「ボリショイ・バレエ:その伝統と日本人ソリスト岩田守弘」
ボリショイ・バレエの第一ソリストとして活躍する岩田守弘さんに取材して、彼の今までの足跡をたどると共に、ボリショイ・バレエの伝統についても触れた本。
600円という手ごろなお値段で、ボリュームもそれほどないけれども、ボリショイ・バレエとは何か、その中で活躍してきた日本人サムライ、岩田守弘さんはどのような人なのか、というのがよく伝わってくる。ロシア・バレエの入門書としてのお勧め。
著者の北川裕子・北川剛史夫妻は、ロシア駐在中にボリショイ・バレエに出会い、岩田さんと知り合って、彼のロシア・バレエに対する興味深い話を伝えたいと考えてこの本を著すこととなった。二人は、それまで特にロシアバレエを専門的に研究しているわけではなかったというが、それだけに、誰にでもわかりやすくボリショイ・バレエの伝統について語ってくれている。リュドミラ・セメニャーカ、元ボリショイ劇場芸術監督で、岩田さんの師であるアキーモフら多くのボリショイ・バレエの関係者にインタビューして、生の言葉にふれているということもある。また、岩田さんという優れた伝道師が間に立ったから、ということもあるだろう。
第1部は岩田守弘のバレエ人生。
彼の今までの経験(バレエはもちろん色々なモスクワでの出来事など)や、芸術に対する思い。
岩田さんとほぼ同年代のダンサーには、小嶋直也さんや、久保紘一さんがいたとのこと。岩田さんは、90年からモスクワ・バレエ学校に留学した。彼のバレエ人生の中で、このバレエ学校時代が、最も努力した時代で、最も充実した素晴らしい時期だったそうだ。朝から夜遅くまで、練習、また連習、他の学生たちが帰った後も、一人で残って練習したという。卒業後ロシアバレエ団に入団し、妻であるオリガさんと出会う。しかし、モスクワ国際バレエコンクールに出場し、結果を出すまでは結婚できない、とコンクールに打ち込む。93年に金賞を受賞し結婚。ボリショイ劇場入団を志すも、正式に入団する道が開けず、通行許可証をもらってレッスンに通うだけの雌伏の日々。その頃のボリショイ(グリゴローヴィチ時代)は、外国人を採用するシステムがなかったそうだ。95年に研修生という形で所属し、96年にやっと入団の悲願がかなう。外国人初のボリショイ劇場のソリストとなったのだ。
そのように人知れず努力を重ねてきて、血のにじむような苦労をしてきた岩田さん。入団後も最初はなかなか役がつかなかったり、海外公演に行けなかったりした。しかし今では、同僚ダンサーたちの間でも信望が厚い。彼のプロフェッショナリズムは高く讃えられている。「どんな状況でも常に100%の力を出して仕事に臨んでおり、常に周りの人を尊敬し、自分の芸術に対して、そして仲間たちに対して誠実だ」とは、同僚である第一ソリストのペトゥーホフの話。
岩田さんの危惧は、最近のバレエは、ジャンプの高さ、足がどれだけ上がっているかなど「かたち」だけを評価する方向に向かっているのではないか、ということ。肝心の「心」が失われつつあるのではないか。往年の名ダンサーの方が、若手ダンサーたちより足は上がっていないかもしれないけど、表現力、そして芸術性にかけては絶対にまねのしようがない。バレエは器械体操ではない、人の「心」に訴えかけるべきであると岩田さんは考えている。責任の一端は観客にあるのかもしれない。「つま先が伸びている」「ジャンプが高い」といった表面的なことでしか踊りを評価できなくなってしまった。
そう言われると、私自身も、技術面につい傾いてしまっている、自分のバレエの観かたについて、大いに反省するところである。
そんな岩田さんの人柄と芸術性に惹かれたダンサーたちが集まって、2008年6月16日に、モスクワの格式あるノーヴァヤ・オペラ劇場で「岩田守弘プロデュース・バレエ公演」が行われた。ナデジダ・グラチョーワ、マリーヤ・アレクサンドロワ、ニーナ・カプツォーワら一流のダンサー、それに岩田さんの妻オリガさんなどが出演した。岩田さんの1幕ものの振付作品「魂」や3つの小品などが上演されたとのこと。和太鼓「鼓童」の音楽を使った「魂」の内容も、岩田さんの本物のサムライ魂を感じさせる、日本とロシアの伝統が融合したもののようで、いつか観る機会があれば、と思う。
日本人ダンサーとしてかつてないフロンティアを切り開いてきた岩田さんの、芸術家として、ダンサーとしての魅力、人間的な魅力がすごく伝わってくるし、誇らしい思いすらしてくる。
第2部はボリショイ劇場の伝統がテーマ。
岩田さんが、失われてきているのではないかというボリショイ劇場の伝統とは何かを、グリゴローヴィチ芸術監督時代からさかのぼって歴史を詳しくたどり、考察している。岩田さんが少年時代から繰り返し見て、とりこになったロシアバレエとは、まさに「スパルタクス」に代表されるグリゴローヴィチの作品に流れている世界観なのだ。グリゴローヴィチの長い芸術監督時代と、彼に対する批判、次々と芸術監督が交代した不安定な時代から、若いラトマンスキーの時代へ。ボリショイの新しい黄金時代を切り開いたラトマンスキー。だが今年、ラトマンスキーが去ることを表明し、彼のバレエ学校の同期生であるブルラーカが新芸術監督となることになり、専任振付家としてグリゴローヴィチが復帰した。果たして、ボリショイ劇場はどこへ向かうのか。その激動の中にも、脈々と息づいている伝統とは?
ひとつには、19世紀以降にロシアで振付けられたクラシック・バレエ。2つ目には、ストーリー性があり、ダンサーに高い表現力が求められているということ。そして3つめには、グリゴローヴィチに代表されるような、ダイナミックな踊りが重視されていること。しかし、それだけでは、十分語りつくせないため、詳しいことは、ぜひ本書を手にとって読んでいただきたいと思う。
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