「毛沢東のバレエダンサー」Mao's Last Dancer リー・ツンシン
中国から米国へ亡命を果たした実在のバレエダンサー、リー・ツンシンのベストセラーとなった自伝「Mao's Last Dancer」。邦訳「毛沢東のバレエダンサー」が出たというので早速入手して読んでみた。バーミンガム・ロイヤル・バレエのプリンシパル、ツィ・ツァオ(ツァオ・チー)が主演して映画化されたという例の作品だ。
非常に読みやすい文体で、内容も面白いのであっというまに読み終えてしまった。ただし、原書と邦訳の両方を読んだ方の話によると、省略されてしまっているところもあるとのことで、後で原書も読んでみようと思う。
1961年に中国・山東省の貧しい村で、男ばかり7人兄弟の6番目として生まれたツンシン。毎日の食べ物にも困り、干した芋しか食べるものがなかったほど貧しい中にあっても、両親や兄弟の愛情に恵まれ、ツンシンは腕白な子供に育つ。働きづめだった両親は文字も読めなかったが、さまざまな物語を語って聞かせてくれて、それが豊かな心をはぐくんだ。わずかな食べ物を分け合ったり譲り合ったり、貧しくても誇りだけは持つようにと子供たちは育てられた。文化大革命で村長だった人が処刑されるところまで見てしまうという時代、毛沢東を尊敬するようにと学校では教えられる。
11歳の時、学校に北京のバレエ学校から先生がやってきた。何回ものテストを経て、ツンシンは毛沢東夫人の江青が校長を務める北京舞踊学院へ入学することになる。バレエとは何かも知らなかった農家の少年が、500万人に一人という難関を突破した。彼は家族の元を離れ、毎朝5時半に起き、ホームシックに耐えて厳しい訓練を受けることになる。最初のうちは劣等生だったツンシンだが、優れた教師との出会いにより、ぐんぐん才能を伸ばしていく。そして、卒業を目前に控えた時、彼はアメリカへの初めての研修生のひとりとして選ばれ、ヒューストン・バレエのサマースクールに参加することになる。敵として教えられてきたアメリカで自由の素晴らしさに触れた彼は・・・。
***
この本が何よりも人の心を打つのは、飢え死にする人が出るほどの貧しい生活の中にあっても、両親の限りない愛情に包まれて育っていった少年の日々が生き生きと描かれているから。両親や周囲の年長者が彼に伝えていく教訓話の数々も、ユーモアがあってとても面白い。何百万人のうちの一人に選ばれ、貧しい暮らしから脱出するという幸運に恵まれたツンシン少年が、両親や兄弟、教師らの愛情への感謝をずっと忘れることなく、彼らのためにも頑張ろうという気持ちでバレエに打ち込んでいく。打ち込むうちに、バレエそのものの魅力の虜になっていくというところがいい。アメリカで自由な生活に触れ、今まで信じ込まされていた共産主義体制の嘘に気がついた彼は、自由にバレエを踊るために亡命を決意する。彼は、亡命することで家族や教師が迫害されるのではないかと悩み、もう二度と彼らと会えなくなってしまうのではないかと恐れる。だがバレエダンサーとして自由に羽ばたくことが家族への恩返しになることだと思って、彼はつらい決断をする。亡命をしたツンシンは、ヒューストン・バレエのプリンシパルとなり、世界的なスターダンサーとなった。
そう、この本はいわば中国版の「リトル・ダンサー」なんだな、って思った。ビリー・エリオット少年は彼自身がバレエを選んだけど、ツンシン少年はバレエに選ばれた存在だった。でも、貧しい家庭に育ちながらも、家族に支えられ、その家族から旅立っていってダンサーという夢を実現するということでは、共通したものがある。映画ではどのように描かれているのか、まだ観ていないのでわからない。だけど、この本では少年時代の話が4分の3を占めていて、家族やバレエ学校での日々があったからこそ、彼の成功があったのだということが実感できる。
実話に基づく話なので、当時ヒューストン・バレエの芸術監督であったベン・スティーヴンソン(「エスメラルダ」などの振付で有名)が重要な役割をもって登場する。また当時副大統領だったジョージ・ブッシュ(父)の妻バーバラ・ブッシュがヒューストン・バレエの理事を務めていて彼の亡命に一役買ったりなど、意外なことを知ることができたのも面白かった。研修期間中にABTの稽古場に行き、中国で「くるみ割り人形」の映像を観てあこがれていたミハイル・バリシニコフやゲルシー・カークランド本人に会った時の彼の感動!最終学年まで、バレエ映像すら滅多に観ることはできなかったのだ。でも、バレエは国境を越える普遍的なものであるというのが、彼の成功を通して実感される。
バレエにそれほど興味がない人でも、感動とスリルと笑い、そして涙があるこの物語を楽しめると思う。ベストセラーとなり、20数カ国で出版されたというのも納得。映画もぜひ日本公開して欲しいと思う。予告編を見る限りでは、とても面白そうだし。彼を演じたツィ・ツァオは、リー・ツンシンと同じ北京舞踊学院出身で、彼の恩師の息子であるという。
映画のオフィシャルサイトはこちら
http://www.maoslastdancermovie.com/
関連エントリ
http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2009/08/maos-last-dance.html
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コメント
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とても興味深い本と映画の紹介ありがとう!
映像を見るといつの話?と、思うけど日本が高度成長期といわれる時代だったのよね…。
カイル・マクラクラン懐かしかった!!
投稿: jade | 2009/09/02 00:30
jadeさん、こんにちは。
ホント、本は面白かったですよ~とにかく読みやすいのでどんどん先に読み進めてしまいます。映画も公開して欲しいな。予告編を観るとバレエのシーンも結構有りそうだし。
ちょっと前まで本当に中国は貧しかったのですね。ツンシンが亡命したのは、1981年なのだそうです。61年生まれだというし、そんなに前の話ではないですよね。
そしてカイル・マクナクラン!「ツイン・ピークス」が懐かしいですね。
投稿: naomi | 2009/09/02 01:40
naomiさん、こんにちわ。とても為になる興味深い本の紹介有難うございます。早速、帰りに本屋を覘いてみます。映画も公開が楽しみですが日本で上映されない可能性があるのですか?それにツイン・ピークス懐かしいです。今月シアトルに行くのでできたらスコルミーの滝を見てきますね。私は次回は「兵士の物語」ですがnaomiさんは?
投稿: 隣のハミー | 2009/09/02 16:08
隣のハミーさん、こんにちは。
映画の方もぜひ公開して欲しいですよね。9月10日のトロント映画祭でワールドプレミアが行われて、それからオーストラリアでの公開になるんですよね。監督も脚本家も有名な人たちなので、映画のできも悪くないと思うし、ぜひ公開してほしいですよねえ。原作が日本でも出版されたから、公開可能性は高いのかな、と思うんだけど。
「ツイン・ピークス」私もはまりました。ぜひ滝の話も聞かせてくださいね。
次ですが、今週末にアニハーノフの「聴け!怒涛のロシア音楽」を聴きに行き、そして当初行く予定ではなかったのですが、アダムとウィルの交流イベントに引かれて「兵士」買っちゃいました。(でも、本当のファンの人たちはもうとっくにチケットを買っていたはずなので、ちょっと不公平ですよね)買ったのが遅いので多分席は良くないと思いますけど・・
投稿: naomi | 2009/09/03 02:06
この映画は是非日本公開してほしいですね。
(静岡だとミニシアターのサールナートかなあ。。。)
チャオ・ツィーやそのちょっと前のダンサーのイ・レイ・カイ(だったかしら?)など、バーミンガムにはアジア系の素敵な男性ダンサーが在籍していていいですね。
投稿: おロシア人 | 2009/09/03 20:13
おロシア人さん、こんにちは。
ホント、ぜひこの映画は日本で公開して欲しいです。オーストラリア・バレエのサイトを観たら、オーストラリアでは各地でプレミア試写会があって、オーストラリア・バレエがスポンザーになっているんですよね。ツンシンの少年時代はオーストラリア・バレエ学校の生徒が演じているみたいで。
そうそう、ツァオ・チーって来日公演の「美女と野獣」で見たとき、めっちゃ美形だわって思いました。今度ビントレーが新国立劇場の芸術監督にもなるから、新国立のゲストででも来てくれないかしら、と期待しています。(「カルミナ・ブラーナ」のゲストがまだ決まっていないようなので、またバーミンガムから来るかな、と思っているんですけどね)東洋人の美形の男性、私も結構弱いです(笑)
投稿: naomi | 2009/09/04 00:50
こんにちは。始めまして。シドニー在住の者です。
昨日初公開の"Mao's Last Dancer"観てきました。久しぶりに心に残る素晴らしい映画を観させてもらったなぁ。。。という感じです。私は原作を読んでいませんが、読んだ友人は、原作同様とても良かったとのことでした。
著者のインタビューがサイトで見られます。
http://www.justin.tv/clip/aec8d89f5ca4e634
メルボルン在住で、今もオーストラリアバレエの理事会役員の傍ら、証券関係の会社でも大成功してシニアスタッフとして業績を上げているとかで、一つ徹底的に成功できる人は、他のことでも成功するのだなぁ、、と感心します。
日本でも絶対に公開してほしい映画です。お楽しみに!
投稿: コアラ | 2009/10/02 14:41
コアラさん、こんばんは。
そしてはじめまして!オーストラリアから書き込みありがとうございます。そして映画の出来もよかったのですね!予告編やトロント映画祭の評判などからも、よさげな感じでした。インタビューの紹介もありがとうございます。引退する何年か前から株の勉強を始めて第二の人生に備えていたそうですね。
本当にこの映画、楽しみです!原作もとても良いので、おすすめですよ。原書のほうも読みやすい英語だそうです。
投稿: naomi | 2009/10/03 00:34
はじめまして シドニー在住のRedと申します
Googleで本の検索をしていましたらここにたどり着きました
とてもきめ細かい評論はとても為になりました
上記のコアラさん同様 私も封切後すぐに見に行ったのですが何分2時間で表現しなければいけない映画はかなりの凝縮物でした、がChi氏のバレエがスクリーンで見るだけでも所狭しと表現されて躍動感たっぷりの映画に仕上がっています これだけで彼のファンになってしまいましたよ
原作者はコアラさんの解説どおりメルボルン在住 今年のもっとも愛される代表的な父親として「Father of the Year2009 Australia」を受賞されました
本は小学校6年生の教育推薦書として全生徒に読まれることになりました(一部の小学校ですが)
以上シドニー報告でした
投稿: Red | 2009/10/06 08:28
Redさん、こんにちは。ようこそいらっしゃいました!
シドニーで早速ご覧になったのですね!羨ましいです~。ツァオ・チーはバーミンガム・ロイヤル・バレエの「美女と野獣」で来日した時に観たのですが、踊りも素晴らしいし、とても素敵なダンサーでした。予告編の映像でもその一端が伺えますが、ご覧になったRedさんの感想でも彼のバレエがたくさん観られるという話を聞くにつけ、ますます楽しみになってきました!
リー・ツンシンは素敵なお父さんなんですね~。ダンサーを引退した後もビジネスの世界で活躍されていたり、凄いですよね。確かに、小学校6年生くらいの子供が読んでも、とても勇気を与えてくれる本だと思います。
来年はオーストラリア・バレエが来日し、グレアム・マーフィの「白鳥の湖」(映画の中にも登場するはず)と「くるみ割り人形」という魅力的な演目なので、それも楽しみです!映画の中にもオーストラリア・バレエのダンサーがたくさん出ているんですよね。
投稿: naomi | 2009/10/06 22:52
映画、たった今見てきました!
最後の再開したバレイの恩師のところで少し涙が出てきました。
師をわすれず。クールダウンの終幕でした。
バレエシーンはいっぱいで、テレビで見たことのある「白毛女」を
思い出しました。すばらしかったです。
で、大急ぎで情報を探してこちらへおじゃましました。
投稿: 昔少女 | 2009/10/18 13:42
昔少女さん、こんにちは。
映画、ご覧になったんですね!羨ましいです~。師匠に会うシーンガラスとになっていたんですね。バレエシーンもたくさんあるということなので、ますます観たい!って思います。映画の貴重な感想をお知らせいただき、ありがとうございます
投稿: naomi | 2009/10/19 01:29