ブロークバック・マウンテン
※ネタバレ満載です。未見の方はご覧になってから。
「お前のせいでオレはこんな人間になってしまった。オレをどうか楽にしてくれ」と苦しそうに叫ぶイニス。あの夏からもう20年近くが経っていて、すでに若さもなければ、希望も失いかけている。恋愛というものは、決して人を幸せにするとは限らない。それどころか、不幸にしてしまうことの方が多いのかもしれない。それでも、その出会いがあったからこそ、その物語はずっと語り継がれ、人間の美しさを伝えていく。I sware (永遠に一緒だよ)の言葉とともに。
1963年。ワイオミン州ブロークバック・マウンテン。羊の放牧の仕事についたイニスとジャックというふたりの20歳の若者。美しいが厳しい自然の中でともに生活した二人は、やがて身を寄せ合うように結ばれる。夏が終わり二人は別れるが、それは20年にもわたる愛の始まりだった…。
カウボーイ同士の禁断の愛を描いた作品、というのが世間的な認識ではある。しかし、これは同性愛についての作品ではない。どうしようもない高い障害に阻まれ世間から決して理解されることのない愛の物語。二人のすべてはブロークバックにあり、二人の残りの20年間はブロークバックで過ごした日々を反芻し夢見続けたのである。20歳の夏のかけがえのない日々、ともに過ごした愛しい存在を想い続けることで、その後の人生はどのように変えられてしまったのか。そして人は生き方を変えることができるのか、望み通りの人生を生きることができるのか。
ジャックは言った「俺たちには、ブロークバックマウンテンの思い出しかない」と。あの楽園での夏の後も、彼らは短い逢瀬を続ける。が、お互いに家庭を持つ身となり、また同性同士ということで人目を忍ぶ付き合いとなる。あの時のような、何もかも輝いていた幸福感は二度と訪れなかった。不器用なイニスは、生活に疲れ、ジャックとの関係に気付いた妻と娘たちに去られてひとりぼっちに。一方、金持ちの娘と結婚したジャックは、金銭には不自由しないものの妻の家族には疎まれ、イニスを想いながらも牧場主と関係を続けている。彼らの人生の中で本当に美しかったのは、ブロークバックで過ごした日々だけだったのだ。象徴的なのが、ジャックからイニスに送られるのが、いつもブロークバックの山を映したポストカードであること。最初に別れてから4年後、郵便局留で届いたこの絵葉書を見た時、イニスはたちまちジャックのことを思い出して懐かしくてたまらなくなった。そしてポストカードのやり取りはそれからずっと続くことになる。
障害のある恋愛については、いくらでもドラマティックに仕上げることができるだろうに、それがなされていないことに好感が持てる作品だ。ブロークバックで出会った二人が結ばれるまでの過程も淡々としており、美しく厳しい自然の中で次第に相手を愛しく思う様子が、台詞が少ないのに伝わってくる。だからこそ、あの寒い夜にテントの中でどちらからともなく結ばれることも不自然ではなく思えるのだ。特にイニスは寡黙で口下手という設定なのだが、だからこそ、言葉に依存しない感情が伝わってくる。
「あれは1回限りのことだ」「オレはおかまじゃない」と、初めての行為の後イニスは言う。イニスは、自分自身が同性愛者であることを激しく否定しようとしていた。そのために、ブロークバックを降りて間もなく結婚するのだ。しかし、その言葉とは裏腹に、二人はしっかりと結ばれていた。夏が終わり、何事もなかったかのように、連絡先も伝えずに別れた二人。だが、イニスの激しい慟哭ぶりに、いかに彼が深くジャックを愛してしまったのかが現れていて、胸が痛くなる。
子供の時のトラウマから同性愛に抵抗を持ち、感情を表に出すことが苦手なイニスが、搾り出すように一人物陰で涙を流すところも、決して大げさな描写ではないゆえ、響いてくる。
対照的に、情熱的で、イニスを求める自分を抑えられなくなっているジャック。離婚したばかりのイニスと過ごすことができず、情欲をもてあましてメキシコに男性を買いに行ってしまうところが哀しい。
彼らの結婚生活を経てからのうんざりするような日常も丁寧に描かれている。結婚式の時には初々しかったイニスの妻アルマもやがて生活に疲れてくすんでいき、ジャックとのラブシーンを目撃してからはもはや彼を愛することができなくなっていく。イニスがふがいないため幼い娘二人を抱えてスーパーで働かなければならない、貧しい田舎での暮らし。ジャックは妻となるラリーンとロデオの会場で出会い、勝気で積極的、華やかな彼女に惹かれる。だが、やはりジャックの本当の愛が自分にないことに気付いたラリーンは服装ばかりが派手になって不満を募らせていく。時を重ねることで変わっていく様子を、二人の女優は実にうまく表現している。
それでも、ラリーンはジャックを愛していたのだろう。ジャックの死を知ったイニスからの電話に、最初は事務的に対応する彼女が、「遺灰はブロークバックマウンテンに撒いて欲しいと言っていたわ。あの頃が一番楽しかったと彼は言っていたわ。青い鳥が舞い、ウイスキーの川が流れる土地なのかしら」 と話す時の声の震え。これもまたとてもせつない。
ジャックはイニスと二人で牧場を経営したいと考えていた。しかし、父の手によって惨殺された同性愛者の死体を見てからのホモフォビアであるイニスは、その提案を拒否してしまった。もし、あの時Yesと答えていたら…。
人生なんて、もし、あの時という後悔ばかりだ。でも、後悔ばかりが人生ではない。
なんといっても、シャツの使い方!ジャックの粗末な実家のクローゼットにあった、シャツ。血染めの自分のシャツが、見覚えのあるジャックのシャツの下に重ねられていたこと。ブロークバックで過ごしたあの夏、けんかをして鼻血を出してしまった時のものだ。ジャックがこの世にいなくなっても、この重ねられたシャツだけで二人は永遠に結ばれていたことを示していた。ジャックから届けられた、ブロークバック・マウンテンのポストカードと、「I sware 」の言葉。シャツとポストカードで、この物語は光り輝き語り継がれるものとなった。やっとイニスは負け犬から抜け出して新しい人生を歩みだすことができるのだろう、と私は思った。クローゼットとは、もちろん、カミングアウトすることの隠喩でもある。
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shitoさんによる素敵な批評はこちら
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