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« 週末は寝て終わり&指つめ&CHANEL | トップページ | ドッグヴィル »

2004/12/11

「隣の家の少女」

扶桑社
ジャック・ケッチャム作、 金子 浩訳

1958年、12歳の少年デヴィッドの隣の家に、2歳年上の美しい少女メグと、体の不自由な妹スーザンが引っ越してくる。両親を交通事故で失った彼女たちは、叔母ルースに引き取られたのだった。デヴィッドはたちまちメグに心惹かれ、ルースの息子たちと遊び仲間ということもあって彼女たちの住む家に出入りする。しかしあるときからルースは姉妹にひどい折檻を加え、さらにはルースの息子たちや近所の子供たちも“ゲーム”と称してメグを地下室に監禁し、いたぶり始めるのであった…。

50年代のアメリカ、少年たち、そして初恋。ノスタルジックでみずみずしい描写で始まったこの物語。しかし-
読んでいてつらくてつらくて、何回も読むのをやめてしまおうかと思った。異様な迫力のある文章でやめることができない。ヒロインのメグは無垢で美しい少女で、何も悪いことはしていないのに、言葉にするのも憚られるようなこの上なくむごい目に遭う。生きていく意味や希望も叩き潰されるような。特に同性から見るとあまりにもむごたらしい虐待の数々。さらに虐待の主導権を握って少年たちをけしかけたのは実の叔母であったということ。叔母ルースの徹底的な男性への憎悪、そして自らの性への憎悪と絶望がこのような鬼畜で異常な行動を引き起こさせたのだろうが。

主人公の少年はメグに恋心を抱きながらも傍観するばかりでほとんど手を差し伸べることすらできなかった。その歯痒さ。どこか色っぽいルースに好意すら抱いていて、そのうち終わりが来るだろうと思っていた、でも終わりは来なくて残虐行為は限りなくエスカレートする。何もできなかったことは、共犯者であることと同じ、もしくはもっと罪深いことだろう。そのことに残りの人生の間中苦しめられるのはある意味当然だったと言える。でも彼にこれ以上何ができたというのだろう…。
そんなデヴィッドの叫びが行間に凝縮されたような、巧みな改行の使い方が目を引く。訳もうまい。一行だけで構成された一つの章には、心の底から戦慄させられた。

メグに加えられた陵辱がむごたらしければむごたらしいほど、生き地獄に突き落とされた彼女の存在は美しく光り輝く。

でも、こんなことは現実に決して起きてはならない。日本人だったらみんなあの女子高生コンクリ詰め殺人事件を連想するだろうし、実際には世界では同じことが起きているのだろうけど。悲しいことに、人間にはこういう面もあるのだということなのか。

隣の家の少女隣の家の少女
ジャック ケッチャム Jack Ketchum 金子 浩

扶桑社 1998-07
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書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

非常に奇妙な存在の小説だと思います。もしこの小説がグロテスクな場面だけで構成されていたら、変な表現ですが、まだ救いがあると思うのです。しかし実際の小説では岩場での出会いやサーカスでの思い出などの美しい日常の描写もある。そのせいで被害者の少女が強烈に不憫に思えてならなくなる。しかも、言い難いことですが、男性としては、初めのうちは少女へのいじめに性的興奮を感じてしまうときがあるのです。もちろん、読み進めるうちに吐き気しか感じなくなるのですが。しかもこの小説にはモデルになった実際の事件があるのです。

ワタナベさん、はじめまして。

そうなんですよね。この本って、最初の方のノスタルジックで微笑ましい少年たちの遊ぶシーンがあるからこそ、後半の性的な虐待がグロテスクに感じられて、変な意味ですが効果的なんです。主人公の少年も、もちろんメグを助けてあげようと思っているけど実際にはちょっと興奮している、みたいなところがあるからこの本は怖いというか、より人間の暗黒面を描いてるといえるんでしょうね。
たしか作者が似たような経験をしているんでしたっけ。実際にも、小さな女の子が親や親戚にレイプされ続けたり、虐待の果てに殺されるって事件はあるわけですよね…。本当に嫌なことですが。

>男性としては、初めのうちは少女へのいじめに性的興奮を感じてしまうときがあるのです。

私は女性ですが、この感覚わかります。

チャールズ・ブコウスキーの短編に幼女をレイプする男の話があります。
(収録されていたのはこの本。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102129111/qid=1105982612/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-7080903-8985909
確かではないですが。)

それまで「ブコウスキーって面白いかも」と無邪気に(?)読んでいたのが、血の気がひくような思いがすると同時に激しい嫌悪感を感じました。
でもちょっと変な感覚もあるんですよね。で、それは性的興奮なんだと思います。
そして、ここが伝わりにくい(自分の中でもうまくつながらなくて・・・・・・飛躍しているというか)のですが、それゆえに余計にまた嫌悪感が増すというか。
(この嫌悪感がどういう感じなのかは、うまく言葉に出来ないし、そもそも男性には殊に伝わりにくいような気もしますが。)

私なんかはわりとそういうことをつきつめて考えてしまうタチなので、人間にはそういう部分があるということを認めた上で(そういった事件などを)捉える必要があるのではないか、と基本的に思っています。

でも、人によってはそういう部分を全く意識しないで暮らしています。意識しないで暮らしてける、ということはそういう部分が「薄い」のかもしれないという気もします。だからそういう人にとっては、そういう事件の犯人は単純に「自分とは違う」と社会から排除してしまえばいいということになるのでしょうけど。

最近、そういうやり方でも、問題は解決する(というか、そういう事件が減少する)ような気もしてきたので、自分ひとりで複雑な気分になっています。

その延長線上で考えたこと。
よく、「『殺してやりたい』と思うことと、実際に殺人を犯すことは別だ」という言い方がされますが、宗教では、「そういう邪な考えを持つこと自体が罪だ(「思う」ことは行為に相当する)」
と解釈されていることも多いので、同じ法治型の現代社会でも、無宗教が当然の日本と、信仰を持ち神に敬虔であることが重要とされる社会に拠っている国では、社会の反応が違うのかもしれません。
(まあ、日本人が宗教を持つことに抵抗がなくなれば話はまた違ってきますが・・・・・・。)

以上、つらつらと雑感でした。
(長くなってすみません。)

liyehukuさん、こんばんは。
そういえば、行きつけの美容師さんのところにliyehuku さんお勧めのエドワード・ゴーリーの絵本が「うろんな客」など3冊あったので読みました。すごく気に入りました!シュールで残酷で、でもなんか心が洗われる感じがします。

ブコウスキーの「町でいちばんの美女」私単行本を持っているんですが、ずいぶん前に読んだきりになっているので、幼女レイプの話についてはすっかり忘れていました。
最近も奈良の女の子を誘拐して殺した事件などを見ると、ある一種の傾向を感じますね。もちろん幼女に興奮するロリコンの一種だたのかもしれないけど、単に反社会的的な人格になってきたとみることもできるわけで(服役しても全然矯正されないという刑務所制度にも問題があるのだと思いますが)

何が正しくて何が間違っているかを定義づけルノって本当に難しいです。

そういえば、マルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」ではありとあらゆるセックスの形が出て区のだけど、サドの怪物的なイマジネーションがすごいく心酔しそうに鳴りました。

神様という存在を持っている人だと、善と悪に対する
意識も明確なものを持っていそうですよね。

ちょっと薬にラりって着ました。今日は」この辺で。

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