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2009/03/02

2/22マチネ ハンブルク・バレエ「人魚姫」 

ジョン・ノイマイヤー芸術監督就任35周年記念
ジョン・ノイマイヤー/ハンブルク・バレエHamburg Ballett『人魚姫』Die kleine Meerjungfrau (全2幕)
2009年2月22日 13時開演 愛知県芸術劇場

演出・振付・舞台装置・照明・衣装:ジョン・ノイマイヤー
音楽:レーラ・アウエルバッハ
指揮:サイモン・ヒューウェット 演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
ヴァイオリン:アントン・バラコフスキー
テルミン:カロリーナ・エイク

詩人:イヴァン・ウルバン
人魚姫/詩人の創造物:エレーヌ・ブシェ
エドヴァート/王子:カーステン:ユング
ヘンリエッテ/王女:カロリーナ・アギュエロ
海の魔法使い:アミリカー・モレット・ゴンザレス

愛知県芸術劇場の5階席は初めて。今までずっと「人魚姫」は1階前方で観てきたのだけど、高いところから見ると、立体的に舞台が見えるので色々と発見があって面白かった。主役だけでなく、群舞の方も見ることができるし。ただしこの劇場の5階1列目は手すりが邪魔で非常に観づらい。高い位置なので手すりがないと危険なのは理解できるんだけど。

<1幕>
エレーヌ・ブシェの人魚姫は、最初に観た2月15日の時とはかなり演技が変化していたのが、興味深かった。視線や首の使い方が独特。最初に観たときには、シルヴィア・アッツオーニのあまりにも強烈な演技を観たばかりということもあって、シルヴィアよりかなり人間っぽい印象があった。ところが、今回、エレーヌはだいぶ演技プランを変えてきたようだ。大きな目を見開き、ちょっと首をかしげる様子が、人間離れしていて妖しい。振り向く時も、身体の位置は変えないで顔だけ向いていたり、本当に海の中で泳いでいる生き物のようだった。シルヴィアの人魚姫、が、どこを見ているのかわからない青く澄んだ瞳が印象的で、まるで妖精のように見えていたのとは対照的。。

エレーヌの黒い瞳、詩人が海に落ちたことで眠りから醒めた瞬間から、強い瞳の力が目に飛び込んでくる。海の中で泳いでいる時も、自信に満ちていて、好奇心に溢れていて、意思的なイメージで美しい姫だった。ゴルフボールを海に落として自分も溺れてしまった王子の姿を見かけ、意識のはっきりしていない彼と戯れる時のイタズラっぽい表情が、女らしく色っぽい。初めて恋を知る少女のようであり、とても無邪気そうなのに。

高い位置から見ると、人魚姫が魔法の影たちにどのようにリフトされているのかが良くわかって面白い。人魚姫の袴が、低いところから見るより、布の面積が長くて大きく、影たちがそれを大きく広げつつリフトしているのがわかって、実は本当に大変なことをやっているんだというのがわかった。照明の使い方もよくわかる。1階から観たときにはよく見えなかった、人魚姫の姉妹たちや海のクリーチャーたちの動きもしっかりと見えた。この作品、特に1幕は、このようにちょっと高いところから観たほうが、海の波打つ感じ、立体感、水の重力の重さもわかって良いのではないだろうか。

人魚姫が人間になりたいと願い、そしてその願いをかなえようと海の魔法使いが悪代官のごとく人魚姫を床でごろごろ転がして尾ひれを剥ぎ取り、そして魔法の影たちで寄ってたかって、鱗の描いてあるボディスーツも脱がすところはやっぱりとても暴力的に思えた。その痛みに泣き叫ぶ人魚姫。さっきまで人魚姫がまとっていた尾ひれを、海の魔法使いは自分の腰の回りに巻きつけている。海の魔法使いはマッチョで、すごくエロティックな存在だと思う。そして、ここは、異論もあるだろうけど人魚姫が女になったことを暗示している場面に思える。

さて、人魚姫は、王子に愛されたいと思い、人間になれば王子に愛されると思った。詩人も、エドヴァードに愛されたいと願っている。詩人は、もし自分が女性に生まれていれば、王子に愛されたのかもしれないと思っていたはずだ。ところが、結末は非常に残酷だ。人魚姫が脚を手に入れて人間の女性になっても、本物の人間ではないから、王子は人魚姫のことは可愛いペットみたいだと思っても、人間の女性として愛することはなかった。人間になった人魚姫は、海の中で自由に泳ぎ回っていた時の自信に満ちた美しさは失われ、異形の存在である。そうして、同性愛者であった詩人=アンデルセンは、男性である自分がどんなにエドヴァードを愛したとしても、エドヴァードは彼を愛することはないことを知った。同性愛者というのも、ヘテロセクシャルの人の一部からは、人魚姫と同様の異形の存在に見えてしまうのだから。

裸同然の状態で陸に打ち上げられ、指が10本あるわ、と喜び王子に出会えたのもつかの間。歩こうとすると激痛が走る人魚姫は、コートを着せられ車椅子に乗せられて身を縮こまらせ、まるで頭のおかしい子のような扱いを受けさせられてしまう。さらに水兵の服を着せられて何も判らず喜んでいると、水兵たちに嘲笑される始末。海の中での人魚姫が堂々としていて姫らしく、とても美しかっただけに、このくだりは何回観ても辛い。

やっぱりノイマイヤーは残酷だ。でも、その残酷さの中に愛があり救済があるところが、ノイマイヤーなんだと思う。


<2幕>
あんなにも着たがっていた女学生の灰色の服を着てポアントを履き、狭い小部屋に閉じ込められた人魚姫。地味な服と、人魚姫の独特のメイクが不釣合いでちょっと異様な感じ。高貴な姫らしい化粧と、女学生の服がミスマッチなのだ。狭い狭い小部屋で長い手脚をもてあましている人魚姫。閉所恐怖症の彼女は、狭さに息がつまりそうになって激しくもがき天井を叩く。海の中で夢見た地上の生活がこんなにも苦しみに満ちたものだったとは。ここでの彼女の踊りは「ニジンスキー」でショスタコーヴィチの11番「1905年」に合わせて激しく苦悶するニジンスキーを髣髴させるものだ。そして、この場面では、人魚姫に影のように寄り添っていた詩人の姿がない。それだけに、人魚姫のよるべなさ、孤独と苦悩が浮かび上がってくる。

王子と王女の結婚式。
純白の挙式場。美しく着飾った長身の招待客たちがまず入ってくる。シンプルでモダンなドレスをまとった女性たちは、まるでモデルのようにゴージャスだ。ついで水兵たちが踊り、しずしずと新郎新婦が入ってくる。王女の長い長いヴェールを、おそろいのフューシャピンクのドレスにボブの髪型のブライドメイドたちが持っている。ブライドメイドたちに小柄なダンサーたちをそろえた中で、一人エレーヌの人魚姫だけが背が高くて猫背気味、ポアントの足元が覚つかず、落ち着かない様子。ふらふらと列を抜け出して王子に話しかけようとして、ブライドメイドの一人に引き戻される。他のブライドメイドたちと同じドレスを着ているのに、一人、ドレスのサイズが合っていない感じで不恰好だ。かわいそうに、この子は少し頭がおかしいのよ、とちょっと憐れみのこもった眼差しが注がれている。でも、人魚姫は、ただただ恋する一人の女性なのだ。エレーヌが演じた人魚姫は、一途に盲目的に王子に恋する女、という表現で一貫している。花嫁のヴェールの中で動き回り、さらに苦しみと悲しみのあまり、会場で倒れて苦悶に身体をゆがめ、参列者たちに起こされたり。このあたりでようやく詩人が出現する。

王子に海の底でのできごとを思い出させようと、貝殻を王子の耳に当てる人魚姫。耳を澄ませて一瞬思い出しそうになった王子。だけど、結局気がつかなくて貝殻を王女に渡してしまい、さらに王女はそこらへんに貝殻を置いて二人でその場を出て行ってしまう。

人魚姫の姉妹たちの踊り。髪の色が赤だったり青だったりで、パンキッシュなツンツンヘア。人魚姫の姉たちは、人魚姫を海に帰してあげるために海の魔女のところに行き、長く美しい髪の毛と引き換えにナイフを手に入れるというのが原作の話。あの髪型は、髪を切ったことを象徴しているのかな?ミニスカートのような青いチュチュ。タータンチェックのベスト。パンクっぽくてカッコいいし、この役を演じているダンサーの多くが、背が高く、跳躍も高く、速い音楽に乗せてダイナミックな踊りを見せていて、胸がすくようだった。

スーツを着て、人魚姫の青い脚ひれを巻きつけた海の魔法使いが、魔法の影たちを連れて登場する。ナイフで、王子の水兵帽を刺して見せて、王子を刺せば海に返してやるといって。人魚姫がナイフを受け取るのをためらうと、海の魔法使いはまるで誘惑するかのように、四方八方から、さあ、といってナイフを押し付ける。ここのあたりの海の魔法使いのしつこさが怖い。

海の魔法使いは、人魚姫に、彼女の青い背びれ(青い袴)を見せる。これを再び身に着けて、海の底に帰りたいだろう、と。人魚姫は、海に還れるのね、と少し喜び、背びれを手にする。しかし、背びれを解いていくと、先ほどのナイフが登場する。このシーンもなんと残酷な場面なのだろう。王子は王女と結婚してしまい、人魚姫はこの苦しみと痛みに満ちた地上の生活を続けるか、さもなくば王子を刺して再び海に還るか。選択の余地はなく、人魚姫はナイフを手にする。

招待客たち、そして王女がいなくなり、残されたのは王子と人魚姫。詩人の姿もない。詩人から引き離された人魚姫は、それだけ無防備に見える。結婚祝いに贈られたゴルフクラブで、ゴルフを楽しむ王子。そこへナイフを向けようとしてやっぱり刺せず、思わず落としてしまう人魚姫。ナイフを拾い上げた王子は、まさかこのかわいそうな娘が自分を刺そうとしていたなんて夢にも思っていない。彼の無邪気であまりにも善良、中身のなさそうだけど優しい微笑を見ると、人魚姫の死ぬほどの辛い気持ちが余計に伝わってくる。彼はナイフを持って、フェンシングのまねをしたり、自分を刺す真似をして狂言自殺を図ったり。おどけて踊る王子と、その振りを真似して微笑みながら繰り返す人魚姫。このとき、少しだけ人魚姫は幸福を感じていたに違いない。

横になった王子に、心臓マッサージのジェスチャーをしてみる。さっき貝殻を耳に当てた時のように、王子が少し海の底でのできごとを思い出しているかのように目を閉じている。キスをしようと二人の顔が近づいたときに、王子は「なーんちゃって」と得意の鼻をつまんでアッパーカットのポーズを取り、軽く、まるで妹にするように人魚姫のおでこにキスをする。王子は、恐ろしく鈍感なのだけど、人魚姫のことは可愛いとは思っているようだ。だけど、彼女が自分に恋愛感情を抱くなんて、そんな可能性を一パーセントも考えていないかのようだ。いや、もしかしたら気がついているのかもしれないけど、照れ隠してごまかすためにそんな振りをしているのかもしれない。しかし、だとしたら、あそこまで根っからの純粋な微笑みができるものだろうか。多分、あの王子にはそんなことはできないと思う。本当に彼女の気持ちには気がついていなかったのだ。そして、また爽やかに笑いながら走り去ってしまう。そして、そのときの人魚姫の驚き、ついで絶望の表情。エレーヌの人魚姫は、地上に上がってからも姫としてのプライドを保っていた。誇り高い彼女が、今度こそは徹底的に打ちのめされてしまった。そんな風に彼女が深く深く傷ついたなんて、彼は少しも思わなかったに違いない。

「人魚姫」は自己犠牲の物語だという。人魚姫は、愛する王子のところに行くために、海の中の平和で自由な生活を捨て、姉妹たちを捨て、尾ひれを捨て、さらに声も捨てる。しかもこの舞台の中では、美しさすら捨てているかのようだ。しかし、恋愛というのは片方が尽くして、自分を犠牲にしたとしても、尽くされる側がまったく気がつかないということもあるし、相手が、そんな風に尽くされてもかえって迷惑だと思うことだってある。相手からすれば、そうしてくれって自分から頼んだわけでもないんだし、勝手にそれら大切なものを捨てたからといって、それがどうした、ということだってある。(この王子はそんなふうに冷たい人ではないと思うけど)自分が良かれと思ってやったことが、必ずしも相手の利益になっていないことだってある。愛って、かくのごとく一方通行のことで終わってしまうのが、実際のところすごく多いのだ。

「人魚姫」の場合には、人魚姫が王子を助けるという、命の恩人だったということがあった。でも、たとえ人魚姫が声を持っていたとしても、王子たちと同じ言葉が話せたとしても、私があなたを助けてあげたの、って王子に言えただろうか?多分言えなかったんじゃないのかなって思う。人と人の心が通じ合うのは、かくのごとく難しい。だからこそ、本当に通じ合えた時のしあわせが大きい。

人魚姫は、たくさんの犠牲を払ったこと、そして今までの苦しみ、痛みが何にもならなかったということに絶望する。彼女のしたすべてのことは、王子にとっては何の喜びももたらさなかったということに。王子に何を捧げても彼に通じることはないと感じた人魚姫は、その想いに終止符を打つべく、まずはポアントを脱ぎ捨てる。ポアントを脱いだときの、エレーヌの甲の高さに驚かされる。ついで、ひきちぎるかのようにドレスを脱ぎ、キャミソール一枚に。地上に上がってきた時とほぼ同じ姿になって、小部屋で横たわる。小部屋の奥の扉から、コートを着た詩人が、本を抱えて入ってくる。人魚姫の守護天使のような詩人は彼女に気がつくと、コートを脱いで優しく人魚姫にかけてあげ、ついで彼女の痛みを癒すように、包み込むように覆いかぶさる。

天井が横たわった二人の上に降りてきて、一瞬姿が見えなくなったかと思ったら、二人は立ち上がっている。床がどんどん高くなる。人魚姫も、陸に上がった時の猫背ではなく、きれいにすっと立っている。凛とした表情のエレーヌが美しい。ゆっくりと大きく腕を動かし、向かい合い、腰を少し落とし、踊る二人。満天の星空。床にも星が光っている。星屑が降って来る。最後には二人は重なって正面を見据えている。二人は空気の精になって、愛する人を永遠に見守り続けるのだろうか。そう、詩人の愛したエドヴァードと、王子は同じ姿をしていた。詩人のエドヴァードへの愛は、そのまま人魚姫の王子への愛に託されていた。二つの愛が昇華して、語り継がれる人魚姫の物語として永遠の命を得た瞬間がここにあった。物語の誕生の裏には、こんなにも痛ましい魂の震えがあったのだ。

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