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« 今年の観劇予定 | トップページ | ヘスス近況 »

2006/01/11

くるみわり人形 E.T.A.ホフマン

年末にバレエ「くるみ割り人形」を2回観たので、原作を読んでみた。ポプラ社から出ている版だ。

絶版になっているみたいだけど、種村季弘による翻訳もあるみたい。

ホフマンというと、「コッペリア」の原作「砂男」の作者としても知られていて、怪奇小説の人、という印象が強い。バレエ「くるみ割り人形」は正確には、ホフマンの「くるみ割り人形とねずみの王様」をデュマ(父)がフランス語に翻案したものを元に作られている。そのため、ホフマンの原作ではマリーとなっているヒロインの名前が、ロシア圏ではマーシャ、そしてフランス語圏ではクララ(もともとクララはマリーの人形の名前)と変わっている。で、いろいろとバレエを見ている人なら全員知っている話だと思うけど、クララ(マリー、マーシャ)がそのまま同じダンサーで2幕の金平糖の精のヴァリエーションを踊る版と(ワイノーネン版など)、金平糖の精を別のダンサーが踊る版(ピーター・ライト版、プティパ/イワーノフ版)がある。

で、今回は原作の話をすると、くるみ割り人形なんて子供の話じゃん、と思っていて読んでみたらこれがめっぽう面白い。まず、夢と現実が錯綜して最後には夢が現実になるという構成。バレエだと当然上演時間の関係もあって一晩の出来事ということになっているけど、原作では、ねずみの軍団との戦いなども何晩にもわたって繰り広げられるし、伯父ドロッセルマイヤーがマリーに読み聞かせたピルリパート姫の話などは、10年以上にも及ぶ大河ドラマである。
マリーは、ねずみ軍団との戦いの話を親に話しても全然信じてもらえなくてうそつき、と言われるけど実際には嘘じゃなくて、最後に本当にくるみ割り人形は王子様に変身してマリーを迎えに来る。
バレエのくるみ割り人形でちょっと白ける部分と言うのは、1幕はドラマのみで踊りが少なく、2幕はストーリーとはあまり関係ないディヴェルティスマン(踊り)が繰り広げられ、最後に2幕は全部夢でしたという夢落ちということなんだけど、本当は夢じゃなかった、というところがいい。(マシュー・ボーンの「くるみ割り人形」は夢から覚めたクララの前に美青年のくるみ割り人形が現れるという結末なので、これもまた「夢ではなかった」という設定)
同じダンサーが通しで踊るのは、少女の成長物語として描くため、なんて説明はされているけど、ワイノーネン版は正直言って全然面白くない。

ドロッセルマイヤー伯父さんの怪しさがとても好き。ドロッセルマイヤーは、ねずみと人形たちの戦いを高いところから見守っていたり、いろいろな発明をしたり、不思議な話を聞かせてくれたり、自己顕示欲が強かったり、とっても魅力的なキャラクターなのだけど、その魅力が出ているバレエというのは実際には少ない。ピーター・ライト版の「くるみ」はその点、(ロイヤル・バレエのDVDの)アンソニー・ダウエルという名ダンサーにドロッセルマイヤーを演じさせて、そもそもねずみたちとの戦いは、ドロッセルマイヤーがネズミ捕りを発明したからということから始まり、くるみ割り人形が甥であるという設定がちゃんと入っているから、面白いと思う。ねずみのカブリモノもとってもリアルだし、他の出演者もクララにアリーナ・コジョカル、金平糖の精に吉田都、王子にジョナサン・コープ、くるみ割り人形にイヴァン・プトロフと超豪華。バーミンガム・ロイヤルのくるみ割り人形DVD(同じくライト版)のドロッセルマイヤーの、人さらいのおじさんのような怪しさもなかなか魅力的だ。こちらも吉田都さんがイレク・ムハメドフと素晴らしいヴァリエーションを踊っている。

それとやっぱり、この原作は幻想とホラー的な要素がかなり強い。7つの頭のねずみの王様、なんて考えただけで不気味で怖い。バランシン版のくるみ、私は見たことがないのだけどこれはこの7つの頭の王様が出るらしい。それが夜な夜な人形たちをかじってしまったり、マリーの体の上を這いまわるのだから!人形たちの擬人化もうまい。ピルリパート姫がねずみの貴婦人に呪いをかけられてしまって世にも醜い姿にさせられてしまった描写もかなり生々しい。王様の大好物である脂身をねずみたちが食べてしまったので、ねずみたちが罠にかけられて殺されてしまい、その復讐なのである。ちょっとだけ残酷な話。

そうやって読んでみると、この間観たバレエ・ビアリッツの「くるみ割り人形」はかなり原作に忠実にバレエ化しているのがわかる。
観ていないけど、多分熊川哲也版の「くるみ」もサイトのあらすじを読む限りでは、原作の精神を受け継いでいる印象がある。

くるみ割り人形の、日本の各バレエ団の上演については、チャコットのWEBマガジン「ダンスキューブ」に詳しく出ている。
http://www.chacott-jp.com/magazine/around/tokyo_37.html また、マリインスキー・バレエのパリ公演の「くるみ」(ゲルギエフ指揮、ミハイル・シェミアキンの演出、美術、衣裳、キリル・シーモノフの振付)が収録されたというニュースも載っている。こちらはかなり変わった版のようだけど…。

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バレエの本」カテゴリの記事

コメント

12月と言えば《くるみ割り人形》。原作を読んでみました。
シュタールバウムなのかジルバーハウスなのか?
マリーなのかクララなのか?
くるみ割り人形に名前はあるのか?

で、感想などをネットで探していたらここにヒット!
naomiさんも読まれていたんですねえ。
ちょっと記事が古いので恐縮ですが、
嬉しかったのでレスさせていただきます。

読んでみて感じたのは、人形なのか人間なのか分からない
書きっぷり、さすがホフマンだなあ。でも、『夢と現実が錯綜』
というのは、この作品には当てはまらないような印象。
「シュタールバウム家の日常」「マリーの夢」「ドロッセルマイヤー
の物語」の3者が厳然と分離していて、ちょうど三角プリズム
の3つの面のように働いて読者に多様な印象を持たせているように
思いました。そして、最後の数ページ(マリーが椅子から転げ落ち
母親が起こすところから)で3者が合体する・・・・
「マリーの夢」と「ドロッセルマイヤーの物語」はそこで完結するのに
「シュタールバウム家の日常」については、涙でゆがんでか、
非日常的な結末となっていますね。
子供にとっては将来の夢。
大人にとっては過去の哀しくも懐かしい思い出。

バレエにピッタリの物語だと感じました。

やすのぶさん、こんにちは。

ずいぶんと古い記事ですよね(笑)まだそのころは、バージョン違いであまりたくさんくるみ割り人形を観ていなかったんです。でも、原作、すごく面白いんですよね。かなり怪奇的な要素が強い。幻想的なのだけど、現実は現実で厳然と存在している、みたいな。
そういう意味で、怪奇的な要素やフロイト的な要素の強いヌレエフ版くるみ割り人形は、私は結構気に入っています。今月、クラシカ・ジャパンでウィーン国立バレエ団が踊った新しい映像が放映されるので楽しみです。
原作、改めて読み直そうと思いました。

naomiさんのこのブログの膨大なデータもネットの検索を上手くやれば
出て来るということですね。ネットの威力はすごい(笑)

<現実は現実で厳然と存在している>
ここが、この物語の奥が深いところですよね。そしてさらにその外側に
読者やホフマン自身の存在が意識されている。エルンスト君や
テオドール君(アマデウス君は出てこないけど)が聞き手として登場!

45年前の↓のヌレエフ版。ヌレエフはドロッセルマイヤーで、かつまた
王子でもある。凄いですよね。まるでクララはヌレエフの人形のよう(笑)
この版ではクリスマスパーティーでのクララのうたた寝のほんの束の間
の夢の出来ごとのような演出ですが、ヴィーンのヌレエフ版がネットで公開
されていた時も、同じように散会の場面を最後にもってきていましたね。
アイデア自体は面白いんですが、原作の趣旨からは逸脱している
ように感じました。

http://www.youtube.com/watch?v=w3MfkuJSY6I

今回原作を読んで分かったんですが、ドロッセルマイヤーって4人
登場します。1人は現実のマリーの名付け親でもある①裁判官の
ドロッセルマイヤー(これはホフマン自身でもあるのでしょうが)で、
あとの3人は彼の物語に出て来るドロッセルマイヤー。
②時計職人のクリスチャン・エーリアス・ドロッセルマイヤー
③彼のいとこの人形職人のクリストフ・ツァハリアス・ドロッセルマイヤー
④いとこの息子のドロッセルマイヤー(胡桃割り人形)
で、①と④には名前がない。これホフマンのたくらみなんでしょうね(笑)
だから、ヌレエフのこのやり口もホフマンのたくらみを見抜いたうえでの
ことだとしたら、結構説得力があるように感じました。

やすのぶさん、こんばんは。

そうそう、ドロッセルマイヤーって4人登場するのが面白いところなんですよね。ヌレエフは、このホフマンのたくらみを見抜いているんじゃないかなって思います。やはり私は、このドロッセルマイヤーが魅力的な版が面白く感じるみたいなんです。バーミンガムロイヤルで上演しているほうのピーター・ライト版はドロッセルマイヤーが怪しい人さらいのおじさんみたいなんだけど、えらく魅力的で。ベルリンのパトリス・バール版のオリヴァー・マッツも素敵でした。

マシュー・ボーンの《眠りの森の美女》の御説明ありがとうございました。
なるほど・・・・
ここでは人形が上手く使われていましたが、最初はオーロラだろうけど
最後は?・・・・カラドックの子なんでしょうかねえ??!!

人形と言えば、《くるみ割り人形》原作のピルリパート姫は、妙に文楽の
若菜(鬼女)↓に似ているなあと思いました。

http://www.youtube.com/watch?v=j3dDrO8v1OU

原作はこういう記述↓
≪白くて赤くて金髪の天使のようにあどけなかったあの顔は消えうせ、代わりに不格好な異様に大きな頭がちっぽけに縮んだ体の上についていたのだ。青空のようだったつぶらな瞳は緑色の飛び出た
ギョロ目に変わり、小さかった口は歪んで片方の耳からもう片方の耳まで大きく裂けていた。≫

ピルリパート姫が人形だということは、次の記述からも分かります。↓

≪それは、ピルリパート姫を分解してみることだった。ドロッセルマイヤーはたいそう器用な手つきで、小さなピルリパート姫の手足のねじをゆるめて身体から外し、急いで中の仕組みを調べてみた。≫

マリーは、くるみ割り人形に連れられて人形の国へ行きます。
航海の途上で彼女は波の中に美しい姿に戻ったピルリパート姫を
見ますが、くるみ割り人形にそれはマリー自身が映った姿だと言われます。

バレエではその辺が省略されているので自由に物語を展開する
ことができるんでしょうね。でも、ペーター・ライト版のハンス・ペーター
の登場は僕は好きではありません。まだ夢オチの方がましだと思います。
ペーター・ライト版は原作から一番遠いところにあるんではないでしょうか?


やすのぶさん、こんにちは。

お返事が遅くなり申し訳ありません。現在バンコクでバカンス中なのです。

ピルパリート姫の話は大変興味深いですよね。原作を読んでからだいぶ経ってしまいかなり忘れてしまったので冬の課題として再読します。かなり怪奇色強いですよね。この間放送されたウィーンのヌレエフ版くるみを観て、やっぱりホラー的というかフロイト的なんでしょうけど子供が見たら泣いちゃう感じでした。あの不気味さが私は好きなのですが。

どうも、くるみは冬というかクリスマスの風物詩なので、子供向けの演出になってしまうんですよね。土曜日に新国立劇場のくるみを観たのですが、ダンサーは素晴らしいのに演出はかなりひどかったです。まさに愚作。

謹賀新年!
今年も昨年に増してご活躍ください。

<まさに愚作。>
新国大作論評読ませていただきました。(旧作も)
ずっとこの数年同じプロダクションなんですね(笑)
僕は現物観たことないけど、チャイコフスキーの
音楽が始まれば、すでにそこは《くるみ割り人形》
の世界!そういうことをやりたいのなら、舞台を
汚さず、客席の空き空間でも使えばよいのにね。

原作の話で恐縮ですが、ピルリパート姫というのは
ホフマン自身の娘のことではないかと思い至りました。
だから、人間として生まれても物語では人形なんだと。

解説での≪ホフマンの娘はわずか2才で夭折。
ホフマンの友人ヒツィヒの娘マリーも身体が弱く、
13才で亡くなった。≫という物語外の現実。
この物語は、まだ人を愛することも分からないうちに死んだ
我が子に比べて、マリーは8歳まで生き、人を愛する
ことができたのだという慰めの気持ちを表しているの
かもしれません。

とはいえ、舞台は 『明るく・楽しく・美しく』なければ
なりません。決して『哀しさ』を微塵も匂わせてはならない
とおもいます。子供向けの演出も決して悪くはない。
ただ原作の意図からは大きく外れるべきではない。

そんな中で博学で鑑賞経験豊かなnaomiさんに質問ですが、
森田本の247ページのバーバラ・ニキチナの写真
(白布に乗って移動する演出)を現実の舞台でご覧に
なったことはありますか?

映像で似たものでは↓のコレスニコワのものがあります。

http://www.youtube.com/watch?v=19Pn1keCMgg&feature=related

これは、バレエでの『道行』の表現として、とても素晴らしい
ものだと思います。決して哀しさを表に出していない!
ただ、演出面で失敗がコワイというところがありますね(笑)

やすのぶさん、こんにちは。
今年もどうぞよろしくお願いいたします!

そうなんですよ~マシュー・・ボーンのくるみ割り人形くらい違う世界にしてしまうんだったらそれもありだと思うのですが、現代からスタートする必然性があまりないんですよね。なんだか殺伐とした気持ちになってしまうのが残念なのです。子供のお客さんも多いので、もっと夢があって、幸せな気持ちになるような作品であってほしいです。

チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の音楽って、どこか郷愁を誘い、美しく幸せなんだけど何とも言えない悲しみも感じさせてくれて、思わず涙ぐんでしまうんですよね。亡くなった妹にささげられた曲だといいます。(妹と言っても、成人して子供を持ってから亡くなったようですが)

悲しいタッチがあってもいいのですが、終わりだけは幸福感がないといけないって私は思います!

教えていただいたタッチキン・バレエの動画拝見しました。素晴らしいですね~こういうのは初めて観ました。博学だなんてとんでもないです!いろいろ教えていただき感謝しています。音楽が「くるみ割り人形」ではないですね。でもとても美しいですね、これは。イリーナ・コレスニコワも見事です。

<なんだか殺伐とした気持ちになってしまうのが残念なのです。>
そうなんですよね。現物を観ていない僕にも
そのお気持ちはよく分かります。だいたい、この作品は
美しいダンスさえあれば、さらに、音楽を変にこじくり
まわさなければ、充分『幸せ』になれるんですよね。
余計な演出をしてほしくないという思いは
僕の少ない鑑賞経験でもよく出くわします。
「なんでそうなるの?」という『必然性』のなさは
せっかくの美しいダンスの『幸せ感』を阻害する
だけですからねえ・・・・

<思わず涙ぐんでしまうんですよね。>
この涙は《白鳥の湖》や《眠りの森の美女》から受ける
涙とは別種のものなんですよね。これらは作品から
放射される内容によって出て来る涙、いわば
『もらい泣き』なんですが、《くるみ割り人形》の場合
は作品と我々観衆が一体化することによって
出て来る涙なんですよね。それは音楽だけを聴いていて
出て来る涙とも別種のものです。音楽と美しいダンス
が合体して醸し出される『幸福感』こそが涙の源泉だと
思います。そこにバレエの醍醐味があるんでしょう。
だからこそ、余計なものがあってほしくないという
思いが強いのでしょう。

<悲しいタッチがあってもいいのですが>
怪しさはあってもよいと思いますが、悲しさは
あってはなりません。哀しさは音楽が表現している
のですから、視えるものには微塵も悲しさが
あってはならないように思います。
たとえば、誘拐シーンなど言語道断!

<終わりだけは幸福感がないといけないって私は思います!>
その『幸福感』とはマリーが幸福であるということです。
ペーター・ライト版でコジョカルが演じたディヴェルティスマン、
本当にクララは幸せそうですよね。でも、最後に
現実のハンス・ペーターが登場することによって
「クララはダシに使われたんじゃあ?」という思い
が頭をよぎります。

<こういうのは初めて観ました。>
日本の解説本にも出ているくらいですから、《くるみ割り人形》
の演出をやろうとする人なら当然既知のものなのでしょうが、
やっぱりアブナイからやらないんでしょうかねえ・・・・
でも、死出の旅路をバレエ的に美しく表現した最適の演出
(決して死を印象付けない!)だと思うんですがねえ・・・・

<音楽が「くるみ割り人形」ではないですね。>
これは、チャイコフスキーの《第3組曲》の第1曲《エレジー》
です。《エレジー》と言えば、クランコ版、ノイマイヤー版
《白鳥の湖》で使われた《エレジー》もありますが、全く別の曲
です。さらには《弦楽セレナーデ》の中にも《エレジー》と題され
る楽章があり、曲全体をバランシンが振付けています。

タッチキンが使っているのは、かなりはしょっていて、最後は
バレエ風に終わるように編曲されています。この《エレジー》も
省略のない形でバランシンによってバレエ化され、
男性1人と女性数人が踊ります。以前ヨツベに映像があったが、
いまは消されているようです。

最後に雪の精が出て来るので、たぶん《雪のワルツ》の前に
挿入されているんでしょう。なぜ、《松林の音楽》を使わなかった
のか不思議ですが、あまりに重厚すぎるのを嫌ったのでしょうかねえ?

<亡くなった妹にささげられた曲だといいます。>
作曲の直前、アメリカへ演奏旅行の途上フランスでそのニュースを
知ったとのことです。《松林の音楽》に刻印されています。

http://www.youtube.com/watch?v=GhIKNmHsDV8

"Sweet Reverie" from "Album for The Young" Op.39 No.21
《子供のためのアルバム》から 「甘い夢」


やすのぶさん、こんにちは。

お返事が遅くなりました。

くるみ割り人形は、やはり音楽がチャイコフスキーのバレエ音楽の中でも一番すぐれていると感じられるし、郷愁というか子供の頃の思い出を思い起こさせる音楽であるし、チャイコフスキーの妹の死、ホフマンの娘の死といった悲しみというか追悼的な気持ちも込められているところがあって、そのうえ美しい踊りが繰り広げられるので、思わず涙腺を刺激されてしまうのですよね。

私自身は、そこまで原理主義者ではなく、音楽を適切に活かしていれば、いろいろなバージョンのくるみ割り人形があって良いと思います。マリインスキーでのシェミャーキン/シーモノフによる改訂版は、いくらなんでもちょっとグロテスクすぎてどうか、と思いますが…

私自身は、ライト版も好きなので、これに関しての議論は平行線をたどってしまいますので、ここまでにしたいと思います。

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