山岸涼子「牧神の午後」とサーシャの「椿姫」
山岸涼子「牧神の午後」とサーシャの「椿姫」
本当はこの週末に福岡での「椿姫」の感想を書こうと思っていて、そのために今日は予定もいれず蒲田にちょっと買い物に出かけたくらいで気合を入れていた。その上、ようやくデュマ・フィスの「椿姫」を読み始め、さらに、ずいぶん前に観たきりだったマリシア・ハイデ主演の「椿姫」のDVDを見直した。昨日はロイヤル・バレエの「マノン」の放映も観たし(タマラ・ロホの天然ファム・ファタルは凄い)、週末は掃除だ洗濯だといろいろと用事がたまっている一応兼業主婦なので、結局福岡の「椿姫」の感想は書けず。次の連休でちょっと数日間不在にしてしまうので、なんとかそれまでには書きたいのですが…。
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「椿姫」の舞台の感想を書く上で、ちょっとセレンディピティを感じたことがあった。昨日のバレエの帰り、ゆうぽうとの近くの本屋で山岸涼子の「牧神の午後」を見つけたので買ってきたのだ。出ていたことは知っていたけど、内容は知らなかったのだ。牧神に扮したニジンスキーの美しい表紙絵に魅せられて購入。
ヴァツラフ・ニジンスキーを描いた「牧神の午後」、バランシンの4番目の妻だったマリア・トールチーフを描いた「黒鳥ブラックスワン」という実在のバレエダンサーを描いた2つの作品。それから、山岸涼子さん自身が大人バレエ教室で発表会に出ることになったときのことを描いた「瀕死の発表会」、さらには2007年のローザンヌコンクールを観に行った時の珍道中記が載っている。
ニジンスキーの生涯については、「ニジンスキー神の道化」といった書物、ジョルジュ・デ・ラ・ペーニャが主演した映画「ニジンスキー」、さらにジョン・ノイマイヤーが振付けた「ニジンスキー」も観ているので大体のことはわかっている。この作品は、振付家のミハイル・フォーキンの目を通したニジンスキーの、バレエリュスへの登場から発狂するまでの姿を追っている。身近にいた第三者が語るという手法はわかりやすいけれども、ほとんどのエピソードは有名な話ばかりで、エピソードにはそれほど新味はない。
ニジンスキーが非常に繊細かつエキセントリックな人間であったことはもちろん知られているけど、この作品の中では、ニジンスキーは特に変わった人として描かれている。極度に内気で人と接するのが苦手。特にハンサムなわけでもなければ、背が高いわけでもない。そんな彼が、(最近になって復元された)「アルミードの館」に主演した時、跳躍した頂点で舞台から消えたため、まるで飛んでいってしまったのではないかと観客に思われ、大きな熱狂を呼ぶ。(あれ、これって「バラの精」のエピソードではなかったのかしら)舞台上で、空中三回転半を飛んでしまう。(フィギュアスケートでは可能あっても、バレエで本当にトゥールザンレールの3回点半なんて、そんなことが可能なのか?)一躍時代の寵児となったニジンスキーだが、彼自身はどんな凄いことを自分がやってしまったのか、まったく気がついてもいなければ意識もしていない。39度の高熱を出した状態で、熱が出ているという意識もなく神業のようなテクニックを披露している。彼には自衛本能というのが存在しないようなのだ。しかし彼はいつも役柄に憑依し、恍惚の妖しい笑みを浮かべている。「シェヘラザード」の黄金の奴隷を踊るときには、まばゆい黄金の煙が立ち昇っていた。その光がまばゆいほど、逆に彼には常に影がつきまとっている。彼は現実を習得できず、日常を生きていくのも困難だった。
そしてこの作品の肝となる言葉が登場する。「翼を持った者には、腕がない」。ダンサーとしてのニジンスキーは天才だったけど、その翼を奪われてしまったら、もう生きてはいけないのだ。金持ちのグルーピー、ロモラと結婚してしまったニジンスキーはディギレフの怒りを買い、バレエ・リュスを解雇され、さらにバレエ・リュスの作品を踊ることも禁じられてしまう。ニジンスキーは翼をもがれ、ついに闇が彼を捉え、1918年サンモリッツのスブレッタ・ホテルで「神との結婚」を宣言したニジンスキーは再び踊ることはなく、精神病院の中で余生を過ごした。
ところで、ハンブルク・バレエのアレクサンドル・リアブコはもちろん、ニジンスキーではない。実際の彼がどういう人格なのかはわからないけど、インタビューなどを読んでみても、ごく真面目だけど常識的で賢い男性だ。おまけにシルヴィア・アッツオーニというこれまた才能に溢れるバレリーナの妻がいる。だけど、時々、サーシャはニジンスキーに似ているのではないかと思うことがある。実際、彼はノイマイヤーの「ニジンスキー」でタイトルロールを演じて、ニジンスキーそのものが憑依しているのではないかと思わせる、鮮烈で限界を知らない、狂気の漲った踊りを見せてくれた。「眠れる森の美女」のデジレ役でも、終盤に、今までに観たことがない超高速のマネージュを見せてくれた。このままでは彼は舞台の上で擦り切れてしまうのではないか、という凄まじさだった。
今回の「椿姫」のアルマンで見せたサーシャの演技も、まさにアルマンが彼の上に降臨しているかのようだった。実際にはやや小柄で特別なハンサムではないサーシャが、舞台の上では熱烈にマルグリットを愛し、激しすぎる熱情をぶつけて燃え尽きそうな美しい青年に変身している。その上、彼のアルマンは限界を知らない。手加減というものが一切存在しなくて、自分の激情がもたらす動きを、まったく歯止めなく切れ味鋭く表現してる。演技というものは普通は細かい計算をして行うものだと思っていたのに、彼のパッションはとどまるところを知らない。リミッターが振り切れた状態なのだ。特に顕著だったのが、2幕の手紙を読んだ後のソロと、3幕の黒のパ・ド・ドゥ、そしてマルグリットに手紙と札束を渡すところ(あのゆがみきった笑顔の下の苦悩!)。肉体的にも、精神的にも、もう彼は限界を超えて完全に振り切れている。かといって、それが過剰なものとじゃ感じられない。ただただ、あまりにも強い感情の具現化として観客の胸に突き刺さるのだ。
サーシャには、翼も腕もあるのではないか。彼自身、自分がどのように凄いダンサーではあるのかまったく自覚していないはずだ。だけど、他にはないとんでもない才能の持ち主であり、役を憑依させながら素晴らしい踊りも見せるもできる人なのだ。それでいて、ニジンスキーとは違って、舞台を降りれば(おそらくは)普通の真面目で好感度の高い青年。神は彼に二つの贈り物を与えたのだと思う。
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話をこの本に戻すと、「黒鳥ブラックスワン」のマリア・トールチェフの話も面白かった。バランシンというのがとんでもない男で、10台の若い娘を次々と妻にしたことでも有名だ。21歳と若かったマリアも彼と結婚するが、バレエのために子供を持つことをあきらめ、しかしさらに若いお気に入りの娘が出現して彼の愛情は届かなくなる。バランシンはタナキル・ル・クラークに心を移すのだった。マリアとの離婚後バランシンはタナキルと結婚するものの、タナキルはポリオにかかり、27歳で下半身が麻痺して踊れなくなるという悲劇に見舞われる。インディアンの血を引くマリアは、自分の心のダークサイドに恐れおののく。
『女達が彼を捨てるのではない。
彼のためには無用になったことを思い知らされた女が
いたたまれなくなるのです』
とマリアは独白する。実際、踊れなくなったタナキルとバランシンは離婚するが、バランシンはその後スザンヌ・ファレルに惹かれたものの結婚しなかった。
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大人バレエを今習っている者としては、「瀕死の発表会」は思い当たる節があるようなエピソードがたくさんあって笑えるし、2007年のローザンヌコンクールの観戦記もとても面白い。「Ballet Studio拝見」は首藤康之さんが教えるスタジオの体験レッスンの話。バレエ好きにはお勧めの一冊。
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コメント
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わたしはですね、感じること、考えることすべてをダンス言語に変換しようとして限界を超えたニジンスキーは、いわば自分の心身を生け贄にしてバレエ表現の地平を拓いたと思うのだな。だから、あとを行く人が狂わずにすむのです。そこに道があるから。ニジンスキーはおそらく、追っても追っても届かないところにいて、あとから来るダンサーたちを守っていると思う。ノイマイヤーさんもきっと、その守られているうちの一人。「椿姫」原作、わたしも読んでますよ。面白いですね! 単なるメロドラマじゃなかったのだ。
投稿: asuko | 2009/03/16 17:36
牧神の午後 (単行本) 朝日ソノラマ
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アマゾンから上記も出ていました。ここのレビューがまたおもしろかったです。
そうです、「ヌレエフの犬」読みました。
なかなか心温まるし、バレエファンには楽しめます。
表紙のバルコニーで犬が後ろ足で立ち手を上げているような仕草をしていますが、あれはどうやらアンオーの練習中のようです。
投稿: bumineko | 2009/03/16 20:53
naomi様こんばんは。
「黒鳥」の話、面白かったですよね。あの漫画を読んで、M・トールチーフの写真を見ましたが、今のバレリーナにはちょっといないような、エキゾチックな美女ですね。バランシンの妻だったというのが意外に思えました。このつながりで、以前、ファレルの自伝を流し読みしたのですが、知性と強靭な意志とバランス感覚を感じました(例のゲルシーの自伝と比較すると面白いです)。バランシンとの特殊な絆があったにもかかわらず、彼の元妻達のようにならなかったのは、そういうところにあるのではないかなあと思いました。でも、バランシン→ベジャール→バランシンに戻るって、よく考えたらスゴイですね。
投稿: sandy | 2009/03/17 00:54
asukoさん、こんばんは。
「椿姫」の原作、とても面白いですよね。まだ最後まではいっていないのですが、マルグリットが、想像していたよりもはるかに自分の強い意志を持っていたというか、自分の生きたいように生きてきた自立心のある女性だと思いました。
》感じること、考えることすべてをダンス言語に変換しようとして限界を超えたニジンスキーは、いわば自分の心身を生け贄にしてバレエ表現の地平を拓いたと思うのだな
そうかもしれませんね!後世の人間は残念ながら彼の踊る姿は映像で見ることもできないのですが、彼の生み出した作品一つとっても今でも斬新さがあるし、男性ダンサーという存在をアピールしたのも彼が初めてだったかもしれませんね。彼の切り開いた地平は、やはり偉大なものだったし、彼がいたから、20世紀、21世紀のバレエがあると思います、本当に。確かに彼はバレエの守護神となって見守っているのかもしれませんね。
投稿: naomi | 2009/03/17 01:55
buminekoさん、こんばんは。アマゾンの書評のご紹介をありがとうございました。最近になってメディアファクトリーから復刊されたんですね。アマゾンの書評は買うときの参考になりますよね。
「ヌレエフの犬」もご紹介ありがとうございました。私もぜひ読んでみたいです!ゾーヴァのイラストも可愛いですものね。
投稿: naomi | 2009/03/17 02:00
sandyさん、こんばんは。
マリア・トールチーフは、映画「バレエ・リュス 踊る歓び、生きる歓び」に若い頃と最近の姿の両方が出ていましたが、年を取っても美しかったですね。今も存命のようです。
そして調べてみたら、彼女の妹はパリ・オペラ座のプルミエールになっていたんですね。それからヌレエフと共演しているDVDなんかも出ていたりして、けっこう映像はあるようなので観てみたいなと思います。
スザンヌ・ファレルの自伝も、面白そうですね!彼女のカンパニーも、ワシントンで定期的に公演を行っているようだし、バランシンをめぐる女性たちだけでも、バレエ史のかなりの部分を占めるのではないかと思います。
投稿: naomi | 2009/03/17 02:09
naomiさま、こんばんは。
サーシャについてのお話、まさに私もそんなことを考えておりました。
舞台上でのあの役柄が憑依した様は、他のダンサーには見られない凄みを感じますし、思いっきり感情的に踊っていても常に美しく踊ります。そんな彼は舞台を降りると本当にごく普通の常識的な好青年です。一体、何なんだろう?と不思議にさえ思ってしまいます。
おまけに奥様のシルヴィアもまさに同じような印象を受けました。
が、彼女もまた舞台を降りるとごく普通のかわいらしい女性です。
天才同士のカップルと言えば、二人でぶつかり合い、お互いを傷つけあいながらという激しい関係というのが良くあるイメージですが、
彼らは本当に普通に穏やかに愛し合っている夫婦のようです。
天は二物を与えて、二物どころか最高の幸せまで与えられたのだ、
この世の奇跡だとさえ思ってしまいます。
サーシャのことを考えると思いが尽きない私です。
投稿: きょん | 2009/03/17 18:59
きょんさん、こんにちは。
実はきょんさんの素晴らしい「人魚姫」「椿姫」の感想を拝読して、うんうん、同意だわって思っていたのですよ。
そして、サーシャから受ける印象、そうですよね!彼の憑依状態は独特、というか押し付けがましさや過剰な演技とは無縁で、気がついたら、すっかりキャラクターが彼自身に乗り移っていると言う感じなのです。
シルヴィアもそう、天才ですよね、『人魚姫』を観たとき、彼女の演技は『ニジンスキー』でのサーシャを髣髴させるものがありました。あれは相当自我を捨てなければできない演技だと思います。だからこそ、あの人魚姫は胸を締め付けるのですよね。
私も、この天才二人の夫婦は普段何を話しているのかしら、なんて思うことがありましたが、でもインタビュー等で見ても本当に仲が良さそうですし、素敵な二人ですよね。「人魚姫」の東京公演や「椿姫」の横浜でもサーシャが妻の演技を客席から見守っていましたね。
サーシャの存在がこの世の奇跡、というのは私も同意します。バレエの神様からの贈り物なんですね、この二人は。
投稿: naomi | 2009/03/18 00:59
naomiさま
私の感想読んで頂いていたとは嬉しいです。
おまけに、サーシャの存在は奇跡という
かなりの暴走気味の意見にも同意くださり感激です。
いつもいろんな情報をこちらでゲットさせてもらっています。
これからも頼りにさせていただきます。
投稿: きょん | 2009/03/19 21:20
きょんさん、こんにちは。
お返事が遅くなってしまってすみません!あやうくコメントしそびれるところでした。そういうわけでドイツに行っていたのですが、残念ながらハンブルクではなかったのです。以前からブログ拝読させていただいていて、うんうん、と同意することも多いです!そしてサーシャは、本当におっしゃるとおりのダンサー&アクター、ある意味突出した存在なんではないかと思います。素晴らしいダンサーはたくさんいるけど、彼はその中でもすごいって。旅行中に「椿姫」の原作を読み終えて、ここでのアルマンとサーシャのアルマンは全然違うって思いました。原作では、かなり未熟で残酷なところを持っている人ですよね。やっぱりノイマイヤーには、優しさがあるんだなって思いました。(でも、原作も素晴らしいと思います。あの時代にこんなすごい小説を若くして書いたデュマ・フィスもすごい人だって)
今後ともよろしくお願いいたします!
投稿: naomi | 2009/03/25 02:08