5/3 白鳥の湖神戸公演その4
ジェイソン・パイパーの魅力の多くは、彫刻のような肉体美とともに、彼のシャープなのに時として慈愛、深みを感じさせる眼力がもたらしているのだと思う。2幕のワイルドで聖なる野獣のような、高貴な野生を宿したジェイソンスワンにはたまらない魅力があるが、4幕の瀕死のジェイソンの悲しみを宿した瞳には、胸の奥底深くに眠る感情を刺激してやまない、幾千もの言葉を連ねても表現できない、あまりにも悲しい美しさがこめられている。
青白く輝く肉体に刻まれたいくつもの傷。ザ・スワンは弱った自分の姿を王子に見られることを恥じているかのようだ。王子に生きる歓びを教えた、強く雄雄しいザ・スワンはここにはいない。ザ・スワンは、こんな姿にされてしまい、そして死ぬことを恐れている自分を王子に見て欲しくなかった。だけど、そんな彼に王子は子供のように擦り寄って、その脚にすがりつく。ここでザ・スワンも、そして再びザ・スワンに会えた王子も安堵する。しかしそんな一瞬の安らぎは、白鳥たちの攻撃で断ち切られる。ザ・スワンから引き剥がされる王子はベッドから転げ落ちる。ザ・スワンも王子もお互いの手をつかもうと腕を差し出すが、ギリギリのところで届かない。白鳥たちに攻撃され弱っていく王子を見ても、自身が弱っていてどうすることもできないザ・スワンは、まるで自分自身が切り裂かれ痛めつけられているかのように苦しみ、ベッドの上で激しく悔しがる。残された力を振り絞って白鳥たちを蹴散らしたザ・スワンは、王子が動かないのを見て彼が死んだのではないかと思い、天を仰ぎ涙を流し崩れ落ちるように慟哭する。王子が彼に向かって這い出す。ザ・スワンは王子を堅く堅く抱きしめる。クリス王子は赤ちゃんに帰ったかのように、穏やかな表情だ。
しかし、一羽、一羽とベッドの上に白鳥たちが飛び乗っていく。シャーっと威嚇するコーディの白鳥。白鳥たちの群れとザ・スワン、対峙する彼らの翼の動きがユニゾンとなって、鳥肌が立ちそうなくらい美しくも恐ろしいシーンだ。ザ・スワンの最後の飛翔は、もうわずかしか残されていない力を振り絞って、王子を守るために戦う姿である。ザ・スワンにとって王子は自分の中の無垢な部分を象徴するものであり、王子を失うことは自分の体が引き裂かれてしまうことを意味しているのだ。それは王子にとっても、同じこと。ザ・スワンはいつしか、王子自身の一部となっていたのだ。同じ人間としてありえないと思えるほど、クリス王子は体をよじり、色んな方向に捻じ曲げてのた打ち回る。
戦う前からひどく痛めつけられていたザ・スワンは、磔にされたキリストのように大きく翼を広げたあと、どんどん弱っていき、白鳥たちに羽根をむしられ噛み付かれ、王子に「君を守ることができなくて本当にごめんね」とあふれるばかりの愛をこめながらも悲しく苦しげな表情を浮かべ、ベッドの中に沈んでいく。まるで咲き誇る大輪の花が一気に散っていくように。ジェイソンの体が力強く美しいほど、その若く美しいものが死んでいく姿が悲しい。
火がついたように号泣し始める王子。こんなにも激しい悲しみを舞台の上で観たことがあっただろうか。大粒の黒い涙を滝のように流し、体をよじって全身で泣いている王子は、スワンの名前を叫び、狂ったようにベッドの周りやベッドの中を、ザ・スワンの姿や残り香を求めて探し回る。ザ・スワンというのは王子にとっては生きることのすべてを意味している存在だった。そしてザ・スワンとは彼自身のことでもあった。ベッドの上に佇んで体中の水分を流しきった王子は、「そうだ、死ねばスワンと一緒になれる」ということに気がつく。彼は再び、右腕を前に差し出す。あの世へと旅立ったザ・スワンに連れて行ってと求めているように。そしてクリスは、日本公演で初めて、死を目の前にして一瞬穏やかな微笑を見せる。キラースワンにとどめを刺されたとき、満足そうな、子供が眠っているような顔で彼はこの世に別れを告げる。死というものがこんなにも幸せであったということは、なんと悲しいことだろう。ここでのクリスの、心境の変化をつぶさに見せる内省的な演技が素晴らしい。
私も、自分の体中の水分がなくなってしまうんじゃないかと思うほど、泣いた。体の中に泉があって、そこからこんこんと湧いてくるように涙がとめどなく流れ落ちる。階段も上がれないほど憔悴しきった。
全身全霊で、持てる力と感情をすべてを出して、この役を演じきったクリスとジェイソンに乾杯。
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