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2008/06/10

DANCE EUROPEの佐々木忠次氏インタビュー

今日家に帰ったら、NBSニュースが届いていました。その内容は、あちこちですでに話題になっているので割愛するとして、相変わらずの佐々木忠次氏の世相を斬るコラムは元気いっぱいです。

その佐々木忠次氏のインタビューが、最新のDANCE EUROPEに載っていました。オンラインでもインタビューが読めるのでご紹介します。(インタビュアーは長野由紀さん)記事に添付された、第一回世界バレエフェスティバルの写真が素敵です。

http://www.danceeurope.net/balletasia/featured_article.pdf

「日本のディアギレフ」と異名を取る佐々木忠次氏は、東京バレエ団の団長であり、NBSを率いるインプレサリオである。1960年代以来、パリ・オペラ座、シュツットガルト・バレエ、ロイヤル・バレエ、モーリス・ベジャールの二十世紀バレエ団など、当時の日本に知られていなかったバレエの宝石たちを紹介してきた。彼が率いる東京バレエ団は、ベジャール、キリアン、ノイマイヤーに新作を委嘱。そして故ベジャールを追悼するために、シルヴィ・ギエム、マニュエル・ルグリやローラン・イレールとともに東京バレエ団の海外ツアーを企画した。80歳の今もなお、佐々木はバレエ界に多大な影響力を持ち続け、雄弁で大胆な発言を行っている。

裕福な家に生まれた佐々木は、舞台好きの母親の影響で幼い時から舞台芸術に関心を持ち、1930年代後半の戦時中でさえも、下町のレビュー劇場へと頻繁に通った。

1964年に、ロシア人教師による教育に定評があった当時の東京バレエ学校が破産した時、プロフェッショナルなバレエ団に変えるという条件で佐々木氏はバレエ学校を引き継いだ。ヨーロッパでの視察を行った上での結論は、二つあった。

ひとつは、ヨーロッパのバレエ団は明らかにレベルが高いものの、アンサンブルにあまり注意を払っていないこと。日本人がバレエで優位に立つには、完璧に調和したコール・ド・バレエを持つしかない。1970年、2度目のヨーロッパツアーでのパリ国際バレエフェスティバルのオープニングで「レ・シルフィード」を上演した時に、東京バレエ団は国際的な評価を獲得した。

もうひとつの発見は、バレエは国や文化によって異なるものであるということ。当時の日本のバレエは、数年ごとにボリショイとキーロフが来日していたこともあり、ロシア・バレエ一色だった。日本人に、より広いバレエの世界に目を向けて欲しいと思った。だからこそ、ブリュッセル、パリ、ロンドン、シュツットガルトなどから、突出した質と個性を持つカンパニーを一生懸命招いてきた。ベジャールの20世紀バレエ団を最初に招いた時には、大きなセンセーションが引き起こされた。そして、一生をかけたベジャール氏との友好関係が始まった。ベジャールが言うには、バレエは脚だけで踊るものではない。もし、美しい脚でのみ踊られるのだったら、パリ・オペラ座としか仕事をしない、と彼は言った。大腿骨が平ぺったいという日本人の脚の欠点は、衣装を工夫することで隠すことができる、というわけで「ザ・カブキ」と「M」が創作された。

「M」はもうひとつの教訓を与えてくれた、と佐々木は言う。93年にオペラ・ガルニエで「M」を上演した時、三島由紀夫の文学についてのバレエであるこの作品を、フランスの観客が理解できるか不安に思っていた。しかし、幕が下りてから何人かの観客に聞いたところ、「作品のあらすじを理解する必要などあるのか?たくさんの美しい瞬間があり、感動した」という声をたくさん聞いた。日本人は、作品を理解しなければならない、それが知的であるということの証明であるという強迫観念に囚われている人が多いが、そのように考えることで舞台を楽しめなくなる。感じて、楽しめば良いのだと。劇場は決して教室ではないというのが彼の考えだ。

振付家だけでなく、世界中のダンサーが佐々木と仕事をしている。彼が主催する、3年に一度の「世界バレエフェスティバル」があるからだ。1976年、第一回目の同フェスティバルでは、アリシア・アロンソ、カルラ・フラッチ、マイヤ・プリセツカヤそしてマーゴ・フォンテーンが同じ舞台に立った。そしてエヴァ・エフキモドワやマラーホフ、ギエムらが後に続いている。ダンサーにとって、世界バレエフェスティバルに出演することは大変な名誉となった。出演したいという希望が殺到し、時には、過去に出演したダンサーの出演希望も断らなくてはならないことがあるほどだ。

どのように彼はダンサーを選ぶのだろうか?スターの饗宴によって構成されたイベントは、名人芸のショーケースになりがちであるが、技術のためだけにその技術が存在していれば、ダンサーは観客に冷たい反応を浴びることになる、というのが彼の持論である。ダンサーがアカデミズムに対する敬意を失い魂を失えば、観客が本当に求めているものを与えられなくなってしまうだろうと。

***

佐々木忠次氏の著書「闘うバレエ」を私はまだ読んでいないのですが、日本のバレエ興行の礎を築いた彼の足跡を追うために、ぜひ読んでみたいとは思います。

なお、この号ですが、そのほかの記事も大変興味深いです。芸術監督となったバレエダンサーという特集があり、アンヘル・コレーラのコレーラ・バレエの現地取材をはじめ、ルジマトフ、フィーリンのインタビューがあります。他には、アリーナ・コジョカルのインタビュー、YAGPのレポートなど。何回かこの雑誌をネットで注文したことがありますが、5.96ポンドと比較的安くて、バックナンバーもすぐに届けてくれます。

http://www.danceeurope.net/site/issues/119.pdf

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