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« シネマコリア4本立て | トップページ | 表現することは血を流すこと。 »

2004/08/17

『誰も知らない』と生きていくということ

『誰も知らない』は観終わった後にずしんと響いてくる映画だ。観ている間は、子供たちの一挙一動から目が離せなくて、息を詰めて画面を見つめていた。

長男の明は、母親に置き去りにされた後も、必死になって弟妹との4人の生活を守り抜こうとする。クリスマスに帰ってくるという言葉を信じて待っても母は帰って来ず、時折現金書留でお金が送られてきて「明君を頼りにしているからね」というメッセージが入っている。明の髪は伸び、シャツには穴が開き、汗染みが服につき、部屋からは饐えた匂いが漂ってくる。夥しいカップめんの空き容器からは植物が伸び放題。敷きっぱなしの布団に干しっぱなしの洗濯物。こぼれたマニュキアの痕も少しずつ薄くなる。それでも明は警察に行くわけでも、児童相談所や隣近所に助けを求めに行くわけではなく、たった一人で4人の生活を守り抜こうとする。電気や水道を止められても。彼を助けようとするのは、残り物ののおにぎりをくれるコンビニの店員と一人の女子中学生だけ。母親が送ってくる現金書留には住所も電話番号も書いてあるのに、一度電話たとき違う姓を名乗った母親の声を聞いたきり電話機を明は置いてしまう。

そんな極限状態に置かれてしまっても、それでも必死に4人の生活を守り生き抜こうとする明。何が彼にそこまでの力を与えたのか?母親との約束?弟や妹たちの笑顔?一番下の妹の命が失われても、彼は彼なりのやり方で喪の仕事をやり遂げるのだ。その姿には打ちのめされる思いがする。

翻ってわたしは鬱病を患っている。大好きなバレエ三昧の生活をして快復したと思ったのに、仕事に戻ったら再び悪化してついには仕事をクビになってしまった。仕事を辞めるのは何回目だろうか。自分は社会不適応者なのではないか。生きていても苦しいことばかり。何のために生きているのか。映画が好きでこの仕事をしていたのに、一番信じていた者に裏切られた。睡眠薬を飲んでたくさん寝ても、映画を観たら眠くなってしまうことも多い。わたしを必要として欲しい。わたしのことを認めて欲しい。必死になっているのに認められない。それどころか貶められるようなことばかり。明は弟や妹たちに必要とされたから必死になって生き抜いたのだろうか。
でも、やっぱりわたしも一生懸命生きていかなければならない。わたしが死んだら、ほんとうに壊れてしまったら悲しむ人も少しはいるはずだから。

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映画」カテゴリの記事

コメント

私は映画が好きです。
(↑何か小学生の作文の書き出しみたいですね。)

昔、NHK出版の「H2O」(絶版)のある号で「好きなことを仕事にする」という特集を見つけた時、その中に「映画ディストリビューター」の仕事がありました。養成学校が紹介されていたので電話したら、その回は既に締め切られていたので、代わりに字幕翻訳のコースをとりました。(シナリオをたくさん目にすれば自分が何か書く時の会話の展開に役立つのではないかと思ったのが転向の主な原因ですが、あわよくばという気持ちがあったのも否定できません。まあ、上のクラスに上がるときに成績が悪くてはねられたわけですが・・・。)

ところで、私は絵を描くのも好きです。

幼稚園の時には画家になりたいと思ったこともありました。
まあ、子供のこととて、私も例に漏れず、「なりたいもの」はその後、獣医やら数学者やら小説家やらころころと変わりましたが、基本的には絵を描くのは好きでした(今思えば)。
高校のときも授業そっちのけで、ノートの隅にマンガを描き、友達と見せ合ったりしてました。
仲の良い友達にも絵の上手な子が多くて、同人誌を作って「コミケ」で売っていましたね。中でも一番絵の上手だと言われていた子はわりと有名な美大に進みました。
自分より絵の上手な子に囲まれているうちに、逆に自分自身は絵を描くことから遠ざかっていったような気がします。
若い頃は、「絵を描くことが好きである」ことより「人から認められたい」という気持ちの方が強かったのでしょう。
大学に進み、社会に出てからも、自分で本格的に絵を描くことはありませんでした。
ただ「何かを作りたい」という気持ちは強くて、その頃はそれが、「小説のようなものが書きたい」という方向に向かっていました。
私は基本的にどちらかといえば独りでいるのが好きな方で、「人間は所詮独りなんだ」と思うようにしています。それでもやっぱり孤独なときはひどく辛くて、そのせいか「誰かと孤独を共有することでその辛さが和らぐようなものが書きたい」と思っていました。
でも、一向に自分の中から何かが生まれる気配はなく、やがて決定的に自分にそんな想像(創造?)力がないことを知りました。

そんな時、ふとしたきっかけで絵を描き、たまたまそれを周りの人から褒められて、今度は「自分は絵を描くことが好きなんだな」と幼稚園のとき以来久しぶりに自覚しました。
あるアメリカ人アーティストから「君は絵を描き続けるといいよ」と言われました。それは絵が上手だからというよりも、彼が私を見て「この人にはそうすることが必要なんだろうな」と判断したからだと思います。
だから今は絵を描く時、時々「自分が絵を描きたいから描く」というのを自分に言い聞かせています。そうすると、私の場合、結果的に趣味の範疇にとどまることになります。

(それでも誰にも見てもらえないのは張り合いがないので、自分のサイトで公開しているわけですが。)
(←以前「東アジアの建築」という連続セミナーに参加したときの打ち上げの席で、何かの拍子に「自己表現」の話になり、「人間って誰でも(誰かに認められたいという意味での)自己表現をしたいという気持ちを持っているんですね」と言ったら東大の教授に「当たり前じゃないか」と言われました。)

そんな素人の私ですら、何か描きたいのに何を描いたらいいかわからなかったり、描きたいものが思うように描けなくて何日も手が止まったりすると、「自分は本当に絵を描くのが好きなのかどうか」と思う時があります。

昔は「自分が好きなことを仕事したい」と無邪気に考え、今でも時々そう思いますが、結局私の絵が趣味の範疇にとどまっているのは、ある意味幸運なことかも知れません。

さてさて、また書き込みが長くなっていますが・・・。
自分が心身症であるとはっきりわかり、病気について調べまくっていた時に、あるサイトで「闇の医療相談室」という掲示板を見つけました。禍々しいタイトルの割に管理人の方が丁寧に相談にのっておられるようです(実は私も漢方薬のことで一度質問したことがあります)。時々「死にたい、というよりは痕跡を残さずにこの世から消えてしまいたいんですが、何か方法はありませんか?」という相談を見かけます。自分が若い頃、今でも鬱の状態の時には時々ちょうどそんな気分になります。

ちなみにその質問に対する答えを引用すると
引用元:
http://www.dango.ne.jp/nofuture/judgement.html)">http://www.dango.ne.jp/nofuture/judgement.html

「質問者は生きてるよなあ。まあ今生きてないにしても、かつて生きてたという過去の事実は変わらない。過去とか事実とは何か。それは『他者の記憶』ということ。したがって、一度でも生を受け他人と交流を持ったものが、その記録も記憶もどこにも全く残っていない、ということはありえない。他人の記憶を消す方法は全人類、いや全生命体の抹殺、痕跡を残すのすら嫌だったら地球、いや宇宙ごと破壊するしかない。

(中略) 

全宇宙を破壊することが自分に出来ないんだったら、この生きてきた痕跡を引きずって生きるなりなんなりするしかナイ。世界が有り続けるかぎり「無」は望めない。せいぜい「死」だけだ。しかも死は望む望まないに関わらずやってくる。

(中略)

「死」を抱いて生きな。苦しみは薬で和らぐ。」
だそうです。

私はなおみさんのサイトresurrectionの「Policy」の文章が好きです。(これは「痕跡」ですね。)
あの文章を書くような人が、この世からいなくなってしまったら寂しいなあと思います。

(いつもコメントが長くて本当にすみません。)

liyehukuさん、いつも丁寧なコメントをありがとうございます。

実は私は小さな頃から作文がとても苦手で、小学校4年の途中までイギリスで育ったということもあって国語の成績が悪かったのです。でも大学受験のときに小論文の模試を受けたら意外と点が良かったり、あと大学が法学部だったので論理的な考え方を学んだりということはできるようになりました。それでも、文章を書きたいという創作欲みたいなのが出てきたのはここ10年くらいのことなんじゃないかと思います。だからといって人に誉められることもほとんどないんですけど。今はとある編集者の方に文章を見てもらって修行し始めているところですが…。書くという行為は、生きていると言う痕跡を残そうとするものになっています。liyehukuさんの絵を描くということもそうなのでしょうか?

私のサイトを見ていればわかるように、とある映画監督のファンで、幸運にも彼の作品を宣伝する機会に恵まれたわけですが、その次の作品の途中で配給会社から無常にも首を切られてしまいました。自分なりに必死にやってきたことが否定されたわけで、それは死の宣告にも等しいことだったわけです。しかも直接私には何も言わないで人づてに宣告するという方法で。(別に監督本人から首を切られたわけではないのですが)自分の信頼していたものが足元から崩れ去ってしまった気が今もしています。

いやあ、生きていくことって本当に戦いですね。

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