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« 「デイバージェンス―運命の交差点」 | トップページ | クデルカ版「シンデレラ」と、バレエ「シンデレラ」の歴史(その2) »

2006/06/02

クデルカ版「シンデレラ」と、バレエ「シンデレラ」の歴史(まだ途中)

6月2日に、ジェームズ・クデルカが振付けた「シンデレラ」がABTによって新制作されプレミア公演されるが、ニューヨークタイムズに、クデルカによる作品のコメントと、バレエ「シンデレラ」の歴史が載っていて、大変興味深かった。プロコフィエフによる、おとぎ話の音楽としてはいささか不穏で奇妙なスコアがこの作品の魅力だと思っていたけど、プロコフィエフ以前にも「シンデレラ」のバレエは上演されていたのだ。

以下翻訳です。

「シンデレラは単なるおとぎ話の登場人物ではなく、感情、経験を持ち、そして動いている実体を持った人間としてみている」とプロコフィエフは「シンデレラ」のスコアを作曲した際に語っていた。1945年に作曲されたこのスコアは、多くの振付家に、様々な解釈をもったインスピレーションを与え続けた。最近ではジェイムズ・クデルカがその振付家の一人となった。

クデルカが所属するナショナル・バレエ・オブ・カナダで2004年に初演された「シンデレラ」は、6月2日にABTによってニューヨーク・プレミアが行われる。

クデルカの解釈は、プロコフィエフが表明した「登場人物に人間性を与えたかった」という表明を反映したものである。クデルカは少なくとも10年間ほどは「シンデレラ」から遠ざかっていた。貧しさからお金持ちになるというシナリオ、王子がその財産と権力で哀れなシンデレラを救うために身を落とすという考えが嫌いだったからだ。
彼のバレエでは、二人はお互いを救う。シンデレラによって王子は王室の空虚な生活を逃れることができ、シンデレラは王子によって、何も考えていなくて感情のない義理の家族が決して与えなかったひたむきな愛を与えられる。物語の中の変身のテーマにひきつけられたクデルカは、カボチャが馬車に変身することを、人間の進化と捉えている。「100円ショップの心理学と呼んでもいいよ。でも、それがここで効果的なんだと思う」

彼のシンデレラは、虐待されていたというよりは混乱をしていた。「シンデレラは、自分が求めているのは愛であるということを知らない。なぜなら、機能不全の家族の中で彼女はそれを経験したことがないから。継母や義理の姉たちは、田舎の成り上がりで、外見のことしか気にしていない人たちだ」

シンデレラの王子は、豪奢、虚飾そして社交界において他人を蹴落とすことばかりを気にかけている王室の後継ぎとして同じく苦しんでいる。主人公たちが出会うと、「相互補完しあう」とクデルカは言う。彼らは自分たちの方法で障害を克服すると、静かな家庭生活の中に落ち着くことを選ぶ。「最初から最後まで、私の最大の目的は、この物語を筋の通ったものにすることだった」

シンデレラの物語は古代から存在しており、書物の中では9世紀の中国に最初に現れた。ヨーロッパでは1630年にGiambattista Basileによって民話や御伽噺のアンソロジーの中でナポリの方言によって力強く描かれたのが最初の出版である。今日最も知られているヴァージョンは、フランスのシャルル・ペローやドイツのグリム兄弟によるものである。

19世紀初頭、グリム兄弟は、ホラー色に満ちた「シンデレラ」を生み出した。拷問、(足を靴に合わせるための)自己による身体の損壊、悪い人の目を突く鳥などで。ペロー版は洗練されていて、エレガントでウィットにあふれている。茶目っ気のある皮肉という彼の本質にもかかわらず、ペローは性善説を取り、シンデレラが王室入りしたとたん、彼女は義理の家族によってもたらされた悪事を許すという美質を描いている。

「シンデレラ」は、いまや作品とは切り離すことができないプロコフィエフのスコアが作曲されるずっと前からバレエとして上演されてきた。19世紀初頭からヨーロッパで上演された記録がある。マリウス・プティパは1893年にサンクトテルブルグのマリインスキー劇場で自作の「シンデレラ」を上演した。1938年にミハエル・フォーキンはバレエ・リュス・ド・モンテカルロのための「シンデレラ」を振付けたが、記録に残るような作品とはならなかった。

その間、シンデレラのテーマはチャイコフスキー以外のすべての作曲家をも魅了してきたといわれ、ヨハン・シュトラウスは、彼の唯一のバレエ曲としてシンデレラを作曲した。しかし、プロコフィエフのスコアこそが、シンデレラのバレエが命脈を保ち続けるための触媒となったのである。それによって振付家の仕事が簡単になったとはいえないが。恍惚をもたらす楽章の下に、冷笑的で不吉なトーンが流れ、美徳が勝利を得ているという考え方に反駁して、実際には悪はどこにでも存在しているとささやいている。

マリインスキー劇場のキーロフ・バレエのために作られたこのスコアは、実際には、ライバルであるボリショイバレエで、Rostislav Zakharovによって1945年に最初に振付けられた。1年後にキーロフ用にコンスタンティン・セルゲイエフが振付を行い、1964年に自ら改訂してマイムを踊りに置き換えるという当時のトレンドを取り入れた。ソヴィエトのバレエの典型に従い、これらの初期の版は、怒り、口やかましさ、ペーソス、憐れみ、驚きとロマンティックな幸福といった核となる要素を明確にした、単純でまっすぐな方法で物語を伝えていた。

現在最も高い評価を得ている「シンデレラ」のバレエを作り上げたのはフレデリック・アシュトンである。優しさ、戯画性、そして輝きを織り込んだ作品である。1948年に現在のロイヤル・バレエの前身であったサドラーズ・ウェルズ・バレエ団のために振付けられた。現在も輝きを失わないその魅力は、2004年にリンカーンセンターで行われたアシュトン生誕100周年記念のフェスティバルでも証明された。この秋、シカゴのジョフリー・バレエでアシュトン版のシンデレラは上演される。

(続く)

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