東京バレエ団の後藤晴雄さんが「シェヘラザード」の黄金の奴隷役に挑戦する、という滅多にない機会なので、楽しみにしていた。
韃靼人の踊り
振付:小林恭(原振付:ミハイル・フォーキン)
音楽:ボロディン(「イーゴリ公」より)
フェーダルマ:下村由理恵
隊長:リーガン・ゾー
チャガ:前田新奈
イーゴリ公:小林貫太
チャガ役の前田さんが、抜けるように色が白くて華奢でとても美しかった。フェーダルマの下村さんはもちろんすごい貫禄で、ジュッテも高く正確。この作品の売り物の男性群舞はちょっとダイナミックさに欠けて、血沸き肉躍るというわけには行かなかった。だが、隊長役のリーガン・ゾーの開脚ジャンプはいったい何回繰り返されたんだろうか!高くて、両脚がすごくあがっていて、これは凄かった。演奏はオーケストラによるもので、演奏そのものは良かったんだけど、この曲はやはりコーラス付きで聴きたい。
ペトルーシュカ
振付:小林恭(原振付:ミハイル・フォーキン)
音楽:ストラヴィンスキー
ペトルーシュカ:小林貫太
バレリーナ:前田新奈
ムーア人:窪田央
人形師:中村しんじ
ムーア人を踊ったのは、元東京バレエ団の窪田さん。とても存在感のある踊りと演技。荒々しく傲慢な、でも憎めないムーア人を好演していた。この演出では、最初からムーア人とバレリーナはかなりいちゃいちゃしていて、嫉妬したペトルーシュカがムーア人をバゲットでポカポカ殴ったりする。先ほどはチャガを踊った前田さんがバレリーナ。きれいなんだけど、きれい過ぎて、しかも細すぎて人形ぽくないような感じ。踊りも、人形を踊るにはやわらかすぎたと思う。生身の女性っぽいのだ。一方、小林貫太さんのペトルーシュカはなかなか良かった。情けない人形としての悲哀が伝わってくるし、ぐにゃぐにゃ人形演技もこなれている。
ペトルーシュカが人形師に、粗末な自室に連れられていじけているところでは、壁を紗幕にして、紗幕の向こうから人形師が透けて見えて、さらにペトルーシュカがおびえたり、バレリーナが見えると喜んだりという趣向になっていた。この場面のセットがやや安普請だったけれども、こういう工夫はいいと思う。
街のセットはなかなか立派なものだったけれども、「ペトルーシュカ」特有の雑多な喧騒がやや伝わってきていないというか、全体的に大人しい印象。このあたりは、先日の小牧バレエ団や、春の東京バレエ団の方がこなれていた。
ラスト、ペトルーシュカの亡霊が屋根の上にいるところでは、人形師をあざ笑うかのようなペトルーシュカの演技が印象的だった。
シェヘラーザード
振付:小林恭(元振付:ミハイル・フォーキン)
音楽:リムスキー=コルサコフ
ゾベイダ:下村由理恵
若く屈強な奴隷:後藤晴雄
シャー・リアル:松島正祥
シャー・ゼマン:中村しんじ
宦官長:大前雅信
盲目のアラビア老人:小林恭
シェヘラザード:中村貴乃
演奏:東京ニューシティ管弦楽団
指揮:磯辺省吾
「シェヘラザード」という作品は、王の不在中に宦官長を篭絡したゾベイダやオダリスクたちが、奴隷たちと愛欲にふけり、戻ってきた王がその場にいた全員を殺してしまうという、単純なストーリー。しかし、今回の公演では、もう少しストーリー性を持たせたドラマティックな演出になっていて、効果的であった。
まず、若い娘(シェヘラザード)に手を引かれた盲目の老人が登場する。老人は竪琴を弾きながら、この娘に、昔あった恐ろしく残酷な話を聞かせるという趣向だ。
ストーリーのポイントは、ゾベイダと金の奴隷(ここでは、「若く屈強な奴隷」という設定で、きらびやかに着飾っているわけではない)は、かつては恋人同士だったという設定があることだ。よって、ゾベイダと奴隷の交わりは、単に欲望にふけるということではなく、引き裂かれた恋人同士が、立場は変わっていても、めぐり合ってお互いを求め合うというものになっていて、ドラマ性を付け加えている。
新しい奴隷たちが大勢連れて来られるところからドラマは始まる。フォーキン版のと違って、捕らえられ鞭打たれた奴隷たちは傷だらけで薄汚れている。最後に連れてこられたのが、後藤さんが演じる奴隷。目がギラギラしている。傷ついた野獣のような目。日本のバレエを見ていて、このような目に出会えるとは驚きであった。そして、その目は、ゾベイダの胸元にある首飾りに吸い寄せられている。(とパンフレットに書いてあった。どうやら、この首飾りはかつて彼がゾベイダに贈った愛の証だったという設定があるようだ) ゾベイダに飛び掛らんばかりの勢いの彼は、すでに人間ではなく、野生の動物のようだった。鞭打たれ、引っ立てられるように檻の中に引きずり込まれる奴隷。すでに、この段階で、腐れ女子のハート直撃である。ゾベイダももちろん、明らかに動揺していて、彼のところに駆け寄りたい気持ちを隠せないでいる。シャリアール王とその弟が、この二人の間には明らかに何かがある、怪しいと疑うほどに。
シャリアール王たちが去った後、ゾベイダは愛しい奴隷が欲しくてたまらなくなる。 彼の檻のところに何度も何度も駆け寄り、悲壮で切なげな表情を見せる。このあたりの下村さんの演技が素晴らしく情熱的で、あふれる彼への想いが伝わってくる。オダリスクたちすら、彼女を止めようとするほどだ。檻の間から、奴隷の腕が伸びてきている。彼もゾベイダを求めているのだ。召使に命じて自分の宝石箱を運ばせ、開けて宝石をオダリスクたちに与える。大喜びしてゾベイダに加担することに同意する女たち。そして彼女たちは、さらに宦官長を宝石で買収して檻の鍵を入手し、奴隷たちを解放する。もちろん、ゾベイダも宦官長に宝石を与え、若く屈強な奴隷の檻を開け放つのだった.....
後藤さんの踊りはもう絶好調。ジュッテは高いしダイナミックだし、舞台の上が狭く感じられるほどだった。しなやかで美しいがどこか手負いの半獣半人という感じで、豹のように力強く飛び回る。東京バレエ団の公演でも、これだけ大きく跳んだり回ったりする後藤さんを見たことがない。すげえ。惚れた。下村さんも、すごく色っぽいし反らせた背中は柔らかいし、日本人にはないような表現力があって見事。演出意図として、あまりエロティック大会にしないようにしている、とあったので、あからさまな性愛的な表現は控えられているけど、すごく熱かった。後藤さんがストイックな雰囲気があるからこそ、さらにセクシーなのである。オダリスクや奴隷たちの群舞の時には、紗幕のようなカーテンの奥にあるベッドで二人は戯れているのだけど、ここでの絡みは相当エロい。見てはいけないものをみちゃった気分になる。カーテンから透けて見え隠れするところが余計に。
2階席の2列目というなかなか良い席で観ていたのだけど、これはもっと近くで見たかった。(電話をかけた時点で、もう近い席はなかったのだけど)後藤さんの獣のような暗い情熱を秘めたまなざしには本当にどきどきさせられた。メイクだってそんなに濃くないし、衣装だって、ルジマトフのようにきらびやかではないのに。下村さんのほうが明らかにお姉さんなのが、この二人の主従関係を思わせて効果的なのだけど、純愛だな、と思った。そして、二人とも、破滅は近いことを予感し、終わってしまうその日まで焼けつくすような思いに身を焦がすのだと感じさせてくれたから、すごく切ない。
奴隷たちの群舞は、今回は非常に力強くて凄く良かった。こちらの演目のほうに、いいダンサーを投入しているのがわかる。これだけ踊れる男子をそろえるのは大変だろうな、と思った。いいバレエ団だ。
シャリアール王と弟が帰ってきて、虐殺が繰り広げられる。若く屈強な奴隷も倒れ、彼に取りすがるゾベイダ。刃を向けられると、「殺すものなら殺して見なさい」と毅然と立ち向かう。彼がいなくなってしまっては、もはや生きていても仕方ないと感じているのだ。自害したゾベイダを見て、シャリアール王が、嗚咽する。その嘆き声は大きく2階席まで届き、松島正祥さんが素晴らしい演技を見せてくれた。
そして老人は物語を語り終え、少女に手を引かれて去っていく。
「シェヘラザード」が千夜一夜物語をベースにしているので、この語り手による物語というのは効果的な演出だし、小林恭さんによる老人の演技もとても味わい深いものだった。この演目は出演者の演技がそれぞれ素晴らしく忘れがたい印象を残してくれた。特に後藤さんの豹のようなしなやかさと、ぎらぎらとした瞳、ダイナミックな跳躍。下村さんの大人の女の色香と情熱、この二人によって表現された純愛。
非常に素晴らしい公演だったが、このドラマを盛り上げてくれたのが、東京ニューシティ管弦楽団による演奏であることは言うまでもない。「シェヘラザード」はコンサート演目としても人気があるが、今回は演奏も非常に良かった。
次回公演は来年10月で、演目は「バフチサライの泉」。これも、なかなか上演されることが少ない演目だから是非観たいと思う。そして、「シェヘラザード」はぜひ東京バレエ団のレパートリーに加えて欲しいと思った。後藤晴雄さんの奴隷はそれだけ魅力的であったのだ。東京バレエ団の誇る男性陣もきっと素晴らしい群舞を見せてくれるだろう。でも、今回の小林恭バレエ団の群舞もとても良かった。大満足!
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