルコール中毒になったこと、フレデリック・アシュトンとの確執などについても彼は話している。彼自身の体験が作品の中に現れているのではないか、という質問を今まで彼は散々されてきていて、そのことについては相当うんざりしていたと、この映像の中で彼は語っている。もちろん自身の経験が作品に影響を与えているものではあるけれど、それだけではないと。といいつつ、どれだけ自分が今までイギリスの階級社会の中で疎外感を感じてきたかという話を彼自身も強調しているわけであるが。

伝記本を読んだ上でこの映像を見ると(順番は逆のほうがわかりやすいかもしれない)、よりマクミランの人となりや彼の作品について理解できると思う。

<隠された少年時代>

この伝記の特徴についていうと、マクミランが亡くなってから取材が行われたものであるため、彼自身の言葉というか考えについては、当時のインタビュー記事や、彼の周囲の人々の証言、そして彼の書き残した日記がベースになっていることである。ところが、彼の日記というのは、それほど詳細なものではなく、淡々と事実を書き綴っていたもののようで、すべての真実を明らかにしたものではないようだし、当時彼が感じていたこともそれほど細かくは書かれていないに思われる。そういった制約の中で、筆者はよくこれだけの大長編を書き上げることができたものだと思う。もちろん、かなり長い時間をかけて取材し、書き進めたようであるが。

ドキュメンタリーの中であまり触れられていなくて、本で詳細に書かれているのは、彼の家族のこと、特に少年時代、極貧の中で4人のきょうだいの中でどのように育ち、父からどのように抑圧を受けてきたかという話である。

映像の中で、マクミランは、両親は自分が小さいころに亡くなったと語っているが、それは嘘である。母は確かに彼が12歳のときに亡くなったが、父親は彼が振付家として名を上げてから亡くなっている。彼は、過去に書いた自伝の中でも、少年時代の家族の記憶について、事実と異なることを書いており、極力、その時代については思い出したくないようであった。比較的親しかった二人の姉たちは彼が振り付けを行った舞台に招かれているが、父および兄はまったく招待を受けたことがなく、彼の舞台を一度も観ないで亡くなっている。それだけ、子供のころの家族との経験は彼に大きな傷を残したということだろう。

また、住んでいた海辺の小さな町がドイツ軍の爆撃を受け、命がけで逃げ回る羽目になり多くの死体を見るなどの戦争体験も、彼には大きな影を落とした。本では、かなり生々しくその辺りのことが書いてある

<マクミランとミューズたち>

また、もうひとつドキュメンタリーの中で抜けているのは、若いころに彼に芸術上の霊感を与えた女性たちの話である。マクミランを語る上で欠かせない話といえば、ミューズたちのことである。長年にわたって彼のミューズであったリン・シーモア、そしてアレッサンドラ・フェリ、ダーシー・バッセル。彼女たちは、若いころ、無名時代にコール・ドやバレエ学校に在籍していたときにマクミランに見出され、スターへと育った。この伝記で興味深いのは、そのようにバレリーナの才能を見抜く力を、彼がどこから得たのかという一連のエピソードだ。

ケネス・マクミランは、少年時代から、彼の才能を見抜いた女性たちによって育てられてきたといっても過言ではない。彼の兄や姉たちまでもが生活のために働かななくてはならなかったという貧しさの中で、母親は彼のダンスの才能を伸ばそうとした。バレエ学校の女性教師は彼の才能を発見して、無料でレッスンをして育てた。ニネット・ド・ヴァロワは、彼をサドラーズ・ウェルズ・バレエ学校に入学させてスカラシップを与え、カンパニーに採用した。そして23歳の時に交際した同僚バレリーナのマーガレット・ヒル、彼よりも早くからランベール・バレエでプロとして踊ってきた彼女が最初のミューズである。振付家として活動するようになり、ABTへも振付のために訪れた1957年には、かの女優バレリーナで、振付家アンソニー・チューダーのミューズだった10歳近く年上のノラ・ケイと同棲する。二人が別れた後も彼女が死ぬまで友情は続き、彼女が結婚した映画監督ハーバート・ロス(「愛と喝采の日々」「ダンサー」)の監督作「ニジンスキー」で、マクミランは「春の祭典」を振付け、(現ロイヤル・バレエ芸術監督の)モニカ・メイソンが選ばれし乙女の役を踊っている。彼女たちと関係することによって、マクミランは多くの霊感を与えられたのであった。

ところが、ノラ・ケイとの関係以降、40歳を過ぎてデボラと結婚するまで、マクミランが誰と交際していたのかということについての記述がまったくない。もちろん、ロイヤルからベルリンにまで連れて行ったリン・シーモアをはじめ、彼が見出して育てたバレリーナたちとの関係は噂されていた。が、リン・シーモアはきっぱりと「アウト・オブ・ライン」の中で一笑に付している。彼自身、日記にそういったことについて一切書き残していない。

ダンサー時代のマクミランは、サドラーズ・ウェルズ・バレエ時代の同僚たち、その大部分はジョン・クランコをはじめ同性愛者であったが、親しく交流して芸術家として触発しあった。そのころ、周囲からは彼の恋人だと思われていた若いバレリーナがいたが、結局何もないまま終わったようである。子供のころ、父親にダンスを習うのは男らしくないと言われ、反対され続けてきたという抑圧。それが、彼が同性愛に結びつくようなモチーフを注意深く避けてきつつも、時にはそれが透けて見えてきてしまうという作品性に反映されているのではないか、と感じられる。ベルリン時代に若く美しい男性ダンサーに憑りつかれてストーカーに近い行為をしたということもあった。

一方で、思春期となった彼の娘シャーロットが、彼が「パゴダの王子」で抜擢した若きバレリーナのダーシー・バッセルに嫉妬して反抗期に突入するというエピソードもあるのが興味深い。

(つづく)

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