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« ロイヤル・バレエの昇進発表 | トップページ | NYCBダイアモンドプロジェクトの写真 »

2006/07/13

6/19 ABT「マノン」アレッサンドラ・フェリ&フリオ・ボッカ(まだ途中)

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6月22日に引退するフリオ・ボッカのラストひとつ前の公演。22日のチケットは早々に売り切れたということで、この日のチケットもほぼソールドアウト。木曜日のチケットが買えなかった人が多く押しかけたようだ。私も、オーケストラ後方の端の方の席しか取れなかった。しかし実はMETは、後方の方が良く見えるのである。観客の皆さんも、いつもに比べてドレスアップ率が高いように思えた。

フェリのマノンは2003年に新国立劇場に客演した時に観たけれども、実はボッカのデ・グリュー全幕を観るのは初めてだ。花道を飾るにふさわしい役だと思った。

「マノン」という演目は、去年のロイヤル・バレエの来日公演で、ダーシー・バッセル&ロベルト・ボッレ、タマラ・ロホ&ロバート・テューズリーの2キャストで観ている。両方とも素晴らしい舞台だった。


さて、緞帳が開くと、舞台の中央には鋭く目を光らせたレスコー役のエルマン・コルネホが佇む。そして喧騒の街へ。う~むABTでのマノンの上演は久しぶりということで、アンサンブルがなんだかちぐはぐで雰囲気がうまく出せていない気がしなくもない。乞食のかしらはカルロス・ロペスで、彼はさすがにとても上手だし役に合っている。が、乞食ボーイズはちょっとまだ役になじんでいない感じで、元気のよさも足りない。
さすがにエルマンは素晴らしい!最初のソロの、パ・ド・シャの高くて美しいこと!足先まですっと伸びていて、一瞬重力の存在を忘れる。バレエのお手本のような綺麗さだ。

馬車を降りるマノン役のフェリ。彼女が舞台に足を踏み入れた瞬間から、場の空気が変わるのがわかる。ジュリエットを踊るフェリを見ると、ジュリエット役を演じるために生まれてきた人だと思うけど、それはマノンも同じ。天使のように無垢で愛らしいのに、すでに悪の萌芽が透けて見える。そして何者も、マノンの魅惑のまなざしを向けられてしまったからには、その魅力に抗うことは難しい。生まれながらのファム・ファタル。散々言い尽くされてきたことではあると思うけれど、フェリの目線の使い方は世界最強といえる。ここまで的確に感情を伝えられる目線を持つ人は他にはいないのではないか。いたとすれば、それがフリオ・ボッカだったのだ。

ボッカは本を抱えてさりげなく登場する。しかし、彼の存在に気が付いた観客は、ここで大喝采を送った。彼を見るのが最後、という人も多いことを実感させられる。髪はぴっちりと整えられ、さすがに年齢は隠せないが真面目で純粋な神学生そのもの。街の喧騒をよそに本に没頭する。が、マノンとぶつかってしまったが最後。運命の恋の始まりだ。そしてその瞬間、舞台の空気がまた変わる。観客全員が息を呑んだ。

ボッカの大ファンで、今までもロミオとジュリエット、海賊、白鳥の湖、ドン・キホーテ、先週のジゼルと観てきたのだが、この最初のソロとそれに続くパ・ド・ドゥを観て、今までこのデ・グリューを観たことがなかったなんて、私は何をやっていたんだ...と思った。完璧な踊り、完璧な演技、完璧なパートナーシップとはこのことである。恋が始まった瞬間の気持ち、高鳴る胸、いとおしい思い、それらがすべて、彼の腕と脚の柔らかく滑らかな動きに雄弁に込められている。心の中の記録装置に刻み付けて、何回でも再生したい。そしてそれに対するフェリの受け答えも見事なものであった。この短いパ・ド・ドゥに対しての拍手も、割れんばかりであった。

そして、魂を奪い去られてしまいそうになるほど美しい寝室のパ・ド・ドゥへ。少し残念だと思ったのは、寝室のシーンだからということで、照明がかなり暗く、ペンを持ったボッカや、ベッドの支柱にまとわりつくフェリの姿が余りよく見えなかったことである。それにしても思うのは、演技者としてのボッカとフェリの素晴らしさである。この二人にしか作り出せない魔法のような瞬間がここにはある。あふれ出る愛、温かい空気に包まれる。フェリのよくしなる足の甲と雄弁な脚線。優しいボッカの視線。少し挑発的でいたずらっぽいけどイノセンスのあるフェリの微笑み。美しく滑らかに、甘く溶けそうに伸びたボッカのアームス。そして最後は熱く抱き合ったまま動かないで時を止めてしまうふたり。嵐のような拍手は鳴り止まず、ボッカが走り去り、フェリがベッドの上に飛び込み、そしてムッシュGMらを乗せた馬車がやってきてもそれは続いた。次のシーンになっていて音楽も変わっていたのに、その音が聞こえないほどだ。 こんなにも観客がひとつになって息を呑んで見つめていた舞台はなかったのではないかと思うほどだった。

まだ拍手も鳴り止まない間に、ムッシュGMとレスコーがやってくる。場面転換にちょっともたついてしまったのがもったいない。ムッシュGMの家来が差し出した豪華な毛皮のコートに目を輝かせるマノン。マノンという役がすごく難しいのは、デ・グリューを純粋に愛している反面、富とか美しいものも大好き、でも欲張りという風に見せてはいけない、かといって可愛いこぶりっこしているように見えてもいけない。ただただキラキラしたものが好き、愛も宝石も両方欲しいわ、だってどっちもとても綺麗なんですもの、とあくまでもイノセントなままで演じなければならないこと。だからこそ、マノンはどんなことをしても最後まで汚れないのだから。そしてそのように演じられたのは、今回の4キャストのうちフェリだけだったと思った。コートを身に着けてうっとりとし、ねえ、きれいでしょうってレスコーに視線を送る。後ろめたさのかけらもない。浮かれたように軽やかにマノンの周りを回転し、ムッシュGMに金を要求するレスコーの小悪党ぶり。エルマンはフェリより15歳以上若いはずだし小柄なので、弟にしか見えないけれども、憎めない悪いヤツって感じで魅力的だった。ムッシュGMとレスコーがマノンの脚を持ってリフトしたり、マノンが二人の間にぶら下がるパ・ド・トロワ。このマノン=フェリの奔放な表情が素敵。そしてそのしなる脚の美しく蟲惑的なこと。ムッシュGMが頬ずりしたくなる気持ちも良くわかる。そしてこんなにも美しい妹を持って誇らしげなレスコー。しかしこうやって二人の男に振り回されているマノンは、彼らの犠牲者なんだな、と痛ましい気持ちにもなる。

一方、恋人を売られて激怒するデ・グリュー。ボッカが表現するこのあたりのデ・グリューの不器用さ、まっすぐさがいとおしく思えてしまう。デ・グリューとレスコーの諍いは、火花が散るようだった。エルマンのシェネのすばやさ、正確さ!アルゼンチンの大先輩の最後のステージでこんな風に組むことができるとは、彼も本当に幸せだっただろう。踊りのタイプは違えども、二人の共通点は、激しいシーンでも失われないムーヴメントの優雅さにあると思った。

2幕は、パリの娼館から始まる。娼婦たちの中に一人、まるで「リボンの騎士」のサファイアみたいに帽子をかぶって男の子のコスプレをした小柄な可愛い娘が一人。演じるのはサラ・レーン。2番ポジションで、ポアントでプリエしている振付が鬼のようにキュートだけど、とても倒錯している感じでやばい。しかも客の一人がそんな彼女の手を取り。。。

しこたま酔っ払ったレスコーとデ・グリューが登場して、レスコーの酔っ払いダンス。レスコーを演じるエルマン・コルネホが大変なテクニックの持ち主で、同じソロでも、今まで見たことがないような、あっと驚くような超絶技巧の跳躍とオフバランス。ただし、あまりにも上手すぎて酔っ払っていないように見える。そしてレスコーとレスコーのミストレス(愛人)のコミカルなパ・ド・ドゥ。ミストレスを演じているのが大柄なジリアン・マーフィで、小さなエルマンがよっこらしょっと彼女をリフトして、時にはよろめいたりというのがかなり笑える。またこのときのジリアンのコミカルな表情が可愛らしい。どうしようもない弟を見守るお姉さんって感じだ。

その後の娼婦二人が張り合うところは、あまりお互いに激しくいがみ合っている感じがなくて、今ひとつだった。ロイヤルで観た時の方が、ずっとインパクトがあった。キャスト表を見ても、誰が演じているのか書いていないし。紳士たちの踊り。紳士たちのメイクがまるでバカ殿みたいでかなり可笑しい。

そこへムッシュGMに手を引かれ、ゴージャスに着飾ったマノンが登場。見たくないものを見てしまった、と思わず顔を背けるデ・グリュー=ボッカ。1幕とは別人のように艶然と微笑むマノンだが、ここでもイノセンスを残した愛らしい少女の部分があるのはさすがフェリ。外套を脱ぐとすこしふっくらしている。女王のように振る舞い、男たちの腕から腕へと渡され、高くリフトされたかと思えば地面すれすれまで落下する、それでもなお汚れない。マノンという人物は、自分の意志とは無関係に、その天性の魅力が男たちを虜にするのであって、彼女は自分自身の魔力の犠牲者なのである。マノンは自分の意志というものは持たない。ただただ、周囲の人間の思惑に翻弄される存在なのであり、レスコー、GM、さらにはデ・グリューを含むこの場にいるすべての男たちの犠牲者でもある。男から別の男の手へと引き渡され何十人もの男たちにリフトされている振付は、まさに彼女が、一見女王であるように見せかけられていながら、実際には彼らの手によって搾取されている様子を巧みに視覚化しているのだ。それでもなお、ここで彼女は天使のように愛らしくも、悪魔のように誘惑的に、あの印象的なメロディに合わせて身をくねらせ、すべての男たちに、まるで魔法をかけるかのように、揺らめく炎のように妖しく踊る。フェリの、天然な分さらに罪深い魅惑のまなざしと、それ自体が一つの生き物のように曲線美を奏でる、揺らめく腕や指先。その横で苦悩するデ・グリュー。

娼婦たちの踊りと、レスコーの愛人のソロ。ジリアン・マーフィーが素晴らしい。物語の上ではまったく必然性のない役柄なのに、現実的で、生き生きとしていて、色っぽくて、マノンと正反対のキャラクター。大きいけれども背中が柔らかくて、気持ちいいほど脚が高く上がってメリハリの利いた踊り。

宴が終わり、デ・グリューとマノンは二人きりになる。二人でどこかに行こう、と懇願するデ・グリュー。このときの捨てられそうな子犬のようなボッカの瞳が忘れられない。こんなにも全身全霊で、絶望的なまでに愛を訴えかけているというのに、マノンは贅沢な暮らしも捨てられない。なんということだ....こんなにも必死なボッカの愛に応えられないとは。観ているこちらの方が、胸が張り裂けそうな思いがする。

いかさまトランプでムッシュGMのお金を巻き上げてから、二人で逃げようということになったけれども、ボッカのデ・グリューは本当に不器用。とてもいかさまなどしそうにないような朴訥さなのだけど、そのおどおどした振る舞いからか、すぐにいかさまは見破られ、激昂するGM。二人は何とか逃げるけれども、レスコーは逃げられなかった。逃げた先でのひと時の甘い時間も、マノンは「きれいでしょ~~」とうっとりとGMに贈られたブレスレットを自慢して軽いいさかい。フェリのマノンは物欲に毒されているというよりは、このブレスレットがすごく綺麗で、それがもらえたことがうれしくてたまらないという無邪気さがあって、そこがまた罪深いのだ。

そこへ、GMに捕らえられ、両手を縛られて血を流しているレスコーが走ってくる。小柄で愛嬌があるエルマンがこんなにぼろぼろの姿になってしまっていると、とっても可哀相に見える。こんな兄でもたった一人の兄(弟にしか見えないが)。半狂乱になってマノン彼を助けようとするけれども、哀れにもレスコーは血糊をべったりと飛ばしながら絶命。彼の亡骸に取りすがるしかないマノンだったのだ。

3幕。

新大陸、ルイジアナ州ニューオーリンズの港。ここは流刑地で、刑務官、街の人々、女優、さまざまな人たちが行きかう。待ち構えているのは、大きく仁王立ちした、横暴そうでマッチョな看守のサシャ・ラデツキー。ふてぶてしい表情が様になっている。そこへ到着する護送船。髪を刈られ、ぼろぼろの服を着た娼婦たちがよろよろと出てくる。みんな長旅で疲れやつれきった様子。でも、ほっそりとしたバレリーナたちがすっぴんに近いメイクでショートカットで出てくると、いつものバレリーナの姿と違っているので、被虐的な美しさでとてもかわいい。うなだれて、頭を抱えるようにして一人、一人と踊る彼女たち。あまりの打ちひしがれた様子、疲労で地面に倒れてしまう。そんな彼女たちに手を貸す優しさを見せる街の人たち。

そしてマノンがデ・グリューを伴って船から下りてくる。小柄なフェリが、化粧を落として短い髪でいるとすごく幼く無防備に見える。デ・グリューのボッカも、さっきまでのきれいに整えられていた髪が乱れていて、なんだかとてもセクシーだ。デ・グリューはひたすら優しい。だが、こんなにぼろぼろになっても美しいマノンに、看守は早速目をつけ、連れて行ってしまう。デ・グリュー、踊っている場合じゃないって!

Manon : Alessandra Ferri
Des Grieux : Julio Bocca
Lescaut : Herman Cornejo
Lescaut’s Mistress : Gillian Murphy
Monsieur G.M. : Victor Barbee
The Jailor : Sascha Radetsky

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