11/27 公開 映画「コール・ミー・ダンサー」主演、インド出身のダンサー、マニーシュ・チャウハンにインタビュー
11月29日より、傑作ドキュメンタリー映画『コール・ミー・ダンサー』が劇場公開されます。
https://callmedancer-movie.com/
ストリートから誕生した、遅咲きのインド人バレエダンサー・マニ
数々の困難に立ち向かいながらも<ダンサーになる>という固い決
年齢、境遇に向き合いながら、プロを目指す可能性を諦めないで進
ドラマチックな人生がNetflix「バレエ:未来への扉」とし
その生き様にさらに深く迫り、世界の映画祭を席巻中の感動のドキ
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プロモーションのために来日したマニーシュ・チャウハンさんに、単独インタビューを行いました。
ご覧の通りとても明るくチャーミングなマニーシュさん、ダンスに対する愛や師匠であるイェフダさんへの思いなどをたっぷり語ってくださいました。
「コール・ミー・ダンサー」は世界中の映画祭で上映され、また劇場公開されて大きな反響がありました。この映画に対する反響をどう感じていますか?
マニーシュ「おかげさまでこの映画は多くの映画祭やダンスフェスティバル、映画館でも公開されてきました。観客の反響も素晴らしいです。この映画がここまで観客の心を打つとは僕も思っていませんでした。スタンディングオベーションをたくさん受けて、日本に来る二日前にもサウスカロライナ州でのフェスティバルで上映されました。400人の観客がスタンディングオベーションで大きな拍手をしてくれました。一人のお年寄りがやってきました。彼はインドネシア出身だそうですが、映画を観て泣いていました。彼もダンサーになりたかったけど、様々な障壁があってなれなかった。ビジネスで成功していたけど本当はダンサーになりたかったし夢をあきらめなければよかったと言っていました。たくさんの絶賛評も出ました。そしてあるダンサーもシンシナティでの上映後僕を待っていてくれました。コロナ禍でダンスをやめてしまったけど、明日またクラスに行ってみようと思うと話してくれたのです。このような反響を聞いて、僕はとても嬉しく思いました」。
ドキュメンタリー映画の撮影は長期にわたりましたが、自分の生活を撮影されているのはどんな気持ちでしたか
「この映画の撮影には5年かかりました。途中で、Netflixの映画『バレエ:未来への扉』の撮影もあったのですが、こちらは大きなプロダクションなので、面倒を見てくれるスタッフの方もいて、メイクもしてくれるし撮影スケジュールも決まっていました。ドキュメンタリーにはそのようなことはないけれど、でもこの映画の中にいる人たちは本物で演技は一切なくて、そういうところが僕はいいと思いました。いつ撮影が終わるのか先が見えなくて、5年撮影をした後、編集に一年もかかりました。撮影した映像素材がたくさんあったからです」
「ドキュメンタリーを撮ると聞いてもちろん驚きましたが、嬉しかったです。でも最初これはYouTubeで公開される5分か10分の映像だったと思ったのです。僕なんかを対象にドキュメンタリー映画が撮影されるなんて夢にも思わなかった。だから実際に映画の撮影がうまく行って本当に感謝しています。プロモーションのために日本に行くこともできたのですから。想像もしなかった場所へ、この映画を撮ったことで行くことになったのですから幸運でした」。
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<インドにクラシックバレエのカンパニーはありませんが、古典舞踊は8種類もあるなど、舞踊文化は盛んです>
ダンスを始めたきっかけについて教えてください。
「僕は最初はブレイクダンスを踊っていて、テレビのオーディション番組で賞をもらってダンス学校のスカラシップをもらったのですが、そこの学校ではバレエのクラスが必修でした。欧米ではバレエは女の子のものだと思われていますが、インドでは男性もダンスを踊るのが当たり前です。ダンス学校でバレエを観た時に、とても力強い踊りだと思いました。回転したりジャンプしたりするといったテクニックが僕も大好きだったのです。また、ブレイクダンスはストリートで踊るので危険なこともありますが、バレエはスタジオでやるので安全です。フリップができるなら、回転はもっと簡単だろう怪我もしないだろうと思いました。バレエは運動として高度なものであって、女の子だけのものではないと感じたのです」。
「ダンスはインドでは重要な文化です。バレエ団はないのですが、ボリウッドダンスもありますし、古典舞踊はなんと8種類もあるのですよ。インド古典舞踊の歴史はバレエよりも長いのです。インドでは州ごとに異なった民族舞踊があります。インドには様々な舞踊がありますが、バレエは入り込む余地がありませんでした。『バレエ:未来への扉』が公開されたときに、インタビューをした記者が、トウシューズで踊ったりしないのですか?と聞いてきたほどです。それからバレエとベリーダンスを混同した人もいました。君はベリーダンスを習っているのか?って」。
「実は子どもの時はダンスをしたいと思ったことはなかったのです。僕は絵を描くのが好きでした。勉強は得意ではなかったし、スポーツもしていませんでした。僕の家は貧しいので、学費を払うので精いっぱいで習い事をする余裕がなかったのです。通っていた学校はカトリックの学校なので合唱隊があり、その後少し校庭で踊るのですが、踊りたくないのでトイレに30分も隠れていたことがあったほどです。でも高校に行って、ちょっと目立ちたいと思っていました。そのときに映画を観て、バック転をする人を見て自分も目立つためにバック転ができるようになりたいと思いました。自分で練習してバック転ができるようになったらもっとできることを増やしたい、と思ってブレイクダンスを踊り始めたのです」
あなたはNetflixの『バレエ:未来への扉』での演技が評価されて、映画に出演しないか、というオファーもありました。もともとボリウッドの映画を観るのも好きでしたよね。でもボリウッドに入ろうとは思わなかったのですね。
「ボリウッドの映画は好きですが、自分自身がそれを踊りたいと思ったこともありませんでした。ボリウッドに入るにはお金持ちでないといけないと思っていたし、かなえられるはずのない夢でした。僕の両親は、ダンスは金持ちの子どものための趣味であって自分たちの子どもには関係ないことだし、夢を見過ぎたら勉強も将来も失ってしまうと言っていて、ダンスを習うことも許してもらえませんでした。父はタクシー運転手なので、僕は勉強してMBAを取って就職してオフィスで働けと言われていました。ダンスを学ぶことは選択肢の中にはなかったのです」。
「最初はダンスには興味がなかったのですが、踊るようになったときにとても幸せな気持ちになりました。18歳になるまで、何かをして幸せになることはなかったのです。そしてダンスを始めたら、奨学金をもらえるようになりました。学業においては学費を払わなければならず、ローンで学費を払っていました。ダンスでは奨学金をもらえたから、それが正しい道だとも感じていたのです。そして僕にとって、特に様々な国の人たちが客席にいるところで、様々な国から来たダンサーたちと踊るのは大きな夢となりました。ダンスを通してみんなが一つになるからです」。
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家族の反対だけでなく、様々な障壁を乗り越えられたのはなぜですか?
「どんな世界にもたくさんの障壁があるのですが、戦ってみる価値があるし、やがてそんなに大きな障壁ではないと感じるようになりました。僕にはバレエシューズを買うお金もなくてそれを嘆いていました。バレエシューズなしで踊ることはできましたが、シューズなしではクラスに入れてもらえなかったのです。でも、イェフダのように僕を助けてくれる人がいました。彼は僕にご飯を食べさせてくれましたし、スポンサーを見つける手伝いもしてくれました。何かに対して一生懸命で情熱的であれば、 誰かが必ず助けてくれます。そして何か悪いことが起きても、もっといいことが起きるに違いない、と僕は楽天的に考えています」。
「インドで踊ったら観客はインド人しかいませんが、今の僕のようにニューヨークで踊ると、ステージの共演者でも観客でも、日本人や韓国人、いろんな人たちが舞台を共有していて一つになっています。とても幸せな気持ちになりますが、舞台に立つたびに、インドでダンスを学んでいた時のことを思い出します。たくさんの障壁がありましたし、ここまで来ることができるなんて夢にも思っていなかったからです。僕はワシントンD.C.のケネディセンターで踊り、しかもソロを踊ることができました。インドで、住むところがなくて地下室に住んでいた時のことを思い出しました。だから人生が動き出し、ダンスによってここまで僕は行くことができたということにとても感謝しています」。
<コンテンポラリーダンスには、独自の美しさがある>
イスラエルではコンテンポラリーダンスが盛んで素晴らしい振付家もいます。あなたはイスラエルでコンテンポラリーダンスに出会いましたが、いかがでしたか?
「僕はインドではコンテンポラリーダンスは学びませんでした。バレエが僕にとって最も美しい踊りでした。イスラエルに行ってダンスを観たら、醜かったり奇妙だったりしました。でも、このダンスは独自の美しさがありました。変な表情をしていたり、抽象的なことをしていたのですが、僕はそれに独特の美しさがあると感じました。今まで踊っていたものとは違っていて、違ったやり方で物語を語っていると思いました。イスラエルでは、ダンサーたちは動物的でした。ムーブメントが垂直ではなくて、もっとリアルで強い感じでした。感情をそこから見出すことができたのです。美しくあるだけでなく、アグレッシブになったり、悲しくなったり、様々なものを撮りだすことができました。バレエでは、とにかく非常に美しくなければなりません。でも、ここでは醜くてもいいのです。ダンスは自分自身を表現する素晴らしい方法だと思っています。醜くなることを恐れなくていいのです。自分の感情を内に秘めるのではなくて、表に出しています」。
イスラエルではどのような振付家と仕事をしましたか?
「僕はキブツ・コンテンポラリー・ダンス・カンパニーで、バットシェバ舞踊団のレパートリーをいくつか踊りました。キブツのレパートリーも踊りました。カンパニーの振付家の作品も踊りましたが、ニューヨークのプロのカンパニーのようにオハッド・ナハリンの作品も踊っていました。それからアルヴィン・エイリーの作品も踊ったり、様々な作品との出会いもありました。ガガももちろん学びました」。
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<実は『くるみ割り人形』の王子を踊って、クラシックバレエの王子様も踊ることができたのです!>
映画の中であなたはクラシックバレエのダンサーにはなれないと言われていましたが、実際のところクラシックのテクニックも持っていらっしゃいますよね。
「僕の先生は僕はクラシックバレエ向きではないと言っていました。脚の柔軟性が足りなくて、バレエを始めたのも遅かったからです。僕は先生方を信頼しているので、その先生方にそのように言われたのは悲しかったです、でも去年、僕は今所属しているペリダンス・コンテンポラリー・ダンス・カンパニーで芸術監督のイガール・ペリが振り付けたクラシックの「くるみ割り人形」の王子役を踊ることができたのです。女性はトウシューズで踊る作品で、僕はパ・ド・ドゥも踊ったのですよ。この後イタリアはパレルモでのツアー公演があるのですが、ニューヨークに戻ったらまた12月の「くるみ割り人形」の準備に入ります。今年も王子を踊ります。だから結局クラシックバレエも踊ることができています。コンテンポラリーもクラシックも踊ることができるのは、自分が新鮮な気持ちを持ち続けられるので楽しいです。一つのことにこだわらず、何でも経験したいと思っています」。
「それに、このカンパニーは世界中からのダンサーが集まっています。僕はインド人で、ブラジル、韓国、イタリア、米国、カナダ、日本人の女性が2人と、幅広い国籍のダンサーがいます。イガール・ペリは日本でコンクールの審査員をしたり、サマースクールで教えたりしていて、日本のダンサーにスカラシップを贈呈もしています」。
先生のイェフダさんについて教えてください。映画の中でも、温かい人柄でとても素晴らしい教師として描かれていましたね。
「彼はとても寛大で愛に溢れています。そしてこの映画もとても気に入ってくれています。ニューヨークのリンカーンセンターのDance on Cameraフェスティバルで行われた米国プレミアにも来てくれて、映画の出来栄えもとても良いと言ってくれました。実際に撮影をしたのは6,7年前なので、彼は撮影したことも忘れていました(笑)。「私はこんなに嫌な奴じゃないよ」「私はこんな人じゃないからここはカットして」と言っていましたが。撮影し始めた頃、彼はとても厳しい先生だったのですが、今ではずいぶん優しくなったと思います」。
「撮影するのに幸いしたのは、このドキュメンタリーの監督も元々はダンサーで、 しかもイェフダの教え子だったのです。だから、彼の生活についても撮影することが許されました。彼はココナッツみたいな人で、外側は堅いのですが、内側は柔らかく優しいのです」。
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<イェフダ先生は本当の家族のよう>
彼が厳しすぎると言う生徒はいましたか?
「インドでは年長者は敬われているので、彼もとても尊敬されています。昔の教師は厳しかったです。生徒に対して厳しくて叫んでいるような教師は、生徒のことを思っているから厳しくしているとみんな考えていたのです。米国に初めて行ったときに、米国の先生はみんな優しいと思いました。ミスをしてしまっても、「大丈夫ですよ」と言います。イェフダだったら、ちゃんとできるまで何回も何回もやり直しをしなければなりません。でも僕は、厳しいことは大事だと思います。厳しくされることで正しいやり方を学ぶからです」。
「彼がインドに来たのは、年を取っていて、他の国で彼を雇ってくれるところはなかったからです。西洋では若い先生が求められていましたが、インドでは年長者が敬われているので、彼は仕事を得ることができました。だから彼はインドが大好きですし、彼にはたくさんの教え子がいて、彼らは彼の子どもたちのようです。イェフダは一人ぼっちでしたが、今はインドに自分の本物の家族がいるような感じになりました」。
ご家族はこの映画をご覧になりましたか?
「家族は英語があまり話せないのですが、インドの国内のフェスティバルでこの映画の上映会があったので、大きなバスをチャーターして観に来てくれました。家族だけでなく、村の人々がみんな観に来てくれたのです。字幕がついていなかったので、台詞の意味が分からないところもたくさんあったようで、他の観客に内容を聞いていました。そして自分たちが映画に映っているのを観て笑い、英語がわかる観客が映画の中のジョークを聞いて笑うとつられて笑っていました。その笑いの中に僕は愛を感じました」。
「あなたの息子は何をしているの、と親戚に聞かれても答えづらかったのが、僕を主人公にした映画ができたことで、彼らは僕をスターだと誇りに思ってくれるようになったのです。僕の家族はまだ誰もパスポートを持っていないので、まだアメリカで踊る僕を観たことはありません。家族の中で僕が最初にパスポートを持ったので、みんなにもパスポートを取るように言ったのですが、家族にはお金がないので、彼らはインドから離れることを考えたこともなかったのです。インドではバレエ団がないので、僕の公演を見せる機会もありませんでしたが、いつかカンパニーを連れてインドで公演ができればいい、これが僕の次の夢の一つです」。
コロナ禍の時にも、ロックダウンに遭って踊ることも人に会うこともできませんでしたよね。
「コロナ禍の時には僕はイェフダと過ごしていました。彼は年を取っていて助けが必要だったからです。僕の家族は皆一緒に住んでいましたが、イェフダは一人ぼっちだったのです。 彼はインドの言葉を話すことができなかったし、年を取っていて外に出られなかったので、僕が食べ物を用意したり世話をしたりしました。今まで彼が僕を助けてくれて多くのものを与えてくれたので、今度は僕が彼を助ける番だと思ったのです。僕の家族も、一緒に生活している自分たちより、一人暮らしのイェフダがあなたを必要としているから、彼のところに行ってやりなさい、と言っていました」。
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<自分が今取り組んでいることを一生懸命やってほしい。そして夢の実現に至るまでの過程を大切にして>
アーティストとして、ダンサーとしてこれから何に挑戦したいですか?
「今はもちろんより良いダンサーになれるように頑張りたいです。過去に経験したブレイクダンスもまたやりたいと思うのですが、同時に映画を撮影することや、映像編集といったことも勉強し始めています。映像で物語ることも素晴らしいと思っていて、特にドキュメンタリー映画を撮影されてカメラと過ごす時間が長かったので映像に興味を持ちました。もちろんいまはできるだけ踊り続けて、その後は映画を勉強して、もしかしたら俳優にも挑戦したいと思っています」。
「踊れる時間は限られているので、今はダンスが最優先ですが、そのキャリアが終わったら振付家や教師も良いのですが、映像の中のダンスの振付家も良いと思っているし撮影についてもっと知りたいです。いろんなことを学べたらと思っています。また、インドに戻ってインドの若い人たちにダンスを教えることもできたらと思いますが、それはまだ先のことになると思います」。
「今までのことを振り返ってみると、それは旅路だったと感じています。今まで僕の前に立ちはだかった壁、犠牲、けがなどが僕という人間を作り上げてくれました。お客様がみんな拍手をしてくださった時に、一番良い経験はここに来るまでの過程だったと実感します。これから僕がどんな人になっていくのか、何が起こるのかはっわかりませんが、今僕に起きていることのすべてが、僕を成長させてくれると感じています」。
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あなたの物語は日本の子どもたちにも大きなインスピレーションとなると思います。今日本の若者も、貧困など様々な問題を抱えていますが。その若い皆さんへのメッセージはありますか?
「自分が今取り組んでいることを一生懸命やってほしいと思います。そして夢の実現に至るまでの過程を大切にして時には楽しんでほしいと思います。成功をつかむにはいくつもの犠牲を払う必要がありました。僕は妹の結婚式に参列できませんでした。その日にケネディセンターでの舞台に立っていたからです。 インドの結婚式はとても長時間にわたる大切な行事です。この道を選んだため、大切な家族と過ごす時間、一緒にできなかったことがたくさんありました。だから犠牲を払うことはありますが、舞台で踊ってお客様から拍手をされることが、僕が一番大切にしていることなので、後悔はありません」。
マニーシュさんの好きなダンサーは誰ですか?
「ミハイル・バリシニコフです。彼のように踊れるようになるのが夢ですね。彼は素晴らしすぎて、そこまですごく踊れるようにはならないと思いますが、目標です。あとはダニール・シムキンが憧れですね。ワディム・ムンタギロフも好きです。 いつか僕も日本の観客の前で踊る機会があったら嬉しいなと思います。ペリダンスのイガール・ペリに、日本ツアーはしないの?と聞いてみたいと思います。日本に来たのは今回が初めてですが、とても楽しく過ごしています!」
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11月29日(金) 新宿シネマカリテ、シネ・リーブル池袋 T・ジョイPRINCE品川 テアトル梅田 ほか全国公開
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出演:マニーシュ・チャウハン イェフダ・マオール
監督:レスリー・シャンパイン、ピップ・ギルモア
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