東京フィルメックス「バッシング」
かのイラク日本人人質事件をモチーフにしたフィクション映画で、今年のカンヌ国際映画祭のコンペティションに選ばれている。事件をあくまでもモチーフにしているのであって、事件そのものを映画化したわけではない。
中東の某国でボランティア活動をしていた有子が、人質となってしまい世間を騒がせた数ヵ月後。北海道の実家で、父親と、父親の後妻とひっそりと暮らしているが、事件の余波はまだまだ続く。勤め先のホテルを解雇されたばかりか、嫌がらせの電話が何十本もかかってくる、見知らぬ人に突然暴力を受けたり、コンビニでも「あんたには売れない」と言われたり、恋人から別れを告げられたり。さらに、理解者だった父親も、勤務先に殺到する抗議メールや電話のせいで、30年も勤めた会社を辞めさせられるなど、有子はどんどん追い詰められていく…。
小林政広監督の自主作品で、90分にも満たない尺。緊張感のあル映像が続き、一瞬足りとも気が抜けない映画であった。有子を演じる占部房子が素晴らしい。実在の人物をモデルにしたわけではない。有子は決して聖人君子ではなく、今まで何をやってもダメだった人間が、ボランティア活動で人に感謝されることで救われたといういわば「自分探し型」の人である。すごく頑固で、でもバッシングされて弱気になって、自分の殻に閉じこもったりして対話を拒んだりするところを、リアリティをもって演じている。演出として彼女の顔のクローズアップが多いのだが、表情から彼女の人物像が伝わってくるのだ。普通に綺麗な継母役の大塚寧々とは対照的である。また、継母が作った食事を食べないで、大量の汁を入れたコンビニのおでんばかり食べているところも、彼女の脆さを象徴するものである。
映画技法的には、説明的な描写を極力省き、省略を行いながらも、省略されたところに起きた出来事がちゃんと伝わっているところに、演出の力を感じる。有子の父は職を失って茫然自失となり、ついには自らの命を絶ってしまうのだが、飛び降り自殺をしたはずの彼の姿を映さず、有子の表情と荒涼とした海、そしてその前のシーンの父の顔に漂う死相でその死を表現し、次のカットでは喪服の有子と継母、読経のシーンに移っているというシークエンスは、大変手際が良い。
一方で、意外性の少ない映画ではある。人質となった女性が帰国して激しいバッシングにさらされ、多くのものを失い、もはやここに自分の居場所はないと悟って再び中東へ戻っていくということだけを、想像できる範囲内で描いているのだから。ただ、この映画の中から、日本の社会の病理というものが浮かび上がってくるところは見事だと思う。おそらくは"ニート"であったであろう女性が自分探しのためにボランティア活動をして、自分自身を癒すために危険に身を投じる。一方で、有子の恋人や職場の上司の言葉に表れているように、ボランティアというのは暇な金持ちがやる道楽であって、普通の人間がやるのは異常なことであるという固定概念が蔓延している。なぜ、実際の事件であれだけ人質がバッシングされたのか、カンヌ国際映画祭で記者たちはそのことを凄く不思議に思ったらしい。自分たちの国ではそんなことはありえないからである。
そしてすごく気になったのが、外国に出かけていってそんなことやるんだったら、「国のために何かやれ」って口をそろえて言うことである。そういう発想にはぞっとするんだけど、そう考えている人は多いんだろうな。論法として、国のお金を使って救出してもらってなんて迷惑なやつだ、ってことなんだろうけど。(でも国は自分の国民を守る義務はあるはず)
実際の人質となった方は、たぶんここまでひどい目には遭っていないんじゃないかと思うんだけど、田舎だからこんなことになるのだろうか。東京の人だったらわざわざ、特に面識があるわけでもない相手を暴行したり、悪戯電話をかけてくるような暇がある人が早々いるとは思わないんだけど。というかそうであって欲しい。
自主映画で見るからに低予算で、有名な俳優も香川照之がちょい役で出ているくらいなのだけど、カンヌのコンペ作品でいまだに公開そのものが決まっていないというのはなんとも…よほどあの人質事件ってタブーだったってことなのだろうか。映画としては大変良くできていると思うのに。
さて、今回は舞台挨拶として、小林政広監督を始め主演の占部房子、香川照之ほかの舞台挨拶と、小林監督のQ&Aがあった。香川照之の言葉がなかなか可笑しい。「小林監督は荒涼とした風景を撮る人で、僕は日本のアキ・カウリスマキだと思っています。そして、占部房子さんはかねがね日本のジュリエット・ビノシュだと。ね、似ているでしょ?」たしかに占部房子はちょっとビノシュに似ていると思うけど、ビノシュより美人なのでは?その美人さんが三つ隣の席でこの作品を観ているのでちょっとドキドキしてしまった。前の席に香川照之が座っていて、Q&Aの時の質問に対するリアクションがいちいち面白い。
それにしても、ボランティアって胡散臭いって固定概念を広めたホワイトバンドの日本での展開って罪深いよね。(人質の男の一人がやたら目つきが悪かったというのも一因かもしれないが)
身内にボランティアを本格的にやっている人間が何人かいるので、余計色々と考えてしまった。
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