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2009/06/12

5/3 パリ・オペラ座「オネーギン」ONEGUINE Paris Opera Ballet Part1

舞台を観てから1ヶ月以上経過してしまって、忘れてしまった部分もあるのだけど、エルヴェ・モロー&イザベル・シアラヴォラ主演の「オネーギン」を観て、自分が感じたことを振り返ってみたいと思った。dance cubeの批評を読んで思ったのだ。人が舞台をどう感じるかは人それぞれだと思うけど、それに誰にだって嗜好の違いはあると思うけど、あまりにも感じ取ったものが違う、から。

別キャストで複数の舞台を観ると、ついついキャストごとの違いを比べてしまいたくなるのは判る。でも、単純な優劣として書きたくはないと思った。

3 mai 2009 à 19h30
EUGENE ONEGUINE Hervé Moreau
TATJANA Isabelle Ciaravola
LENSKI Florian Magnenet
OLGA Muriel Zusperreguy
PRINCE GREMINE Nicolas Paul

タチアーナ役でエトワールに任命されたイザベル・シアラヴォラ。オペラ座随一の美脚で知られ、銀幕を飾る女優のようなクラシックで洗練された彼女が、地味で夢見がちな少女タチアーナを演じることができるのか。そして甘い美青年であるエルヴェ・モローが、スノッブな高等遊民(そう、私のオネーギンのイメージって、夏目漱石の小説に出てきそうな高等遊民なのだ)たるオネーギンを演じられるのか。この二人がファーストキャストに選ばれたということで、すごく興味を惹かれた公演だった。しかも、エルヴェ・モローは怪我が続いたので、観るのが久しぶりだったし。

1幕でのイザベル・シアラヴォラのタチアーナは、眉毛が細すぎて、10代にしては外見が大人びていることを除けば初々しく、繊細で大人しく知的で優等生的な少女になりきっていた。自分の美しさに気がついていないかのような、まだ固い蕾のような存在。その生硬な美しさは、周囲からは浮き上がって見えるほどである。恋愛なんて、物語の中にしか存在しないと思っていたのに、鏡の中に、夢に描いていたような美しい大人の男が現れたから、はっとしてしまう。イザベルのタチアーナは、はにかみ屋で、彼の姿を最初に鏡に見たときも、大きくは驚かない。オネーギンに恋はしたものの、ここでその感情をあからさまに出したら嫌われてしまうかしら、とちょっと控えめにしていて、オネーギンの手を取る時も、おずおずとしている。でもやっぱり恋する気持ちは隠せない。初めて恋にときめく晩生な少女の揺らめく感情を、イザベルはとても繊細に表現していた。

そんな控えめで夢見る少女だったタチアーナの思いは、鏡のパ・ド・ドゥのシーンで解き放たれる。手紙を書いている最中にうたた寝したタチアーナの夢の中、鏡の中から、颯爽としたオネーギンが現れる。オネーギンが登場する鏡は、鏡ではあるけれども、同時に扉の役割を果たしている。自分の殻の中に閉じこもって、恋に恋していたタチアーナの心の扉がオネーギンの手によって開かれる。

夢の中でのオネーギンは甘くパッショネイトな中にも苦味が走っており、少女の妄想の中でさらに美化され、仄かに悪の香りが漂う。強引なほどにタチアーナを振り回し、彼女をお手玉のように転がす。自分の殻を破り感情の奔流に身を任せたタチアーナは、しなやかな肉体、長く細く美しい脚のラインからはっとさせられるほどの生硬な色香を霧のようにまとい、甘美な快楽に高揚して陶酔の表情を浮かべる。まるで蛹が美しい蝶に変身するところを見ているかのようだ。パ・ド・ドゥの終わりの方で、オネーギンが、立ったままのタチアナを高々とリフトするシーンが好き。鏡の中から寝室に入ってきて、まずは心の扉を開けたオネーギンが、彼女に、この広い世界を見せてあげているように思えるから。君はもう子供じゃないんだよ、君を様々なことが待っているんだ、それを僕が見せてあげよう、ってオネーギンは夢の中で彼女に囁いているのだ。

夢は夢であるがゆえ、いつまでも続くわけにはいかない。オネーギンは来た時と同様、颯爽と去っていってしまう。でも、自身の妄想を夢の中で炸裂させたタチアーナは、今までの晩生な少女ではない。高鳴る胸、上気した頬、余韻のまま情熱的なラブレターを書き上げるのだった。そう、このセクシャルな夢と、夢の中でのオネーギンの導きによって、タチアーナの扉はもう開かれてしまったのだ。

「オネーギン」という作品のタチアーナ役には、私はつい感情移入を行ってしまう。10代の頃、実際の恋愛には非常に晩生で、同年代の男の子にはあまり関心が持てず、小説の中で描かれる恋愛のほうがずっと素敵と、空想の世界の中で生きていた。そんなところへ、突然、ちょっと年上で、ちょい悪で素敵な感じの男性に出会って、それまで感じたことがない一方的な恋愛感情を知ることになる。向こうにしてみれば、こんな子供っぽい女の子は後輩として可愛がったり、からかったりするのはいい。でも、恋愛対象だなんて全然考えられない。かくして、ちょっと遊ばれただけで幼い恋愛はジ・エンド。そんな経験に思い当たる節がある女性は、すごくたくさんいると思うのだ。そして、その夢見がちで現実をまだ見られない少女の妄想を、見事なパ・ド・ドゥに仕上げてしまうのだから、クランコという振付家は偉大だったといえる。その少女の感情の変化を、きめ細やかに表現していたイザベルも、素晴らしかった。

(つづく)

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